いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

アートで生きることの実践編

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作品の運搬のために借りた軽トラックを返却して、9日間の「生活芸術商売」展が完了した。始まりは友達からのメッセージだった。

「今度、よしもとがギャラリー持ってるから一緒にやらへん?」と、お笑いで知られる「よしもと」に転職した友達が誘ってくれた。自由が丘の貸しギャラリーで6月にやる予定が、中止になってしまった。

それから数ヶ月後に、連絡が来て「有楽町マルイはどう、やれる?」と。下見に行ってみるとイベント催事場だった。作品数が足りるか不安はあったけれど、チフミと相談してやることにした。

これまで「そこにある環境」を題材に制作してきたから、今回はマルイをテーマにすることにした。まずはマルイを調べることからスタートした。昭和6年、岡山県津山市の「マルイ食料品店」がその始まりだ。

マルイは「正しい商い」の理念に貫かれている。不特定多数のお客を相手にする商売ではなく、「お得意先」というある意味、縁故が強い商売形態が中心の時代だった。商売に対する「信用」が大きな価値を持つ、その信用を勝ち取るためには、日々の一つ一つの取引の「正しさ」が大きな武器となると考えていた。

「正しい商い」のカタチも時代によって変わっていく。昭和26年には、お客が商品を手に取って選べるセルフサービス方式に転換する。現在のスーパーマーケットの形態。もちろん、このセルフサービス方式もあっという間に広がり、価格競争になる。そんな中でマルイは「ほんとうに価値ある商品を揃えてお店の価値をつくる」というコンセプトと安売りではない手段で、店舗と売り上げを増やしていった。

これだ。ぼくら夫婦が生きていくためには作品を売る必要がある。アートは商売じゃないのか? だとしたら、どうやってアーティストは生き延びるのか? アーティストはお金の話にはタッチしないでギャラリーに売ってもらうのか? 美術館が買ってくれるのか? その疑問に答えるためには、全部やってみるしかない。マルイに自分たちのギャラリーをオープンして作品を販売してみよう!そういう理由で、ぼくら夫婦は2人で、作品の制作から販売まですべてやってみることにした。そうしてタイトルは生活×芸術×商売=「生活芸術商売」展になった。

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生活がアートになれば、アートは生活の一部になる。日々制作に没頭した作品が売れて、そのお金で生きていければ、独立したことになる。小さな起業だ。もし、理想の生活をつくるために嫌なことをしなくてもよいのであれば、社会もまた美しくなる。ひとりひとりの人生がとびきり楽しく美しくなる。これが理想の循環だ。

けれども、まずは自分が描いてみせなければ、それは見えてこない。言葉ではなく行動で。作品を売って経済活動し生き延びること。それは、この世に流通する商品価値と戦うことでもある。

誰かが10万円で作品を購入してくれれば、その10万円の使い途をぼくが決定できる。他のことに使われることはない。洋服だとか飲み代だとか。貨幣には絶対的な価値がある。なぜ、芸術やアートが、そのお金の使い方まで問われないのだろうか。お金の流通が社会をつくるのだから、その流れも含めて創作して表現しなければ、社会を変えらない。目標は社会彫刻だ。アートで社会の形を変えること。

売れれば良いという話ではない。「正しい商い」のように「美しいアート」があるはずだ。それは目の前にいる人たちを楽しませるアートだと思う。子供や老人、知識を問わずに伝えることができる表現。そんなことは学校では教えてくれないと言われるなら、今現在それはアートではないのかもしれない。それでも構わない。

有楽町マルイの展示のきっかけを与えてくれたのは友達だった。今回の展示に向けて2冊目の本「漂流夫婦、空き家に暮らして野生に帰る。」を制作してくれたのは20年以上知った先輩だった。作品を買ってくれたほとんどは、これまでの知り合いだった。積み重ねてきた信用が貨幣や仕事になった。ぼくらは、社会と仕事しているのでも、会社と取り引きしているのでもなければ、アート業界に入るために制作しているのでもない。ぼくらは人間のために制作している。これが「商い」の原点だと思う。

