いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

新しいことに出会ったらゼロから始める気持ちが3年後に生きるための技術になる

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新しいことを体験すると、言葉にならないことがある。それってほんとうに新鮮なことだ。

きっかけは、昨年12月に有楽町マルイの個展で、お笑いの「よしもと」の芸人さんとコラボをさせてもらったとき。
ぼくは、ずっと音楽に惚れ込んでいたから、正直なところ、芸人さんをバカにしていた。テレビを見て、誰が面白いとか面白くないとか、ふんぞり返って批判していた。

ぼくが出会った芸人さんは佐久間一行さん。佐久間さんは、展示のイベント企画の最中、会話や状況のあれこれを拾って「今」を楽しい空間に変えていた。

何これ?
驚きだった。
当たり前過ぎて
技術に見えない技術。
でも確かにそこには技がある。

何だこれは!?

今週の16日。
佐久間さんの縁で知り合ったリサちゃんに誘われ、生まれて初めての歌舞伎に行った。
高尚な伝統芸能なんだろうけど、ぼくにはとても庶民的なものに感じた。テレビでお馴染みのコントのセットみたいだったし、子供の頃、テレビで観ていたドリフターズの原形も垣間見えた。

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身振りとセリフ。
衣装や色。
つまり、舞台芸術
生活を極度にデフォルメした世界観。

日常を楽しくする芸術。

ちなみに歌舞伎の発祥は、1600年ころに遡る「かぶき踊り」。お国という女性が踊りはじめたのが起源とされる。ストリートから誕生している。詳しくは、ネットで調べればいろいろ分かる。

テレビの文化は世代的に、あまりにも当たり前に存在していて、それは何かアートとかカルチャーとして扱うに値しないと勝手に切り捨てていた。そういう自分に気がついた。けれども、ぼくが好きな音楽の方が、借り物のカルチャーに過ぎない。ロックとかブルースとかヒップホップとか。アメリカ、イギリス由来。日本独自の文化はもっと前からあって、それは何だろうかと知りたくて、古民家に暮らしたり、地方を転々としたりしてきた。ここに生活とは別の「芸能」という日本独自の文化の入り口をみつけた。

歌舞伎から現在のお笑いに通じる道にも、何かしらかのアートを見出すことができる。これを西欧の借り物ではない、日本らしい表現形態に昇華できるはずだ。

お笑いって、どんなものなのか。週末、福島県白河市で開催されたよしもと新春イベントに行ってみた。生まれて初めてお笑いのライブ。

お目当ては、展示でコラボさせてもらった佐久間一行さん。
全部で6組がライブをやって、基本マイクと身体だけで表現する。
目的は笑わせること。
至ってシンプルなこと。
老人から子供までを笑わせる。
何だろうか。
まだ言葉にならない。

もちろん、アートとはジャンルが違う。でも同じ表現者として、ぼくも老人から子供までを楽しませたい。

この日のイベントの最後に、出演した芸人さんのサインがプレゼントされる抽選会があった。

中川家
佐久間一行
パンサー
ウーマンラッシュアワー
ライス
インポッシブル

テレビでよく見る芸人さんたち。せっかく佐久間さんのライブを観に行ったから、挨拶ぐらいしたかったなあ、とか思っていると、まさかの。

なんと、佐久間さんが引いたらクジがぼくの席番号だった。

横でチフミがグラミー賞を受賞した女優みたいに喜んでステージに歩いていく。佐久間さーん!みたいな馴れ馴れしいチフミを見て、有楽町マルイで一緒したのを思い出してくれた佐久間さん。

2019年。
生活芸術に新しい流れがやってきた。
面白いって何だ? 
楽しいって何だ?
笑うって何だ?

生きるための芸術は
生きるための技術。
面白く楽しく生きるためなら
なんでもいい。
なんでもやってみよう。

続く。

「人間と技術ー生の哲学のためにー」

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久しぶりに本を読み終えた。
「人間と技術ー生の哲学のためにー」
O.シュペングラー
1931年に出版。
昭和6年

この本は、工業化が進み、人間の暮らしが自然から離れていくような時代に書かれている。
「技術」とは何か。

シュペングラー先生は、便利になるための技術なのに、便利になるどころか、人間がその技術に酷使されていると警告している。

なんで、そんなことになるのか。
その原因について思考を巡らす。ひとつには人間が肉食系動物だからだと言う。
肉食系動物にとって、世界は狩猟の対象でしかない。己が生きるための。人間は、世界を侵略してきた。最大の敵は自然だった。どうすることもできず、ただ翻弄され殺されるばかり。ほんの僅かな人間しか生き残れなかった。けれども、人間には、極端に発達した「手」という武器があった。

