いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

2020年の今日まで残り362日

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2019年。年が明けた。どれだけ年を重ねても、やったことがカタチになって、やらなかったことは、何にもならないで消えていく。今年で45歳になる。分かったこと。ほんの小さな日々の積み重ねが、今を明日を未来をつくる。

年末は、妻チフミの実家、諏訪湖のある長野県岡谷市で過ごす。たくさんの食事とお酒と、家族の笑いと感謝に包まれる。ウチの両親は離婚していて、実家がないので、母親がチフミの実家に泊まりに来る。

親がいて、ぼくは生まれた。年末、高校時代の友達に20年以上の久しぶりに会って、数年前に母親を看取った話を聞いた。人生には、いろんなイベントがある。誕生、冠婚葬祭とか、お正月とか、春とか夏とか、死とか。

やりたいことは、はっきりしている。「生きる」という行為をアートとして表現すること。自分を動かさなければ、それは表現できない。

元旦の新聞に「資本主義は現在の繁栄を目指すばかりで、未来へ負債を残すシステムだ」と書いてあった。

2019年は「土」について表現したいと思っている。年末から「大地の五億年ーせめぎあう土と生き物たち(藤井一至)」を読んでいる。そもそも、地球に生物がいるのは、土があるからで、地球以外の惑星には、砂や石はあっても土がない。土は、そもそもコケの遺骸と砂や土が混ざり合ったものだった。それが地球に現れた最初の土。human(人間)の由来はhumus(腐植)、つまり土だそうだ。

土は、生活に必要な多くのものを生産する。1.食料、2.壁、3.食器。つまり、家と食べ物と、食べるために必要な道具を生産する。自然にあるものを利用して、この3つを作り出し実生活で使うことができれば「美しい生活」を表現できる。美しい生活とは、人それぞれにあるものだけれど、ぼくは自然の中で循環する暮らしが美しいと思う。現代の暮らしの中に主張も反発もしないで、そっと溶け込んでいるような。

家は、空き家が美しい。誰も必要としない捨てられた家に暮らす。ニーズのない家屋には、現代の暮らしに最適化されていない、ありのままの自然が息づいている。できれば、新たに何かを買ったりすることなく、生活を組み立てたい。
食べ物は、大地に種を撒けば生えてくる。できるだけ、身の回りにある環境を利用して、食料を手に入れたい。自給自足まで厳格ではなく、顔の見える人が生産した食料と、自分が栽培する食料のバランスのなかで暮らしを楽しんでみたい。

生きために必要なものは、もう既に身の回りにある。

次の本は、芸術家夫婦の暮らしそのものにしたい。また、ここに至るまでの思索の遍歴を芸術論として書きたいとも思っている。イメージしたことはできる。

影響を受けてきたのは、
ヘンリーソローの「森の生活」
宮沢賢治の農民芸術概論、
柳宗悦の民藝、
ウィリアムモリス、
宮本武蔵五輪書
日本中を歩いて生活そのものを記録した民俗学者宮本常一
芸術ではないものを追求した
鶴見俊輔の限界芸術論
に続くような本を書きたい。

もっと参考になる本を読み漁りたいし、芸術ではないものを芸術にしてきた作家たちを知りたい。出版のあてはないけれど「生活芸術原論」として、まとめておけば、何かしらの道しるべになる。

作品を制作して売るのは、この社会の中で生きていくための手段であって、目的ではない。目的は、生活と芸術の一致。人間としての美しさを追求してみたい。比較や否定ではなく。貨幣価値で計れないモノコトを掘り起こして、未来に希望を循環させるようなアートのカタチを提示してみたい。たぶん、それは土と取り組むようなやり方にヒントがあると思っている。

2019年も、その先も、日々の暮らしから、水に潜っては息継ぎをするように、まだできもしないことを空想しては、吐き出して自分の道を歩いこう。こういう環境を与えてくれている、ぼくら夫婦の周りの人や自然に感謝を忘れずに、2020年の今日まで残り362日を過ごしたい。