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ぼくは、いつも人に向かってその先には自然がある道を目指したい。人類について思考したい。つまり、アートコンペで入賞するためでもなく、有名ギャラリーに所属するためでも、絵が上手くなることでもなく、顔が見える人たちにアートを伝えたい。アートとは何か。生きるとは何か。ぼくが失敗や思考を重ねてきた表現を自分の生活圏にいる人々に届けたい。結果、今回は100万円を超える売り上げになった。

そのお金が何に使われるのか、それも問われるべきだと思う。自分に問う。だから、商品を運搬して、売り場をレイアウトして、陳列して、マルイの店員を演じて、できるだけすべてをやった。無駄を省いて、未来に投資する有益な活動資金にするために。

ぼくは自分のアートと思想を世界に広げて人間を変革したい。夢がある。美しい社会を作るために。それは社会彫刻というひとつの表現になる。アートで生きていくための実践。生活と芸術と商売を極めれば、ぼくは独立して生きていける。2013年からはじめた「生きるための芸術」のスタート地点にやっと立てた。これからだ。

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展示3日目。「生活芸術商売」展に起きたこと。

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結果的に店舗を持ったことになる。期間限定の檻之汰鷲(おりのたわし)ギャラリーが有楽町マルイの8Fにある。チフミとぼくは店員として接客し、お店の商品を生産して、流通から仕入れ、店舗デザイン、宣伝をしている。作品は10点以上が売れた。これは何か幻のようだ。

ぼくはここで商売をしている。アート制作は一次産業だ。想像力という自然の営みから商品を作り出す。アートは商品なのか。檻之汰鷲というアート活動の一部は商品だ。社会に働きかけ貨幣を獲得する装置として。生きるための技術として。よく貨幣は信用の数値化だと言われる。確かに。有楽町マルイで個展をやって分かった。誰か知らない人がミラクル的に作品を買ってくれる可能性よりも、これまで繋がりがあった人たちが魅力を感じるモノコトにこそ商売の原点がある、と。ぼくを知らない人にとっては、信用の数値は限りなくゼロなのだから。

実験をしている。例えば、地方に暮らし制作に没頭して、その成果を都市に運んで経済活動ができないだろうか。もし、それが可能なら、いま拠点にしている北茨城市は、表現活動する人々にとっての楽園になる。

けれども今回の結果を出しても、それで生きていける訳じゃない。ひとつの結果を出したとしても、それはひとつの山を登っただけで、目標は死ぬまで山を登り続けることだ。もちろん、山なんて登らなくたって構わない。けれどぼくは、没頭していたい。夢中でいたい。それには登り続けるしかない。

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展示には、これまでに影響を受けた本を並べている。店番をしながら読んだ宮本武蔵の「五輪書」に士農工商についての記述があった。久しぶりに読み返してこれだと思った。「工」とは匠の技術のこと。「農」とは食べ物をつくること。「士」は、武士のことだけど、ぼくにとっては芸術の道を追い求めること。「商」は、生きるために貨幣を獲得する商売をすること。

展示にある画商の人が現れた。その人はぼくたちの作品を観て「いい作風だ」と褒めてくれた。そして「もしかしたら、君たちの絵を高く売ることができるかもしれない」と言った。つまり、画商の人は安く仕入れ高く作品を売れば、取り分は30%だけれど、安定した収入にはなる、と。プリント作品を販売するから、広く行き渡り有名になるかもしれない、必ずしもすべての作家にそれが良い訳じゃないが、と話してくれた。

ぼくは思った。ぼくは絵を描いて、それを鑑賞してくれる人に出会うのが好きだ、と。絵が人に感動を与える場面に立ち会いたいと思った。

「アートで生きていく」という野望が「アート共に生きていく」に変わった。アートとは遠くいる誰かではなく身近にいる人たちの中に宿っている。すべては自然の中にあるのだから。まだ言葉にならない、感覚だけのスタート地点に立っている。