人間は火を熾す「技術」を手に入れる。カミナリに打たれた木が燃える様を観察したのだろうか。

「手」は人間に富をもたらした。
狩猟する「技術」は発達して、また食べ物を栽培する「技術」も発達し、自然の驚異から身を守る「家」も発達した。
人間の数は増えて、食べ物も蓄えるほどになった。

山の向こうには何があるのだろうか。
海の向こうには何があるのだろうか。

人類初の冒険家が見たのは、自分たちとは似て異なる富を蓄える人間たちだった。

人間は肉食系動物だ。
こうして人間の侵略の歴史が始まる。

「技術」は、それだけを捉え観察するなら、人間を豊かにする。けれども人間が「技術」を手にした途端に、人間は「技術」を使って、より富を得ようとする。つまり、人間を支配しようとする。

なぜなのか。
人間は肉食系動物だから。

O.シュペングラー先生は、
肉食系動物は、独立した存在だと言う。なぜなら、目の前に広がる世界は、すべてが狩猟の対象であり、生きていくことは、勝ち続けること。だから、何者にも追従する必要がない。人間が肉食系動物であるならば、人間は独立した存在であり得る。

けれども現代社会の中で、独立した存在であることは難しい。なぜなら、社会という仕組み自体が「技術」を持たせないように構成されているからだ。つまり、ぼくらは支配される仕組みの中に暮らしている。

本来、生きていくための技術は、貨幣経済とは関係のないところに存在している。貨幣を獲得するよりもっと手前で手に入れることができる。


魚を捕る技術
野菜を育てる技術
動物を狩る技術
水を手に入れる技術
火を熾す技術
家をつくる技術

ところが
現代社会では、魚を捕るなら、それが幾らになるのか計算させる。野菜を育てるなら、それが幾らになるのか、どうやったら、もっと高価な野菜になるのか思考させる。
魚を捕って食べるのではなく、魚を売ってお金を手に入れて食べる。家を建てられるなら、どうやって豪邸に仕立て上げるのか。

肉食系動物としての目的は、とっくに達成しているのに、別の何かを手に入れるためにさらに狩猟を続ける。
これが人間だ。

O.シュペングラー先生は、
この人間の性とも言えるどうしようもない性質について「抵抗」し続けるしかない、と説いている。
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われわれは、この時代に生まれたのであり、そしてわれわれに定められているこの終局への道を勇敢に歩まなければならない。
これ以外に道はない。
希望がなくても、救いがなくても、絶望的な持ち場で頑張り通すのが義務なのだ。ポンペイの城門の前でその遺骸が発見された、あのローマ兵士のように頑張り通すことこそが。

彼が死んだのは、ヴェスビオ火山の噴火のときに、人びとが彼の見張りを交代させてやるのを忘れていたためであった。

これが偉大さであり、これが血すじのよさというものである。この誠実さは、人間から取り上げることのでき<ない>、ただひとつのものである。
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今から90年前に書かれた本。
人間は何も変わっていない。何をも社会をよくすることはない。けれども、個人がただ「誠実」に生きることだけに望みがあるのかもしれない。

だから
生きるために
手を動かす。

貨幣経済への反抗生活

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失ってから気づいたのでは遅くて、それが手元にあるとき、それを愛せるか。愛しているか。愛なんて言葉を口にしてないなら、それこそ、いま手元にある財産をまるごと捨てているようなことだ。

 

失ってから気がつくことばかりだ。ぼくは、交通事故で、動けなくなったとき、動けることの喜びを知った。それをきっかけに、いまできることを全力でやろうと思えるようになった。でも、すぐに忘れてしまうから、こうやってメモをして思い出すように努めている。

 

例えば、朝起きて、目が覚めて、暖かい布団から出たくない、と思うとする。けれども、布団から出れない身体だったとしたら、布団から出て自由に歩きたいと思う。だから、ぼくは走る。冬の朝の寒い時間を走ることができれば、その1日はどうあっても暖かい日に感じることができる。

 

