いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

ユースレスホーム。存在するだけで役に立っていることの証明。

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もう終わらないんじゃないかと思うときもある。廃墟の規模が大き過ぎて、やってもやっても課題が出てくる。だけど、誰かのためでもなく自分のためでもなく、ただこの地域に廃墟があって、それを美しくしてみたい、と思った。だからやる。もちろん、閃きをカタチにするのは、自分のためであり、土地が美しくなることは地域のためでもある。矛盾しているけれど、肝心なところは、目の前に廃墟があった、ということ。だから、お金のためでもなく、ただやりたいからやる。ここに生き甲斐がある。楽しみがある。

今日、鶏小屋を解体しに行った休憩の時間にシゲ坊さんに

「あんな大きな倉庫要らないだろ、木も腐っているし、半分壊して半分だけ使え。なんだって身分相応ってものがあるんだ」

と言われた。

これまでも何かをしようとするとき、やめた方がいい、と言われてきた。だからシゲ坊さんに「違うんです」と言いたかったけれど、何も言わなかった。結果が答えてくれる。

自分で考えて行動していけば必ず理解されない場面に遭遇する。失敗すれば、だから言っただろう、となる。そこで諦めれば、やめた方がいい、と言う側の人間になる。けれども、諦めずに続ければ、理解されないこと、理解できないことの向こう側に、生き甲斐や喜びがあることを知る。

チフミに「今日、シゲ坊さんに半分にしろって言われちゃったね」

と話すと

「シゲ坊さんは、自分だったらどうするか、って考えてくれているんだよね。だから、半分にしろって言うんだよね」

と言った。

 

それから、いろんなことのタイミングが合わなくなった。雨が続いて、鶏小屋の解体作業ができなかった。注文したトタンが届かなくて、屋根を修理できなかった。屋根を修理するために借りていたローリングタワーを2週間ほど、使うから返して欲しいと連絡があった。

だから今朝は、無口になった。明日の予定の話をチフミとしていたら「見通しが甘い」と言われた。そうじゃないと思った。じっくり言葉を選んで「見通しが甘いんじゃないよ。焦っているんだよ。屋根が直せないから」

と言った。

チフミは

「やれるところをやっておけば大丈夫だよ」と言った。その日のチフミは、とても明るかった。

そもそも、今回の廃墟の改修は、どれもこれも人の好意で成り立っている。廃墟と土地もそうだし、鶏小屋の解体も材料を提供してくれるし、トタンも何十枚も在庫している分を無償で提供してくれ、更に追加注文した分は70枚も運送してくれる。ローリングタワーも何かチカラになればと無料で貸してくれている。

今日の午後は、市議の方が、隣町のスポーツイベント会場で不要になった廃材を貰えるように手配してくれた。ぼくら夫婦がトラックがないと言うと、トラックも運転手も声をかけてくれた。現場に行くと、大工さんたちが何に使うのか、と聞くので、廃墟を直していると言うと、面白がって、たくさんの廃材をトラックに積んでくれた。

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廃墟に戻って荷下ろしをすると、貰った材料で床張りができそうなので作業することにした。

するといつのまにか、廃墟の再生を楽しみにしてくれ、手伝ってくれる、地域のご老人たち、スミちゃん、カセさん、シゲ坊さんが集まった。みんな、床が出来上がるのを見ながら、ボロボロの家なのに、これは立派な御殿になるぞ、これはいい家になると喜んでくれた。

この家は、水道もトイレもないし、不便な場所にあって、ゴミだらけで、ほんとうに役立たずで、迷惑な家だったのだけれど、それでも、たくさんの人の協力で、愛すべき場所になろうとしている。ぼくは、この家をユースレスホームと名付けたくなってチフミに話したら「そんな名前じゃ家が可哀想」と言われた。

