いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

思考する絵画

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アート。芸術。魅了されて止まらない。なぜか。アートは何にでも変換できる。それは答えがないからだ。だから、答えをつくることができる。例えば、生きることが芸術だと言いたい。なぜ生きることが芸術なのか。その問いに答える。自ら設問して、問い続ける。ぼくはそれがアートだと思う。

答えがないことの方が多い。なぜ生きるのか。なぜ、自然があるのか。なぜ地球があるのか。なぜこの世界があるのか。答えるために学問がある。科学、歴史、芸術、宗教、哲学。それぞれの道がある。

その道を追求することは、ビジネスではない。経済とは別の地点に答えがあると思う。けれども、今の時代を生きるには、経済と切り離すことはできない。

いつもその狭間で夢を見ている。どんな未来を生きたいのか。自分ひとりに限るなら、それほど難しくない。けれども、妻のチフミの生涯、その人生が幸せだと感じて死ねるような、そんな生活を日々送れるように、それでいて自分の理想と矛盾しない人生を送ってみたいと思う。

夫婦とは、最小限の共同体だと思う。聖書によればアダムとイブ。更に遡れば、はじめに光あり。けれど、聖書の光を伝えるのは言葉。言語を通して人間は世界を理解する。けれども、言葉ですべてを語り尽くすことができるなら、文学は必要ないし、芸術もいらない。それぞれの表現は、言葉で語り尽くせないところをまた別の方法で記述する。追いかけては、見えなくなって、何度も何度も、その消失点を求めている。

何万何千億の言葉を費やしても、この世界を語ることはできない。代わりにアートは、目に映る何かを通じて、言葉以上の何かを語る。その何かとは表象。語り尽くされたから感動する訳でもない。むしろ、語られない空白から何かを読み取れたときに心が動く。そこに芸術がある。つまり、欠けているところに美しさが宿る。

もし、目の前に美しさを感じる景色があって、それを伝えたいとする。いま、それを描こうとしている。目の前の景色の要素を検証して、最低限に絞り込み、それぞれの要素だけを鋭角化する。他は切り落とす。意味が見えなくなる地点まで。それでも目の前の景色の美しさを伝えることができるなら、その空白を生み出すことができたとき、アートが生まれたと感じる。

未完成。鑑賞者の眼差しと心が動く余地を残しているか。その不足しているところに、美しさが宿る。

毎日、アート、表現について考えて、今日はこんな風に考えている。これは答えではなくて今思うこと。いま感じていることで、一枚の絵を描けるなら、ぼくは作家として、今日もひとついい仕事をしたと誇ることができる。明日は、また違うことを感じて考える。そうしたら、また違う絵が描ける。そうやって、新しい絵を描き続けて、死にたいと思う。生きるための芸術は、死をデザインする、死ぬための芸術でもある。

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