北茨城市の古民家の改修をしている。茅葺き屋根をトタンで覆っていて、屋根裏は、かつて火を熾して暮らしていた煤で真っ黒になっている。この屋根裏をロフト兼、吹き抜けの天井にしようとしている。
家は、ほんとうに不思議な出来事を起こす。この家を改修する少し前に知り合ったナガノさんは、まるで家が引き寄せたように、いま一緒に作業している。いつだって古い家は、生きようとしている。
屋根裏で作業していると、矢のようなカタチをした梁が結び付けられていた。紐も緩んでいたので、はずして明るい場所で観察してみたけど、何やら祈りの気配がしたので大切に保管することにした。
屋根裏を改修する材料を家の裏の竹を使うことにした。かつての家づくりは、周辺環境から材料を採取していた。100年前、50年前の日本人のライフスタイルから、学ぶことがたくさんある。彼らは、自然を駆使してあらゆるモノをつくり出していた。まるで、遠い国の知らない民族のようだ。ぼくは、彼らに会いたい。
家の裏の竹を切っていると、この家の持ち主だったアリガさんが現れて、竹の切り方を教えてくれた。ぼくがヒィヒィ言ってた作業を鉈で瞬殺した。アリガさんは、この家で育ったから、何でも知っている。アリガさんが現れると、古民家にあるモノに意味が生まれ、すべてが蘇る。屋根裏でみつけた矢は、建前の儀式で使ったものだと教えてくれた。100年より、もっと前のモノらしい。
ぼくは、日本に生まれ育ったのだけれど、日本のことを何も知らなかった。海外に出て、それを痛感した。外国人は、日本に暮らしているぼくらよりも、ずっと日本のことを知っている。それは、世界に誇ることができる日本のよい側面。つまり魅力。けれども、内側からは、それが見えにくい。人は、自分よりも他人のことの方がよく分かるらしい。
かつての日本人の暮らしは厳しかった。だから、新しい暮らしに憧れて、都市へと人は流れた。しかし、都市が成熟した今、ぼくは地方に魅力を感じる。自然も時間もたくさんあるし、何より余白がある。もちろん、ぼくが外から見ているから、よく見えるだけかもしれないけれども、北茨城市も古民家のある楊枝方も、楽しい発見ばかりだ。勘違いは、人を前向きにする魔法でもある。もし友達が勘違いをしているなら、背中を押して気づかないままに、もっと先へと送り出してほしい。
遠くに行かなくても、ぼくたちは旅をすることができる。20世紀を代表する小説「失われた時を求めて」の作者、マルセル・プルーストは、こう言っている。
真の発見の旅とは、
新しい景色を探すことではない。
新しい目で見ることだ。
The real voyage of discovery consists
not in seeking new landscapes,
but in having new eyes
新しい目は、自分が持っているのではなく、出会った人や、何てことない小さなモノを通して広がる世界。旅をしている気持ちさえあれば見えてくる。おかげで、ぼくは、近くの遠い日常を冒険している。
生きるための芸術
檻之汰鷲(おりのたわし)