いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

生活のリズム

暮らしにはリズムがある。何時に起きて何を仕事として、何時に食事をして何時に好きなことをして、何時に寝るのか。いつも「何時」に支配されている。「何時」とは時間のことだ。

 

かなり前に(もう10年以上前に)「時間を生かす」という本を拾った。ここには時間について、どう時間をコントロールすれば良いのか書いてある。つまり時間を良きパートナーにする方法が書いてある。

ここ数ヶ月は、廃墟の改修をしていて、いまはコンクリートの土間打ちをしていて、仕事はまさに土木作業で、肉体の消耗が激しくて、夜は疲れてダラけてしまう。ぼくの心に刻まれている座右の銘は「怠けない」。ぼくの祖父の家にお世話になったことがある小笠原さんという方が教えてくれた言葉。きっと人それぞれに、そういう言葉があるはずだ。それを作品にしようと考えている。

 

話が逸れた。「怠けない」ためには時間をコントロールする必要がある。改修仕事の後に予定を残さないことだ。そのために今日は朝5時に起きた。起きてメールを整理して返信した。そして、これを書いている。

現代では「人間」がどんどん破壊されている。だから、ぼくは人間とは何かを追求している。人間とはなぜ生きるのか。生きるとは何か。究極のところ、芸術に関係しなくてもいい。芸術もどんどん、その意味を狭めている。今読んでいるハイデガーの本には言葉の意味が時代によって変遷していく様が描かれていた。「芸術」も広義の意味と狭義の意味があって、ぼく自身は広く音楽、文学、絵画、彫刻、建築、農業と学んでいきたい。

 

けれども、ぼく自身に欠陥があって、学習能力が低い。子供の頃、火が熱いといくら注意をしても、結局ストーブを触って火傷するまで理解できなかったそうで、今でも同じだ。だから、なんでもやってみるしかない。

 

生きていくために必要なものは、水、食料、おカネ、家、服。あと何だろうか。あと哲学が必要だと思う。もしくは宗教。ぼく自身は無宗教だけれど、信仰がある人には道徳がある。人間として、こうあるべきだという芯がある。ムスリムは一日5回お祈りをする。それだけ真剣に何かに向き合うことができれば、ぼくたちはもっといろんなことができる。

 

本は好きで、隙をみつけては、あれこれ読んでいる。なかでも最近はトルストイの民話にハマっている。「文読む月日」という本には古今東西の名言が365日に並べられていて圧巻だ。夜風呂に入りながら読んでいる。

 

例えば

二人の兄弟がいた。ひとりは王様に仕え、ひとりは額に汗を流して働いていた。あるとき富裕な兄が貧乏な弟に向かって言った。

「どうしてお前は王様に仕えないのだ?そうすれば苦しい労働から逃れられるのに」

それに対して貧乏な弟が言った。

「どうしてお兄さんは、卑屈な隷属の境遇から逃れようと努力しないのですか?むかしから賢者は言っていますよ。黄金の帯を締めて他人の奴僕になるよりは、自分の勤労によって得たパンを安心して食べる方がよいし、自分が奴隷であるしるしに両手を胸の上に置くよりも、それを使って石灰や泥を捏ねるほうがよいし、奴隷のように背中をかがめるよりも、一片のパンで満足する方がよい、と」

 

またこの数行後に

額に汗を流して働く生活の方が怠惰な生活よりも尊いと確信し、自らその信念に従って生き、またそのように生きる人々を高く評価する人々にとって、生きることは実に楽しい。

と書いてある。

 

ただぼくは真っ直ぐに生きてみたい。けれども、それは難しいと言う。もしくは、そんなことを考える必要はないと言う。それより「ちゃんと働きなさい」と言われる。働くとは何だろうか。ぼくはそう考えてしまう。だから自分なりに全力でやってみるしかない。問題は、何もしようとしてない自分に気がつくかどうか。

 

ぼくは自然と芸術の間に隠れている人間の美しさを生活のなかに発見したいと思っている。それは都会ではできない。だから、いま暮らしている北茨城市に魅力を感じているし、いま改修している廃墟のある環境を開拓する意義がある。それらすべては、おカネにならない行為だけれど、その行為が価値を生み出して、ぼくはおかげで生きていけると信じている。自分のすることを信じて、その道を進むことも信仰のひとつだと思う。

 


いずれ誰もが死ぬのだから、「死」ということにも慣れて親しんだ方がいい。ただ恐れるのではなく、その日が来るのを喜びとして。死の側から見れば、今日も生きている。フランス文学で知られるセリーヌは「一日減って一日増えた」と書いている。つまり、生きられる残りが一日減って、生きた時間が一日増えた。

 

朝5時に起きたら、こんな文章が出てきた。今日も一日働こう。そして少しずつ前に進む。ぼくのアートが表現がカタチになる日に向かって。

 

