いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

やってて楽しいこと好きなことを諦めないで。

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これはブログです。45歳の夫婦芸術家の夫、石渡のりおが書いています。妻とふたりで制作する日々の生活の記録をして、その出来事を言葉で耕して、自分自身と対話し、未来を作っているのです。日記とは、日々の記録です。歴史に名前を残した人たちは、皆文章を書いている。本人が死んでも言葉と思考は残るのです。

芸術家と名乗っていても、自営業者というだけです。頼まれてもいないのに絵を描くのです。ひとつひとつ傑作にしようと努めながら、できるだけシンプルな絵を描きたいのです。自然を絵の中に起こしたいのです。絵の中に自然が起きるとは、意図を超えることです。ぼくのアイディアから始まっても、それはきっかけでしかなく、妻と一緒に描くことで、はじまりのアイディアは透明になって別の景色へと溶けていくのです。そこに自我や欲はありません。自分の主張が溶けていく向こう側には快楽があります。見たことのない景色が現れ、目を奪われるような色彩とカタチがハーモニーを奏でるのです。その現象が起きるとき檻之汰鷲の作品になるのです。その1枚がたったひとりの理解者に出会い、そこに価値が生まれて作品は完成します。そうやってぼくらは仕事自体をつくるのです。

 

それでも絵を描くために絵を描くのではありません。芸術のために芸術作品を作るのではありません。生きるために作品を作るのです。ぼくら夫婦は、作るために生きるのです。

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「生」と「死」とはセットです。コインの裏と表。すべての人が生まれ死ぬのです。何を恐れるのか。やがて死ぬのです。だとしたら、何をしていたいですか。お金の問題ではありません。お金では何も解決しません。もちろん、生きていくためにはお金は必要です。だから、大好きなことでお金を稼ぐのです。生きる喜びのために。

 

ぼくには子供の頃から好きなことがありました。幸いなことです。例えば、漫画を夢中で読むことや、映画の2時間があっという間に感じることや、砂場で遊んでいて日が暮れても気がつかなくて夜になってしまうようなことや、音楽を聴くこと、小説の世界に入って朝まで読んでしまうこととか、それらを何と呼ぶのか分かりませんが、それが大好きでした。「それ」には名前もないし、職業でもありませんでした。だから、ぼくは将来何になりたいか、と聞かれたときいつも答えに困りました。

好きなことはあったけれども、それは職業ではなかったから、小学校の作文では「将来サラリーマンになる」と書いきました。ほんとうにそれしかイメージできなかったのです。

 

そして大学生になったぼくは就職活動をして卒業すると、ほんとうにサラリーマンになりました。けれども、やっぱりなりたいものではありませんでした。だから、ぼくは働きながら趣味で音楽やアートを続けました。小説も書きました。

アートを鑑賞していても、本を読んでいても音楽を聴いていても、それでは仕事にならないと薄々と分かってきました。だからと言って、それらが仕事になるとは思っていませんでした。でも、絵を描いているとき、バンドでライブをやっているとき、小説を書いているときは、子供の頃に好きだった「それ」そのものでした。

20代、30代とずっと、バンドをやって、絵も描いて、小説も書いていました。会社で働きながら、家に帰ったあとや休日を利用して。

 

ずっと我慢していました。ほんとうは会社に行って仕事はしたくありませんでした。ほんとうは、ずっと没頭していたかった。けれども、それはお金にならない。そう諦めていたのです。そうしているうちに友達の何人かが音楽や小説で有名になっていきました。ぼくはアーティストが成長して有名になっていくことを知りました。誰もが最初は無名で勝手に表現しているだけなのです。タイミングとか才能の違いで時間がかかることもあると思うのです。死ぬまで何も起こらない人もいます。けれども天才だとか、爆発的に話題になるとか、有名になるとか、お金をたくさん稼ぐとか、そういうことは目に見えるから比較してしまいますが、好きなことをコツコツと続ける環境を維持することの方がずっと大切だし幸せだと思うのです。