昨日は、いわき市のナオトさんが遊びに来てくれた。お土産にコーヒーを持ってきてくれた。さあ、飲もうとしたら、コーヒーは豆だった。挽かないと飲めない。そうだ、すり鉢があるから、それで粉にして飲んでみよう、やってみると、粗挽きとか、もっと細かくとか調整できることが分かった。粗挽きは、薄くて、でも遠くでコーヒーの香りがして、細かく挽くと濃いブラックコーヒーが飲めた。自分で挽いたコーヒーは、味わい深かった。売っているものでは味わえない絶妙な淹れ具合を堪能できた。そもそもコーヒーは、こうやって淹れていたんだ。きっと。

 

昨日夜、LINEを見ると、和食料理屋太信のマエケンさんから「明日ヘルプ入れますか?」とメッセージが入っていた。年末の繁忙日にヘルプに入ったのをきっかけに、また声を掛けてくれた。お金に困っているから働くのではなく、助けを求められたから働く。自分にとって、これは新しい働き方だ。

 

飲食店で働くと、そのスピードに驚く。時間との戦い。素早く丁寧な仕事が要求される。ここで働く理由は、社会見学と、他業種のリサーチでもある。太信のみなさんが「芸術家に働かせて申し訳ない」と言ったりするけれど、「生きるための芸術」という視点では、太信という料理屋こそ、完成した生活芸術だと思う。

ここには「太信」なりの生きていくための知恵と技術とノウハウが詰まっている。ぼくは、お金を貰い賄いのお昼を頂いて勉強させてもらっている見習いだ。

 

太信に働きに行く前、少し時間に余裕があったので、長浜海岸の旅館「浜庄」さんに遅い新年の挨拶に行った。ついでに長浜海岸を絵にしたポストカードを渡した。その御礼にと魚を食べきれないほど頂いてしまった。

 

太信で働いた後、普段、お世話になっている地域の方に魚を届けに行った。ぼくは、北茨城市に2017年の春から暮らすようになって、市のサポートもあって知り合いもそこそこできた。割と高齢の方が多い。みんな血の繋がりも仕事の繋がりもないけれど、何かの縁で、今繋がりがある。人と人は、分析しようのない、科学的には説明のつかない理由で出会い、繋がりを持っている。

 

あまりに当たり前のことで、人と人の繋がりについて、考えることがなかった。どうして母と父は、ぼくの母と父で、妻とどうして出会うことができたのか。どうしてぼくは友達に出会い仲良くなったのか。でも、どう考えたって、人との繋がりがなれければ、人は野たれ死んでしまう。

 

そんな当たり前のことに想いを馳せるとき、ぼくは、それを何かで表現したくなる。まずは、こうして言葉で表して、もっと具体的に伝えたければ、行動として表す。絵画でも立体的なオブジェでもなく、行動でしか表現できないものを「社会彫刻」と名付けている。

 

ぼくは何に生かされて、ぼくは何の役に立っているのか。

人との繋がりの中で生きている様を表すには「お金の使い方」を徹底的にコントロールしてみせることだ。

 

【ルール】

☆顔の見える(誰だか知っている)人にだけお金を支払って生きていく。
☆できるだけ身近な小さな場所にお金を支払うこと。

 

大型チェーン店では買い物はできない。スターバックスコーヒーも買わない。ユニクロの服も買わない。セブンイレブンもファミマも行かない。

 

何のために?

 

お金は血液だ。ぼくが大事に思う愛するヒトモノコトにお金を流す。そうすることで、ぼくの愛する経済圏が活性化する。失ってからでは遅い。いま感謝できるところから返していこう。


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馬小屋と冬の暮らし。生活のリズム。

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アトリエにしているArigateeの馬小屋を改修していたら、元家主の有賀さんが様子を見に来てくれた。有賀さんに聞けば、この場所の歴史が分かる。むしろ有賀さんの記憶以外にその歴史が存在している場所はない。本にもインターネットにも載っていない。

 

馬小屋は、約60年前に建てられた。農家だった有賀家には、馬と牛がいた。馬も牛も農耕の動力として利用された。馬小屋の二階には、餌の草が保管されていた。有賀さんは子供の頃、裏山から切り出した木材をソリで運んで、大工さんが木挽きで製材するのを見た、と話してくれた。屋根の下地の杉皮も板材もすべて、地産地消土壁の砂や土や藁も、身近なところから集められている。完璧な日本建築。

