いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

運命とは約束されていないこと。であれば、コラージュで発見した技術、セレンデピティはまさに出会いに導かれる旅人のように、偶然を繋ぎ合わせ運を掴むテクニック。

偶然が重なって、危ういまま道が拓けていく、この「運命」とやらをコントロールできないだろうか。例えば、ポーカーのような偶然性を孕んだゲームのように。運命を操るには、ゲームに勝ち負けがあるように、テクニックが要求される。

生きていて運命に翻弄される時期がある。ぼくの場合は27~28歳のときだった。東京から熊本に行く途中の滋賀県で交通事故に遭った。助手席に寝ていて、足をダッシュボードにあげていた。ドーンという衝撃音と共に視界が消えた。死んだ訳ではなかった。目を開けると激痛に襲われ自分は車に挟まれていた。また目が覚めると病院だった。

その年、文章を書き始め、絵を描くようになった。いまから10年以上前のこと。
その翌年、親友が死んだ。
その翌年、いまの妻と結婚した。

もしダッシュボードに足をあげていなかったら、ぼくは死んでいた。

雑誌を切り抜き、その破片を組み合わせて絵をつくる方法に夢中になり、その方法で人生をつくるようになった。人間と人間が出会い、ピタっと嵌ることがある。いくつも重なることがある。そんな時に運命を感じることがある。

人生をアートにしようと考えたとき、すべてのことが素材になった。現在過去未来。ゴミから商品や人間や自然。日々の出来事、拾った紙切れ。友達の会話。そう、すべてのことが、大切な勝負のカードになった。日々集めては並べて、タイミングで組み合わせてみると、夢だったカードが裏返しになって、気が付けば現実になっている。とても些細な積み重ねで、ここに生きている。基本的には「愛」だ。好きなことや楽しいこと、夢中になれることが身の回りにあれば、人間は輝いてその人生を歩み始める。ぼくはそう信じている。

 
夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/