 

月10万、20万円でも好きなことでお金をつくる工夫をするだけで、大成功でなくても、むしろそれぐらいだったらやりようがあると思うのです。年収で言ったら200万円。もちろん、もっとお金をつくることも出来るでしょうが、まずそれくらいの目標設定で、低空飛行していけば、きっと自由に飛べると思うのです。

ぼくもまだ途中ですし、金欠で不時着するかもしれないし、だとしてもまた低空飛行で飛び直せばいいんです。高く飛ぼうとしなければ何度でもやり直せる。そういうやり方をみつけることも表現を続ける方法だと思うのです。

 

自分が好きなことや考えていることを忘れないためにもこうやって文章を書くのです。ぜひやってみてください。何万人に見られるとか関係なくて、未来の自分のために今日を記録するのです。今日の思考を書き留めておくのです。今日は急に思い付いて、ぼくのように20代、30代を生き悩んでいる人に書いてみました。

ザンビアのことわざです。

みんなウサギを追いかけるけど、途中で諦めてしまう。諦めなければ、諦めてしまった奴のウサギも手に入るのに。ネバーギブアップ。やってて楽しいこと好きなことを諦めないで。

 

檻之汰鷲ORINOTAWASHI | Painting, Collaging, Sounding, Diving, The Artist ORINOTAWASHI is.

 

 

だから冒険する。自分の生き方をつくるために。

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週末は、岐阜県白川町のイベントに呼ばれ金曜日の朝、北茨城市から600kmの道のりを旅した。途中、東京では自分の母親に会って、夜は長野県岡谷市の妻チフミの実家で一泊させてもらった。チフミの両親と妹とその娘にも会えた。土曜日の朝、岡谷から白川町まで下道で、家や風景を楽しみながらクルマを走らせた。高速道路を使わないことでも小さな冒険ができる。未だ知らない地域の風景に出会うことができる。

 

白川町は、岐阜県中津川市のICからさらに1時間。帰りに高速を使って分かったことだけど。イベント会場となる高瀬家の周辺にはコンビニもないし、ビールも売っていない。なかなか不便なところ。イベントを主催する高瀬コージくんは、名古屋で花屋の仕事をしながら、この地域を開拓している。

イベントは里山メルヘン計画「野茶会」題され白川町の特産品である白川町を楽しむ会で、催し物にパフォーマンスやライブ、DJがあって、飲食店が出店した。高速から1時間も離れた山の中の集落に、これだけ人が集まるのか!と驚く光景だった。

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会場には、竹を伐採して作った巨大なブランコがあった。庭師のツヨシくんが手掛けている。子供たちはそれみつけて「何あれ!やべぇ!超やべぇ!」と駆け足で飛びついた。

どうやってこんなオブジェを考案したのかツヨシくんに聞くと

「むかしから庭師は重い石を運ぶのに竹を組んでテコにして持ち上げたんだ。足場が悪いところでは2本の竹を使って石を持ち上げたんだ。だから、人間くらいだったら全然大丈夫なんだ」

かつての技術を採取して現在に活かす。まさに生活芸術。これは是非真似したい。すべての創造は模倣から始まる。

 

ムニャムニャ族という架空の民族がこのイベントに生息していた。テントを張ってそこで煮炊きして暮らしていた。儀式も執り行われた。主催のコージくんのムニャムニャ族になった。

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イベントに参加している人と話した。30代から40代の家族連れが多く、そのほとんどは移住者だった。茨城県からの人もいた。聞くところによると、就農する場所を探してたどり着いたらしい。7年前くらいからその動きが始まり、今では10世帯くらいが、いそうな感じだった。やはり、東日本大震災をきっかけに動いた人ばかりだった。あのとき時代は動いた。この先にどんな道を提示できるのか、ぼくらは問われていると思う。