 

 

パンク生活ヒップホップ役立たずの芸術に救われる。

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先週末にライブをやってから、エネルギーがゼロになって、けれどもなんとか日々を過ごしていたところ、水曜日にトークイベントで東京と北茨城を日帰りしたら風邪を引いてしまった。おまけに週末は北茨城市でのイベントでアーチの製作を依頼されていたので、金土日なんとか寝込まないでやり遂げた。月曜日ようやく回復して文章を書く余裕ができた。

こうして文章を書くのは、流されないためにやっている。自分という人間が何をしようとしているのか確認するために書いている。書かないと何をしようとしていたのか忘れてしまう。とても大切なことを思い付いたけど、あれ何だったっけ。となって、ネットを見てるうちに忘れる。微かにでも思い出せればまだしも、すっかり忘れて毎日過ぎていく世の中に流されて漂流してしまう。世の中には情報が決壊して濁流のように溢れているから、どんどん低いところに流されていく。溢れている情報のほとんどが、どうでもいいことだったりするから溺れてしまう。だから、どうでもいいことの波に流されて大切なことを忘れないようにこれを書いている。

 

大切なものは何か

よくよく考え求め

風に聞き

道歩き

やっぱりこれだった

幸せだ

ハッピーだ

それこそが

人生

 

ここ数日は、ライブをやったことを文章にしようと書いていたのだけれど、どうも気に入らなくて放置している。数行前に書いてある言葉の列は歌詞だ。

 

自分の「音楽」には未だ言葉を費やすことができない。位置が定まらない。やっている音楽は仕事ではないから趣味なんだろうけど、それよりもっと気持ちが入っている。そもそも仕事と趣味の区別もよく分からない。おカネを得れば仕事で、おカネにならなければ趣味なんだろうか。決してそんなことはなくて、クライミングや登山、サーフィンをやってる友達は、おカネにならなくても人生を賭けてそれを楽しんでいる。

 

自分のしていることが社会的な枠から離はみ出していく。したいと思うことをそのまま素直にやるほど、カテゴリーできないものになっていく。つまりそれがやりたいことなんだと思う。人がやってないこと、考えていないことをカタチにしたい。まったく新しくなかったとしても、自分にとっての新しい視点を発見したい。

例えば、ぼくにとっての音楽は「エネルギーとメッセージ」だ。パンクロック、ヒップホップを聴いて育ったぼくにとってジャンルやカテゴリーは必要ない。そもそもヒップホップもパンクもジャンルではなかった。何もないから代替として発生したエネルギーが爆発したからこその遊びだった。

ぼくにとっての音楽は聴くだけでなく、踊るということも音楽と戯れる手段のひとつだった。「踊ること」「エネルギー」「メッセージ」これがぼくにとっての音楽の要素になった。それは音楽が好きで、音に触れようと追いかけるうちに見つかった要素だった。それを追求して表現しているNOINONEというバンドは、まったく新しいモノではないけれど、初めてライブを観た人は「これは何ていう音楽なんですか?」と質問してくれる。

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これはアートに対しても同じ姿勢だ。「生活することがアートだ」と宣言するのも「生きること」「表現すること」がぼくにとってのアートの最小公約要素だからだ。

「生活をアートにしよう」というスローガンは、とても真っ当なテーマだと思う。永遠に。ぼくたちが自分の生活に責任を持って、ひとつひとつのモノに対して、それがどこからやってきて、何処へいくのか、その循環に注目して取捨選択をすれば、社会はまったく違うモノになる。

だから今向き合っているのはゴミだ。役に立たないモノ。そもそもパンクロックやヒップホップは、ゴミのような状況から生まれた音楽だ。イギリスで長く続いた不況、アメリカのアフリカにルーツを持つ人々が暮らす地域の貧困、どうしようもない、やり場のない環境から湧き出したエネルギーが、パンクとヒップホップという現象を創り出した。

 

日本では、都市への人口流入が続き、地方では過疎が起きている。一方で、日本の経済は成長に限界が来ていて、それでもまだ成長させようとしている。けれど、それはほんとうの豊かさではない。では豊かさとは何か。

もうお腹いっぱいなのに、美味しいご馳走だからと食べ続ければ、それはご馳走ではなくなる。あまりにモノが溢れると、あれがないから出来ないと考えてしまう。けれどなければ、あるもので何ができるのかやってみるしかない。どちらが自由だろうか。

【ぼくたちひとりひとりが、快適な生活環境を手にすること】

ぼくは、これをアートを通じて表現したいと考えている。おカネも必要だけれど、それよりも大切なものがある。湧き出してくるエネルギーそれを表現した先に、その向こう側に社会が受け入れざるを得ない喫水線がある。エネルギーが溢れて決壊してしまうような境界線がある。

