いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

表現の経済活動。アートを売ること。

f:id:norioishiwata:20181008130102j:plain絵を描いてるとき、ふとこの数年の夢が叶っていることに気がついた。海の側に暮らし、広いアトリエで大きな絵を描いて、木工をやって、波が穏やかな日にはカヌーで釣りをしている。

2014年、制作に没頭できる環境をつくるために妻とアート以外のすべて放り出して、空き家を探した。まずは、生活水準を下げることからはじめたから、貧乏贅沢まっしぐらだった。

それでも夢が叶ったんだと思うと感謝が溢れてきた。ひとりで掴んだ訳ではないし、今は北茨城市の地域おこし協力隊としてアーティスト活動をやらせてもらっている。何より妻のチフミが理解者であり、制作のパートナーでありパトロンだった。

絵を描いて暮らす環境はできたけれど、現実問題、まだ経済的に自立できていない。北茨城市に来ての1年半は、理想の環境を目指して、古民家を改装してアトリエとなる拠点づくりに費やしていた。それができた今、次の目標がはっきりと見えてきた。これから、ほんとうに芸術で生きていく挑戦が始まる。そう絵を描きながら考えていると、電話が鳴った。出ると商工会の藤島さんからだった。

「石渡さんは、北茨城市に定住して絵を描いて暮らしていくつもりらしいけど、月どれくらい売れているんですか? 顧客はどこにいるの? ターゲットは?」と矢継ぎ早に質問された。

ぼくは正直、その事について考えていなかった。というか、これまでは奇跡的に次の展開が起きて、生き延びてこれた。だから先のことは考えていなかった。藤島さんは、そんな甘い期待を打ち砕くように

「全然、見通しが立ってないですね。奥さんのチフミさんもいるのだから計画を立てないと暮らしていけませんよ。理想も大切だけれど、生きていくにはおカネは必要です」と厳しい口調で言った。

これこそ、いつも偶然に起きるアレだ。奇跡的な次の展開。藤島さんは「心配しているから言ってることです」と言ってくれ月曜日に会うことになった。

北茨城市は「芸術のまちづくり」に取り組んでいて、その目標のひとつに「アーティストが起業できるまち」というお題がある。まさにこれだ。おカネを手に入れることは、それだけの価値を認められたことだし、それだけのニーズが社会にあるということの証明でもある。売れるために表現を変えるつもりはないけれど、表現したものがより多くに届くように工夫したり、貨幣に換金できる仕組みをつくることはやっていきたいと思う。仕組みをつくれれば、自分だけでなく他の作家も豊かにすることができる。

この日の午後、近隣のご老人が、絵描きじゃあ、なかなか生活が苦しいだろうと、米と味噌とタクアンを持ってきてくれた。

じっくり時間をかけていい絵を描きなさい。芸術はすぐに芽の出ることじゃないから。食べ物があれば、少しは長く粘れるだろう」と言って。

ぼくは妻と絵を描いて生きている。

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