戦後から、高度成長期を経て、日本人は農村から都市へと移動して、自然に働きかけて食料を得ることより、経済を成長させることを選んだ。経済と都市は発達し世界上位の経済大国となった。経済大国という風船をとにかく膨らませ続けてきた。結果、破裂した。震災による原発事故をそう例えることができる。まるでバベルの塔だ。

ぼくたち檻之汰鷲はこの会場に旗を立てた。日本の歴史を遡って野茶会にふさわしい旗を用意した。風になびく旗は、自然と人間を繋ぐ象徴だ。その旗を現地で竹を伐採して立てた。自然のなかに、色と形を添えて風景をつくる試み。都市ではなく、里山に旗を立てるのは、震災以降、新たな暮らしを模索する人々の象徴。我や彼らを応援する旗。

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みんな探り探りだ。どうやって生きていけばいいのか。その答えはないのだから、自分で探すしかない。自分の道をみつけることを「冒険」と呼ぶ。安定も安心もない。そもそも安全を誰かに確約してもらうことこそ危ない。「安全を謳う広告は危険そのもの」誰かに安全を提供してもらうことは高額な消費をすることになる。クルマにしろ、家にしろ、野菜にしろ、遊び場所にしろ。

イベント中は、北茨城市でやっているガーランドづくりをやった。子供たちが集まってきて、旗に絵を描いて、会場を飾った。40mもの長さになった。

 

帰りにチフミの実家で一泊して、久しぶりにテレビを観た。

ある議員の「戦争をするしかない」という発言。戦争なんてない方が良いに決まっている。けれども、それは理想だと反論される。アメリカのチカラを借りずにどうやって自分の国を守るのか、それは武力しかない、と。ぼくは、昭和49年に生まれ、戦争を否定する教育を受けてきた。そういう映画や小説や漫画を読んで育った。だから「戦争」なんて手段が可能性のひとつとして言葉にされることすらあり得ないと思う。

老人の運転の危険について報道されていた。ぼくのお爺さんの世代、もうほとんど亡くなっている、その世代はクルマがない社会で暮らしていた。けれども、高度成長期にクルマは生活に必須となって、豊かさの象徴となって浸透していった。おかげで田舎のカタチも変わってしまった。免許証とクルマがなければ生活できない地域になってしまった。

戦後から現在まで膨らませ続けてきた風船は、あちこちで破裂している。戦争発言、老人による事故の多発。

それぞれについて、どうこうコメントするよりも、自分の暮らしをつくることで、行動することで、それぞれへの答えを示したい。

小さな試みが積み重ねが繋がって、新しい暮らしのヒントの種が蒔かれたらいい。その芽が分断していく隙間を埋めるように、右や左、上や下に橋をかけるように花開くことを信じて。

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ぼくたち夫婦、檻之汰鷲も新しいスタートラインに立っている。人生を作品にするシリーズ第3巻を構想したい。

 

これまでの檻之汰鷲の本

第1巻

生きるための芸術 40歳を前に退職。夫婦、アートで生きていけるか (ファミリーズ「お金からの解放」シリーズ)

生きるための芸術 40歳を前に退職。夫婦、アートで生きていけるか (ファミリーズ「お金からの解放」シリーズ)

  • 作者: 檻之汰鷲,(発行)ファミリーズ
  • 出版社/メーカー: メディア・パル
  • 発売日: 2017/05/18
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

第2巻

漂流夫婦、空き家暮らしで野生に帰る。 -生きるための芸術2- (「お金からの解放」シリーズ)

漂流夫婦、空き家暮らしで野生に帰る。 -生きるための芸術2- (「お金からの解放」シリーズ)

  • 作者: 檻之汰鷲,(発行)ファミリーズ
  • 出版社/メーカー: メディア・パル
  • 発売日: 2018/12/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

続く。



毎日が歩くようにゆっくりと人生を進めてくれれば、それこそが幸せ

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自然から教わることが多すぎて、失敗もたくさんある。アトリエの近くに暮らすミツコさんから畑を間借りして、去年から少しずつやっていて、今年はジャガイモを植えた。去年小さくやって調子良かったので、今年はもっと収穫してやるぞと意気込んでいた。4月に植えて、先日様子を見に行ったら、何モノかに種イモを食べられてしまった。とても上手に掘り返して食べていたから