書くこと、描くこと、想像すること。

書くことは、自分という媒介を通して世界を語ることだ。描くことは、自分を通して、世界を映し出すこと。想像することは、視覚から聴覚、嗅覚、食感、触覚を通して頭の中に対象を抽出することだ。それらは、どれも違う運動をしている。

 

これらの運動をするには、自分という器官をコントロールする必要がある。なぜなら、人間の能力は、繰り返し使い込まなければ、思うようには動かない。訓練してなければ、文章を書こうとしても、すぐに文章は書けない。描こうとしても、すぐには描けない。イメージしようとしてもイメージが湧かない。

 

人間は動物だ。いくら賢くなっても、身体に支配される生き物だ。だから、科学や技術の発達で能力がいくら拡張した気になっても、人間のスイッチは自分で操作するしか手段はない。たぶん、人間のサイボーグ化とかアンドロイドとか、頭脳にチップを埋め込むとかの未来にならない限りに人間自身はアナログに動かすしかない。つまり、わたしたちは、自分という道具を所有している。道具だから、手入れをして使い熟してはじめて、その能力を発揮する。

 

人間はどこまで進化しても自然の一部でしかないのに、目の前の自然を手当たり次第に破壊してきた。その存在を消し去ろうとする。大地を埋め立て、木々を伐採し、海までも埋め立てコンクリートで固めてしまう。この行為は何だろうか。これは、自然の厳しさに対する反抗ではないだろうか。その一方でお金は、快適で安心な生活環境を提供する。自然という親に反抗して、すぐに結果を見せてくれる経済を妄信する。でもそれは井の中の蛙でしなく、やっぱり自然を相手に丁寧に働きかける人がいるから、お金で快適さを買うことができる。人類は自然への反抗期を迎えていると仮定してみることにした。

 

頭の中でとぐろを巻く思考を吐き出すツールが言葉だ。こうして記せば、イメージは具体的なものになる。肝心なのは、言葉は言葉として、それに対してどんな行動をするのか。


最大限に自然を利用した作品を制作したい。そう企んでいる。何ひとつ買わないで制作したい。基本理念は、サバイバルアート。サバイバルとは、自然にあるものを駆使して生き延びる行為。つまり、自然にあるものを駆使して、創作する行為。これがサバイバルアートの目指すところ。

 

ぼくは、縁あって、北茨城市に流れ着いた。ここには陶芸の文化がある。陶芸とは、人類の中でも、かなり原始的な表現行為だった。陶芸は、土と水と火と風によって造形される。まったく人工物を介さなくとも、カタチをつくることができる。聖書によれば、アダムは土塊から作られた。

 

生きるために必要な器。つまり、水を入れる容器は、土から作られた。いや、木が先だろうか。けれども木で器をつくるには、道具が必要だ。どっちだろうか。とにかく世界中の至るところで、陶器は作られている。今では粘土を買って、ガスや電気の窯で焼くけれど、本来はすべて自然を利用した。

 

北茨城市には、菊地夫妻という陶芸家がいる。まったく気取ったところがなく、それが芸術であるなしに関係なく、生きることを表現している。お米や野菜をつくり、お米は販売していて、陶芸家だから、もちろん作品も作っている。その発表の仕方が極まっている。「えんがわ展」は毎年、お米の収穫の後に開催されている。

 

「えんがわ展」は、すべて菊地夫妻が作ったものが展示されている。採れた野菜を調理したもの、収穫したお米のおにぎりが、夫妻が作った器に盛り付けしてある。それが無料で提供される。まずお米が美味しい。ひとつひとつの料理が美しい。それが見事に器に盛り付けされている。食べた人は、心を震わせ、お米や器を購入する。そうやって夫妻の生活は循環している。「買ってください」の一言も発しない。むしろ「どうぞ食べていってください」のもてなしだけ。

 