そもそも特別な人だけが表現できるんじゃない。子供は誰でも表現者だ。パンクロックは3コード弾ければ、もうステージに立った。ヒップホップは何もいらない。ステージもいらなかった。言葉を並べてメッセージし、ストリートで踊った。

ぼくは、ヒップホップやパンクのように「生活」を爆発させてみせたい。誰にでもできるライフスタイルの革命を提案したい。何よりまず、自分がそれを実践して楽しむことだ。そう思ってコツコツやってると、また社会から離れていく。仕方ない。人と違うことがしたいのだから。生き延びて表現し続けようと思う。こうやって自分と作戦会議する。それは何よりも大切な仕事だ。自分が自分を信じて自分を作る。

 

"Space is the place" 人間を活かす空間は場所であり、純粋な空間こそが余白であり宇宙が生まれる。

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この4カ月ほど取り組んできた廃墟の再生、いよいよ「倉庫」の屋根が完成した。建物の中に溢れてるゴミをひたすら捨てて、空が見えるほど崩壊した屋根を修理して。

ここは200坪の巨大な廃棄物だった。けれども「土地」ではある。人間は土地を巡って、大きなレベルでは戦争までするのに、都市では何千何億というおカネを費やすのに、田舎には土地が放棄されている。(放棄されてるとは言え、誰かのものだけど)

この廃墟は作品。アートワーク。arth work.その土地に根差した作品。「D-HOUSE」と名付けた。DはDisaster。つまり災害の家。何かの災害から復興するようなこの家。トイレも水もないけれど、そこに暮らしを作る試み。

ぼくたちに必要なのは、市場経済が膨らませた付加価値じゃなくて、もっと根源的な動物的な何か。それはなんだろう?

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"Space is the place"は、ジャズミュージシャンのSun Raの曲で、1974年には映像作品として発表されてて、Sun Raは、独自の哲学を持っていて、未知の音楽を探求した。メンバーにはこう言った。

「お前が知っている音楽は聴きたくない。俺が聴きたいのは、お前が知らない音楽だ。お前の意識、スピリット、考えを聴かせてくれ」と。廃墟を再生して、場所を作っているとき、急にこの曲のことを思い出した。

「場所」ということについても。ヒップホップでは、"In the place to be"というフレーズがあって「今いるべき場所」と訳されている。

身近な言葉に置き換えれば「居場所」。居場所があるのは、何らかの理由でいる空間が与えられたからで、学校や職場、友達とのコミュニティー、そこには場所があり空間がある。まさにSpace is the place.それがある。ぼくらは居場所があるから安心して暮らせる。Sun Raのメッセージは、その裏返しで、社会に居場所がない人たちのことを想起させる。だからこそ、Space is the placeの有難さ。唯一無二。本来、比較するようなモノじゃない。

市場経済は、付加価値に優劣やランク付けをして、良いものと悪いものに分類する。当然、ぼくらの居場所も、ランク付けされる。住んでいる場所、仕事、学校、そして付加価値が付かない場所は、存在すらしないことになって、誰も興味を失っていく。果たして、市場経済が切り捨てていく「場所/領域」には価値がないのだろうか?

 

ぼくが表現したいのは、あらかじめ用意された場所にではなく、Sun Raのように未だ知らないモノ。それはどこにあるのか?芸術やアートとして語られる場所でもなければ、美術館やギャラリーでもない。ぼくには市場経済が作り出す付加価値の外にあると思える。それこそが"Space is the place"だ。価値がなく、評価の対象にすらならない、ということは純粋なモノ、純粋な場所として存在している。「良くない」「悪い」というレッテルを剥がして、はじめて、そのモノと向き合うことができる。

檻之汰鷲(おりのたわし)の新作「D-HOUSE」は、価値のない土地、むしろマイナスの廃墟、巨大な産業廃棄物の山(=何かの災害による瓦礫の山)から居場所をつくる、アートインスタレーション。まさに美術館やギャラリーではなく、誰も行かないような限界集落に展開している。

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When I create new art works,I remeber music. Because I love music. especialy, punk hiphop rock soul R&B jazz electronic...

This time I remebered Sun Ra's song"Space is the place".

I wonder people need place but they don't care about country side. In Japan If I drive a car by two hours,I can find Abandoned lands. But there are someone's land... Anyway we can find huge place easily.

 

Market economy distinguish good or bad,superior or inferior. therefore it distinguish our place,our school,our company,our land,our country.

Sun Ra's song tells me about no place and space people. When bad things or inferior things were lost values,they lost place and space for existence.

Originaly,our place for existence which is not disthingush.

 

So I would like to express about place. So I revive Abandoned lands of country side. What is the place? What is the space? If there is no value,What is for? Don't forget Space is the place for living. the land is earth.

