いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

目の前に起きている仔細な出来事こそが、何よりも、磨けば輝く人生の一部だから。

目の前に起きていることを記録すれば、それは人生そのもので、その記録が他人のことではなく、自分の身に起きたことであれば、間違いなく、それは芸術。

では、どんな芸術人生をつくることができるのか。古今東西のライフスタイルを採取編集して、試行することがぼくたち夫婦のテーマ「生きる芸術」。

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この2週間ぐらいに起きた出来事
9月は愛知県津島市で、アートイベントの会場になる建物を改修しながら、展示する作品を制作していた。ここの長屋では、アーティストインレジデンスが実施されていて、そこに参加する形で滞在している。アーティストインレジデンスとは、クリエイターが滞在して作品をつくる環境を提供する宿泊施設のこと。1年前を想えば、この場所でそれが行われているなんて夢のような話だ。

家主の水谷博士が考案した「リフェイス2.0」という技術を習得するイベントを開催して、参加者のチカラを借りながら、40坪の広い木造建築の壁に施工した。

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発泡スチロールを彫刻してリフェイス2.0を表面に定着させてつくる新しい立体作品を制作している。約180cmの男と女の像で、タイトルは「POP LIFE」人と人が出会い挨拶をする姿を作品にした。すべての愛は偶然の出会いから始まる。

友達のアキちゃんから電話で、真鶴のアートイベントに参加しないかと誘いがあった。空き家を使って作品展示するイベントで、スケジュールが空いていて、フットワークの軽い人がいなくて、ぼくら夫婦を思い出して声を掛けてくれた。繋がる時はぴったり一致する。

中京テレビの取材があった。ゴリ(ガレッジセール)が突然現れ、ザンビアで家を建て、日本には家が余っているから、空き家を転々として、アート作品をつくり暮らしていることを話した。ゴリさんは「なんて自由なんだあ!俺も生き方を考えるなあ」とコメントした。芸能人にそんな風に言われて気分が良かった。けど、仕事だからそういう風に話したのかもしれない。

重なるもので、他のテレビ局からも出演のオファーがあった。こちらは、夫婦でお互いの普段言えないことをテレビで言う企画で、不満がある夫婦を募集しています、と。アホか。なんでテレビでそんなことを言う必要があるのか。幸せな夫婦ということなら出演します、と返事をした。

アイルランドの友人、パピエマシェの師匠トムからシリアの子供たちを支援するアート展を開催するから作品を提供できないか、とメッセージを貰った。不思議なもので、評価が高い作品が売れるとは限らない。作品は愛によって結ばれるから、ただひとつの想いが芽生えれば、作品は売れていく。「いいね」と「欲しい」は、まったく次元が違う。おかげで、今回オファーを貰ったアート展に出品するために手元に残っていたような作品がある。

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遠く離れた同じ地球上で、苦しまなければならない人々に何かできるのであれば。この舟の作品がアイルランドに渡り、シリアの子供たちの助けになるなら、創作活動をしていた意味がある。

人間は、生まれる場所だけは選ぶことができない。人間は、ほとんど同じカタチをした種なのになぜ、こんなにも違いがあり、争いが絶えないのだろうか。ぼくら夫婦が作品づくりに没頭しているとき、そこには平穏と平和がある。創作に格闘していても、その行為は、他者や世界に何ら影響を与えない。だからこそ、素材や制作方法は徹底的に思考して、世界に与える影響を配慮したい。それが美くしさに関係するから。

嫁チフミとこれからのことについて話した。日本国内だけでなく、海外でも作品をつくりながら暮らしていこうと計画した。2013年は、旅だったので2018年には移住する計画を立てた。まず、目の前のチャンス、9月15日締め切りのフィリピンのレジデンスに書類を提出した。

ぼくらは、いよいよ家がなくなる。しかし、いろんな場所にある愛らしい家に暮らすことができる。それは人と人の縁が繋いでくれる暮らしだ。

10月の終わりからに岐阜県中津川で暮らし、アキちゃんが誘ってくれた神奈川県真鶴のアートイベントにも参加して暮らしつみようと思う。徳島県の人からも誘いがあったので春になったら移動してみよう。

季節は夏から秋に変わった。ぼくら夫婦は、いよいよ空き家から空き家へと暮らしを旅する冒険芸術家になった。これは、2年前に夢見たライフスタイルだった。

人生を芸術として思考して試行すれば、未知の領域を開拓し、人生を思いのままに表現する創作となり、哲学よりも宗教よりも、直接的に人間を人間らしく、さらにこれまでのどんな時代よりも平和な社会をつくることができる。ひとりひとりの人生は、瞬間毎の選択がつくっているから、貨幣経済の奴隷にさえならなければ、それが可能だと信じている。個人が自分の想いを果たし独立独歩できれば、国家や社会に従う必要がなくなり、争いや憎しみだって、ずっと少なくなる。ついには、自分の身の回りのすべてを美しくすることだってきっとできるはずだ。