まだこの家に名前はない。この家は、ぼくらの作品だ。役に立たたないものが集まって人を楽しませる、そういう心が温まる作品にしたい。

この土地に生きるものたち

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「ご苦労だね。いやいや、綺麗になった。俺のところに鶏小屋があって、もう使わないから、解体すればトタンや木材あげるから」

ぼくら夫婦が改修している廃墟の様子を見に来る猟師のお爺さんが言った。

 

ぼくらはお爺さんを地域のみんながシゲ坊と呼んでいるから、失礼のないように親しみを込めて「シゲ坊さん」と呼んでいる。

シゲ坊さんは、いいことを思いついた。鶏小屋を壊してもらって、おまけにその廃材も処分できるから一石二鳥以上の取り引きだ。一方で、ぼくら夫婦は、タダ働きで、便利屋のような肉体労働をすることになる。お金が目当てなら絶対にしない取り引きだ。

ぼくら夫婦は「そこにあるものを最大限に利用すること」をテーマにしている。シゲ坊さんとの出会いによって起きたこのハプニングも作品の素材だから、この都合のよい提案に乗ることにした。

シゲ坊さんは、いつ来るんだ、と毎日様子を見に来た。いよいよ廃墟の改修に使う木材が不足してきたので

「明日、鶏小屋解体に行きます」と話した。電話番号もお互い知らないから、翌日、教えてもらった場所に行った。

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シゲ坊さんは不在だったけど「勝手に始めてていいぞ」と言われていたので、妻チフミと、どうやって解体するか相談した。実のところ、建物を解体したことはない。まずは、小屋の中の荷物を外に出して、壊せるところから手をつけることにした。

1時間くらいで、シゲ坊さんは現れ、シゲ坊さんは助っ人を連れてきてくれた。今年の冬、手術に失敗して片足がマヒしている無口なカセさんだ。カセさんは何も言わずにいつもそっと協力してくれる。これまでも、草刈りをしてくれたり、廃棄されるアルミサッシを届けてくれたりした。

カセさんは、チフミに解体のやり方を教えて、シゲ坊さんは、ぼくに屋根を先に壊してしまえ、と段取りしてくれた。

お昼過ぎには、廃墟の持ち主で、地域の人気者スミちゃんが現れた。もう80歳になる底抜けに明るいお婆さんだ。

「オメエら今日も頑張ってんなー。今晩はBBQにすっぞ」と言った。どうやらシゲ坊さんが、北海道で仕留めた鹿肉を提供してくれるらしい。

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ぼくは、ひたすらトタン屋根を剥がして、小屋の下では、みんなが片付けをして16時には、トタン屋根を全部剥がし終えた。

スミちゃんとチフミは、BBQの準備をしていて、すぐに鹿肉が焼かれた。スミちゃんが「ここの地域には何でもあるぞー。こんな高級な鹿肉も、美味い酒だって」と言うと、シゲ坊さんは、家から一升瓶を持ってきて「ほら飲め」と黄色いビールみたいな色した日本酒を注いでくれた。

「何ですかこれ?」

「濁り酒を5年寝かせたんだ。酒は飲まなきゃどんどん美味くなるぞ。だけど、みんな飲んじまうからな」

飲んでみると、蜂蜜みたいに甘かった。

スミちゃんは、その日本酒を飲んで

「これは美味いなあ!ほんとに何でもあるな!」

と笑った。

シゲ坊さんが

「そうだな、ないのはカネばっかりだ」

そう言うと、みんなが大笑いした。

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トルストイの民話、やば過ぎる。

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トルストイを読んでしまったら、あまりに社会と距離ができてしまって、言葉が出てこなかった。トルストイの民話は危険な読み物だ。美し過ぎて、いまの社会にはまったく適していない。

昨日読んだ話はこうだ。

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ある兄弟が、困っている人たちを助けながら、自分たちも慎ましく暮らしていた。兄弟は月曜日から土曜日まで、お互い別の場所に出かけては人を助けていた。日曜日だけはお休みだった。ある日、それぞれ別の場所に向かって行くとき、兄は振り返って弟の姿を見送ろうとした。すると、弟が飛び上がって何かに驚き、逃げるように消えていくのが見えた。