北大路魯山人が気になって、図書館で読んでみた。とても昭和な芸術家だった。威張っていて、権威的で。菊地夫妻は、真逆の魯山人だ。料亭でもないし、美味を追求しているとも謳わないし。けれども魯山人と共通するところがある。それは食と器が作品であること。魯山人の言葉や態度とは、別の場所からやってくる美しさがある。

 

言葉を費やさなければ、伝わらないことがある。けれども、いくら言葉を費やしても伝わらないことがある。けれども、作品は、ひとことも発さないまま、肝心なことを伝えてくれることがある。

ぼくが、絵を描いて、文章を書き始めたとき、「君はどっちがやりたいんだ? 」と言われた。ぼくは、両方やりたいと答えた。けれども、アートに言葉は必要ないんじゃないのか?と言われた。

 

今だから分かる。「書く」と「描く」は、それぞれ違う運動で、違うことを伝えてくれる。だから、文章を書くことと絵を描くことは、永遠に交わらない。けれども、生まれてくる場所は同じ。それは心のずっと奥。まだ表現として生まれる前。どちらも想像することから始まる。どちらも、習慣になるほどアウトプットする訓練をしなければ出てこない。どちらも言語を習得することに似ている。やりたいことは何でもやった方がいい。熱中したことは、やがて技術として自分の機能のひとつになる。それを「生きるための芸術」と呼んでいる。

豊かさは貨幣に換算できない。

これは3年前の記事だけど、やろうとしていることは、全く変わっていない。変わったのは、やろうとしていることが、やったことになったぐらい。人間には「できる」と「できない」がある。その障壁を越えるのは、習慣をコントロールすることだ。

 

何ができたら、よりよい暮らしをつくれるのか。よりよい暮らしとは何だろうか。「よりよい暮らし」とは、ぼくの場合、無理をしないことだ。無理をしないと言っても怠けるのとは、また違う。

 

木曜日の夜に、友達と馴染みのお店「太信」に夕飯を食べに行くと、店主のマエケンさんが

「明日の夜、満席でとても回せそうにないから手伝って欲しい」と言われた。つまりはバイトなんだけど、このカタチで頼まれたことはなかったし、好きなお店のピンチなら助けたいと思った。

翌日の夕方から何十年振りに、飲食店のアルバイトをした。基本は配膳と片付け。お店の中を行ったり来たり。あっと言う間に時間は過ぎて、全身が痛い。太信は忙しいとき、こんなに働いているのか。正直驚いた。

 

ぼくは、ぼくなりに制作活動を日々続けているつもりだったけれど、もっとやれると思った。足りてないとさえ感じた。自分が自分をコントロールすることが生き延びる術でもある。

 

自由になることは、不自由になることだ。表現して生きていくことは、お金になることも、お金にならないこともやる必要がある。なぜなら、お金になることだけに価値がある訳じゃない。むしろ、お金にならないところに踏み込んで、オルタネイティブな価値を提案していきたい。具体的には、人生について。生まれてから死ぬまでのことについて。

 

何がしたいのか。面白く楽しく生きたい。それだけのために日常を冒険する。どこか遠くに行かなくても、身の回りにある環境を最大限に活用して、まるで、脱獄するように現実を豊かにするパフォーマンス。ぼくは、これを生きるための芸術と呼んでいる。

 

生きるために必要なのは食べ物。雨風を避ける屋根。それ以外に必要なものを交換する貨幣。まず、それらを手に入れるゲームとして日々の生活を楽しむ。

 

家については、2014年から2017年にかけて空き家と向き合い、ボロ屋に暮らしたおかけで、困ることはなくなった。ぼくたち夫婦は、家をいくつも手に入れる可能性もあるし、仮に暮らす場所もある。詳しくは、2冊目の本に書いたので読んでほしい。シンプルに言うなら、人が欲しない家屋で十分満足できる。満足できれば、家に対する欲望は消える。

 

おかげで新しい欲望を満たすことができる。その先に見えてきたのが、食料の問題だ。世界中のいろんな環境で、いろんな食文化が営まれていて、それはその土地から生み出されたものを、その土地に生きる人々が食べている。

