8月の頭から、三重県志摩市阿児町安乗の海の傍の空き家に約一カ月滞在して、毎日、絵を描きながら、自作のカヌーで海を堪能して、新しい友達に出会い、過ごした夏だった。外から見れば毎日が夏休み。夫婦からすれば、毎日が勝負、ギリギリ、アウトもしくはセーフな冒険生活。
ラストは、東京から友達が遊びに来て、伊勢の知る人ぞ知る遊びスポット2丁目パラダイスで京都在住の台湾のアーティストとコラボレーションする予定だった。ところが、東京の友達が空き巣に入られ、2丁目パラダイスのマスターが体調を崩して、2つの予定がなくなってしまった。人生、何が起こるか分からない。
ところが、当日に思いついた漁師ノリくんの粋な計らいで、安乗のチルアウト酒場ababaiで展示会を開催することになった。偶然は必然に変わり、素晴らしいクロージングパーティーになった。
展示には、漁師でありababaiのマスターでもあるノリくんの友人が集まってくれた。偶然、通りかかったサーファーも参加して、伊勢からDJ Inou aka tadatakaもやってきた。音楽と人とアートの出会いの場になった。みんなが作品を鑑賞して、語らう空間があった。
6つ展示した作品は3つが売れた。それもまた偶然が重なり。ひとつは、お店の壁の色と同じ絵で素敵だ、と床屋さんが買ったFish rising。
ひとつは、偶然、遊びに来たサーファーが、安乗の波とサーファーを描いたSurfin UFOを買ってくれた。
展示作品のなかでも最も高額な一点をこの夏、一緒に遊んだ、コウセイが買ってくれた。コウセイは魚の卸をしているので、魚と交換することにした。これから目利きが選んだ魚がぼくら夫婦の元に届く。これは現金より、価値ある嬉しい取り引きだ。
この8月は、まさに作品をつくって売って生きていくことができた。素晴らしく幸せハッピーな日々を過ごせた。すべては漁師ノリくんに感謝。ありがとう。
ぼくたちは、夫婦で一緒に作品をつくっている。旅先での材料、環境、アイディアをカタチにする。それをサバイバルアートとを呼んでいる。この夏の作品は、安乗の海にインスパイアされている。
ぼくたちには、もうひとつ重要なテーマがある。それを「生活芸術」と呼んでいる。芸術とは何か。それは「生きるための技術」。生きるとは何か。それは生活すること。生活とは何か。生きながらえるため命を生存させる活動のこと。つまり、生活に関する技術を採取して自分の日常に取り入れていくチャレンジをしている。これは都市生活では実践できない。
舟を自作して生活のなかに取り入れることや、魚を釣って食べることや、古い家でも暮らしていける方法を編み出すこと。つまり、自然の側から生活スタイルを再編集することだ。
なんで、そんな生活をするのかと言えば、作品づくりに没頭するためだ。自然の側から生活すれば、出費が少なくなる。つまり、消費を生産に変換できる。
都市生活では、経済活動に巻き込まれ、作品づくりの時間を確保できない。しかし、生きるための生活のみにフォーカスすれば、家もお金も単なる道具になる。必要なだけあれば足りる。そう思えるようになった。
そうやって生活スタイルをカスタマイズして、手に入れた時間を創作に注ぎ込む。すべての人間に平等に与えられた資源、1日24時間をどう使うのか。見たり、聞いたり、触れる世界がすべてなのだから、その世界が幸せに満ちていれば、純粋に気持ちのよい作品が生まれる。
その作品が、愛する鑑賞者の手に渡り、そのひとの日常を彩る。フレームは窓になり、その向こう側には、美しい永遠の日常が映り続ける。
ぼくたち夫婦の作品は、生活のための美術作品。だから、その価値もそれ相応な値段に設定する。作品の価値が高ければ高いほどよいことではないし、欲しい人が手に入れられる価格こそが理想だ。
こうした想いは作り手側の世界観であって、作品自体の価値は、鑑賞者と作品の一対一の、戦いではないにしろ、伝わることがあるなしの真剣な勝負だ。安乗では、そこをテーマに制作をした。作品がどれだけを語り伝えるのか。
その結果を、偶然にも安乗で掴むことができた。滞在してつくった作品が、安乗に縁ある人たちに鑑賞して愛されたのは、このうえなく嬉しく、これからの糧になった。つまり、誰がなんと言おうと、これでいいのだ。
今日、また移動。次は、岐阜県中津川へ。海から山へ。生活芸術は続く。