いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

生活芸術日記2022.0429

妻の実家、長野県岡谷市で朝起きた。昨日、北茨城市から移動した疲れが残っている。明日は6月のライブに向けたバンドのリハーサル。今日はその準備をした。東京のリハに向かうときのイアフォンを忘れたので岡谷のショッピングセンターに買いにいった。電気屋は10時からで閉まっていたので本屋に寄った。欲しい本は一冊もなかった。昨日大学時代の先生が新入生に向けてブックリストを上げていて、そこから読みたい本をリストアップしてあった。読みたい本はあるけれど小さな書店には売っていなかった。ここに大きな捻れみたいなものがある。捻くれ者ってことなのか。


読みたい本

ドゥルーズコレクション1 哲学

ドゥルーズコレクション2 権力と芸術

気流の鳴る音

永遠平和のために

野生哲学

まつろわぬ者たちの祭り

動物を追う。ゆえにわたしは動物である

 

午後は曲の構成を確認しながら歌詞を覚えた。自分で書いた詩を身体にインストールする。考えなくても出てくるまで繰り返す。ぼくは詩人でもある。コトバを使う。売れたりヒットもしてないけれど何かを書き続けている。

 

今朝、妻が温泉に行きたいかも、と言っていたので、日が暮れる前にどうするか質問したら、返事は「疲れているから行かない」だった。

おかげで夕方までバンドのリハーサルに時間を使えた。夜はエリック・ホッファーの本を読んだ。彼の日記を読んで、改めて日記を書くことにした。先生のブックリストを眺めて改めて文章を書く冒険を続けたくなった。