兄は何があったのか、とその場所に行ってみると金貨が山になっていた。兄は、その金貨があればいつもよりたくさんの人を助けられると思い、拾い集め、街へ向かった。

街には困っている人がたくさんいて、兄は病院をつくり、浮浪者のための施設をつくり、孤児院も作った。それぞれの施設に高齢者を雇って働かせた。

その週もたくさん人を助けたので、日曜日にはいつものように家に帰った。

すると家のそばに来ると天使が現れ言った。

「お前はなんてことをしたんだ。もう弟と共に暮らす資格はない。」

兄は理解してもらえると思って金貨をどうやって使ったかを説明した。

天使は答えた。

「金貨は、悪魔がおまえを誘惑するために置いた。お金を使ってお前がしたことより、金貨から逃げた弟の行動の方が尊い

兄はそう言われて、良心が目覚めた。金貨など使わずに自分で働いたときにはじめて、人に尽くすことができると悟った。こうして、兄弟はもと通りの生活をするようになった。

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この話を読んですぐには理解できなかった。兄がしたことの何が悪いのか。でも、いまは分かる。いまの時代には、あまりに純粋だし無欲な話過ぎる。おかげで、芸術とは人間について表現する技術のことだと考え直すことができた。美しさ、愚かさ、醜さ、悲しみ、喜び。芸術は、あまりに複雑な人間の姿を絵画や文章で表現してきた。またそれは哲学や宗教にも通じる。

宮沢賢治が、書いてきた物語世界にも通じている。だから久しぶりに「虔十公園林」を読んだ。やっぱり涙が出た。

ぼくが心を動かされた表現は、人間に関するものだった。音楽もそうだし、宮崎駿のアニメもそうだし、柳宗悦の民芸、宮本武蔵手塚治虫、彼らが教えてくれたことと、いまの時代の空気があまりに違い過ぎて、世の中から気持ちが離れている。ここで言う世の中とは、ネットやSNSやニュースが伝えることだ。そんな大きな話題ではなくて、ぼくたちひとりひとりの心が何処へ向かおうとしているのか、その問いの方がよっぽど大切な時代に思える。

だからぼくは、疎開しているのだと思う。都市から離れ、要らないものと距離を置いて、心のバランスを取っている。これは、ハキムベイという人が書いたT.A.Z.(一時的自立ゾーン)でもある。従うでも、抵抗するでもなく、自分がやりやすい生活環境をつくり生きていく。

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ぼくは、いま自分の目の前の世界に満たされて、世の中で騒がれていることに興味が持てない。世間の欲があまりに深過ぎて、至るところに悪魔が罠を仕掛けているように見える。そんなことに心を費やすより、日々、汗をかいて自分の生活空間を作ること。そこに平和がある。心の平和を作ることができる。

消えていくもの、残るもの、伝えたいこと、変えたい社会。

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やりたいことが溢れている。サーフィンをしたい。釣りをしたい。ランニングしたい。絵を描きたい。眠りたい。季節の変わり目で、秋になろうとしている。

廃墟の改修がいよいよピークに差し掛かかり胸騒ぎが止まらない。心が騒いでいる。やったことのないこと、どうやったらそれができるのか、考えながらクリアする。やりたいことが溢れている、けれど日々の仕事に集中する。

仕事と呼んでいるけれど、それがお金になるということじゃない。自分がやりたいと閃くことに全力で立ち向かい表現する。北茨城市のおかげで、そういう環境が与えられている。産廃の山、ボロボロの廃墟を再生して、社会のマイナスをプラスに変えて見せたい。

ほとんどの人がやめた方がいい、と助言をくれた。けれども市役所の担当者の方たちは、誰も止めなかった。可能性を信じてくれている。

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目の前にある問題を片付けられないのにどうやって社会を変えることができるだろうか。ぼくは社会を変えたい。目の前から、自分の身の回りへと、伝染するように広げていきたいと思っている。そこに現れたカタチが社会に問い掛ける。