 

北茨城のアトリエにしている古民家には庭があって、柿の木、柚子、金柑、キュウイが実る。夏にはミョウガが生えてくる。今年は、干し柿をやってみたけれど、時期が早かったのと、暖かかったので、腐ってしまった。津島に行ったときに、教えてもらったポン酢醤油は作った。柚子を絞って、みりんと醤油と混ぜるだけだ。けれども、お店で売ってるどんなポン酢醤油よりも、天然で100%な味を出せる。

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飛び切り美味いとか、売るほど特別なものでなくても、自分の生活を満たすだけの食べ物を作る可能性は、かなり余地がある。

 

週末に東京から友達が遊びに来て、話したことに「貨幣経済に換算できない豊かさがある」という話題があった。

 

つまり、北茨城では、野菜を貰ったり、調味料を自作したりという活動があって、それらは貨幣を介していないから、税金もかからないし、経済成長や景気云々の話しとも関係ない。実は豊かさは、こうした領域に広がっているじゃないかと思えきた。

 

じゃあ、この貨幣経済以外の豊かさを何と名付けて、遊んでみようか。もちろん、半農半Xとか自給自足とか、パーマカルチャーとか、いろんな試みに名前が与えられているけれど、それらを参照してしまえば、何も作ることがなくなってしまう。とりあえず、教科書は無視して、勝手に気ままに始める。そういう意味で無理をしない。自分のアンテナで行きたい方向に進めば、道に迷う。そこから冒険が始まる。ようやく、名前の未だない領域に出会うことができる。とにかく、食べ物について、考えて行動してみようと思う。

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アトリエに行くと、誰かが野菜を置いて行ってくれていた。まさに貨幣以外の交換経済。ありがとうございます。

 

アートで生きる=アスリートになること

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北茨城市で活動する作家の先輩、真木孝成さんの展示に、いわきギャラリーを訪ねた。いわきギャラリーは、福島県いわき市の老舗で、中国の有名な芸術家、 蔡國強が拠点にしたことでも知られている。このギャラリーの魅力は、作家とお客さんを大事にしていること。

むしろ、この2つを大切にしてないギャラリーがあったなら、それは程なく潰れるように思う。例えば、ふらっとギャラリーに入ったとき、どんな対応をしてくれるか、丁寧に説明してくれるのか、無視して裏で作業を続けるのか。いわきギャラリーは、ぼくらが初めて訪れたとき、コーヒーを淹れてくれ、2時間も話しをしてくれた。

今日は、真木さんの陶芸作品を鑑賞して、もちろん買うつもりで行ったので、充分吟味して、ひとつを選んだ。真木さんの陶芸作家としてのキャリアは長い。海外生活のために、作家活動を辞めていたけれど、日本に帰国したのを機に活動を再開した。古くからの友人であるギャラリーオーナーの藤田忠平さんは、再起を祝い個展を企画した。

忠平さんは、アートで生きることについて語ってくれた。

「まずは作品をつくること。毎日コツコツとやること。作品が溜まったら展示をする。売れる作品、売れない作品あるけれど、残った作品に新作を足して、世界観を持って展示を繰り返す。アートで生きていくのはアスリートみたいなことだよ。」

北茨城市には、真木さんのほか、小板橋弘さん、毛利元郎さんがいる。小板橋さんは、元サーファーで、板に絵を描いたりしていたけれど、60歳になってもサーファーは想像できないとの理由で20代後半で画家に転向した。そのとき相談されたのが、ギャラリーをはじめたばかりの忠平さんだった。

「絵を描いて生きていくのは厳しいことだ。これまでの付き合いを絶って、山の中に篭ってやるぐらいの気迫じゃなきゃ話しにならない」と忠平さんは言った。すると数ヶ月して、小板橋さんは、電気も通っていない山の空き家に引っ越して絵を描き続けた。小板橋さんは、忠平さんのギャラリーで最初の展示をして以来、個展をレギュラーで開催している。