「うわぁー。まじかー」とショックではあったけど、その丁寧なやり方に嫌な感じがなかった。

 

これが自然だ。食べられてしまったジャガイモの事件に悪意はない。食料があるからそれを動物が食べた。それだけだ。ぼくら人間はもっとめちゃくちゃなことを自然に対してやっている。

ミツコさんにそれを話したら「ジャガイモは食べられるよ、って最初に言っていたじゃない」と言われた。すっかり忘れていた。

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ミツコさんはその後、畑に網をかけて、土のうえでぐったりしているジャガイモの苗を土を寄せて植え直してくれた。こうやるんだよと行動で教えてくれてるようだった。

ぼくはもう45歳になるけれど、何も知らない。何モノかにジャガイモを食べられしまって、ようやく害獣という敵の存在を知った。社会のシステムのなかにいれば敵はなく、守られている代わりに自由がなくて、むしろ人間自身が敵のような環境で、そのそとに出て自分のチカラで生きようとすると、自然を相手に格闘するハメになる。その世界の新入りだ。

 

どっちが良い悪いでもないし、上下があるわけでもない。たとえ人類のなかで最下位だったとしても、やっていることが楽しければ、それで生きていけるのであれば、それをやればいい。ジャガイモのことは失敗じゃない。ひとつ経験して学んだ。そしてミツコさんのおかげでジャガイモは収穫できる、きっと。

 

アトリエの古民家の庭には琵琶の木もあって、この実が小さいので、大きくできないかネットで調べたら、実がひとつの枝き混んでいると大きくならないと書いてあったので、小さな実を減らした。たしかにひとつの木にまるでタワーマンションみたいに実が成っていた。人間も同じで混んでいる場所にいると成長できないのかもしれない。

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チフミと話して害獣対策をしてみることにした。バリ島で見た竹の小屋を建てることにした。壁を何でつくるか、屋根の素材を何にするのか、いろいろ検討の余地はあるけれど、考えると進まないので、とりあえず竹で構造だけ先に作った。

ぼくは農家を目指している訳ではない。自分が食べれる分くらい自給できたら嬉しいけれど、人間が太古からしてきた営みをアートとして表現できないか、その糸口を探している。だから農家みたいなことをしている。まだその行為の何を作品にできるのか分からないけれど、生活をアート作品にしたいと思っている。

最近は、役に立たないことがアートなんだと思うようになった。役に立つだけのモノならそれは道具だ。アートとは意味のない無駄なことだ。アートとはまるで禅問答のようで、まったく役に立たないのだけれど、心を捉えて離さない魅力があるものだと言い換えることもできる。だから、畑につくる害獣対策の小屋も、役に立つことより無駄なことにチカラを注いでみようと一緒に作品を作っている妻に話したら、

「トマトの家を作りたい」

と言い出した。

「なんて無駄なんだ」そう思った。けれども、そういうことをしてみようと話したので、明日やってみることになった。トマトに家なんて要らないのに。

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宮本武蔵は言った。

「日常が戦場になれば、戦場が日常になる」

毎日が歩くようにゆっくりと人生を進めてくれれば、それこそが幸せだ。トマトに家はいらない。だからぼくはそれを作ってみることにした。

してきたことしか反映されない。人生に。

友達がSNSに現実をもっと見た方がいいとネットのニュースをシェアしていた。つまり、世の中これだけ腐っているから、何か考えるなりアクションを起こすなりした方がいいというメッセージだった。

ネットのニュースは現実なのだろうか。面白い議論ができそうだ。ぼくは、インターネットの情報は現実ではないと思う。ネットで交通事故を報じてもぼくはそれを見てもなければ体験もしてない。ネットが戦争を報じても、ぼくはそれを見ても体験してもいない。