どうやって二階の高さまで上げたのか今では想像もつかない、立派な梁が一本通っている。杉材だけなく、栗の木やミズの木も使われているらしい。ミズの木は、その名前にあやかって火事にならないことを願って、使われている。

 

朝起きて、アトリエに行き、馬小屋を改修して、チフミが料理したお昼を食べて、また作業して、夕方に明日使う材料の買い出しに行きつつ、帰宅する。その帰り道、美しい夕陽に遭遇した。

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ぼくは大地に足をつけて生きていて、そのずっと上には宇宙がある。全体、自然に包まれている。夕焼けは、そんなことを想像させてくれた。

 

帰宅すれば、風呂を沸かして、チフミが料理して、夕食を食べて、風呂に入って、20時くらいから、作品の制作をする。22時くらいまで。

 

朝目が覚めてから寝るまで、時間があって、すべての時間に対して何をするのも自由だ。本来、人間は自由なんだと思う。けれども人間は社会に生きる性質があるので、社会に接続する理由や価値が求められる。誰に?

いや、ほんとうは、要求されていないことまで、自らが要求して、窒息しそうになっている。

その点、ぼくなんかは、社会不適合者スレスレだと思う。アートです、と称してイメージや体験したものをカタチにして、社会的な身分を主張している。もっとも、とにかく没頭しているのが、快適で平和な時空間だから、それを保つことを最優先にしている。とにかく「つくる」ことだ。

 

冬の生活にはリズムが必要だ。寒いから身体を動かす仕事がいい。動いている間は、ストーブも使わないから燃料費を節約できる。

今週はずっと、家の改修リズムで生活してきた。北茨城市の奥地にあるアトリエだけど、たまに遊びに来てくれる人がいるから、まったく社会に適合してない訳でもない。

 

一昨日は、風が強くて、林業を休みにした古川さんが来てくれた。すかさずチフミは、アトリエの周りの木を切って欲しいとお願いした。木の扱いはプロだから、すっかり綺麗に切ってくれた。友達に仕事してもらってお金を払う。休みの日に持っている技術を提供してもらって対価を渡す。友達に経済を回す。ぼくの持っているお金も、そうやってぼくのところへやってきたのだから。

 

昨日は、古川さんが切った木をチフミが整理していると、近所の70歳中頃の松本さんが遊びに来てくれた。新年挨拶なんかをしていると、整理してある木が欲しいと言う。聞けば味噌を作るのに使うらしい。ちょうど、味噌を作ってみたいと思っていた。古川さんが切った木は、松本さんの味噌づくりに使われて、ぼくは松本さんの味噌づくりを手伝いながら、習うことになった。野菜をつくって、味噌つくって、魚なんかも釣れて、食器なんかも土器みたいに焼けたら、ほんとうに生活を芸術にできる。そんなのは、芸術ではない、と言う人もいる。そうだ。これは芸術なんかじゃない。社会的な上っ面だけ芸術と称して、その実は「生きる技術」だ。

 

今日は、午前中にチェンソーアートをやる70歳の平さんが遊びに来てくれた。平さんは、いまの世の中はカネカネばっかりで、余裕がないと嘆いていた。ぼくも、なんとなくそうは思うけれど、いまの世の中が酷かどうかは、ほかの時代を知らないので、正直、比較のしようがない。昭和は子供だったし、政治のことも知らなかった。そこで平さんに

所得倍増計画の時代はどうだったんですか?」

と豊かそうな時代の話しを質問してみた。

「その頃、ちょうど働きはじめた頃でね、所得倍増するぞ!ってみんな騒いでいたね。そのときのボスがね、これからの時代は、親分にならなきゃ、損するから、なんでもいいから親分になれ、と言ってね。泥棒だって親分じゃなきゃ意味ないってね」

 

「それで会社を興す気になってね。所得は倍増しても、結局、物価も上がっていくから金持ちにはならないよ。むしろ、どんどんお金が必要になっていくような感じでね。もっともっとお金を増やせー、ってやってたらバブルが弾けて」

 

「いまなんて、まだその熱から覚めないような時代だよね。ほんとうは、自然の循環のなかで暮らすのが一番いいんだよ。この馬小屋なんて立派な建物だ。全部自然に還るんだから。日本人ってのは、そういうことに優れた民族だったんだけどね、自然の扱い方を忘れつつあるね」

 