忠平さんは「小板橋くん、ほんとに山の中に籠っちゃうからびっくりしたよね」と笑いながら話してくれた。

イタリアの風景画を描く毛利さんは、はじめは難解なオブジェをつくっていたけれど、あるときから風景画に変わって、忠平さんはその絵に惚れていわきギャラリーで個展をやるようになった。それ以来、隔年で個展をやっている。2人とも制作活動だけで生きている貴重な先輩だ。日本は絵が売れないと言われるけれど、こうやって生きている人たちがいる。

忠平さんのギャラリーは、作家と共に成長してきたから、年間のスケジュールはほぼ埋まっている。作家もお客さんも、ここで作品と出会うのを楽しみにしている。

話のなかで、ぼくたち夫婦が有楽町マルイの個展をやって、作品を売ったけれど、これを続けていくのか、という現実に直面していると話すと、

忠平さんは

「そのサイクルが見えてきたか。それは良いことだ。それなら、年に4回展示をやることだ。それも違う地域にある4つのギャラリーで。ひとつのギャラリーで売れ残った作品を次のギャラリーで展示する。もちろん日々制作することは、作家の基本だから新しい作品も足されていく。この繰り返しだ。ところでどんな作品なんだ?何か見れるか?」と聞いてくれた。

作品のポストカードを見せると
「いいね。新しい。こういう絵はここでやったことがない。ウチでやろう」と言ってくれた。

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「けれどもスケジュールはいっぱいだから、急遽空きができたら声を掛けることになる。そのときのために作品をつくっておけるかな?」

ぼくは、忠平さんと話している間、ずっといわきギャラリーで展示したいと言いたかった。けれどもタイミングが来ればそうなるだろうと思って黙っていた。だから、アートを愛して育ててきた人に一緒にやろう、と言われたことは、とても嬉しかった。来たるべきその日に向けて、日々制作をやる気になった。いわきギャラリーは、まるで「生きるための芸術学校」だ。続けていくために必要なことを惜しみなく教えてくれる。北茨城市は、何もないような田舎なのだけれど、アートを愛する人々を輩出する土地でもあるらしい。

人類は何処へ向かっているのか。答えなんてない。だから作る。

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愛知県津島市トークイベントのために車を走らせた。北茨城市からは500km。8時間かかる。その前日は、北茨城市の「アートによるまちづくり」の視察にバスツアーが来るので、午後から古民家改修のワークショップを開催した。廃材を使って嵌め殺しの窓を作った。チフミは、障子の張り替えをした。夜は懇親会に参加して、東京へ向かった。

「生きる」ことに興味がある。というか、それ以外に何を考える必要がある?と思う。それ以外に重要なことなんてあるのだろうか? だから「生きるための芸術」というテーマを2013年に掲げた。

「生きる」のためにあらゆる創意工夫をすること。生きるための技術こそがアート。これが、ぼくにとってのアートになった。それはアートであったことはなかったかもしれない。けれども時代毎に新しい領域を設定して、これがアートだと定義することも、現代アートのひとつのゲームでもある。

はじまりは津島だった。偶々津島だった。生活のコストを抑えるために空き家を探して津島にたどり着いた。当時は、ほとんど何をしようとしているか理解してくれた人はいなかった。チフミにも迷惑を掛けた。

とにかく生活水準を下げたかった。夫婦それぞれの月30万円近い給料を捨てて、東京の戸建ての家から愛知県津島市の築80年のボロ長屋に引っ越してまで改修したのか。それは自然に回帰するため。それが「漂流夫婦、空き家に暮らして野生に帰る。」2冊目の本。

津島でのトークイベントは、改修した古巣で開催された。いまは「たんぽぽ屋」というお店になっている。当時、入居者をみつけるために開催したアートイベントに遊びに来た中野夫妻が、この部屋を気に入ってくれ即決してくれた。