悲しいニュースや誰かの行動や、ネットの誰かの記事や本やテレビやどんな商品やサービスよりも、目の前に起きている仔細な出来事こそが、何よりも、磨けば輝く人生の一部だから。
そのためにも、これから更に、自然のチカラを生活のなかに抱き暮らしていきたい。

どうしてわたしたちは、生活を変えることができないのか。

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今日は今日であり、明日は明日。だからこそ、その日、その日を愛おしく過ごしたい。だからこそ、振り返って言葉にしておく、週末あったことを。次へ進むために。

中津川市高山にある青山家の古民家と周辺環境を活用した「森と暮らす」プロジェクトがスタートした。森に触れてみたかった。その体験を基に森と人間の暮らしについて考えてみたかった。その体験を日々の暮らし反映したかった。

イベントのプログラムは、森の木を伐採してキャンプスペースをつくること。森を散策して、かつての森と人の暮らしを知ること。それらを、家の所有者、杣(そま=きこり)から学ぶことだった。

土曜日の午後、森の開拓作業からスタート。草を刈り、木を伐採して、太い木はチェンソー経験者が切り倒し、参加者みんなが夢中で開拓した。自分も木や蔓と格闘した。伐採された森には太陽の光が差し込むようになった。青山家のお父さんは「森が混んでいると木は成長できない」と教えてくれた。それは、そのまま人間に当て嵌まると思った。競争ばかりでは、上を目指すばかりで、枝葉を充分に広げることができない。

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日曜日の朝は、青山家のお父さんの案内で裏山を散策した。そこには、かつて森と暮らしてきた痕跡があった。お父さんが子供の頃は、森の中に畑があった。そして森は財産だから、すべてを手入れし管理していた。森は今でも青山家の古民家に水を供給している。

いま現在、日本中のあちこちで、森の価値を見失っている。森の価値が分からなければ、森のある家にも価値がない。畑も田んぼも活用できない。そうやって、ぼくらは、自分たちが生活できる領域を可能性を失っている。もしくは、見えないうちに、ほんとうに見失っている。

この古民家には、失われていくモノコトが詰まっている。山から湧いてくる水。木が与えてくれる薪。薪を燃やした火。火で炊いたお米。畑の野菜。裏山の森。築120年の伝統工法の日本家屋。景色。つまり、120年前の暮らしのタイムカプセルがここにある。
昭和23年生まれのお父さんが子供の頃、お米が貨幣だった。行商人が魚やらお菓子やらを背負って運んできて、お米と交換していた、と話してくれた。そんな経済社会が、すぐ最近まであった。

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こうした山の暮らしの中に幸せに生きる技術が埋まっている、そう確信している。なぜなら、都市生活者は、すべてを貨幣と交換する。水=水道もしくはペットボトル。火=ガス。スーパーマーケットで買う野菜、米。コンクリートのマンション、もしくは新建材でつくられた家を、高額な家賃と取引する。つまり、人生という奇跡の一部と交換で手に入れた貨幣で満足を買う。しかし、その満足は続かない。なぜなら、都市生活は永遠の消費機関で、創造は見えない領域で操られ、高みをひたすらに目指す木々になってしまうからだ。

ぼくが明らかにしたいのは、「常識」や「社会」というものが、ほんの僅かな部分でしかない、ということ。それよりも、もっと大きな自然という全体があること。それを少しづつ、こうやって言葉にしている。ぼく自身も少しづつ、その可能性を再発見している。まだまだ、いける先がある。その道こそが芸術だ。ぼくは哲学者でも宗教家でもない。だから、言葉だけでなく、生活芸術として、森での体験を都市生活にインストールしてみたい。

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今日久しぶりに図書館へ行った。「光あるうちに光の中を歩め」というトルストイの本を手に取った。タイトルに惹かれた。
序章に
「どうして我々は、こんな生活をしているのでしょう?」「どうして自分でも感心しないと思うようなことをするのでしょう、いったい生活を変えるということはできないものでしょうか?我々は名誉や富と引き替えに、人生に喜びを与えるすべてのものを失わなければなりません。都会に集まり、柔弱な生活を送り、そのためにも健康を損ない、遊興三昧の日々を送りながらも、結局退屈して、どうも自分たちの生活は本当の生活ではなかったと後悔しながら死んでいくといったありさまです。」と書かれていた。