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冒険は続く。


「生活芸術商売」展

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夫婦で日々制作してきたアートピースが無事展示されました。檻之汰鷲(おりのたわし)史上最高の個展になりそうです。

https://www.0101.co.jp/086/store-info/fair.html?article_id=16818

2冊目の本「漂流夫婦、空き家に暮らして野生に帰る。」も先行発売してます。

http://u0u0.net/NYn3


ぜひ会場にお越しください。

作品たちも一層輝きます。

檻之汰鷲


夢が現実になった景色

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11月は驚くほど予定が集中している。いまは、生きてきた時間とこれから生きる時間の分岐点なのかもしれない。ぼくは生活を作ってきた。どんな場所に暮らし、どんな仕事をして、どんな家に暮らしたいのか。その問いを追求してきた。この活動を何て呼ぶのだろうか。
これが人生だ。これが生きるということだ。真っ正面から立ち向かえば、道は拓ける。けれども「人生」という言葉を笑う人がいる。人生をつくることをアートだとは誰も言わない。だからぼくは生きるための芸術を表現している。

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朝起きてコーヒーを飲んでパンを食べる。アトリエに行く。アイルランドの友達トムがアトリエに滞在している。一緒に作品をつくる。畑に行って野菜を収穫する。近隣の方が食べ物を差し入れしてくれる。お昼を食べる。取材が来る。打ち合わせに来る人がいる。また制作する。夜になる。夕飯を食べる。トムも疲れてきただろうから家に帰る。8時頃から出版する本の校正をする。デザインの仕事をする。10時なる。ハイボールを飲む。引き続き仕事をする。寝る。こんな生活をしている。今日、ついに2冊目の本「漂流夫婦、空き家暮らしで野生に帰る」の校正が完了した。100回は読んだ。

先日、PRの打ち合わせで、いわき市の宮本さんが来てくれた。宮本さんとは週末の東京からの仕事をつくるツアーのプレゼンイベントの懇親会で知り合った。一緒にいた渡邊さんも含めて、とても親近感を覚えた。ああ、これからも会うことになる人たちだな、と思った。そのさらに1週間前、日立市小木津の海老沢さんが、企業のロゴデザインを発注してくれクライアントさんを連れてきた。話すと、自分が住みたいと思っている海のエリアを開拓すると話した。そこでマンゴーを栽培したら面白いと笑いながら話した。冗談みたいな話しだけれど、マンゴーを栽培するのは、ぼくの夢だった。海老沢さんにその話をしたことがあったのか、突然目の前にそのカードが現れた。これがセレンディピティという魔法で、あとはどうやってそれを実現させるのか、ゴールまでの道のりをオブザベーション(観測)する。これはボルダリングで学んだやり方。結局のところ、夢に到達するには人との出会いしかない。

人は現実と夢の狭間に生きている。夢ばかり見ていると、夢想家だと言われる。現実ばかりではリアリストだと言われる。何と言われても構わないけれど、現実と夢は近い場所にある。表裏一体でもある。ほんとに近くにあるのだけれど、急にはそこに行けなくてゆっくりと歩くようにしか、もしくは暗号に閉じた扉のように簡単には開かない。夢は掴んだ途端に現実になる。コインの表と裏のように。マジックのように夢は現実になるから、そこでは自分が望んだ場所にいることを忘れてしまう。ここには生きてきた時間とこれから生きる時間との分岐点がある。

例えば、働きたかった業種の仕事に就いたとか、好きな人と一緒になれたとか、目標の学校に進学できたとか。どれも人生の通過点。まだ続きがある。けれども、続きがあることを忘れて、そこに安住してしまう。夢を追いかけるのを忘れてしまう。何度でも夢を見て、その先へ先へと進む挑戦を続ける。それが生きるということだと思う。

特に書くこともなかったのだけれど、こうやって自分と向き合って言葉にしてみれば、今迄捉えることのなかった瞬間に立ち会った。人生がいくつかの山を登ることなら、今は次に登る山の頂がずっと遠くに幽かに見えている。どうやったら、そこに到達するのか道はまだ見えていなくて、けれども振り返って見れば、これまで歩いてきた道も見える。
生きるということに真っ正面から向き合えば、人間は死なないどころか、ずっと楽しく、助け合いながら生きていける。もちろんそれは、突然降ってくるようなラッキーではなくて、あらかじめ準備したり、そこに向かって歩いているから、到達できることでもある。
日々の制作が、ぼくたち夫婦の人生をどこに連れて行ってくれるのか楽しみにしている。もうすぐ3冊目の本の冒険が始まろうとしている。生きるための芸術を追及する冒険は続く。