それまでの間、ぼくがしていることは無意味だ。存在していない。それがたまに心を締め付ける。ぼくは何をしているんだろう、意味があるのだろうか、と疑念が生まれる。アートとは誰かに頼まれて表現することではなく、心の奥から湧き上がるもので、それは、まるで自分が空想する山を登るようなことだ。

何のためにやるのか。考えるより大きなものは直感が知っている。それが何になるか考えてやるよりも、直感に従えば、結果、自分の想像を超える。Don't think feel it.

北茨城市里山のニーズのない廃墟は、生き延びようとしている。家は生きている。空き家とは、野生の家だ。持ち主の手を離れ自然に還ろうとしている。家にも自由になる瞬間がある。そのとき、まだ家としての役割を果たしたいと家が願うことがある。古いものは、自然から作られているし、ほとんどが手作りだし、そういう意匠の魂が込められているから、声を発することがある。役目を果たし終わる覚悟を決めた家もある。堂々としている。その美しい家もまた、その一部を別の場所へと引き継いで生き続けることもある。

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消えていくもの、残るもの、伝えたいこと、変えたい社会。ぼくは、この境目に杭を打ち込んでいる。時間が経ってもそれが楔になって、何かを思考する踏み台になるような。少しでも。何よりも今日明日と汗をかいて全力で生きる時間が持てることが幸せだ。自分で自分を信じる強さを実感するためにこうやって文章を書く。これが僕にとって表現するチカラになる。

 

昨日は、北茨城市ロータリークラブの取り組みの中で、小学6年生に話をする機会をもらった。50分間。その前のプログラムが夢に向かってだったので、自分がどのように夢を追ってきたのか、生きるとは、どういうことか伝えようと話した。けれど、結果、イメージしたほど子供たちに伝えることができなかった。

自分がやろうとしていることが、矛盾している。お金を稼がなければこの社会では生きていけない。けれども、このまま、経済効率を優先させていけば、確実に人間が生き難い環境になっていく。大人はそれに薄々気づいていながら、何もしようとはしない。大きな取り組みなんかではなく、それぞれ個人が日々の暮らし方をひとつふたつ変えるだけで、子供たちに引き継ぐ未来を変えることができる。

それについて、ストーリーがあって、子供たちにリアリティのあるプログラムにする必要がある。小学生、中学生。自分もこの年齢のときに音楽を好きになった。この年頃の心に届けられる言葉を研ぎ澄ましたい。

またゼロから始める目標をみつけた。こうやって、ずっと最後尾から世界を変えていく。

廃墟再生日記 その4

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【すべてのインフラが止まってしまう】そんな小説を書きたいとイメージしていた。ところが、それは空想ではなく、すぐに現実になってしまった。

週末、関東地方を台風が直撃した。都内は電車が止まり、成田空港からかはすべてのアクセスが機能しなくなり、空港に人が溢れた。千葉県やそのほかの各地で、家屋の屋根が吹き飛び、停電や断水で、陸の孤島となった。

 

ぼくが暮らしている北茨城市は、それほどの被害はなかったけれど、まさに今取り組んでいる廃墟は、まるで台風の被害で壊されたようだ。いつ災害がやってくるか分からない。だったら、災害が来ても生きていける環境を自分で作った方が、安定安心の暮らしが営める。安心をおカネで買うのか、自分で確保するのか。何かあったとき誰かのせいにすれば、それで解決するのか?

