いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

2014年からの人生のあらすじ。命を守る家のつくり方

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家主と空き家との出会い2014
ぼくたちがDr.Kevinに出会ったのは、2014年の夏だった。Kevinは、愛知県津島市に築80年の長屋群を相続して困っていた。300坪の敷地に4棟の家が並び、そのどれも古くなっている。2世帯の家族が住んでいるので、Kevinは、彼らの生活を守りながら。その場所を活用する方法を模索していた。

空き家が余っているなら、安い家賃で借りて直しながら住みたい、と思っていたぼくら夫婦にとってKevinの悩みは、宝の山のように映った。

Kevinの最大の願いは、この場所の建物を譲渡すること。ここは、お寺の敷地に建物があるいわゆる借地。なので、最期は、更地にして返さなければならなかった。つまり、この家は未来に産業廃棄物になることが約束されていた。
すべての建物が、朽ち果てることを顧みないまま建て続けられている。その建築という所業自体を問い直さなければ、それどころか、人間の生き方そのものをつくり変えなければ、解決しない問題がここにあり、ぼくはソレを掘り起こしてしまった。

移住の中止、狂った嫁
2014年の秋にNPOと共に空村プロジェクトを立ち上げ、2015年の春に移住して、いよいよスタートする矢先にプロジェクトは中止になってしまった。原因は、簡単に言えば、プロジェクトが家主と信頼関係を築けなかったことだった。

仕事も生活もすべてをプロジェクトに賭けていたぼくら夫婦は、行き場を失なってしまった。表面的には、いろんな人に支えられて、東京で生活をしながら、空き家を活用したいと想い続けていた。

ところが、精神的なダメージが大き過ぎて妻のチフミが壊れてしまった。自分に自信が持てなくなり、些細なことで不安の底なし沼に嵌り出れなくなった。沼に嵌ると、生きる気力がなくなり自殺願望が溢れてくる。
「死にたい」と言って泣崩れる日もあった。幸せにすると約束して結婚したのに、ほんとうに申し訳なかった。

起きてしまったことは、どうしようもなく、ぼくらはすべてを賭けて生きる道を選択したのだから、引き返す道もなく、すべてを受け入れて生活するしかなかった。

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家は生きている「古家採取活生計画」
しかし、僅かな望みがあった。津島市に空き家を持つ人が、自分の家を活用しないか、と申し出てくれていた。サイボウズという企業がフューチャーセッションとして社会を変えるチームの創出をテーマにプロジェクトを行い、そこに参加していた。また、Dr.Kevinとの交流も続いていた。空き家という社会問題に立ち向かうなら、自分が出会った最初のひとつさえ解決できないのに、この先何ができるのか、という想いがあった。

津島市で空き家を提供してくれた友人であり現代アートも手掛けるH氏の家を再生するために、掃除と庭掃除からスタートしてみると、家が生きていることに気がついてしまった。

28歳のとき交通事故で、背中にボルトを入れたとき、破壊した自然のうえに成り立つ都市のように感じ、自分の身体と地球がシンクロした。同じように、家からも命を感じた。
つまり、築年数は、そのまま家が生きてきた年齢だった。だとすれば、築80年の家からは、80年前の暮らし方を採取することができる。
この発想から、サイボウズが主催するフューチャーセッションズで「古家採取活生計画」を立ち上げた。そこで岐阜の築100年の古民家の所有者と出会った。

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生活芸術のススメ
こうして3件の家と出会い、調査するうちに、自分が現代社会のなかで奪われているモノコトに気がついた。それは「生活」だった。

わたしたちは自然から与えられる生活をすべて商品に変えてしまった。都市で暮らすことは、水さえ、ほとんど自然から直接、享受しない。代わりに、わたしたちは、労働して貨幣を手に入れ、生活に必要な物事を消費する。だから、わたしたちは自然の偉大さや恩恵に感謝することなく生きてしまう。

そうした気づきのおかげか、築80年の長屋群の家主であるDr.Kevinとも、波長が合うようになり、消費を飛び越えて、DIYの向こう側を冒険する仲間になった。

DIYとは野性の思考
何かをするときに必要なモノやコトがある。そのニーズを自ら満たすことがDIYの基本。つまり、何かをするために必要になったモノやコトを消費して済ますのではなく、アイディア工夫、身の回りにあるもので代用する。これを「ブリコラージュ生活」と名付けた。

ブリコラージュは「寄せ集めて自分でつくる」という意味で、設計理論で組み立てるエンジニアとは対照的なもので、そこで手に入るモノで試行錯誤して新しいモノをつくる。
文化人類学者のレヴィストロースは、近代社会によってつくられた技術者の栽培された思考に対して人類が古くから持っているブリコラージュ的な手法を「野性の思考」と名付けた。

つまり生活に必要なあれこれを身の回りのモノやコトから作り出す、DIYかつ野性的で自然に適ったライフスタイルを「ブリコラージュ生活」と呼んでいる。「less is more=足るを知る」それが基本だ。

命を守る家のつくり方
例えば、Dr.Kevinは、ほとんどの人が諦めてお金を支払い専門家に委ねる耐震についても、自分たちで、その方法を開発しようと言った。

その成果が「トレスパシオ」だ。実力は未知数ながら「地震が来ても大丈夫だ。」というひとつの確信が湧いてきた。なぜなら自分で充分と感じるほど頑丈に施工をしたからだ。誰かに託せば、その答えはその誰かしか分からない。しかし自分でやれば、それほどはっきりしたことはない。

つまり、自分の命は、自分で守り、自分の生活を自分でつくれば何にも依存しない独立独歩な人生が始まる。

依存しないと言ってもひとりで生きる訳ではなく、、周りの人間と支え合いながら、小さな生活圏を豊かにしていく。これこそ「古家採取活生」で、家の構造から生き方のヒントを得た。木造建築は全体で家を支えている。来るべき未来に備えた生き方のモデルケースを生活芸術として表現していく。それがぼくにとっての芸術活動だ。

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ぼくは、このような人間で、
嫁と2人で生き方を芸術として表現している。
ぼくは、ここにいる。
これまでのまでの
あらすじを語り自己紹介しつつ、
2016年もよろしくお願い致します。

日々の仔細なモノコトを採取して、
人生をつくりながらその物語を編む。
それが生きるための芸術の記録。

観客席から立ち上がり、
批判や傍観をやめれば、
驚きに満ちた奇跡のシアターが始まる。

生きろ!

夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/