ブルックリンの展示初日。水を買いにいった嫁チフミが、知り合いがいるはずもない、
ブルックリンのストリートで呼び止められた。
「あなたは日本から来たアーティスト?わたしは、あなたの作った箱を持っているのよ。」
それは、今年の春、ニューヨークでのグループ展に出品した作品だった。その箱は、愛知県津島市の空き家再生プロジェクトをきっかけに廃材でつくったモノで、高円寺のギャラリーAMP cafeノグループ展に出品し、それを気に入ってくれたキュレーターが銀座TOKYU PLAZAのお店で取り扱いしてくれ、同じタイミングでニューヨークに送っていた。
ギャラリーには、「売れなかったら来場者にギフトとしてプレゼントしてください」と依頼したところ、今回、チフミに声を掛けた女性が手に入れたという経緯。その女性は、箱に感動してくれ「わたしはあなたたちに会いに来たの」と言ってぼくの目の前に現れた。チフミはその出会いに涙。
その女性はアートスクールの先生だった。今回の展示も楽しんでくれ「素晴らしい」とコメントしてくれフランクロイドライトの冊子と手紙をプレゼントしてくれた。
しかし、女性にどこに住んでいるのか尋ねると今はホームレスだと言う。ぼくら夫婦のアートのテーマに経済が切り捨ててきたモノ・コトがある。
それは何なのか。
ぼくらは彼女から1円も受け取っていないが、この出来事にはそれ以上の価値がある。
日本では廃棄物だった木材が、カタチを変えて人を繋ぎ、感動をプレゼントしてくれた。これは何だろうか。社会が切り捨てたモノとコトが出会い価値を生み出した。