いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

漁師に同行して学ぶ、狩漁とマーケットのあり方。

三重県の志摩での暮らしには電話もインターネットもないから、連絡手段がない。ぼくは、それでいいが、連絡したい人には迷惑な話。夕方、漁師のノリくんが船を出すから一緒に漁へ行こうと誘いに来てくれた。連絡手段がないから、その場で行動が決まる。

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向かった波止場の船には、ノリくんのお父さんが出航の準備をしていた。船は手入れをすれば30年も40年も乗れるらしい。家と同じだ。船のカタチが、ロボットやスニーカーのようで最近、お気に入りだ。

船は左右に巨大なサオを広げて4本の糸の先に疑似餌を垂らして走る。ノリくんのお父さんは、潮の流れを読みながら、魚を求めて船を進める。

とにかく、漁は出てみないと分からない。プロの漁師でもアタリの日は、じゃんじゃん釣れるし、まったく釣れないゼロの日もある。自然が相手だから、同じ日は1日もない、という。

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夕方の海を走りながら、反応のないサオを眺め、期待と不安が入り混じる。「駄目なときは釣れんからな。」ノリくんが期待し過ぎないように言ってくれた。

漁には2つのタイプがあって、小さな船でコツコツと釣り上げる漁師と、大きめな船の数隻で、網でまとめて捕る企業のような漁船。網でやると不必要に魚を捕り過ぎてしまう。しかし、網の方が効率がよいから、漁師の仕事がなくなってしまう。大手スーパーマーケットと個人商店のような構図が海のうえにも存在している。

ノリくんの家は、家族でひとつの船で漁をして暮らしている。漁師の経験と自然を相手に生きる技術が、一家の暮らしを成立させている。しかし、安乗では、こうした漁師が生活できなくなってきている。ノリくんは、両親の反対を押し切り、漁師になった。漁師という仕事を未来に残したいと言っていた。

「お!1番に掛かったんじゃないか!」お父さんが声をあげ、ノリくんが、糸を手繰り寄せると向こうの方に魚が見える。するとすぐに「マグロの子供やんけ!」
すぐに2番にもヒット。連続してマグロの子供を釣り上げた。一匹5000円もする高級魚。

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また暫く、釣れない時間が続き、お父さんの「掛かったんじゃないか?」の声。引き上げてみると、小さなカツオの姿。船を操りながらでも獲物は見逃さない。流石の漁師。しかもそのカツオは、漁師でもワンシーズンに一度釣れるかどうかのマイトカツオ。市場にもほとんど出回らないらしい。

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それでもお父さん、今日は「釣れんなあ」と。あまりに捕れないので、これ以上やっても無駄だ、との判断でクルージング終了。

念願の漁師に同行して、その生きる技術を採取できた。おまけに、今日の収穫に便乗して、美味しい魚の刺身を頂いた。

自然と人間の暮らし方を観察して、都市生活とミックスしたライフスタイルをつくりたい。狩猟とマーケットがキーワードになりそうだ。海の暮らし。残り1週間。何かよく分からない感動が胸の奥でウズウズしている。漁師のノリくんに感謝。