いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

人類は何処へ向かっているのか。答えなんてない。だから作る。

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愛知県津島市トークイベントのために車を走らせた。北茨城市からは500km。8時間かかる。その前日は、北茨城市の「アートによるまちづくり」の視察にバスツアーが来るので、午後から古民家改修のワークショップを開催した。廃材を使って嵌め殺しの窓を作った。チフミは、障子の張り替えをした。夜は懇親会に参加して、東京へ向かった。

「生きる」ことに興味がある。というか、それ以外に何を考える必要がある?と思う。それ以外に重要なことなんてあるのだろうか? だから「生きるための芸術」というテーマを2013年に掲げた。

「生きる」のためにあらゆる創意工夫をすること。生きるための技術こそがアート。これが、ぼくにとってのアートになった。それはアートであったことはなかったかもしれない。けれども時代毎に新しい領域を設定して、これがアートだと定義することも、現代アートのひとつのゲームでもある。

はじまりは津島だった。偶々津島だった。生活のコストを抑えるために空き家を探して津島にたどり着いた。当時は、ほとんど何をしようとしているか理解してくれた人はいなかった。チフミにも迷惑を掛けた。

とにかく生活水準を下げたかった。夫婦それぞれの月30万円近い給料を捨てて、東京の戸建ての家から愛知県津島市の築80年のボロ長屋に引っ越してまで改修したのか。それは自然に回帰するため。それが「漂流夫婦、空き家に暮らして野生に帰る。」2冊目の本。

津島でのトークイベントは、改修した古巣で開催された。いまは「たんぽぽ屋」というお店になっている。当時、入居者をみつけるために開催したアートイベントに遊びに来た中野夫妻が、この部屋を気に入ってくれ即決してくれた。

当時、中野夫妻の香織さんは、引きこもりで外に出れなかったそうだ。夫に連れ出されて、出会ったこの部屋に魅了されてお店をやることにした。それがきっかけで、引きこもりから脱出した。そんなエピソードを話してくれた。

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人類は何処へ向かっているのか。答えなんてない。だから作るんだと思う。それぞれがそれぞれの向かう先へと進めばいい。ひとつ言えるのは、大切なことはお金じゃない。東京に暮らし続けて、より高い給料を求めて働き転職して、より大きい便利で快適な生活を求めていたら、ぼくはやりたいことを我慢して圧し殺していただろう。

人生とは時間と価値のバランスゲームだと思う。その使い方によって生み出すお金の量が変わってくる。地方の過疎地を利用して、お金を稼ぐこともできる。最小限の出費で、自然を最大限に利用して生きていくこともできる。

空き家を探して津島にたどり着く前、ぼくら夫婦は、ヨーロッパとアフリカを旅した。その旅の中で、それぞれの環境で、それぞれのライフスタイルを作っている仲間に出会った。それに影響を受けて、いまがある。ライフスタイルを作ることは、ぼくたち夫婦にとっては、それ自体がアート作品だ。

自由とは何か。それは選択できることだ。解放されるとは、何をしてもいいと言う意味ではない。自分で決める自由を手に入れること。これには責任が付いてくる。だから、自由になるとは、不自由になることでもある。つまり、自分でどんな不自由だったら、受け入れられるか決める自由が与えられること。いま言ってることはめちゃくちゃに聞こえるかもしれない。けれども矛盾こそが着地点。何パーセントが理解されているか分からない。それでいい。全部理解されることなんてない。だからぼくは本に記録を残して伝えている。