 

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「生活芸術商売」展 
Curated by 檻之汰鷲(おりのたわし)

開催日時:
2018年
12月1日(土)~12月9日(日)
11:00~21:00
(日・祝は10:30~20:30)
場所:有楽町マルイ 8F
(東京都千代田区有楽町2丁目7-1)

 

毎日10個の悪いことをみつけるより、10個の良いことをみつける方が世界が豊かになる。

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トムがアイルランドから来ているし、母親が北茨城市に遊びに来るので、民宿に泊まることにした。家から10分ほどの距離だけど、大好きな長浜海岸にある浜庄という宿を選んだ。小さな民宿だけど、とにかく魚が美味い。驚くほど。4人で泊まって呑み食いして、ぼくら夫婦からすれば、久しぶりの散財。けれども驚くことが起きた。

泊まった数日後、浜庄さんのご主人が、ぼくたちのアトリエに遊びに来てくれた。泊まったときに音楽やアートの話をしたので、きっと興味があるだろうと、コンサートのチケットをプレゼントしてくれた。

そこに近所のスミちゃんが遊びに来ていた。スミちゃんが、漬け物を出したりお茶を淹れたりしたら、ありがとうと蟹を差し入れしてくれた。スミちゃんは、お礼に漬け物とお味噌をプレゼントした。散財の効果が波紋のように広がった。

価値が動いていた。地域の経済が動いた。ぼくは、理想的なお金の使い方を体験した。自分の欲望のためでなくお金を使えば、経済は動くのかもしれない。

例えば、時給1000円の仕事を毎日8時間やって生活費が14万円かかる場所に暮らすのと、時給1000円の仕事を毎日4時やって、生活費が7万かかる場所に暮らすのと、どっちが豊かなのだろうか。

何のために働くのか。
週末、仕事百科という会社が、北茨城市でのツアーを実施した。東京から4人の参加者が、北茨城市を2泊3日で回って、最終日に自分たちが考えた仕事を発表した。

仕事百科は、移住を考えても仕事がなくて諦めたりするけれど、だったら仕事を作ればいい、と提案する。仕事をDIYするプログラムだ。

ぼくも仕事を作ろうとしている。北茨城市という町を拠点にアートで独立しようとしている。妻と二人で毎日大好きなアート制作をして生きようとしている。最近思うのは、ずっとこのまま進行形で死ぬまで完了形にはならないということ。あと他の仕事も社会との接点になっている。作品づくりだけでなく、デザインを少しやったり、文章を書いたりもしている。デザインは頼まれて発生する仕事で、アートは頼まれてもいないのにやる仕事と分類している。

忙しくなると、頼まれていることに追われて、頼まれてないことをやる余裕がなくなる。余裕がなくなると、誰かのために何かをしようという心の余裕もなくなる。

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ここ数日、アイルランドから来ているトムを山奥のアトリエに放置して、何もできていなかった。何処か行きたいところや、やりたいことに不自由しているか心配になった。海外から呼んで滞在させたはいいけれど、迎え入れる側の立場になってみると、面倒なこともある。そう思って、ああ器の小さい人間だと反省した。

トムの様子を見に行ったら、昼寝をしてた。話したら、インターネットがあるし、家は超快適だし、美しい自然に囲まれた環境で最高だよ、と言ってくれた。

昨日の夜、チケットを貰ったコンサートに行ってきた。水戸のライブハウスに山崎まさよしとその仲間が出演していた。演奏も歌も抜群に上手かった。ポップスは、聴き手を選ばない。誰にでも伝わるようにそのフオームを研ぎ澄ましている。美味しい料理のように。ドラムは屋敷豪太さんで、90年代はUKで活躍していた人だった。他のメンバーも含め50歳は超えていて、この年齢まで現役でステージに立ってる姿に熟練の技を感じた。