馬小屋の外の景色を見ながら平さんと話して、そうなんだよな、と思った。悪い時代なのかもしれないけれど、今目の前に起きていることを楽しんで、顔が見える人とお互いに、お金を払ったり貰ったりして、頼まれもしない作品をせっせと作って、それが何年後かに売れるような暮らし。出来ることは自分でやって、消費よりも生産の方が多いような生活。

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この先どうなるかなんて、全然分からないけど、今の暮らし方なら、毎日、見えるものは自然だし、感じるストレスもないし、じゃあ、これから、どう続けていくのか。それは、すぐにできなさそうなことでも、興味あることはやってみて、自分の技術にしながら、「生きる」ってことを表現し続ける、それしかない。もっと小さなことを楽しめるような虫の眼を手に入れよう。


答えはない。だから、こうやって日々言葉を費やして、自問自答している。

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朝起きて、成田空港へ作品を運んだ。作品はバリ島に送り届けられる。かなり初期から作品を購入してくれている友人が、バリの友人と共同購入してくれた。

 

作品を作ることと販売することは、作家として生きていくうえで、かなり重要な両輪だ。大きな作品を制作するなら、梱包して送り届ける責任がある。仮に欲しいという人が現れたとき、作家はその作品を届けられるかを瞬時に問われる。もし郵送に何万円もかかれば、購入はキャンセルされてしまうかもしれない。

 

アートは、総合競技のようにさえ思える。作品をつくる技術、言葉で説明する話術、お客さんとコミュニケーションする能力、スケジュールやお金の管理能力、いくらでも必要だ。

 

20世紀の芸術家像と21世紀の芸術家像は明らかに違っている。貧乏で、人付き合いが苦手で、けれども作品だけは素晴らしい、とか、こんなタイプは21世紀では生き残れない。でももっと先は分からない。22世紀には開花するかもしれない。

 

答えはない。だから、こうやって日々言葉を費やして、自問自答している。

 

アートを捉えようとすると、逃げられる。スルリと。それでもぼくは、世界を舞台にアートで活動していきたいと思っている。なぜか。あまりに人間という生き物に問題があり過ぎるから。もっといろんな場所のいろんな人生に出会い、人間を知りたい。

 

ぼくがテーマにしているのは「生きること」。アートとは、それぞれの作家が選んだ道を追求する競技だと思う。新しい競技を作ることがアートの意義でもある。これまで見えなかった視点を創造すること。

 

成田空港から帰りは下道で北茨城市まで帰った。高速を使えば2時間、下道で3時間30分。高速に乗れば速いけれど、なんのために急ぐのか。下道を走れば、景色が見える。ぼくは視覚を通してこの世界を覗いている。見たことのある景色より、見たことのない景色の方が圧倒的に多い。

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成田から利根川を越えて、茨城県に入って、北上していくと、霞ヶ浦がある。その太平洋側には、北浦がある。かつて、人は水のある場所に集まって暮らしていた。食べ物が手に入りやすいし、洗濯するにも料理するにも人間の暮らしには欠かせない。

 

でも北浦の周りも霞ヶ浦の周りも、ずいぶんと寂れている。大きな古い家々の間には空き家も目立つ。クルマを停めて景色を眺めた。川があるから、舟で遊びやすい。魚なんかもいるだろう。少し離れたところに舟があるので、近づいて見た。屋根のついた舟。たぶん、遊覧していたんだろう。価値のない遺物として放置されている。この舟が完成したとき、夢がいっぱいあったに違いない。

 

舟は作品のモチーフとして、いつでも候補に挙がっている。基本的には、売れないようなものを作りたい。売るのが目的ではないもの。今は竹で作る舟を想像している。

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それでもアートも競技のひとつだから、何でもやりたい放題な訳でもない。仮に売れないとしても、それ以上の価値を感じられなければやる意味がない。それはシンプルなことで「やらずにはいられない」という衝動でもいい。

 

ああでもない、こうでもない、と考えて硬直するぐらないなら、愚直にやってしまった方がいい。今考えているのは、完全に自然からのみ採取してきたもので作る動物の土器。

今までの作品シリーズを作り活動費を稼ぎながら、新しい作品世界を試みる。原点に回帰する技術の採取シリーズは、普遍的な芸術として開花するはずだ。

ぼくは、こうやって勘違いして自分を信じてここまでやってきた。もう少し、日本という環境下で、原点回帰を続けてみたい。

 