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作品構想「D-HOUSE(災害の家)」

昼過ぎから雨が降ってきて、午後は施設の芸術による活性化についての会議があって、チフミにクルマで送ってもらい、終わって夕方、パソコンをアトリエに忘れたことを思い出して、迎えに来てくれたチフミと山のアトリエに戻った。

強い雨が降り続けて、北茨城市のお隣のいわき市の川が次々に氾濫して携帯の警報は鳴りっぱなしだった。山の方へ向かう道の途中は、ところどころ冠水してたので、もう家に帰るのはやめて、アトリエに泊まることにした。

18時頃に着いて、締め切り直前のデザインの入稿作業をしていると、窓の外を見たチフミが騒ぎ始めた。

「家のすぐ前まで水が来てる!」

土間をギャラリーにしたスペースは、ほとんど地面レベルなので、水が入ってくるのは時間の問題だった。チフミは「わたし地面を掘ってくる!」と家の外に飛び出して行った。

ぼくは19時までに入稿しなければならないので、チフミを早く助けに行かなきゃ、と思いながら、データを仕上げてアップロードして、とやっていると、こんなときに限ってパソコンの動作が遅くなって、焦ってさらに手間取っしまった。データを送ってすぐ、着替えがないからズボンを脱いで裸にパンツでカッパの上着を来て、外に飛び出した。

アトリエの敷地の前は川のようになっていた。下へ流れる水と、アトリエの方に流れてくる水と二手に分かれていた。水は山から流れ落ちてきて、道路の側溝はすでに土砂で埋まって収まり切らずに溢れてどんどん低い方へと流れていく。チフミは、スコップやツルハシで溝を掘って建物の周りの水を迂回させようとしている。

とにかくアトリエの敷地に流れてくる水を塞ごうと思い、いつもベンチにしている椅子を堤防にしようとしたら、水の流れに動かされて浮いてしまうので、石と丸太を積み上げて動かないようにした。建物の方に流れ込む水が減ったおかげで、床下浸水までの時間を伸ばせそうだった。雨は弱まる気配はないけれど、携帯の雨雲レーダーによれば深夜12時ころには、雨も止むようなので、あとは天運に任せることにした。

台風19号のときは、北茨城市にいなかったので、状況が分からなかったけど、なるほど水害は恐ろしい。まだ10月で寒さもないから、対応できたけれど、冬だったらほんと恐ろしい。それでも、水の流れを見たおかげで、アトリエがどんな地形にあるのかを知れた。

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翌朝は、快晴だった。結局、被害はなく済んだ。パソコンを取りに戻らなかったら、土間のギャラリーは浸水していた、危なかった、と思いながら、ぼくは積み上げた椅子の堤防を片付けて、チフミは建物のいろんな場所をチェックして、水が溜まっているところの土を掻いて水を流した。

ここは、まだ地面が土だから改良する余地がある。もしコンクリートアスファルトだったら、もう手の施しようがない。木や石も転がってたからそれも使えた。

アトリエはなんとか大丈夫だったので、改修している住居と倉庫を見に行くことにした。倉庫は屋根を掛けている途中で、新しくした柱や梁が濡れてしまった。まあ、何十年も放置された廃墟だから、今さらではあるけれど。

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ちょうど、いま、ドイツの哲学者ハイデガーの「建てること、住まうこと、考えること」という講演の本を読んでいて、水害を体験したこととこの本に書かれている言葉が思考をさらに深くしてくれた。

この本は「何のために家を建てて、そこに住むのか」について徹底的に考え抜いている。つまり「建てる」「住む」ということの本質を追求している。理解するためのポイントは「本質」だ。

家は水害に遭うかもしれないし、地震や台風や火災もあるかもしれない。けれども、家を買うときは、悪いことより楽しいことや便利なことに気がとられる。あまりに商品価値的な情報に振り回されて「家」というモノについて、それが何なのか見えなくなっているとも言える。立地とか価格とか、機能とか、便利さとか。けれども、それらは「家」ではなくて、状況に応じて追加されたり、されなかったりする付加価値でしかない。

銀座にあろうが、ニューヨークにあろうが、北茨城市にあろうが駅から何分だろうが、「家」は家なのに、そうやって付加価値情報に振り回されていると、家は肝心なときに役に立たないどころか、人生を台無しにする家になってしまうこともある。

今はまだ水害に完全対応した「家」なんて販売してないし、そんな家電もまだ売っていない。けれども、水害が頻繁に起これば、そういう商品が出回るようになる。きっと。「ノアの家」とか。でも、それもやっぱり付加価値情報に過ぎなくて、いつ来るか分からない水害に対して、シェルターや船みたいな高額な建物を購入して安心したところで、それでもやっぱり「家」の本質に触れることはできない。

「本質」が見えるのは価値がなくなったときだ。人間の欲が塗り込まれたあらゆる価値が剥がれ落ちて、単なるモノになったとき、その空虚なところにモノの本質が現れる。人間もそうだ。服だったり化粧だったり、中身を偽ってフリをしたり我慢をしたり、そういう余所行きの演技をやめたとき本当の人格が現れる。

