いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

1日の中に自然と戯れる時間さえ持てれば

朝起きて、嫁と一緒に畑に行った。2年前にモロッコ式の窯を泥でつくった嫁の両親が持っている土地で、昨年、近くで山火事があったので自粛もあって放置してあった。

f:id:norioishiwata:20160801121854j:plain

畑は2mも伸びた雑草に覆われ、そこから窯の姿さえ見えない。窯の様子を見るために草を刈って刈って、まるで開拓使の気分だった。全身から汗が止まらなかった。夏の太陽がヒートアップさせる。やってもやっても窯に辿り着かず、ついにぶっ倒れた。日陰で休んだ。それだけ自然の中で身体を動かして気分は爽快だった。また再開して休んでを繰り返した。
できることなら、開墾して耕して野菜を植えたかった。しかし今回は、そんな時間がないから、と思いながらも、時間はいくらでもあるのに、ないと決めているのは自分な訳で。だから、秋にやることにした。今年の夏は、海で過ごすと決めている。日本の夏は短いから。

f:id:norioishiwata:20160801121948j:plain

朝8時から2時間やっても窯は見えず、今日はこれぐらいで終わらせることにした。雑草を刈りながら、世界中に、大地を耕している人々がいることを想像して、その仲間になれたようで嬉しかった。

帰るため、車に乗ると、蜂が入ってきた。窓ガラスに向かって飛んで、それ以上進めないのに、まだ飛んで、反対側に逃がそうとしても無駄だった。反対側に飛べば、広い空があるのに。やがて蜂は、力尽きて死んでしまった。この蜂は、必要のない欲望に突き動かされている人間みたいだった。果てしない欲望システムから抜け出して、社会が示す反対側へ歩けば、自由があるのに。

しかし、自由だからと、安楽ではないし、社会の反対側は自然だから、不安定で混沌としている。だけど、疲れたら休めばいいし、違うと思えば、その方向に進まなければいい。それだけの単純なこと。だから、自分のなかの自然な部分を開拓して道を切り拓いていく。

f:id:norioishiwata:20160801122158j:plain

これから先の夢を語ろう。それは2018年の現実になるから。

f:id:norioishiwata:20160730070950j:plain

ニューヨークからフジロックフェスティバルでの仕事経由、3泊4日の旅から、東京で次の旅の準備をしている。

今日から長野県岡谷市のチフミの実家に寄って車をピックアップして、月曜日に愛知県津島市に戻り、8月5日頃から、三重県志摩の漁師村の安乗の空き家に滞在する。2014年に計画したことが2016年に現実になった。明日の予定のように未来を想像すれば、それは現実としてやってくる。

ぼくは空き家に暮らし、ソーラーパネルで発電して、カヌーに乗って海と遊ぶ。これはまさに2014年にイメージした未来だった。追い続ければカタチになる。必ず。まずは自分が自分を信じなければ他に誰も信じてくれる人などいない。

であるなら、これから先の夢を語ろう。それは2018年の現実だ。

ぼくは英語を勉強し続けて、世界の人々とコミュニケーションをしたい。継続することだ。その時間を確保すること。今年の冬は、制作に没頭したい。新しい技術とカタチを手に入れたい。
海外で展開できる可能性を模索し続けること。まずの締め切りは8月31日。ジャパンハウス。ロサンゼルス、サンパウロ、ロンドンを巡る日本をテーマにした巡回展の公募。課題は日本的な作品。

ぼくは自分の活動がとても日本的だと思っている。なぜなら、宮沢賢治宮本武蔵柳宗悦に影響を受けているから。それは自然と芸術の道だ。それをどのように言葉に落とし込み、日本的な芸術だと伝えればいいのか。それは課題。

ニューヨークで出会ったアート作品を調べるうちに分かったことがある。作品が先ずあり、その後に説明や物語がある。だから、もっと作品づくりに没頭したい。なぜ芸術家が貧しいのか。分かった。貧しいのではなく、芸術以外を必要としないからだ。絵の具の方が、贅沢よりも食べ物よりも大切だからだ。

f:id:norioishiwata:20160730071156j:plain

青山、表参道、辺りの路面の空き店舗や空き家を利用してギャラリーを2日間だけ出現させる。来年の春か今年の冬にやりたい。音楽があってバーがあって人が集まり、ここはパーティー会場でもある。ソーラーパネルで電力を賄う。これが作品。

