いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

お金も家も仕事も幸せハッピーに生きるための道具でしかない。

昨日、テレビ神奈川の番組に出演してたくさん話したのだけれど、それでも言い足りないことがある。だからここに書いておく。
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ぼくは嫁と2人でアーティスト檻之汰鷲(おりのたわし)になる。嫁と夫。女と男。男は女を必要とし、女もまた然り。夫婦として共に暮らしても、別々に仕事をしていれば、共にする時間は想像以上に短い。たぶん、会社の上司や同僚の方が一緒にいる時間が長い。だったら、その一度限りの人生を、愛する人とできるだけ一緒にいてみよう。そして、できるだけ幸せな人生をつくってみたい。

名前の由来は「檻のように閉じられた社会から、アートのチカラで大空を羽ばたく鷲のように自由になる」

人は瞬間毎に選択をしている。どんな場所に、どんな家に、どんな仕事をして、どんな人と。何をして、何をしないのか。意識するにせよ、しないにせよ。現代は、情報がいくらでも手に入るから、少し先の未来、ずっと昔の人類が歩き始めた頃まで、簡単に見渡すことができる。ぼくたちは「生活」をいろんな場所につくることができる。競争するのでもなく、誰かと比較するのでもなければ、それぞれのやり方で、それぞれの豊かさや幸せのカタチをつくることができる時代になった。

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 競争する社会は、ピラミッド型に尖っていく。競わなければ頂上は獲れない。時に競争するのも悪いことではない。進歩や進化をもたらすこともある。けれども、幸せハッピーを目的にするなら、それ以外の道もたくさんある。もっともっと生活可能領域は広がる。貨幣価値を失なった家は、空き家として放置されているから、その家でよければゼロ円で雨風をしのぐこともできる。地方にいけばたくさん土地が余っているから、大地を耕せば自然は、食べ物を与えてくれる。価値を失ったモノコトも見方を変えれば資源になる。お金を使うこともできるし、採取することもできる。つまり、消費もできれば生産もできる。

競争に適しているひともいれば、それが向いてない人もいる。都市生活が好きな人も自然が好きな人もいる。お金も家も仕事も、ぼくたちが幸せハッピーに生きるための道具でしかない。何よりも自分が自分らしく表現できない環境にいる必要はない。ぼくたちは、瞬間毎に選びながら人生をつくっている。すべてのひとが表現者であり芸術家だ。ぼくたちは、社会と自然、社会人と原始人の間に、もっと自由にバラエティー豊かなライフスタイルをつくることができる。少しの勇気を持って自分が自分を信じれば、大丈夫。