現実は目の前にしかない。そうやって線を引いてみたらどうか。SNSの投稿やニュースを現実から切り離すと、世界はぐっと狭くなる。限られた情報しかない。その小さな世界はどんなだろうか。退屈なのか、それとも楽しいのか、忙しいのか、クソつまらないのか。

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週末は北茨城市から東京へクルマで出掛けた。2時間30分ほど。遠くもないし近くもない。絶妙な距離感。目的は、来週末の岐阜県加茂郡で開催される野茶会にアートで参加する材料を仕入れるのと、以前マネージャーをやっていたバンドWRENCHのアルバムリリースイベントに遊びに行くこと。ついでに日曜日は、東京オペラシティで開催されているトムサックスの展示ティーセレモニーを鑑賞した。

 

野茶会では、布を使って旗を自然のなかに飾ってみようと考えている。戦国時代の旗みたいに。布は、軽くて大きい素材。風を利用できる。持ち運びに便利。日暮里の布問屋街で仕入れた。そのあと、髪の毛を切りに行った。原宿の美容室カーム。ここは、ぼくが絵を描きはじめて、まだどこにも飾ってくれる場所がなかったとき、絵を飾らせてくれた。それはもう10年以上前の話。カームの荒武さんは、SNSとかインターネットをやらない。けれども美容室に来るお客さんの話を聞いているから、その情報が飛び交っていてまるでSNSみたいな状況になっている。カームでおしゃべりすれば、それは風の噂のように友達の間に浸透していく。もちろん、荒武さんは楽しい話題や嬉しいニュースを広げてくれる。これは酒場や銭湯やコミュニティーを形成するような商売が担ってきた役割として、むかしからあったんだと思う。

 

12年ぶりにアルバムをリリースしたWRENCHはハードコアで重いサウンドにテクノの要素を融合させた、ほかにない音楽性を進化させ続けている。ポップな楽曲をつくることよりも、この世に未だ存在しない音楽を創造することを志向しているバンド。27年目だそうだ。ぼくはこのバンドのマネージャーをやりながら、表現することとマネージメントすることを学んだ。

リリースパーティーにはたくさんの友人知人が集まって楽しい時間を過ごした。アート活動を褒めてくれたり、頑張ってると声を掛けてくれたり、ぼくがやっているバンドが良いからライブを楽しみにしているとか、励ましくれる言葉をたくさんもらった。家を改修する仕事も2件ほど相談された。それが仕事になるかどうかは、まったく分からない。ぼくはノーエクスペクティションを基本スタンスにしている。つまり期待しないこと。未だない物事に期待を寄せて、現実まで盛り上がっても、それは架空の成功であって、何十年後の給料を数えて金持ちになった気分になるみたいなことだ。無駄な期待はしない方がいい。落ち着いて日々を楽しもうと思う。

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初台のオペラシティのトムサックスの展示は刺激になった。トムサックスは、3年前にニューヨークで滞在制作しているとき、ブルックリンミュージアムで開催されていた展示を見てファンになった。今回の展示は、茶道をテーマにしていて、利休的な伝統に従って、既成概念を破壊していて痛快な仕上がりになっていた。

ぼくがいまやっていることとは、少し違うのだけれど、これまで歩いてきた道とこれから進もうとしている方向性に自信が持てた。音楽を聴くのも本を読むのも映画を観るのも、アートを鑑賞するのも、すべて自分の活動の糧にするためだ。

体験が作品の材料になる。ぼくは生活そのものをアートだと証明したくて、生活を作品として表現している。けれども、生活と芸術を一致させることは、アートが生活のなかに溶けていくことでもあって、ときにカタチを見失ってしまうこともある。それでもそれを表現として成立させて、鑑賞できるカタチに仕立て上げなければ、生活をアートとして提示することができない。ここには、多少の無理矢理な強引さで、破綻していても、歪んでいても、間違えていても、目の前に出現させることで、未踏の領域をアートにする可能性がある。これは作品が生まれるずっと前の段階の思考。根は深く掘った方が実りがある。だからぼくはこうやって考えを巡らせる。この時間に意義がある。