では家の本質は何か。それこそ、ただのハコだ。屋根があって、壁があって、床があって。家なのはそれらの囲いではなく、そのなかにある空間だ。屋根と壁と床がくっついていては家にならない。けれども空間にモノが詰まっていて隙間がなくても一応は家とされる。とにかく空間があることが家の条件だ。そこに人が暮らすことも家の条件だ。住んでいなくても暮らす目的で建てられたモノが家になる。

いま改修している廃墟は「家」ではなかった。住宅展示場から廃棄される鉄骨の住宅の一部分が、港に運ばれて漁師の倉庫として使われた。その役目も終わり、山の集落に引き取られた。工務店の倉庫の横に設置され、暮らせるように改造が試みられた。ところが、工務店は倒産して、解体や施工をしていた工務店の資材が山に積まれたまま、この場所は放置されてきた。30年以上。

この場所にあるモノたちには付加価値情報がない。価値がないから、モノというよりゴミだ。この「モノが変質していく存在価値のグラデーション」という現象に気がついた。

①買ってきたときは新品の何か利用価値があるモノ。

②使っているうちに飽きてしまったり損なわれたりしたモノ。

③いよいよ役に立たなくなったモノ。

この3つはすべて同じモノだ。モノは最終的に廃棄物となる。手に入れるときは苦労して、手に入れたときは嬉しかったとしても、廃棄物にならないモノはない。つまり水に流されてしまったら、すべて廃棄物=ゴミになってしまう。

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廃墟にはテレビが5台放置してあって、年代物のブラウン管で、もちろん壊れている。素晴らしい廃棄物のサンプルだ。これを捨てるにはお金がかかる。サイズによるけれど、3000円とか5000円とか。チフミが市の清掃センターに問い合わせたら、電気屋でも有料のリサイクルで引き取ってくれる、と教えてれ、某電気量販店にチフミが問い合わせると、面倒臭そうに対応された。とりあえず、テレビ4台をクルマに積んで持ち込むと、店頭でも「4台もですか、、」明らかに嫌そうにしている。チフミが「4台も持ってきて迷惑でしたか?」と聞くと「そんなことはないですよ、、」と言いながら、リサイクルの手数料も取ってないし、電気量販店で引き取るメリットがないと説明した。たぶん、量販店がメーカーに持ち込んでも同じ対応なんだろう。リサイクルの思想ではなく受け取りたくない気持ちだけが循環している。

想像して欲しい。例えば、台風や地震で、家が壊れたとして、どれだけの持ちモノがゴミになるだろうか。テレビ4台どころの話じゃない。家屋の材料の多くは、捨てることができないものばかりだ。捨てらないモノは、埋め立てられる。ぼくらが暮らしているこの大地のどこかに埋められている。

21世紀。現代。これでいいのだろうか。ぼくたちは、もっと可能性豊かに暮らすことができる。ぼくはそう信じている。生産する者、消費する者。この循環のなかで、誰もゴミになることを考慮もしないで、問題をただ先送りするだけで、少しも未来的でもないし、何も循環していない、この現実に裂け目を入れたい。

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これはステートメントだ。

新しい作品「D-HOUSE」だ。

Dは「Disaster(災害)」つまり「災害の家」この家は、廃墟だった。捨てられた価値のない家。むしろ、ゴミ、産業廃棄物の荒地だった。

ゴミを分別し、使えるものは再利用し、また別の場所の廃棄物を運んできて再利用してこの場所は作られた。この家には下水道も水もない。けれども荒地は開拓され場所は生まれた。死んだ土地は生き返った。ここから生まれる何かがある。屋根も壁も床もある。つまり「家」がある。

わたしたちは

ここで暮らしを試みる。

「家」とは何か

「暮らす」とは何か

その本質を表現するために。

日々起きていること。見捨てるのか拾うのか。糞なのか宝物なのか。

起きたことを書く。10月19日。依頼されたデザイン仕事の締め切りが近くなってきたので、廃墟の改修はお休みして、一日中デザイン仕事に費やした。そうするつもりだったけれど、疲労が溜まってたらしく、昼過ぎまで寝てしまった。

起きて、デザインのイメージを下書きしてパネルに描いて、パソコンに取り込み、調整して、レイアウトして、夜10時頃にはカタチになった。

 