当時、中野夫妻の香織さんは、引きこもりで外に出れなかったそうだ。夫に連れ出されて、出会ったこの部屋に魅了されてお店をやることにした。それがきっかけで、引きこもりから脱出した。そんなエピソードを話してくれた。

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人類は何処へ向かっているのか。答えなんてない。だから作るんだと思う。それぞれがそれぞれの向かう先へと進めばいい。ひとつ言えるのは、大切なことはお金じゃない。東京に暮らし続けて、より高い給料を求めて働き転職して、より大きい便利で快適な生活を求めていたら、ぼくはやりたいことを我慢して圧し殺していただろう。

人生とは時間と価値のバランスゲームだと思う。その使い方によって生み出すお金の量が変わってくる。地方の過疎地を利用して、お金を稼ぐこともできる。最小限の出費で、自然を最大限に利用して生きていくこともできる。

空き家を探して津島にたどり着く前、ぼくら夫婦は、ヨーロッパとアフリカを旅した。その旅の中で、それぞれの環境で、それぞれのライフスタイルを作っている仲間に出会った。それに影響を受けて、いまがある。ライフスタイルを作ることは、ぼくたち夫婦にとっては、それ自体がアート作品だ。

自由とは何か。それは選択できることだ。解放されるとは、何をしてもいいと言う意味ではない。自分で決める自由を手に入れること。これには責任が付いてくる。だから、自由になるとは、不自由になることでもある。つまり、自分でどんな不自由だったら、受け入れられるか決める自由が与えられること。いま言ってることはめちゃくちゃに聞こえるかもしれない。けれども矛盾こそが着地点。何パーセントが理解されているか分からない。それでいい。全部理解されることなんてない。だからぼくは本に記録を残して伝えている。

目が覚めたら走ること

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朝起きて走るようになった。寒い朝、布団から出る戦い。何を温いことを言ってるのか。いや、自由になるほど自分を動かす技術が必要になる。いくら寝ても働かなくてもよい日なのに、いくら怠けてもよい日なのに、それでも起きて走りに行く。何のためにか。自分を動かすために。朝の寒い時間に走れば、一日中寒くは感じない。やろうと決めたことをやるようになる。

今日は、北茨城市での「アートによる町づくり」のツアーの日。ぼくら夫婦は、古民家のアトリエで、家の改修のワークショップを担当している。チフミは障子の張り替え、ぼくは嵌め殺しの窓づくり。ところで「嵌め殺し」ってすごい単語だな。

次の物語が始まっている。自分の頭の中で、自然を利用して、経済的負担を減らして生活したいという願望がある。結局、お金を稼げば、稼いだだけ必要になる。つまりもっと必要になる。だったら、生活に必要なことは自然から頂いて、お金がなければできないことはお金で解決すればいい。農業でもない。自給自足でもない。半農ですらない。

今年、畑をやってみて、簡単に育つ野菜があった。ジャガイモ、小松菜、カブ、大葉、バジル。夏は魚アジを釣った。秋には柿が実る。地域の人がお米を作っている。ぼくは作らないけれど、そのお米を買える。水は井戸。冬は暖房の燃料費を考えたい。やっぱり薪ストーブだろうか。

急激にハンドルを切るのは危ない。ぼくは作りたい。何を買っても買わなくても自由なのだから。自分が快適に楽しく過ごす手段をみつける。ぼくの周りにはパーマカルチャーをやる人が多い。それはそれでいいけど、教科書を真似ると、息苦しさを感じる。ゴールがない。自分で考えてみつけたやり方が、ゆっくりだけど、自分の道を発見できる。

ぼくはアート作品をつくるけれど、これは毎日を創作して過ごすための儀式。鍛錬。作品はその副産物。メインは日常をアートにする努力にある。生活をつくる。その積み重ねが人生をアートにする。

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鳥取で古本屋を開業した人がtwitterで「雪に生きる」という本を紹介していて、早速amazonで注文した。届いてすぐにページをめくると90歳の作者が語り始めた。90歳だ。目標ができた。ぼくは90歳まで語り続けよう。そこから見える景色を伝えてみたい。