どうしてわたしたちは、生活を変えることができないのか。

いや、できる。人間が社会と自然のバランスに気が付きさえすれば。そこそこ50年ほどの文化を捨てさえすれば。勇気を持って自然のなかに生活しさえすれば。つまり、足るを知りさえすれば。ぼくら夫婦の生活そのものが、その実験場だ。

青山家の古民家には、人間の暮らし方のヒントが詰まっている。それに触れる機会を与えてくれた青山さんこと青山剛久に感謝すると共に多くの教えと体験を与えてくれたご両親にも感謝。

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730日間の冒険を今、スタートする。2018年、すぐ近くの未来へ飛ぶために。

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目標・夢・種を蒔いて育て収穫すること。730日後の未来へ。
岐阜県中津川市の古民家で、週末キャンプイベントを開催する。この古民家には裏山があり、そこの木を伐採して、草を刈り、整地してキャンプ地をつくる。地元の杣(そま=きこり)に森と人間の関わりを学びながら、みんなで食事して語り、遊ぶ。

10月の終わりから、この家に暮らして冬を越す計画。9月は、愛知県津島市の改修してきた長屋で始まったアーティストインレジデンスのプログラムに参加して、彫刻の新素材の開発に携わる。8月は三重県志摩市阿児町安乗の空き家に暮らしボートに乗って絵を描いて過ごした。7月はニューヨークのブルックリンに一カ月滞在して制作し、個展を開いた。

すべては2年前に種を蒔いて、育ててきた収穫だった。つまり今、2年後を見据えて動くタイミングがやってきた。

種は自分にしか発見できない。他の誰かには何の価値もない。芽が出てもじっと見守って育たてるだけ。何の見返りもない。何を馬鹿なことをしているのか、無理に決まっていると笑れる。それよりお金を稼ぎなさい、と言われる。しかし、目の前のことではなく、未来のために今を費やせば、その対価は返ってくる。一切無駄なことをしなければ必ず返ってくる。これは自然の摂理だ。

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ゴールまでの道程を想像/創造する技術
ぼくたち夫婦は、アート作品をつくりながら、使われない家に暮らし、日本人が忘れつつあるライフスタイルを発掘して生きている。それらには価値がない。つまり、それらは、ほとんど自然のままにある状態。それらを駆使することが最もクリエイティブな芸術だと確信している。100年分のライフスタイルから良いところをサンプリングして、日々にミックスして暮らす。これはヒップホップだ。

その一方で、2年後の未来への冒険を始めたい。いよいよ海外に暮らしてみたい。2018年のスタートを目指す。

ぼくは、いつもこうやって始めてオブザベーション(観測)する。これはボルダリングで学んだ技術。ゴールまでのルートをイメージして組み立てる。

海外で暮らすなら、どの国にするのか。家はどうするのか。お金はどうするのか。収入と出費、つまり、生活費と仕事のバランスを考えて、どの国がありえるのか。日本にどうやって仕事ネットワークを構築するのか。現実なところ、お金さえクリアできればなんとかなる。もちろん、様々な状況が許さないこともある。それでも夢の種をみつけたら、こうやって言葉にして現実化シミュレーションする。

夢の種を蒔いて育てているうちは、収入にもならないし、出費ばかりだ。夢は子供なのかもしれない。独立できるようになるまで育むこと。

独立独歩で生きるには、経済的なバランスをマネージメントしなければならない。夢への投資と現実的なマネタイズを。お金が少なく苦しくても、いつかは解消される。なぜなら、時間を未来に投資しているのだから。夢へのステップは毎日積み重ねられていく。今日できることは、今日しかできない。明日には明日がやってくる。繰り返せば望んだ未来がやってくる。

 

安乗dayz 完了。サバイバルアートな生活芸術。それでいいのだ。

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8月の頭から、三重県志摩市阿児町安乗の海の傍の空き家に約一カ月滞在して、毎日、絵を描きながら、自作のカヌーで海を堪能して、新しい友達に出会い、過ごした夏だった。外から見れば毎日が夏休み。夫婦からすれば、毎日が勝負、ギリギリ、アウトもしくはセーフな冒険生活。

ラストは、東京から友達が遊びに来て、伊勢の知る人ぞ知る遊びスポット2丁目パラダイスで京都在住の台湾のアーティストとコラボレーションする予定だった。ところが、東京の友達が空き巣に入られ、2丁目パラダイスのマスターが体調を崩して、2つの予定がなくなってしまった。人生、何が起こるか分からない。