「仕事は何をしていますか?」「絵を描いています」と答えると「売れるんですか?」と聞かれる。常に売れる訳ではないけど、必要なときに売れる。同じように必要なときに仕事が回ってくる。デザインは、高校生のとき学園祭でライブハウスをやって、そのときにチラシを作って、それからずっとやっている。いつの間にか、それも仕事として対応できるようになった。デザインとアートの違いって話題もよくある。デザインは、依頼されてやること。アートは、頼まれなくてもやること、と区別してる。だからアート作品も頼まれて作るものは限りなくデザインに近い。純粋なアートは、ニーズを先取りするもので、とにかく作りたい衝動から生まれたもので、そこに奇跡的なニーズがあって、お金が発生した、というものだと思っている。頼まれたことをどんどんやっつけて、純粋な時間のなかで、誰にも頼まれもしないことに全力をを尽くす。それがアートだから暇なんて1ミリもない。休日もない。毎日創造したい。疲れたら倒れるように休息する。

 

10月20日。7月末に読売タウン誌に掲載された記事を読んでくれたご老人が水戸から奥様と見学に来てくれた。タウン誌では「廃墟を再生しているから廃材をください」と呼びかけた。おかげで、いろいろ提供してもらった。協力者は60歳以上の人ばかり。木材や建具がこれまでに提供された。捨てるものばかりだけれど、どれも工夫次第では、再利用できる。どうやって使うか、考えることで状況は変わり、イメージはデザインの向こう側へと広がる。

ご老人は、商業建築のプロデュースなどを手掛けきた協会も運営する人だった。息子さんがリサイクルをやっているから、協力したいと見に来てくれた。やたらに押し付けても無駄だから何が必要なのか見定めるため現地まで足を運んでくれた。

人のために何かをしようとするのはお年寄りが多い。時間と経済に少しは余裕があるからだろうか。ぼくも若い人に何かをしようとするべきだ。世代から世代へ豊かさが伝わっていかなければ。

何が欲しいか、と言われればキッチンが欲しい。けれど水がない。水をどうするか考える方が先だから、もう少し改修が進んで具体的に必要になったらリサイクルの店舗に来てくれ、という話になった。商業施設をプロデュースしている人なので、この場所に来た人を楽しませるポイントは何になるか、という質問をした。

「ここはわざわざ来る場所だから、なぜ来るかと言えば、自然があるからだろう。人は日常を離れたい。で、ここまで来たらコーヒーの一杯くらいお金を出すよ。それから、ドッグランとオートキャンプ場を作るといい。その管理棟として、このギャラリーがある。きっと魅力的な場所になるよ」

と話してくれた。

 

廃材をください、と呼びかけるメリットは、人に出会えることだ。お金を媒介しない代わりにコミュニケーションが発生する。待ち合わせしたり、連絡したり。そのうちに知り合いになる。つまり知らない人ではなくなる。この過程はとても重要だ。コミュニケーションをやがて交易へと発展させることもできる。お互いにとって有益な取り引きができる。ほんとうにお互いにとって有益なこととは、お互いが損をすることだ。損をする気持ちになれるようなことに生き甲斐があるように思う。

 

10月21日

明日は雨だとチフミに聞いて、せっかく新しくした柱や梁が濡れるのは嫌だな、と思って、トタン屋根を張った。とにかく廃墟の倉庫が大きくてなかなか終わらない。

午後は11月6日にアーツ千代田で開催される移住のイベントの打ち合わせが北茨城市役所であった。アート関係の人に移住をオススメするイベントでTURNSという雑誌のプロデュースをしている堀口さんと対談することになった。

「移住」というキーワードに関係するようになって5年経つ。東京ではなくても、どこでもいいと考えるようになって、地方に暮らす選択肢ができて、はじめは、とにかくどこか違うところに住んでみたいというモチベーションで、愛知県津島市に暮らした。

移住をオススメするときに思うのは、仕事の問題が大きくて、けれど、移住するからと言って、過去を一旦清算して、ゼロからやるんじゃなくて、今まで付き合いがあった人と、繋がりながら、仕事をしていく方が可能性は広がるし、社会とは人間と人間の繋がりな訳だから、どんな場面でも人を大切にした方がいい。仕事は人からしか回って来ない。雨のように空からは降って来ない。誰かが未来のクライアント、お客さん、パトロンになる。

北茨城市に移住したメリットは何ですか?と質問されて

「東京にいると情報量が多いんですね、ものを作るときにやっぱり見ているモノにインスパイアされるから、広告やテレビやニュースや人の話しが作品に影響して、広告とか誰かが作ったものに影響受けると、それはそれで直接的過ぎると問題あるけれど、北茨城では、ほとんど見てるものは自然だから、いくら模倣しても問題ないし、自然をテーマに表現することは、むしろ素晴らしいって言われたりしますから、ずっとこっちの方が環境的にはいいですね」と話した。代理店の人は、なるほど!と頷いてくれた。

ぼくには、東京生まれ育って、してきたことがあって、今でもその繋がりがあって、ぼくを知ってくれている人がいろんなカタチで、仕事をパスしてくれているから生きていられる。それはSNSやブログを通じて近況報告をしていて、アイツ今こんなことしてこんなこと考えているんだ、と思い出しくれ共感したところから、ライフラインを繋いでもらっている。「ライフライン」とはお金になる仕事のことだ。