心掛けとしてはこうだ。何かを買ってきて、それを生活の道具として使ってしまえば、そこに創造性はなく、ただの消費になってしまう。つまり、SNSをシェアするだけでは、社会を悲劇として鑑賞する観客でしかなく、それは現実を直視しているわけでもなく、むしろ目を逸らしている。

現実とは、あらゆる拡張を切断した生身の世界。この小さな世界では、誰もが責任を負っている。楽しくするも悲しくするも、主人の振る舞い次第。つまり自分の人生の王様であり首相でもある。それは国家でもある。貨幣を手に入れるための経済、食料自給の問題、人との付き合いとしての外交、生活を豊かにするための文化活動や娯楽、自然との関わり方、エネルギーについて、ぼくたちは、人生のなかで政治家になる必要もある。

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これは日記で、自分に起きた現実を書き起こしている。この現実をどうやって、明日明後日と続いていく日常に反映させ人生を作っていくのか、自分の思考と作戦会議をしている。

人生とはお金の問題じゃないし、自分自身がどうしたら独立して自由を獲得できるのか。どうして諦めることがあるんだろうか。明日死ぬとしたら、何をしたいと思うんだろうか。

 

作戦はこうだ。大地を開墾して野菜をつくる。廃墟を改修して、いま暮らしている限界集落をプレイスポットに改造する。馬小屋ギャラリーの一階を耐震構造としてのボルダリングウォールをつくる。竹を利用して筏と舟の融合した乗り物をつくる。穴を掘って採取した粘土で生活するための皿やコップをつくる。野外展示オブジェをつくる。去年作った馬のオブジェを移動して蔦を絡めてみよう。信じられないことに、これらのいくつかが仕事になって、いくつかが遊びであって、誰かを楽しませていて、おかげでこれらの活動のいつくかが未来には仕事になったりして、そうやって生き延びている。

尊敬する友達が言った。

「一寸先が闇に感じるってことは人生をクリエイトしてる証拠だ。安定するな。そのまま行け」

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開墾。人類がどれだけ苦労して土地を切り拓いてきたのか。

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今日は生きてる。明日も生きてる。来月も来年も。同じ日が繰り返す訳じゃない。毎日アート活動をしているけれど、毎日絵を描く訳じゃない。絵も好きだけれど、文章を書くのも好きで、こうして誰かに何かを伝えるのも好きで、何がアートなんだろうか、生きるとは何だろうと哲学するのも好きだ。

でも、皆んながそんなことを考えている訳じゃないし、今の時代にはあんまり必要とされていないのかもしれない。ニーズのありなしは、たいした問題じゃなくて、自分が心地よい環境をつくれているのか、その話しをしてみよう。

 

今日は朝からサーフィン出掛けた。家からクルマで15分にサーフスポットの長浜海岸がある。近くに海があるから、たまたまその海岸でサーフィンを始めたのだけど今日は波がなかった。だから、家に帰ってチフミと朝ごはん食べてアトリエに出勤した。別のサーフスポットをチェックしながら。

ぼくは38歳の時に絵描きになろうと思いついてアーティストになることにした。サーフィンは44歳の去年から始めた。

お金を増やしていくとか、社会的な地位を獲得するとか、競争に参加しなければ、単に生きていくことを目標にすれば、いろんなことに挑戦できる。勝ち負けではなく、自分が楽しいかどうかが判断基準になるのだから。ビリでも最高だったりする。競争相手がいないのだから。

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アトリエに着けば、妻のチフミもぼくもやりたいことにまっしぐらだ。まずはキャベツの苗に紗をかけて虫除けをした。それからエンドウ豆に支柱を立てた。廃棄物のタイヤを使ってトマトを植える場所を作った。そうやって今は畑をつくるのが楽しい。どう考えても絵を描くことよりも野菜を育てる方がクリエイティブだと思う。比較することじゃないけど、大地に向き合うことは自然の摂理に触れることで、命を育むことだ。