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破壊されたような建物は、屋根や壁が壊れていて、電気、水道、トイレがない。こんな状況ならとにかく、雨を防ぎたいと考える。雨は、木材を腐朽させるし、衣服が濡れれば、体力も奪われる。だから人間には屋根が必要だ。

ここ数日、屋根を直して分かったことがある。無理な姿勢をしない。安心して作業できる状況にする。この2つを確保すれば、あとはコツコツと作業を繰り返すだけだ。急ぐのも良くない。自分のペースで気長にやるのがいい。「安心」とは、誰かに提供されるものではなく、自分で確保してはじめて心が安らぐ、そういうことだと思う。けれども自分で安心を確保するということは限界を知ることである。限界を知ってこそ、緊急時に対応できる。

ぼくが、身の回りにあるものをできるだけ利用して生活を作るのは、できるだけ独立していたいからだ。インディペンデント。独立の反対は依存。つまり依存している先がなければ、生活が成立しないのだとしたら、何か起きたとき、自分のチカラではどうにもできないことになる。もちろん、何にも依存しないで生きていくことはできない。水や空気が無くなれば、人類は滅びる。でも時代は本末転倒で、水や空気が無くなっても人間は生きていけるような振る舞いをする。そういう錯覚に陥っている。

だから、自分の生活がどこに繋がっているのか自覚していたい。前の日記で書いたバタフライ効果だ。自分のしたことが、どう社会に影響を与えるのか、このことに無自覚では、未来を変えることができない。自分の明日さえコントロールできない。基本的に人間は狂っている。ぼくも狂っている。だからこそ自制する必要がある。

 

何かの映画だったか「都市に暮らすと自分と向き合う必要がなく、その他大勢でいられるから痛みを忘れられる」というセリフがあった。

ぼくならこう返事する。

「そうだね。けれどぼくは、痛みを見えないフリしているのに耐えられない。自分と向き合って、この時代に必要なことに取り組んでいたい。ぼくは都市には暮らせない。もっと大切なことがあるから」

 

ぼくにとって大切なことは、表現することだ。絵を描くことも、詩を書くことや文章を書くこと、家を直して暮らすこと、価値をつくること、そのどれも、自分と向き合わなければ、奥底から湧いてこない。

廃墟を再生するのも、これまで社会が放置してきた問題をこの何十年後かにどうしようもなくなって、見えないフリを続けるのは分かっているから、そうなる前に、常識や価値を転換させておきたい。とっくに限界を超えてSFのようなディストピアに突入している。だから自分の周りを変えることで、未来の景色を変えたい。

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そうだ。景色をつくりたい。それは、誰もいなくなるかもしれない限界集落に、何もないと言われる日本の田舎に、そこにある環境を最大限に利用して、大地の芸術作品を作りたいと思っている。巨大な庭のような里山を、ここに自然と人間がハーモニーする理想郷を作りたい。これは、今、自分がいる場所から見える夢だ。

勘違いかもしれない。運の尽きか、もしくは運がついてきたか。結果は行動に伴う。感じることを信じる。素直に従う。モノは生きている。作られたモノには役割がある。家も生きている。何十年も建っていれば、それは化け猫みたいにモノノケとなる。家の声が聞こえる。

「俺はまだ生きている」

同じように土地も生きている。人間には自然をつくることができない。雑草の一本も無から生み出せない。表現できるのは、自然そのものではなく、自然のようなことなんだと思う。自分で見る夢には限界はない。その夢を見ているのは自分だから。立ち上がれ。自分のチカラで。歩き続けろ。

廃墟再生日記 その3

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朝起きて、寝るまでのたった一日が人の一生だったら何をするんだろう。きっと寝ることもなく、慌ただしく死を迎えるんだ。それでも花が咲いて、散って種を残すようなことは必要だから、きっと愛する人に会うのだと思う。そのときは、選ぶというよりも、必然的に出会い結ばれることになるんだろう、きっと。

 

「愛」という言葉は、遠い。その言葉が口から出てくることは少ない。ほんとうは、至るところに愛があるのだけれど、それは見えない。あるのだけれど、存在が遠くて、あるつもりでいたけれど、すでに消えてしまっているなんてことも起こる。

 