 

この先どうなるのか分からないし安定なんかしないだろうけど、それでもやっていくしかないし、そういう生き方を選んだんだから、生き抜くしかない。そもそも、人間は生き物として安定したことなんかない。もし安定しているのだとしたら、誰かが不安定なところに立ってバランスを取ってくれているからだ。自然はいつもカオスだ。秩序を破壊する。それに抗って生きる。これが人間だ。

 

夜、チフミと話していたら、倉庫の構造は「合掌造りだ」ということになった。改修しながら、破損の激しい箇所は取り替えている。どうやら、むかしの大工さんの技術をコピーして、合掌造りをやっているらしい。楽器を演奏するように誰かが作ったものをコピーする。それが出来るのは技術が多少身に付いた証拠だ。

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廃墟には水がないから、トイレどうしようか問題があって、奇跡的に前に住もうとした誰かが汲み取りトイレの仕組みを作ってあって、それを利用する予定だったのだけど、チフミは汲み取りは嫌だ、ということで、コンポストトイレを自分が実践してみることになった。

まあ、実際「うんこ」は向き合うべき課題だろう。マイナスをプラスに転換したいなら。調べてみたら、ミミズが腐敗した有機物を分解して堆肥にしてくれるらしい。カナダのゴルフ場では実用されているらしい。新発見。次のテーマは「うんこ」になった。

続く

 

失われていく「お祭り」のチカラ

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昨日は、地域でお祭りだという話を聞いて、チフミは近所のおばあさんの家に手伝いに行った。何のお祭りかおばあさんに聞いても「お祭りだよー」としか話してくれなくて、別の人に聞くと「お祭りだけど何にもしないよー」と言う。

 

何もしない、ってことは縮小して消滅する寸前のお祭りなんだろうか。そんなことを考えながら、ぼくはとにかく屋根を直したくて作業に集中した。屋根が掛からないと、雨が降れば木材がどんどん傷んでいく。果物が熟し過ぎて落ちるようなことだから気持ちが焦る。朽ちて落ちた木材は元には戻らない。一日に何枚のトタンを張れるのか、スポーツのような気持ちでこの数日はやった。ところが全力でインパクトを押したビスが外れ、滑った先の右手親指をインパクトで突いてしまった。やってしまった。負傷してしまった。様子を見に来る人全員に怪我に気をつけろ、と言われていたのに。

 

怪我は親指だけだから、痛みに耐えて親指を使わないように作業した。怪我するときはほんの一瞬のことだ。思い返してみれば、あのときああしなければ、とスローモーションで場面が再生される。もう一度、あの場面に戻ってやり直せれば、この痛みはなく、仕事も早くやれるのに。

たまに怪我をする。大怪我もある。怪我はメッセージだ。そう思うことにしている。今回の場合、親指だけで済んでよかった。屋根から転落するとか、チェンソーで足を切るとか、いろいろ危ないことが起こる可能性がある。

 

「幸せなら苦しみを取れ。豊かなら貧しき人に与えよ」何かの本で読んだこのフレーズが頭に浮かんできた。聖書の引用かもしれない。きっと親指を怪我してなかったら、もっと大きな怪我をしたと思う。それだけ安全に対する注意が足りていなかった。

 

昼になってチフミが「お祭りの準備できたよ」と呼びに来た。地域のお祭りとは、農家の収穫祭だった。熊野神社というところがあって、いくつも分社があって、昔はこの地域の山にも神社があったらしい。むかしは、山に登ってお祈りをしたけど、今はもう朽ちているから、誰も行かなくなって、あるのはけもの道だけだとか。それはそれで行ってみたいと思って、今でも行けるか聞いたら、おばあさんに「お前、今日は行くなよ」と言われた。

 

お祭りは、食事を振る舞うだけのものだった。おばあさんは、前の晩から準備して、当日の朝から火を熾して餅米を蒸した。ぼくたちがお昼をご馳走になっていると、3人来客があって一緒に食べた。食事に来れない人には、ビニールで包んでおばあさんが届けに行った。つまり、祈りも儀式もない「食べる」それだけのお祭りだった。

 

一日経って、あのお祭りは何だったのか思い出しては考えた。時間も食材も労力も費やして、周りの人に食事を振る舞うことはとても豊かなことだ。食べ物を作って人に与える行為の贅沢さ。おまけに火で蒸した御赤飯は、とても美味しいご馳走だった。

 

生活をつくることが芸術である。これがぼくの追求する表現のテーマだ。なぜなら、ぼくたちは、日々の暮らしの中ですべてを選択して、自分の人生を作っている。日々の暮らしの選択するひとつひとつを茶道のように、丁寧に選んで行動するとき、日常が芸術になる。

 