秋から冬の間に「古家採取活生計画」の原稿をまとめる。これは2014年から2016年の活動記録。人生そのものを芸術にするならば、活動記録をまとめ続けることだ。2017年には、いまよりも、日本と海外を行き来してアート作品を発表しているだろう。2018年には、海外に拠点を移して制作に没頭している。イメージできることは、すべて現実になる。

何処にいても、目の前の風景を切り取りたくなる、それが旅人の心だ。そんな気持ちのまま生きていきたい。

f:id:norioishiwata:20160730071341j:plain

 

ニューヨークギャラリー出会った「太古から未来を繋ぐカタチ」Matthew Ronay

ギャラリーを巡り歩いているとウィンドウから奇妙なカタチがあった。近づいてみると、こんな作品。木でつくられている。

f:id:norioishiwata:20160727113833j:plain

展示はこの作品をつくるMatthew Ronayがキュレーターを務めていた。

ステートメントより
-----
創作の源流は、いくつもの方向へ広がり、未知の自然にインスピレーションを受ける。
Laird Scrantonの本「The science of dogon: Decording the African Mystery Tradition」によれば、西アフリカのドゴンの人々は、地球創世の問題や原子レベルの科学、天体からあらゆる観察に基づく身体現象までを網羅し、建築、彫刻、象徴を通してその神話世界を作り上げている。
---
彼の世界観は、神話や伝統や創世記を超えて、過去と未来がリンクするような、ひとりの人間が宇宙と接続するような地点から湧いてきているようだ。過去と未来がループするその宇宙が生み出した別世界からの物体。

Matthew Roneyは、1976年に生まれニューヨークを拠点に活動する作家。現在、Pérez Art Museum Miami (PAMM)で2017年1月まで展示プロジェクトを行っている。木や布や粘土を駆使してカラフルで美しい物体を制作する。

f:id:norioishiwata:20160727113915j:plain

なんだそれ。とも思うけど唯一無二の個性。すごい。

ニューヨーク ギャラリーPACE PRINTS 偶然出会った「Daniel Heidkamp」の風景画。

ニューヨークのギャラリー街、チェルシーを歩いてヘトヘトになった頃、嫁のチフミが、一軒のビルの看板をみつけ、その絵が見たいと言った。

f:id:norioishiwata:20160727104130j:plain

PACE PRINTSというギャラリー。

3階のそのギャラリーに足を踏み入れた途端、目に留まったのがこの作品。

f:id:norioishiwata:20160727104152j:plain

Daniel Heidkamp。マサセッチュー州のウエイクフィールド1980年生まれ。ブルックリン在住で作家活動をしている。

生まれ育った田舎の風景を切り取ったペインティングは、シンプルで素朴。その優しい風景に目を奪われた。
ギャラリーが配布している資料を読むと、同郷のWinslow Homerにインスピレーションを受けたと書いてある。その他、1920年代に漁師村で制作したEdward Hopperというアーティストの名前、Marsden Hartley、Stuart Davis、Mark Rothko、Milton Averyが挙げられている。

f:id:norioishiwata:20160727104342j:plain
Winslow Homer

f:id:norioishiwata:20160727104534j:plain
Edward Hopper

日本を旅して風景画を描いてみたいのでとても参考になるラインナップだ。そしてDaniel Heidkampがまさに。

ニューヨーク現代アートのギャラリー その1「Blackness in Abstraction」

ニューヨークのギャラリーを巡り、自分たちの展示の宣伝をしてきた。この地のギャラリーで展示される作品のクオリティは世界基準。それらの作品を見るだけでも勉強になった。ぼくらの好きな方向性を再確認し、ひれ伏すような作品に出会い、やる気に満ちてきた。