ところが、当日に思いついた漁師ノリくんの粋な計らいで、安乗のチルアウト酒場ababaiで展示会を開催することになった。偶然は必然に変わり、素晴らしいクロージングパーティーになった。

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展示には、漁師でありababaiのマスターでもあるノリくんの友人が集まってくれた。偶然、通りかかったサーファーも参加して、伊勢からDJ Inou aka tadatakaもやってきた。音楽と人とアートの出会いの場になった。みんなが作品を鑑賞して、語らう空間があった。
6つ展示した作品は3つが売れた。それもまた偶然が重なり。ひとつは、お店の壁の色と同じ絵で素敵だ、と床屋さんが買ったFish rising。

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ひとつは、偶然、遊びに来たサーファーが、安乗の波とサーファーを描いたSurfin UFOを買ってくれた。

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展示作品のなかでも最も高額な一点をこの夏、一緒に遊んだ、コウセイが買ってくれた。コウセイは魚の卸をしているので、魚と交換することにした。これから目利きが選んだ魚がぼくら夫婦の元に届く。これは現金より、価値ある嬉しい取り引きだ。

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この8月は、まさに作品をつくって売って生きていくことができた。素晴らしく幸せハッピーな日々を過ごせた。すべては漁師ノリくんに感謝。ありがとう。

ぼくたちは、夫婦で一緒に作品をつくっている。旅先での材料、環境、アイディアをカタチにする。それをサバイバルアートとを呼んでいる。この夏の作品は、安乗の海にインスパイアされている。
ぼくたちには、もうひとつ重要なテーマがある。それを「生活芸術」と呼んでいる。芸術とは何か。それは「生きるための技術」。生きるとは何か。それは生活すること。生活とは何か。生きながらえるため命を生存させる活動のこと。つまり、生活に関する技術を採取して自分の日常に取り入れていくチャレンジをしている。これは都市生活では実践できない。

舟を自作して生活のなかに取り入れることや、魚を釣って食べることや、古い家でも暮らしていける方法を編み出すこと。つまり、自然の側から生活スタイルを再編集することだ。

なんで、そんな生活をするのかと言えば、作品づくりに没頭するためだ。自然の側から生活すれば、出費が少なくなる。つまり、消費を生産に変換できる。

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都市生活では、経済活動に巻き込まれ、作品づくりの時間を確保できない。しかし、生きるための生活のみにフォーカスすれば、家もお金も単なる道具になる。必要なだけあれば足りる。そう思えるようになった。

そうやって生活スタイルをカスタマイズして、手に入れた時間を創作に注ぎ込む。すべての人間に平等に与えられた資源、1日24時間をどう使うのか。見たり、聞いたり、触れる世界がすべてなのだから、その世界が幸せに満ちていれば、純粋に気持ちのよい作品が生まれる。

その作品が、愛する鑑賞者の手に渡り、そのひとの日常を彩る。フレームは窓になり、その向こう側には、美しい永遠の日常が映り続ける。

ぼくたち夫婦の作品は、生活のための美術作品。だから、その価値もそれ相応な値段に設定する。作品の価値が高ければ高いほどよいことではないし、欲しい人が手に入れられる価格こそが理想だ。

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こうした想いは作り手側の世界観であって、作品自体の価値は、鑑賞者と作品の一対一の、戦いではないにしろ、伝わることがあるなしの真剣な勝負だ。安乗では、そこをテーマに制作をした。作品がどれだけを語り伝えるのか。

その結果を、偶然にも安乗で掴むことができた。滞在してつくった作品が、安乗に縁ある人たちに鑑賞して愛されたのは、このうえなく嬉しく、これからの糧になった。つまり、誰がなんと言おうと、これでいいのだ。

今日、また移動。次は、岐阜県中津川へ。海から山へ。生活芸術は続く。

先人から学び真似し応用する、生きる技術の実践方法

やっと納得のアジ釣りができた。釣り人の教えを解釈して、長い竿、仕掛け、餌のアミエビが必要なことが分かった。

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今朝、浜を散歩して長い竹竿を拾った。これに糸と仕掛け、アミエビを餌にすればアジが釣れるかもしれない。5000円の竿を買わなくても。

アジが動き出す夕方に波止場に向かった。いつもの釣り人たちに竹竿を笑われる。「それで釣れるかな。」しかし、どう考えても数十年前は、竹竿だった。
5時から始めてまず1匹。周りもあまり釣れない。6時を過ぎた頃から、竿を入れれば釣れる状態になった。釣り人先輩たちにも、竹竿を笑われながら、よく釣れるなあ、と褒めてもらった。

f:id:norioishiwata:20160825104014j:plain法則を発見。狩り場で周りの人のやり方を学ぶ。どうすれば採れるのか分析する。アジ釣りは、偶然にも達人と知り合い、教えて貰えたのが最大の収穫だった。学ぶとは、先達のやり方を真似ることから始まる。