 

昨日、畑を作っていいと言われた場所を開墾した。荒地を鍬で耕した。荒地を整地する。かつて人類がどれだけ苦労して土地を開墾して、その生活するという営みの歴史を編んできたのか。

 

食べ物をつくることは人間の営みの根幹にあると思う。大地を耕すことはトレーニングにもなる。汗をかく。けれども、まったくお金にならないことをしている。でも、自然と向き合って生きることがアートのインスピレーションにもなる。

何より、大地を耕して食べ物をつくることは、人間が生きるための環境をつくるという、まさに生きるためにする生命活動の原点にある。極端な話、これができれば、税金や携帯代とか、仔細な支払いを放棄してしまえば、人間は生きていける。

ぼくは、この立ち位置を求めて、生きるための芸術というコンセプトを作った。それは誰でも望めばライフスタイルをつくれるというメッセージだった。

けれども残念ながら、ぼくができたのだから誰でもできるよ!と言うと石渡さんはアーティストだから、才能があるから、と言われてしまう。

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誰でもできないことでもないし、もちろん誰でも彼でもやろうぜ!という話しでもなく、自分が望んだことは、どこまで踏み込んでも、嫌なことにノーと答えても挑戦して失敗しても大丈夫だと言いたい。田舎に行けば、土地はある、家もある、野菜も育てられる。アルバイトもある。ぼくのしていることは、セイフティーネットを示すことでもある。人間どうやったって希望さえ持っていれば生きていけることを。

大地を開墾して食べ物をつくるということは、まさに生きるチカラを持つことだ。

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何もない場所は半端なく面白い。なんせ自然しかないのだから。

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ほとんど休日と平日の区別のない生活をしているけれど、それでも今回のゴールデンウィークは休日感があって、今日から現実に戻ってきた。ぼくの現実とは、東京から北へクルマで3時間の北茨城市に拠点を構えて、アート活動すること。


ぼくにとってのアート活動とは、世の中で考えられている「アート」とはズレている。なぜなら、ぼくの考えるアートとは種目を自ら考案して、そのコンセプトごと表現するものだから。これ自体、正解かどうかはどうでもよくて、それに自分が夢中でいられて、それで生きていけるならそれでいい。

 

令和元年バリ島から帰ってきて体調を崩して、ようやく今日アトリエのある揚枝方に行けた。古民家を改修してアトリエを作って、いまはその周辺環境を整えている。つまりは自然と自分の暮らしのバランスを調整している。

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例えば、草刈りをした。草刈りは、散髪するみたいなことで、丸坊主にするとサッパリする。目に飛び込んでくる色はすべて緑色で、その景色はとても刺激的だ。草刈りをしていたら、家主だった有賀さんが遊びに来てくれたので

「今年は景観をつくりたいんです。だから家の周りから綺麗にしたい」

と話すうちに、有賀さんが「土地がまだ残ってるから、そこを使ったらいい」と言ってくれた。

土地を開墾してみたかったから早速、草刈りをした。草を刈ると地形がみえる。地面が見えれば何するのかイメージできる。妻チフミと土地を眺めて、構想を練った。

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という訳で、ぼくらのアート活動は、更に範囲拡大することになった。大地を耕して食べ物をつくることや、人間と自然のバランスを調整して景観をつくること。例えるなら、ミニマルな話しでは、ガーデニングや家庭菜園でありながら、今は限界集落を拠点にしているので、その活動をどんどん拡げいくことがアート作品になる。村全体が。


景観をつくることは「アート」になると思う。景観とは人間と自然のバランス調整が生み出すものだと思う。美しい自然ならではの景観も、人間が鑑賞できる立ち位置を用意する必要がある。その場所をマーキングできれば、あとは導線をつくれば人は来る。