ひとりの生活は、世界中すべての人生と繋がっている。何があれば生きていけるのか。何がなければ生活が苦しくなるのか。屋根、床、壁、水、トイレ、食料、電気。あと何が必要なのか。それを知るために極力シンプルにあらゆる便利をリセットして廃墟から生活を構築し直している。この時代に、働いてお金を稼いで消費しての日々を繰り返すほど、無責任な行為はない。何でもいい身の回りにあるものを手に取って、それがどこからやってきて、どこへ行くのか想像してみるといい。できるだけ顔をイメージできる相手から買い、できるだけ自然に返る、処分しやすいものを購入する。すべてをそうするのはもちろん、とても難しいことだ。

その意味で、北茨城市の山の集落で、消えそうな「お祭り」はとても美しく優しかった。無償で何かを与えるという行為。ここに日本人が持っていた精神の美しさを垣間見た。これが宗教のチカラなのか。信仰することの尊さがまだこの地域に残っている。

今いるべき場所、今するべきこと。

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創作に没頭するための場所を作っている。ひとつ作ったけれど、それは公共の場所となったので、自分たちが暮らす場所も作ることになった。気がついたら場所を作ることに没頭している。

「場所」

今いるべき場所=in the place to beというヒップホップの名フレーズがある。日本語に訳したのは日本のラッパーECD。知らない人は調べたら新しい世界に出会うだろう。音楽に興味があるなら。

ぼくたち人間は、場所を巡って翻弄されてきた。歴史を見れば明らかだ。土地を巡って争ってきた。兄弟、隣人、境を隣にする何ものかと、争うことを避けられない。争いの結果、境界線が引かれ、区別される。

ぼくたちは生きる場所を求めている。学校や職場、遊びに趣味に、それぞれに所属するコミュニティーがある。アートも同様に場所を求める。展示する場所、創作する場所。なかでも、人を集められ、経済効果を生み出す場所はギャラリーとして求心力を持つ。価値を持った場所は○○ギャラリーとして、その名前自体がチカラを持つ。

 

競争は高みを目指す。最高峰へと。その過程で権利や利権が生まれる。手に入れたチカラを手放したくない欲望が。

 

ぼくは東京に生まれ、東京に育ち、40歳を過ぎて、地方へと移住した。場所を求めて、北茨城市にたどり着いた。ぼくは、作品を展示するスペース、創作活動するスペースが欲しかった。東京で、それを手に入れようとすれば、どれだけ絵を売っても、高騰した付加価値に奪われる。そこに支払われた対価は誰の利益になるのだろうか。そんな都市のブラックボックス、もしくはブラックホールに吸い込まれるよりも、地方の困っている土地なり建物を活用すれば、結構な広さのスペースを利用することができる。そう考えた。

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何のために家賃を払うのか。縮尺を変えて、地図を拡大していけば、東京から数時間の範囲には、安い土地も建物もゴロゴロしている。それこそ石ころのように。

 

10年前、音楽関係の仕事をしていたとき、当時、板橋区に住んでいたのだけれど、業界の人には「なんで板橋区なんかに?港区や渋谷区の方がいいですよ、便利だし」と言われた。

すべて付加価値だ。本質的な価値に付け加えられた価値。それにどれだけの犠牲を払うのだろうか。

 

今は北茨城市の山の集落の荒地を開拓している。誰も見向きもしない捨てられた土地。と言っても東京からクルマで3時間だ。

毎日、トタンで屋根を再生している。一日に8枚。10枚張れたらかなり進む。全部で80枚ほど張る予定。ところどころ木材が腐っていたり折れているから継いだり取り替える作業もある。材料は鶏小屋を解体して手に入れた。労働力、経験値を対価にゼロ円で採取した。

建物としてはバラックだ。身の回りの材を組み合わせたブリコラージュ。何十年も前に大工さんが作ったもの。それをトレースするように直している。

 

生活にリズムが出てきた。ほかの予定がないから没頭できる。今日やったことが明日へと繋がり、廃墟が再生されていく。

何で読んだか忘れたけれど、上手くいったときや、成功したときにしていたことを継続することが大切だ、という文章を思い出した。ぼくの場合は、30代半ばに、ランニングを始めて、ボルダリングをやるようになった頃。身体をトレーニングする習慣が身について、同じ頃にメモを書くようになった。思い付いたことを記録するメモだ。それが日記になって、このブログになっている。

自分をつくる基本は、メモとトレーニングだ。それを続けることが何より大切だ。思い出した。

 

タイミングというものがあって「おカネになる/ならない」は関係なく、それぞれひとには、今やるべきことがあって、それを全力でやっていれば、物事は展開していく。けれども、やるべきことから目を背けて、いろんな理由を付けて、やらない選択をすれば、物事は停滞する。なぜなら、今やるべきことは、未来への投資だから。

ぼくはまず場所をつくる。話はそれからだ。