デザインの締め切りがあったので、少し早めに帰宅して、2冊目の本「漂流夫婦、空き家に暮らし野生に帰る。」の原稿の最終校正をした。3年間、空き家に暮らして旅してきた話で、そこに登場した人たちに原稿を確認してもらっていた。その修正を反映した。

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作業していると友達から電話が鳴った。「諏訪の原田泰司美術館で、真野正美という画家の展示をやっていて、それはとても細かくてすごいんだよ。絶対観た方がいいよ」と教えてくれた。

自分なんて、有名でもないし、なんの特徴もないし、才能もない。美しさもない。そんな気持ちになることもある。けれども、誰かの役に立つことはできる。誰かの美しさをみつけて伝えることはできる。誰の才能を褒めることはできる。誰かがやろうとしていることをお金を払って応援することもできる

毎日10個の悪いことをみつけるより、10個の良いことをみつける方が世界が豊かになる。少なくとも自分が生きている世界は。

傑作の影にあるほんとうの名作たち

今日は上野の国立博物館に行くことにした。クルマもあるけれど、日常を体験するのもまた旅だから電車に乗ることにした。そうすれば、アイルランドから来た友達トムが田舎と都市の両方を体験できる。

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家から駅まで歩く途中、トムはウクレレを弾きながらハーモニカを吹いた。駅前でもホームでも、電車の中でも演奏した。多くの人は何も起きていないかのように無視する。子供は素直に反応する。目を丸くして外国人が奏でる音に興味を示す。電車の中でもほとんどの人は無視。若者が拍手でリズムを取ってから雰囲気が変わった。車内が明るくなって笑顔が溢れた。小さな出来事だったけれど、何かが変わる瞬間、これもアートな何かに遭遇していると感じた。

どこかの駅にムンク展の看板があるのを見たトムが「ムンクは精神を病んでいながら、どうやって制作してきたのか知りたい」と言った。ムンクに興味はなかったけど有名な「叫び」しか知らないので、上野国立美術館に行ってみることにした。

幾つかの作品を見て、名画とされる「叫び」ムンクの一部で、あまりにそれが有名で、それを知ってるからムンクを知ってると思っていた自分がアホに思えた。というか世の中の全てに対して、そんな程度しか理解していない自分だった。

初めて出会うムンクは、人生をアートに賭けている冒険家だった。たまたま「叫び」という話題作を生み出したことで有名になって、けれどもその後にこそ、紆余曲折を経た傑作の数々があった。

ムンクは、ひとつのモチーフを様々な手法で繰り返し描いていた。油絵、版画、リソグラフエッチング、繰り返すことで、モチーフは洗練され記号化していく。上手い下手を超えた単純なカタチと偶然と色のハーモニーを楽しんで制作しているようにも思えた。ひとつのテーマは何十年後にまた違った手法で制作されていた。ぼくはムンクという人の生涯を1時間くらいで、しかも展示を企画した人がまとめた断片に触れた。凝縮されたムンクの展示から学ぶことがたくさんあった。ひとつの作品を芸術表現の到達点として語るよりも、ひとりの人間が生涯を賭けて何を表現したか、その軌跡を辿ることがぼくにとってのアートだと改めて実感した。つまり、レコードやCDに記載されているライナーノートが自分のアートの原点にある。生きることとアートは無関係ではいられない。

ムンク展の後、上野のアメ横を歩いた。ここでもトムは音楽を奏でながら歩いていた。無視する人がほとんどだった。その中で笑顔になったり話しかけてきたりする人は、心に余裕がある人に思えた。ぼくたちのずっと前を歩いていた杖の老人が倒れた時も同じだった。ほとんどの人は面倒を避けるように無視して、駐車禁止を取り締まる人が、その倒れた老人を起こして支えていた。

アメ横でご飯を食べているとき、トムは店員の女の子をスケッチした。絵が仕上がると、店員さんにプレゼントした。忙しく働いていた店員さんに笑顔が溢れ空気が明るくなった。