朝起きて寝るまでの1日をずっと妻のチフミと一緒にいる。二人で力を合わせて仕事をする人生を選んだ。疲れたときも、苦しいときも、楽しいときも一緒だ。チフミとイメージをカタチにする仕事を一緒にしている。その仕事を作ったのは、ぼくだけれど、自分に正直になるほど、商売とは離れていく。だから今では、それが仕事になるのかも曖昧だ。それは、心の奥底から湧いてくる情熱に動かされていて、山登りに似ている。次はどんな山に登るのかワクワクしている。季節とかタイミングとか出会いの必然によって、山を登るようなプロジェクトが動き出す。

 

どうやって2人でやるのか、と聞かれる。はじめのイメージはぼくがつくる場合が多い。コラージュする。それをチフミが色を塗って仕上げる。それを額装してぼくが仕上げる。絵の場合はシンプルだ。

 

家を直すときは、片付けをする。大抵の場合、ゴミが散乱している。控え目に言っても、チフミは片付けの天才だ。どんなにゴミが山になっていてもコツコツと片付ける。コツコツとやる作業は、波が岩を侵食するように、少しずつの変化で確実に結果を出す。

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ゴミとは何だろうか。ぼくたち夫婦は、できるだけ身の回りの環境を最大限に活用して、作品をつくる。できるだけ新しく何かを買いたくない。なぜなら、すべては最終的にゴミになる。ぼくたちが日常生活を送るとき、ゴミの行方は見えないようになっている。

 

家を再生するとき、ゴミと向き合う。空き家は、巨大なゴミだ。どうやって処理すればいいか分からない産業廃棄物だ。ぼくらは、よりハードな登山を楽しむように、空き家再生、古民家再生、廃墟再生と、難易度を高めてきた。どうやって、それを再生するのか、困難と向き合ってクリアする、これが登山に似ていて、社会問題をクリアしたとき、目の前にあった問題が利用価値ある空間になったとき、何かを達成する。

 

クルマを走らせていると巨大な風車が見えた。チフミが「あれはどうやって壊すんだろう」と言った。

「たぶん、壊すことを考えてつくる人はいないんだと思う。だって、家だってどうやって壊して、壊した材料がどうやって処分されるか考えてないんだから。原発だって同じでしょ」

ぼくは返事をした。

 

廃墟を再生するのに、市役所の清掃センターでも処理できないものをどうやって処分するのかを調べた。家庭用ゴミ以外は、最終処分場に運ばれる。ぼくらは軽トラックを借りて、荷台に、配管パイプやホースやら、どこからやって来たのか由来も分からない、行き場のないゴミを積み込んだ。最終処分場は、山のなかにあった。巨大なトラックが行き交う山道を小さな軽トラックで進んでいくと、それが現れた。

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ひたすらにゴミが集まってくる最終処分場。ショベルカーが運ばれてきたゴミを壊して積み上げていく。整地して丘がつくられ、その丘が連なっている。どこまで丘を作ったら終わるのか。永遠に続く殺風景。まるで別の惑星のようで、この世の果てだった。見えないところにある最終処分場は、ぼくたちに知られることなく、自然を切り崩して、未来に負債を積み上げていた。けれどもこの負債をコツコツと作っているのは、僕や君や彼らの今を生きるすべての人なんだ。

 

「世界を震わせた20世紀の芸術家たち」というドキュメンタリーを観た。1900年からはじまり、現代までの表現者が映像に収められていた。

トルストイチャップリンプレスリービートルズウォーホール、ほかにもたくさんの芸術家たちが映像のなかで動いていた。なかでも、トルストイが書いた「芸術家とは何か」という文章が心に響いた。

 

「芸術とは、一人の人が意識的に何か外に見えるしるしを使って、自分の味わった気持ちを他の人に伝えて、他の人がその気持ちに感染して、それを感じるようになるという人間の働きだ。

芸術によって、同じ時代の人たちの味わった気持ちも、数千年前に他の人たちが体験した苦悩も今に伝えることができる。

芸術は、今生きている私たちに、あらゆる人の気持ちを味わえるようにする。そこに芸術の務めがある。」

 

