2019年。年が明けた。どれだけ年を重ねても、やったことがカ
年末は、妻チフミの実家、諏訪湖のある長野県岡谷市で過ごす。た
親がいて、ぼくは生まれた。年末、高校時代の友達に20年以上の
やりたいことは、はっきりしている。「生きる」という行為をアー
元旦の新聞に「資本主義は現在の繁栄を目指すばかりで、未来へ負
2019年は「土」について表現したいと思っている。年末から「
土は、生活に必要な多くのものを生産する。1.食料、2.壁、3
家は、空き家が美しい。誰も必要としない捨てられた家に暮ら
食べ物は、大地に種を撒けば生えてくる。できるだけ、身の回りに
生きために必要なものは、もう既に身の回りにある。
次の本は、芸術家夫婦の暮らしそのものにしたい。また、ここに至る
影響を受けてきたのは、
ヘンリーソローの「森の生活」
宮沢賢治の農民芸術概論、
柳宗悦の民藝、
ウィリアムモリス、
宮本武蔵の五輪書、
日本中を歩いて生活そのものを記録した民俗学者の宮本常一、
芸術ではないものを追求した
鶴見俊輔の限界芸術論
に続くような本を書きたい。
もっと参考になる本を読み漁りたいし、芸術ではないものを芸術に
作品を制作して売るのは、この社会の中で生きていくための手段で
2019年も、その先も、日々の暮らしから、水に潜っては息継ぎをするように
書くこと、描くこと、想像すること。
書くことは、自分という媒介を通して世界を語ることだ。
これらの運動をするには、
人間は動物だ。いくら賢くなっても、身体に支配される生き物だ。
人間はどこまで進化しても自然の一部でしかないのに、
頭の中でとぐろを巻く思考を吐き出すツールが言葉だ。
最大限に自然を利用した作品を制作したい。そう企んでいる。
ぼくは、縁あって、北茨城市に流れ着いた。
生きるために必要な器。つまり、水を入れる容器は、
北茨城市には、菊地夫妻という陶芸家がいる。
「えんがわ展」は、
北大路魯山人が気になって、図書館で読んでみた。
言葉を費やさなければ、伝わらないことがある。けれども、
ぼくが、絵を描いて、文章を書き始めたとき、「君はどっちがやりたいんだ? 」と言われた。ぼくは、両方やりたいと答えた。けれども、
今だから分かる。「書く」と「描く」は、それぞれ違う運動で、
豊かさは貨幣に換算できない。
これは3年前の記事だけど、やろうとしていることは、
何ができたら、よりよい暮らしをつくれるのか。
木曜日の夜に、友達と馴染みのお店「太信」
「明日の夜、満席でとても回せそうにないから手伝って欲しい」
翌日の夕方から何十年振りに、飲食店のアルバイトをした。
ぼくは、
自由になることは、不自由になることだ。
何がしたいのか。面白く楽しく生きたい。
生きるために必要なのは食べ物。雨風を避ける屋根。
家については、
おかげで新しい欲望を満たすことができる。
北茨城のアトリエにしている古民家には庭があって、柿の木、
飛び切り美味いとか、売るほど特別なものでなくても、
週末に東京から友達が遊びに来て、話したことに「
つまり、北茨城では、野菜を貰ったり、
じゃあ、この貨幣経済以外の豊かさを何と名付けて、
アトリエに行くと、誰かが野菜を置いて行ってくれていた。まさに貨幣以外の交換経済。ありがとうございます。
アートで生きる=アスリートになること
北茨城市で活動する作家の先輩、真木孝成さんの展示に、
今日は、真木さんの陶芸作品を鑑賞して、
忠平さんは、アートで生きることについて語ってくれた。
「まずは作品をつくること。毎日コツコツとやること。
北茨城市には、真木さんのほか、小板橋弘さん、
「絵を描いて生きていくのは厳しいことだ。
忠平さんは「小板橋くん、ほんとに山の中に籠っちゃうからびっくりしたよね」と笑いながら話してくれた。
イタリアの風景画を描く毛利さんは、はじめは難解なオブジェをつくっていたけれど、あるときから風景画に変わって、忠平さんはその絵に惚れていわきギャラリーで個展をやるようになった。それ以来、隔年で個展をやっている。
忠平さんのギャラリーは、作家と共に成長してきたから、
話のなかで、ぼくたち夫婦が有楽町マルイの個展をやって、作品を売ったけれど、
忠平さんは
「そのサイクルが見えてきたか。それは良いことだ。それなら、
作品のポストカードを見せると
「いいね。新しい。こういう絵はここでやったことがない。
「けれどもスケジュールはいっぱいだから、
ぼくは、忠平さんと話している間、
人類は何処へ向かっているのか。答えなんてない。だから作る。
愛知県津島市にトークイベントのために車を走らせた。
「生きる」ことに興味がある。というか、
「生きる」のためにあらゆる創意工夫をすること。
はじまりは津島だった。偶々津島だった。
とにかく生活水準を下げたかった。
津島でのトークイベントは、改修した古巣で開催された。いまは「
当時、中野夫妻の香織さんは、
人類は何処へ向かっているのか。答えなんてない。だから作るんだと思う。それぞれがそれぞれの向かう先へと進めばいい。
人生とは時間と価値のバランスゲームだと思う。
空き家を探して津島にたどり着く前、ぼくら夫婦は、
自由とは何か。それは選択できることだ。解放されるとは、何をしてもいいと言う意味ではない。自分で決める自由を手に入れること。これには責任が付いてくる。だから、自由になるとは、不自由になることでもある。つまり、自分でどんな不自由だったら、受け入れられるか決める自由が与えられること。いま言ってることはめちゃくちゃに聞こえるかもしれない。けれども矛盾こそが着地点。何パーセントが理解されているか分からない。それでいい。全部理解されることなんてない。だからぼくは本に記録を残して伝えている。
目が覚めたら走ること
朝起きて走るようになった。寒い朝、布団から出る戦い。
今日は、北茨城市での「アートによる町づくり」のツアーの日。
次の物語が始まっている。自分の頭の中で、自然を利用して、
今年、畑をやってみて、簡単に育つ野菜があった。ジャガイモ、
急激にハンドルを切るのは危ない。ぼくは作りたい。何を買っても買わなくても自由なのだから。
ぼくはアート作品をつくるけれど、
鳥取で古本屋を開業した人がtwitterで「雪に生きる」
時間があるとき「新復興論」小松理虔(こまつ・りけん)
ネットを開くと、辺野古基地の埋め立て問題が飛び込んでくる。
ぼくは、
神様が木を数える日
北茨城に帰ると、林業家の古川さんが遊びに来てくれ「
展示の準備から数えたら一カ月ぐらいは全力疾走してたような気が
二人で協力して、ひとりではできないことをやって、いろいろな目標が達成された。田舎にアトリエを持って、
「アートで生きていくための10の方法」
ぼくが目指しているのは、絵を売ることじゃない。
最近、展示のことで忙しくて走っていなかった。だから、
ぼくがやりたいのは「生きる」と真正面から向き合うことだ。
今日はアトリエの畑から小松菜を獲って帰った。土があれば野菜が採れる。火があれば暖がとれる。水があれば人間も自然も潤う。土、火、水、木。それらを操って、生活と仕事を組み立ててれば、