いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

One of thesedays 92

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サーフボードが折れてしまった。修理の仕方を調べてみると、FRP樹脂とガラスクロスが必要だと分かった。あとの研磨する道具は持っていた。乾燥に24時間かかるので、表と裏で2日間作業した。直したその日に海に行って波に乗ったら、また折れてしまった。

やってみなければ分からない。ボードが折れたとき別のを買おうかと思った。けれど、どんなモノでもその役目が終わるまで全うできるのが幸せだと思う。人間と社会の間に横たわる問題がそこにある。ダメだと決めつけるのも諦めるのも簡単。そうやって可能性を捨てていく。だから、もう一度、直すことにした。前回の失敗を踏まえて修理した。折れた箇所の周囲を削って、ガラスクロスを2枚にした。また2日間かかった。でも頑丈になった。また海に行った。ボードを折りたくない気持ちが、タイミングを遅らせて、波に乗れなかった。波に飲まれて、巻き込まれてボードが折れたので、それが怖くなっていた。

そんな気持ちで、波に向かってもいい成果は出なかった。残念な気持ちで休憩した。浜で波を眺めた。寄せては返す波を見てるうちに「あれは乗れる、あのタイミングだ」とイメージが湧いてきた。また波に向かっていった。分かったのは、失敗したくない気持ちがタイミングを遅らせていた。ジャストは、もっと手前だった。

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サーフィンの話しをしているけれど、はじめたのは今月からで、何をバカな話しをと思うかもしれない。けれど、できないことをやることは、すべてのことに通じている。生まれたときは何もできなくて、ひとつずつできるようになっていく。話せるようになり、歩けるようになり、字が書けるようになり、自転車に乗れるようになり、ひとりで遠くへ旅できるようになり。いくつもの「できるようになる」を経験する。大人になると「できること」しかやらなくなる。

だからこれはサーフィンの話しじゃない。「できるようになること」の話しをしている。だから、波と戯れていると、描こうとして描けないでいる絵のことが頭に浮かんできた。できないサーフィンに挑戦していると他のことも挑戦しようと思えてくる。

英語も中学、高校と習って勉強したけれど「できるように」はならなかった。苦しいながらに、英語も5年前から勉強を始めた。飛行機に乗ると、日本語字幕すらないので英語で映画をみるようになった。今年の春にアメリカに行ったとき、アイルランド人の友達と一緒にNetflixを観てから、英語字幕で観るようになった。

「できないこと」はいつのどの時点から「できること」になるのだろう。できる人はたくさんいて、比較する限り永遠にできないままのようにも思う。でも日本人が日本語を「話せる/話せない」は問題にしない。当たり前にできることだからだ。

日本に住んでいるメキシコ人と話したとき「英語は簡単な言語」だと断言した。確かに日本語に比べたら圧倒に簡単な言語だ。そのときから、英語は簡単だと思うようにした。

もしかしたら、何だって難しいを簡単に変換できるのかもしれない。楽しんだり、必要最低限、使えさえすればいいツールだとすれば。競争ではない。サーフィンは、波に乗る遊びで、海と戯れ、自然を感じるための時間。英語は、世界中の友達や、一緒に仕事をする仲間とコミュニケーションを取るツール。

アートは、いくら言葉を費やしても説明できない「生きる」という現象を、ひとつの道に集約する技術。与えられた人生の時間をこれに費やす限り道は続ていく。ヘタでも、できなくても、やってみたいことをやらないよりも、やってみればいい。高みを目指しているのではなく、平行移動している。目線は低くいのだから、疲れたら休んで、足元を見れば、草や花が咲いている。蝶々や蜂が飛んでいた。

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