運動すると暖かくなる。冬は労働が適している。だから、家を改修する。

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北茨城市の富士ヶ丘に古民家そのものを作品として制作している。家を作品にするのは、家を中心とした周辺のモノコトにこそ芸術が宿っていると睨んでいるからだ。

 

去年は赤い屋根の母屋をギャラリー兼滞在施設にして、今年は、その裏にある馬小屋を暮らせるぐらいの空間にしようと2019年の作業をスタートさせた。

 

今朝、古民家の集落の人に「明けましておめでとうございます」の挨拶をして回ったついでに、お茶やお菓子などをご馳走してもらい話をしていると

「馬小屋に暮らすのは昔から縁起がいいって言われてんだ」と

教えてくれた。

 

なるほど、キリストも馬小屋で生まれたし、聖徳太子厩戸皇子だったし。馬小屋から始まる新年もいい。

 

寒いから、とにかく身体を動かして、自分で熱を発して生き延びる。これが冬の楽しみ方。冬に暮らしの基礎を作る。これは関東の北限という環境だからできることだ。春が来たら種を蒔いて食べ物を育てる。

 

建物があって、それが使われていないのなら、壁と屋根と床があるのなら、そこは、人間の巣になる。

動物の巣、馬小屋、人間の暮らし。このラインの延長線に何か見えることがあるかもしれない。

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片付けしたら、米俵にする手編みのゴザが見つかった。これを手で編む技術は現在はない。富士が丘で探してみたけれど、現役で編める人はもういない。美しい技術。

馬小屋を掃除しているとタイムスリップする。たぶん、大正時代ぐらいまでは遡ってたと思う今日。

 

これは

生活を芸術にする作品。

何という名前にしようか。

夜明け前

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何かに偶然出会うことが繰り返していく日常を楽しくする。

ぼくの場合は、予定したことより、何かの拍子に出くわすことに興奮する。興奮すると、頭の中で創造のスイッチが働く。

 

1月3日。2019年になったけれど、チフミの実家で、チフミ姉妹の家族とその子供たちと両親と過ごしている。何もしない日々。

 

チフミの実家は長野県の諏訪湖の近くで、せっかく諏訪にいるので、朝6時に起きて、諏訪湖で日の出を拝んで、温泉に行くことにした。

 

諏訪湖の釜口水門に着くと、薄っすらと空がオレンジに色付いていた。
水面に反射した景色が美しい。寒いけれど、風はなくて、湖面はところどころ凍っている。

空はどんどん明るくなっていく。

明るくなるほどに、景色の深さが消えていく。
すっかり日が出ると、それは朝だった。

夜明け前の方がが美しかった。

明けてしまえば、魅力は感じられなかった。

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夕方、チフミとチフミのお姉さんがmont-bellに買い物に行くというので、一緒に行くことにした。欲しいものがあるわけではないけど、なんとなく、山に関する書籍がありそうだな、と狙っていた。

 

お店に行くと、やっぱり本棚があった。mont-bellは出版もしていた。

平積みしてあった「神々の頂ー創作ノート(夢枕獏)」を手に取ってページをめくった。

 

年末に入院している友達の差し入れに神々の頂のマンガを買って行こうと思って結局、お見舞いに行けてないのだけれど、そのときから、もう一度、読みたいと思っていた。で、その傑作は、どうやって書かれたんだろうか。

 

その話が書かれるまで20年もの月日が経っていた。

そこにはルネドマールの「類推の山」宮沢賢治の詩が引用されていた。

 

夢枕獏さんの文章は、とても読みやすい。
今年も本を書きたいと思っているので、参考書にと買って帰った。

 

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人とは、常に、どこかからどこかへ向かって歩いているものだ。
そして、死は、必ずその途上でその人の上に訪れる。
ひとつの頂を踏んだからといって、ひとつの場所にたどりついたからといって、その人の旅はそれで終わるものではない。
いやでも、到達した場所から次の一歩を踏み出さねばならない。

たぶん、真に必要なのは、頂を踏むというそのことではない。
今、どういう頂を目指して歩いているのか、そのことこそが重要なのだと思う。

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ぼくは、この文章に触れて、2019年の一歩を踏み出すような気持ちになれた。

 

日の出を見ることが目的ではなく

その過程にこそ美しさがある。

 

今年は「夜明け前」

をテーマに取り組んでみたい。

なんのことか、まだはっきり掴めないでいるけれど、その感覚こそが、旅の途中なんだと思う。