そのいくつかを紹介したい。
ニューヨークのギャラリー街チェルシーで遭遇したPACE GALLERYのグループ展。Adrienne Edwardsというキュレーターの仕事。これ自体が作品と呼べるクオリティー。1940年から現在に至るまでの黒いアート作品のコレクション。どこもかしこも白と黒のコントラスト。圧巻の強度。

f:id:norioishiwata:20160721074606j:plain

 

f:id:norioishiwata:20160721073108j:plain

f:id:norioishiwata:20160721073241j:plain

 

f:id:norioishiwata:20160721073446j:plain

f:id:norioishiwata:20160721073325j:plain

最後につくった作品を売りに街へ出た。ストリートで展示して作品を欲しい人を探す。

今日は最後につくった作品を売りに街へ出た。ストリートで展示して作品を欲しい人を探す。住んでいるアパートの最寄り駅近くでは、ぼくら日本人夫婦は、すっかりお馴染みになって、コピーDVDの販売を一緒にやろう、と誘ってくれるブラザーもできた。

f:id:norioishiwata:20160727092734j:plain

作品を壁に掛けていると「これはどういう意味だ?」と隅々まで質問された。買ってはくれなかったが、ストリート・ギャラリーのお客さんだ。

午後は新たな場所を求めてマンハッタンへ、途中の駅や地下鉄でも作品を展示しながら移動した。

f:id:norioishiwata:20160727092959j:plain

目的地はロウワーイーストの中華街。ここには小さなギャラリーがたくさんある。ギャラリー街に着くと雨が降ってきて、近くのギャラリーに雨宿りを兼ねて入った。
袋に包んだ作品をギャラリーの隅に置いて作品を見ていたら、ギャラリーのディレクターが「その袋は何?」と質問してきた。
袋から出して作品を見せると「クールだね。」と褒めてくれた。
ブルックリンでの活動といま展示していることを話したら興味を持ってくれた。
僅かな遣り取りだったが、作品と活動を伝えることに成功した。

作品を余計につくらなければ、中華街に来なかったし、雨が降らなければ、このギャラリーにも入らなかった。可能性を残すことができた。

ニューヨークで展開していくのがゴールではないが、ニューヨークには、質の高い作品か集まっている。その中で勝負するのは世界を舞台にすること。いま世界で起きているアートの現象を体験したからには、そこに突っ込んでいきたい。

アートのコンセプト的な部分は今まで通り追求していけばいい。それと同時に作品自体のクオリティを追求していきたい。この両方を武器に英語圏で勝負できれば、未来を切り拓くことができる。

明日で終わるニューヨークでの即興生活芸術。一カ月の時間をすべて愛すべきアートに注げたことに感謝。

どこにいても制作が生活と心の平穏。未知の場所で創造の旅に出ること。

残すところニューヨークの滞在も3泊4日。たくさんのギャラリーに行って、次の展開の営業をしながら、たくさんの愛おしい作品に出会った。アートの森を彷徨いながら、進むべき未来が見えてきた。

朝起きて、作品がつくりたくなった。ニューヨークでの経験をカタチにしたくなった。展示は始まっているが構わず、拾ってあった廃材で制作を始めた。

f:id:norioishiwata:20160727083930j:plain

どこにいても制作が生活と心の平穏。何かが欲しいと心がざわつくこともなく、何処かへ行く欲望もない。旅をして彷徨いたくない。ぼくにとっての旅とは未知の場所で創造の旅に出ることだ。

f:id:norioishiwata:20160727084001j:plain

作品はニューヨークの展示で人気のあった集中線とレジンで仕上げる。

ぼくたち夫婦の制作は自分たちの冒険の記録だが、突然、作品を目の前にする人には、そのストーリーは関係ない。または、価値の創造を目指すのであれば、魅力の純度を高めることが、錬金術への近道。「急がば回れ」とは遠回りをしながらも、頂を目指すこと。これは狩りだということを忘れてはいけない。

f:id:norioishiwata:20160727084155j:plain

ニューヨーク滞在の始まりに音楽雑誌を拾って、そこにフューチュラのインタビューがあった。バスキアとキースへリングの話をしていた。
「2人は誰よりも、世の中の要求に応えた。身を滅ぼすほどに。」

自分だったらどう振る舞うだろうか。

ぼくたち夫婦には2つの物語が必要。消費社会が切り捨てたモノコトを再生させ、社会へ還流させること。それは豊かさを増やす社会実験。それは奇跡を起こす。人が好むストーリーでもある。

もうひとつは、アート作品に価値を与え、貨幣を獲得すること。最も当たり前の行為、であり生存のための運動。今回は、まだこの運動が足りていない。