ぼくは、今この現実を愛している。妻チフミと一緒にいることや、北茨城市の小さな集落だったり、これまで出会った友達や先輩たちやこの環境を。だから、少しでも良い世界にしたい。「良い」とは何かという定義も曖昧だけれど、人間にとって「良い」という真実がある。芸術は、それを伝えることができると信じている。芸術がトルストイのいうようなものであれば、この小さなテキストも、きっと誰かに届いて、一匹の蝶の羽ばたきが、やがて巨大なハリケーンとなるような変化が起こる。だから表現することは、大きくても小さくても、明日を変える。

【問い】どうしてそのような活動をしているのですか?

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質問が送られてきた。

「素敵な活動を夫婦でされているのですね。カヤックもつくるんですね。また、どうしてそのような活動をはじめたのですか。」

この問いに答えるために、アート作品をつくり、家を直し、舟をつくり、魚を釣り、野菜を育てて、本を出版して生活している。答えは、本に書いてあるつもりだったけれど、シンプルに答える言葉をまだ持っていないことに気がついた。

 

答え:

アートとは何か、生きるとは何かを知るためにヨーロッパとアフリカを旅しました。日本だけでは、その二つの答えを知るには視野が狭過ぎたからです。ぼくが出会ったヨーロッパの人にとってアートは身近な存在で、家の至るところに飾ってあり、アート作品を買うことや絵を飾ることは日常でした。毎日、服を着るような行為に似ていて、つまり家のファッションでした。お洒落して毎日を楽しく豊かにする行為でした。

けれどもアフリカ大陸に足を踏み入れると、アートはずっと遠い存在になりました。ヨーロッパに比べて全体貧しく、人々は何よりも食べるモノを必要としていました。この地では、アート作品よりも、トマトやキャベツの方が価値がありました。

同じ時代、同じ地球で、それだけの違いが同じ瞬間に存在しているのです。この今も。

アフリカ、滞在したのはザンビアで、ここに暮らす人々に自分が表現するもので関心を持ってもらえることを探しました。ヨーロッパでは通じてアフリカでは通じない、興味ある人は楽しませるけれど、興味ない人には通じない、それがアートなのでしょうか?

発見したのが、現地の人々がつくる泥の家でした。このとき生活のなかにアートを発見したのです。

やってみたら重労働で、現地の人のようにはできませんでした。現地の人が3日で建てるものを10日かかって完成させました。現地の人に手伝ってもらったときに言われたことが今も心に響いています。

現地の人「お前は、家も建てられないし、野菜も育てられないようだけど、どうやって日本で生きているんだ?」

僕「会社で働いてお金を貰って生きているんだ」

そう答えると現地の人たちは揃って爆笑しました。

ザンビアだったら一カ月で死ぬな!」

 

美しい絵を描く、何百万円の価値がある絵を描く、有名な美術館にコレクションされる。現代アートが目指すものを追いかけて、その先に何があるのでしょうか。広い地球上に暮らす、いろんな人が楽しめたり、笑顔になったり、貧しさも国籍も、別け隔てなく豊かになれるもの、それが本来、芸術が目指す先だったのではないでしょうか。

つまり、生きるためにするあらゆる努力や技術にこそ、生きる楽しみや喜びがあると思うのです。自然に働きかけて、食べ物を手に入れたり、家を作ったりすることは、すべての人類が皆やってきたこと。何千年もかけて積み重ねてきたこの活動こそがアートなんじゃないでしょうか。これを「生きるための芸術」と呼んでいます。ぼくは、これを世の中に問うために今の活動をしています。

たぶん、この問いに答えが返ってくることはないかもしれません。けれどもアートとは何か、生きるとは何かについて考えて実践を繰り返していけば「生きるための芸術」が、豊かさも貧しさも超えて、人間が健康に幸せに暮らす道をつくると信じています。

 

質問してくれた方に感謝を込めて。