いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

one of thesedays 67

打ち合わせのため東京に。新宿まで高速バスで移動。「ゾミアー脱国家の世界史」を読む。この本はすごい。読むたびに、新しい発見と感心に打ち震える。ページを閉じて考えて、また読んで。大切に読んでいる。なにが面白いかと言えば、国家のシステムを暴いていること。それも弱者の視点から。後進国や未発達部族など遅れていると考えられていた地域や人々が、むしろ自ら選択して、自由を獲得しているという発見。都市に暮らすことは、国家に管理され隷属することだ、とこの本は指摘している。日本にも、そんな眼差しがあった。民俗学者宮本常一だ。とても敬愛している。ほとんどの著書を読んだかもしれない。ゾミアは、宮本常一の視点を世界に拡大したようなインパクトだ。国家と人間。いま生きている日々、ここに深く突き刺さっている現象。国家は果たして国民の幸福のために働く機関なのか。

 

あっというまに2時間30分が過ぎて新宿に到着。時間とは相対的だ。歩きながら愛知県の空き家改修の仕事の打ち合わせを電話でする。

石渡さんたちのように施主に寄り添っておカネのかからない方法で改修してくれるヒトはいないんですよ。最近も紹介してもらった人に相談してたのですが、おカネがないやとやれない、わたしに全権任せてくれの一点張りで。依頼しているはずのわたしが、悩んでしまって。あまりに、わたしの考えや意見を否定するので、気がついたら洗脳されているみたいで。勇気を出して、ちょうど断ったところだったんです。素晴らしいタイミングで連絡をありがとうね」

と言ってくれた。家主の役に立てるようにできる限りのことをする。あるものをできる限り生かすようにやる。家を改修するとき、それだけを考えている。一度、仕事をした人がまた依頼してくれる。これ程嬉しい見返りはない。月末から行く予定になった。


新宿から表参道まで歩く。原宿のむかしオフィスがあった場所を通って、表参道のアートショップ、オンサンデーズに立ち寄る。かつては、意味のわからない新奇なアート本で溢れているように映ったけれど、いくらか本棚を読めるようになった。名前の分かる作家も増えて楽しめるようになった。

バルトリヒターの評伝とアイウェイウェイの評伝が気になった。自分のスタイルからして、やっぱりアイウェイウェイだ。ついでに江戸時代の園芸植物関係も手に取って、昨日、コンニャクの花を見て、スケッチしたかったのを思い出した。それを忘れないためにもアイウェイウェイと園芸の2冊の本を買った。園芸の本をぱらぱらとめくって、魅力的な草花のスケッチを集めて、一枚の絵にしようと思った。版画がいいかもしれない。

表参道のレストランでランチをしながら、フジロックのバーとTシャツの打ち合わせをやった。先輩であり前の会社のボス、ブライアンと久しぶりにゆっくりと話した。ちょうど今日歩いてきたルートは、かつての生活圏だった。もう20年もの付き合いになる。話しながら感じた。SNSやインターネットでヒトとヒトが繋がっているような感覚は終わりだ、と。人と対面してはじめて繋がりが生まれる。それこそ生きるためのネットワークになると気がついた。

打ち合わせをした後、表参道から原宿まで歩いて、美容室のカームに遊びに行った。ぼくが絵を描き始めたとき、まだ売れなかったころ、飾ってくれたお店だ。ブライアンは、向かう途中に、カームのイベントをやろう!と思いついて、オーナーのたけちゃんこと荒武さんに話した。ブライアンはすぐに代官山ユニットに電話した。そう20年前は、こんな風に仕事をしていた。顔の見える相手と。

帰りのバスで、アイウェイウェイの本を読んだ。力強い彼の活動に勇気づけられた。映像作品をつくりたいと思った。そのための準備として、映像作品をつくろう。チフミとぼく、2人いるから、交互に撮影して編集すれば、やれるはずだ。根気よく続けていけば、これは制作スタイルのひとつになる。

こう思った。
「おカネは使えばなくなるけれど、技術は使うほどに、研ぎ澄まされていく」

宮本常一

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☆「ゾミアー脱国家の世界史」

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アイ・ウェイウェイ

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