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トムは帰りの上野駅のホームでも演奏を続けた。仕事帰りの時間だから、みんなシリアスな顔をしていたけれど、トムの音楽を聴いて笑顔になる人がいて、その笑顔はとても素敵だった。性別も年齢も超えて。

アイルランドからやってきたトム・キャンベルは、歩きながらパフォーマンスして、席に着けばスケッチをして、そのどれもが周りの人たちを楽しませた。トムの絵や作品は、技術がどうのとか、作品がどうのという秤にかけて計られれば、点数は高くない。未完成なことも多い。けれども、どんな点数の高いアートでも描けない何かを表現している。トムの表現には、目の前にいる人を純粋にするチカラがある。この表現を何と呼べばいいのだろう。弱い人の側に立つような社会の片隅を照らすアート。まだ言葉にない。もう少しトムと過ごしたら名前がみつかるかもしれない。アートはいつも新しい居場所を求めている。その場所をつくり名前を与えるのもアートの仕事だと思う。

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海外からアーティストを受け入れ日本の文化を体験してもらう夢

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トム・キャンベルがアイルランドからやって来た。トムとは2013年にバルセロナで出会って、パピエマシェという立体の作り方を教えてくれた師匠でもある。

海外を旅するとき、ホストとなって助けてくれる人がいる。もし逆の立場になったとき、ぼくは何ができるだろうか、と考えたのをきっかけにいつか日本に友達を招待したいと思うようになった。空き家を改修して、アーティストインレジデンスをやるのも夢のひとつになった。

トムを成田空港の出口ゲートで待っているとなかなか出てこなくて、何か問題があったのだろうか、と心配になった。1時間ほどしてトムが現れた。会うのは5年ぶりだけどSNSのおけで、そんな気がしない。トムが来たら何をしようか、色々考えてきたけれど、忙しく観光して周るより、日本人の日常を見せた方がいいと思った。「トムに何がしたい?」と聞いたら「何も調べたりしてないから、何も分からない」と。トムはアイルランドでいろんな人の日本の話しを聞いたけれど「誰かの日本には興味はなくて、目の前で起きていることを楽しみたい」と話してくれた。

成田から東京に向かう途中、アイルランドでの暮らしについて話を聞いた。トムは芸術家だ。収入は、絵を売ること、アートプロジェクトで貰う予算、それとワークショップの3つ。

アトリエはシェアしていて家賃は150ユーロ。それとは別に住んでいる部屋が150ユーロ。ここもシェアらしい。税金は払ってない。以前は月2000ユーロのお金を貰っていたそうで、詳しくは分からないけど、生活保護ベーシックインカムのような制度らしい。でも、そのお金を受け取ると何もしなくなるので、受給しないことにした。

アイルランドはお酒飲みの文化があって、週末になると、ほとんどの人がバーへ出かけ、飲酒で人生を壊す人がたくさんいるのが問題らしい。週末になると町が酒臭くなる。トムは酒といつも曇っているアイルランドの空が嫌いだ、と話した。

トムは日本に来るためにクラウドファウンディングをして2000ユーロを作った。けれど日本行きのチケットの自分の名前のスペルを間違えて600ユーロを台無しにしてしまった。

トムは到着して、日本円が5000円しかないから、銀行で下ろしたいと、銀行に行ったらカードが使えなくて、夜は、お菓子とお酒を買って家で飲んでお喋りした。昼はくら寿司で安上がりなランチにした。

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誰かに楽しみを提供することは、豊かさの共有になる。自分が満足することや、一方的に押し付けるだけではなくて、時には自分が黒子に徹して、相手の側を喜びや楽しみで満たしたいと思う。価値を自分の中につくることより、そこ以外に作ることの方が全体豊かになるし、それこそ、生活芸術商売の「商い」の理念に通じると思う。絵を描くことだけではない、もっと広義なアートを表現していきたい。

ちなみにぼくの英語は片言。あるときこう教えてくれた先輩がいた。「英語を話す人の80%がネイティヴじゃないんだ。つまりほとんどの人が片言でテキトーに話してる。だから、全く気にすることない。何度でも伝わるまで、理解できるまで話せばいい」