残すところニューヨークの滞在も3泊4日。たくさんのギャラリーに行って、次の展開の営業をしながら、たくさんの愛おしい作品に出会った。アートの森を彷徨いながら、進むべき未来が見えてきた。
朝起きて、作品がつくりたくなった。ニューヨークでの経験をカタチにしたくなった。展示は始まっているが構わず、拾ってあった廃材で制作を始めた。
どこにいても制作が生活と心の平穏。何かが欲しいと心がざわつくこともなく、何処かへ行く欲望もない。旅をして彷徨いたくない。ぼくにとっての旅とは未知の場所で創造の旅に出ることだ。
作品はニューヨークの展示で人気のあった集中線とレジンで仕上げる。
ぼくたち夫婦の制作は自分たちの冒険の記録だが、突然、作品を目の前にする人には、そのストーリーは関係ない。または、価値の創造を目指すのであれば、魅力の純度を高めることが、錬金術への近道。「急がば回れ」とは遠回りをしながらも、頂を目指すこと。これは狩りだということを忘れてはいけない。
ニューヨーク滞在の始まりに音楽雑誌を拾って、そこにフューチュラのインタビューがあった。バスキアとキースへリングの話をしていた。
「2人は誰よりも、世の中の要求に応えた。身を滅ぼすほどに。」
自分だったらどう振る舞うだろうか。
ぼくたち夫婦には2つの物語が必要。消費社会が切り捨てたモノコトを再生させ、社会へ還流させること。それは豊かさを増やす社会実験。それは奇跡を起こす。人が好むストーリーでもある。
もうひとつは、アート作品に価値を与え、貨幣を獲得すること。最も当たり前の行為、であり生存のための運動。今回は、まだこの運動が足りていない。