今日は今日であり、明日は明日。だからこそ、その日、その日を愛おしく過ごしたい。だからこそ、振り返って言葉にしておく、週末あったことを。次へ進むために。
中津川市高山にある青山家の古民家と周辺環境を活用した「森と暮らす」プロジェクトがスタートした。森に触れてみたかった。その体験を基に森と人間の暮らしについて考えてみたかった。その体験を日々の暮らし反映したかった。
イベントのプログラムは、森の木を伐採してキャンプスペースをつくること。森を散策して、かつての森と人の暮らしを知ること。それらを、家の所有者、杣(そま=きこり)から学ぶことだった。
土曜日の午後、森の開拓作業からスタート。草を刈り、木を伐採して、太い木はチェンソー経験者が切り倒し、参加者みんなが夢中で開拓した。自分も木や蔓と格闘した。伐採された森には太陽の光が差し込むようになった。青山家のお父さんは「森が混んでいると木は成長できない」と教えてくれた。それは、そのまま人間に当て嵌まると思った。競争ばかりでは、上を目指すばかりで、枝葉を充分に広げることができない。
日曜日の朝は、青山家のお父さんの案内で裏山を散策した。そこには、かつて森と暮らしてきた痕跡があった。お父さんが子供の頃は、森の中に畑があった。そして森は財産だから、すべてを手入れし管理していた。森は今でも青山家の古民家に水を供給している。
いま現在、日本中のあちこちで、森の価値を見失っている。森の価値が分からなければ、森のある家にも価値がない。畑も田んぼも活用できない。そうやって、ぼくらは、自分たちが生活できる領域を可能性を失っている。もしくは、見えないうちに、ほんとうに見失っている。
この古民家には、失われていくモノコトが詰まっている。山から湧いてくる水。木が与えてくれる薪。薪を燃やした火。火で炊いたお米。畑の野菜。裏山の森。築120年の伝統工法の日本家屋。景色。つまり、120年前の暮らしのタイムカプセルがここにある。
昭和23年生まれのお父さんが子供の頃、お米が貨幣だった。行商人が魚やらお菓子やらを背負って運んできて、お米と交換していた、と話してくれた。そんな経済社会が、すぐ最近まであった。
こうした山の暮らしの中に幸せに生きる技術が埋まっている、そう確信している。なぜなら、都市生活者は、すべてを貨幣と交換する。水=水道もしくはペットボトル。火=ガス。スーパーマーケットで買う野菜、米。コンクリートのマンション、もしくは新建材でつくられた家を、高額な家賃と取引する。つまり、人生という奇跡の一部と交換で手に入れた貨幣で満足を買う。しかし、その満足は続かない。なぜなら、都市生活は永遠の消費機関で、創造は見えない領域で操られ、高みをひたすらに目指す木々になってしまうからだ。
ぼくが明らかにしたいのは、「常識」や「社会」というものが、ほんの僅かな部分でしかない、ということ。それよりも、もっと大きな自然という全体があること。それを少しづつ、こうやって言葉にしている。ぼく自身も少しづつ、その可能性を再発見している。まだまだ、いける先がある。その道こそが芸術だ。ぼくは哲学者でも宗教家でもない。だから、言葉だけでなく、生活芸術として、森での体験を都市生活にインストールしてみたい。
今日久しぶりに図書館へ行った。「光あるうちに光の中を歩め」というトルストイの本を手に取った。タイトルに惹かれた。
序章に
「どうして我々は、こんな生活をしているのでしょう?」「どうして自分でも感心しないと思うようなことをするのでしょう、いったい生活を変えるということはできないものでしょうか?我々は名誉や富と引き替えに、人生に喜びを与えるすべてのものを失わなければなりません。都会に集まり、柔弱な生活を送り、そのためにも健康を損ない、遊興三昧の日々を送りながらも、結局退屈して、どうも自分たちの生活は本当の生活ではなかったと後悔しながら死んでいくといったありさまです。」と書かれていた。
どうしてわたしたちは、生活を変えることができないのか。
いや、できる。人間が社会と自然のバランスに気が付きさえすれば。そこそこ50年ほどの文化を捨てさえすれば。勇気を持って自然のなかに生活しさえすれば。つまり、足るを知りさえすれば。ぼくら夫婦の生活そのものが、その実験場だ。
青山家の古民家には、人間の暮らし方のヒントが詰まっている。それに触れる機会を与えてくれた青山さんこと青山剛久に感謝すると共に多くの教えと体験を与えてくれたご両親にも感謝。