これは、他のことにも応用できる。ぼくは、この法則を援用してアートフェアで作品を売ってみたい。

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海を冒険する安乗ボートクラブ。

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安乗ボートクラブ。部員は嫁のチフミと自分。今日は少し遠出して、わたかの島へ。最寄りの浜から、見えないが半島を回ればすぐの島。

カヌーを漕ぎ出して、海のうえ、太陽の下。大自然の中で、舟を漕ぐ楽しみ。チフミは「こんなことやって暮らせるなんて最高だね。不安はあるけど。」と言ってくれた。バカみたいだけど、それが嬉しい。
しかし、こればある意味、部活だから、体力は消耗する。わたかの島は、客船で行けば10分ぐらいの場所なのにカヌーでは片道1時間。

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やっと島に着いて気がついた。お金を持っていない。観光の島に来たのに。喉が乾いたらアウトなので、少し散歩して戻ることに。

帰りには風が出てきて進まない。自作のカヌーとオールで漕いで、ゆっくりと来た海のうえを戻る。再び1時間以上。帰りは釣り船に遭遇して、道を譲ったり、大きな船より先に波止場に向かって、無駄な体力を消費して、結局、大きな船に道を譲ったりしながら、海のうえを冒険して帰った。海に広がる大自然が愛おしい。海が好きだ。

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漁師に同行して学ぶ、狩漁とマーケットのあり方。

三重県の志摩での暮らしには電話もインターネットもないから、連絡手段がない。ぼくは、それでいいが、連絡したい人には迷惑な話。夕方、漁師のノリくんが船を出すから一緒に漁へ行こうと誘いに来てくれた。連絡手段がないから、その場で行動が決まる。

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向かった波止場の船には、ノリくんのお父さんが出航の準備をしていた。船は手入れをすれば30年も40年も乗れるらしい。家と同じだ。船のカタチが、ロボットやスニーカーのようで最近、お気に入りだ。

船は左右に巨大なサオを広げて4本の糸の先に疑似餌を垂らして走る。ノリくんのお父さんは、潮の流れを読みながら、魚を求めて船を進める。

とにかく、漁は出てみないと分からない。プロの漁師でもアタリの日は、じゃんじゃん釣れるし、まったく釣れないゼロの日もある。自然が相手だから、同じ日は1日もない、という。

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夕方の海を走りながら、反応のないサオを眺め、期待と不安が入り混じる。「駄目なときは釣れんからな。」ノリくんが期待し過ぎないように言ってくれた。

漁には2つのタイプがあって、小さな船でコツコツと釣り上げる漁師と、大きめな船の数隻で、網でまとめて捕る企業のような漁船。網でやると不必要に魚を捕り過ぎてしまう。しかし、網の方が効率がよいから、漁師の仕事がなくなってしまう。大手スーパーマーケットと個人商店のような構図が海のうえにも存在している。

ノリくんの家は、家族でひとつの船で漁をして暮らしている。漁師の経験と自然を相手に生きる技術が、一家の暮らしを成立させている。しかし、安乗では、こうした漁師が生活できなくなってきている。ノリくんは、両親の反対を押し切り、漁師になった。漁師という仕事を未来に残したいと言っていた。

「お!1番に掛かったんじゃないか!」お父さんが声をあげ、ノリくんが、糸を手繰り寄せると向こうの方に魚が見える。するとすぐに「マグロの子供やんけ!」
すぐに2番にもヒット。連続してマグロの子供を釣り上げた。一匹5000円もする高級魚。

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また暫く、釣れない時間が続き、お父さんの「掛かったんじゃないか?」の声。引き上げてみると、小さなカツオの姿。船を操りながらでも獲物は見逃さない。流石の漁師。しかもそのカツオは、漁師でもワンシーズンに一度釣れるかどうかのマイトカツオ。市場にもほとんど出回らないらしい。

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それでもお父さん、今日は「釣れんなあ」と。あまりに捕れないので、これ以上やっても無駄だ、との判断でクルージング終了。

念願の漁師に同行して、その生きる技術を採取できた。おまけに、今日の収穫に便乗して、美味しい魚の刺身を頂いた。

自然と人間の暮らし方を観察して、都市生活とミックスしたライフスタイルをつくりたい。狩猟とマーケットがキーワードになりそうだ。海の暮らし。残り1週間。何かよく分からない感動が胸の奥でウズウズしている。漁師のノリくんに感謝。