時間があるとき「新復興論」小松理虔(こまつ・りけん)著を読んでいる。いわき市に住むローカルアクティビストの本。簡単に説明するなら、福島県いわき市に住むまるで友達のような彼が、体験した震災後の福島と放射能について語る。もし友達が福島県にいたらどう感じているだろうか、という視点で読めば、ひとつの答えがここにある。賛成反対ではなく事実として起きたこと、今もある問題に対してどのように向き合っていくのか。そのサンプルがここにある。

ネットを開くと、辺野古基地の埋め立て問題が飛び込んでくる。ほんとうに苦しい。沖縄県は民意として、知事を選んで正当な手続きを踏んでNoと意思を示した。それにも関わらず国家は、辺野古の海を埋め立てる。どんな政治的なイデオロギーの違いをも超えて、ぼくはいつも自然の側に立っていたい。ぼくら人間は自然がなければ生きていけない。海がなければ、森がなければ、大地がなければ、ぼくらは生き延びることができない。ましてや、ぼくらが生きる時代だけでなく、その先のずっと未来に対しての責任がある。

ぼくは、この違和感に行動と態度で答えるためにアートを表現する。ぼくが最も表現したいのは、人生だ。人生を作っている。特に何も予定もない暇なとき。これほどクリエティブで自由な瞬間はない。その時間を自在に操るために、ぼくは目が覚めたら走ることにしている。

神様が木を数える日

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北茨城に帰ると、林業家の古川さんが遊びに来てくれ「今日は神様が木を数える日たがら仕事休みなんだよ」と話してくれた。神様が木を数えるとき木を切ってしまえば、数えられなくて神様が怒るそうだ。実は、風が強く吹く日で危ないという理由もあるらしい。

展示の準備から数えたら一カ月ぐらいは全力疾走してたような気がする。それでもやることが残っている。展示の片付けと、作品の梱包と発送。作品だけがアートではないと思う。生活がアートなんだから、小さな作業も大切だと思う。けれど、そういうことはチフミがやっている。ぼくはまるで役に立たないアシスタント。

二人で協力して、ひとりではできないことをやって、いろいろな目標が達成された。田舎にアトリエを持って、そこで制作に没頭して、作品を売る。田舎という場所が悪いから仕事がないわけではない。やり方を工夫すれば、地方でも生きていける。言うなれば、そういう状況をつくる社会が悪い。ぼくができれば誰でもやれる、その実証をしたいと意気込んでいたけど、やってみると誰にでもできることじゃなかった。ぼくにしかできないという意味ではなく、それぞれがそれぞれのやり方をみつけるしかない、という話として。

「アートで生きていくための10の方法」なんてタイトルがあったら、それは嘘だ。やり方に答えなんてない。

 

ぼくが目指しているのは、絵を売ることじゃない。生きるために絵を売るのは必要だけれど、それはひとつの要素でしかない。絵が売れたからって、それで安定する訳でもないし、独立して生きていくとは、走り続けることだ。

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最近、展示のことで忙しくて走っていなかった。だから、もう走りたくてウズウズしていた。やっと今日の夜、走れた。暗い道を走った。走ると最適化される。思考が整理される。こんな便利なリセット方法はない。

ぼくがやりたいのは「生きる」と真正面から向き合うことだ。お金を稼いでも、右から左に流れていってしまう。冬だから寒くて灯油代がバカにならない。移動するガソリン代が高い。そうやって豊かさは逃げていく。違う。常に資源を捕まえることだ。

今日はアトリエの畑から小松菜を獲って帰った。土があれば野菜が採れる。火があれば暖がとれる。水があれば人間も自然も潤う。土、火、水、木。それらを操って、生活と仕事を組み立ててれば、豊かさは逃げていかない。自然は、丁寧に扱えば、無償で便利を与えてくれる。またゼロから始めよう。もっとシンプルに生きてみよう。

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