いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

自分が興味あることに向かって動けば、それは必ず答えてくれる。

93年続いた嫁の実家の銭湯が解体されるとのことで岡谷市へ来た。銭湯の解体は材を取るために手作業でやっている。主な道具はバール。窓などは既に外されていた。

長い歴史がある銭湯には、別れを惜しむ人が訪れてくる。81歳の通称タケちゃは、一族の記憶を写真を眺めながら語ってくれた。嫁の実家は岡山市の真ん中にあるので、製糸工業で栄えた当時は裕福だったらしい。写真の量がそれを物語る。

お昼ご飯を食べながら、解体作業を眺めていたタケちゃが思い出したように話した。「小学校1年のときに爺さんに連れられて、近所の家を解体したよ。屋根の端に穴を開けてロープを掛けて、近所のひとを集めてみんなで引っ張って、ドーンと。あっと言う間だったよ。廃材はみんな燃やしちゃうから、なんの苦労もなかったけどなあ。今じゃ、壊すにお金がかかり、捨てるにもお金がかかり、そのお金で家が建っちまうな。」

記憶を掘り起こして語る姿をみながら、人間の現実は過去の積み重ねばかりなんだ、と直感した。自分のなかに過去よりも未来の比率を高くすれば、圧倒的に合理的な生き方ができると閃いた。

チフミの母の兄が現れた。母の兄は茅野で農業をやり、動物を狩っている。飛ぶ皿を撃ち落とすライフルの選手でもある。先日、猟犬が山の奥まで鹿を追って行方がわからなくなってしまったが、暫くすると国道で鹿を仕留めていた、と誇らし気に武勇伝を語ってくれた。

銃の世界にも道があって、趣味をこじらせると大変だと教えてくれた。銃も5万から300万円で、射撃場にいくと、自慢大会で厭んなるよ、恥ずかしいよ、立派な銃じゃないからさ。置いてある銃に技術は関係ないからな。でも撃てば負けないさ。と語った。昼飯のあと、解体の現場にいき、チフミの母の兄は、トラックに解体したアルミサッシの2重窓と窓枠を積み込み始めた。廃材で自分の小屋をつくっているらしい。聞くと「貧乏人はこうやって余ったモノを使うだよ。」

誰かにとっては不用な品が誰かにとって有用な品になる。簡単に言えばリサイクルだが、もっと削ぎ落としたサバイバルな感覚で、追究してみたい。「もしかしたら使う」かもという曖昧さ切り捨てて、「いまこれが必要」という考え方で拾っていく取捨選択の仕方。3月末のトークイベントでインタビューした坂爪圭吾くんが教えてくれた。

とりあえず、ぼくら夫婦は作品をつくるウッドパネルの材料を廃材の山から採取した。

夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/

生きる芸術のための生活者
石渡のりお
norioishiwata@gmail.com