まだ言葉として開拓できていない領域だけれど、この道に必ず未踏のアートが現れる。今日始めた草を刈ることも「景観づくり」という作業のひとつになる。理解されるまで何年かかかるけれども、結果が出る10年後には、途方もなく面白い場所が出来上がる。まあ、それまで続けられるか、という問題は運に任せるとして。

まずは、このサンテジュグペリの言葉に 倣って進んでみる。

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休日から現実へ。夢からまた夢へ。

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旅から帰ってきた。20日間バリ島に滞在した。東南アジア。インドネシア。熱帯。旅とは何だろうか。人それぞれ違う。ぼくにとっての旅とは「移動」ではなく「体験」だ。

ぼくは旅するとき、観光地でもなく、それ用に開かれた建物ではなく、民家の中に入ってそこに暮らす人々の生活を覗いてみたいと思う。どんな家に暮らし、何を食べて、何を喜びとしているのか。

生活に於ける価値観は、国が違えば少しばかりの違いが重なって、結果、とても違う文化風俗として目の前に現れることがある。

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バリ島は、年中暑いから、着る物なんて、なんでもいい。Tシャツに短パンがあればいい。寒いときでも18度とか。年間を通して暖かいから、お米を年に二回収獲できる。最大は3回という話もある。冬がないから、フルーツが一年中実っている。つまり、寒さで死ぬこともないし、食べ物が枯渇することもない。

 

またヒンズー教が生活を豊かにしている。バリ島に滞在して「豊かさ」を見せられた。ヒンズー教には「知足」という教えがある。バリ島に17年暮らすツトムはこう話してくれた。

「バリ島の人の贅沢ってのは、ブタの丸焼きを食べることなんだよ。お祭りなんかのときね。で、たくさんお金が入ったら、日本みたいに贅沢はエスカレートしなくて、ブタの丸焼きが増えるだけなんだ。ブタの丸焼きなんて、何個も食べれないから、周りにシェアするようになる。そうすると、親族や村人から貧しい人がいなくなる」

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ツトムの奥さんのプトゥちゃんの実家に招待してくれ、チフミとぼくは、その豊かさを体験しながら、アート制作をした。

 

バリ島のツトムのゲストハウスの庭で粘土をみつけた。これは次にやりたいことだった。生まれて初めて自然から粘土を発見した。焚き火をして焼いてみた。土器ができた。

日本でもこの作業をしたい。火と水と土のアート。

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バリ島はサーフトリップでもあった。サーフィンというカルチャーを体験して波の絵を描いた。バリ島に招待してくれたツトムは、ぼくらの制作を見てこう言った。

「こんなに丁寧に時間をかけて作品を作ってると思わなかったよ。素晴らしいね。ノリオたちは、作品をつくることに集中できるように今回は俺が作品を売る」

ツトムが作品を販売してくれることになった。2mの絵が2枚。価格はそれぞれ30万円。波の絵とバナナの絵。プリント版も試験的に制作してみることになった。3万円で販売する。プリントは、まず檻之汰鷲のアートを体験してもらうためのツール。部屋にアートを飾る。その効果、豊かさを体験してもらう。日本に帰ってきて、シルクのスカーフにプリントできないか調べている。旅は終わらない。旅で見た夢を持ち続けて現実を作っていく。

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バリ島では、食べたフルーツの種を芽出しした。芽が出たマンゴーの種を大地に植えてきた。7年後に実る。マンゴーを栽培することは、ザンビアを旅したときの夢だった。日本でマンゴーを育てたいと思っていた。けれど、バリ島でマンゴーを収穫できれば、それでも夢は叶ったことになる。夢は叶うとき少しだけ姿を変える。うっかりすると、それが夢だったことを忘れてしまうほどに。

 

バリ島の旅は、高校の同級生ツトムが、30年の時を経て、ぼくたち夫婦を応援してくれる素晴らしいギフトだった。いま30万円のバナナの絵の購入を検討する人も現れている。それだけの価値を認めてくれる人がいる、それだけでぼくは、この道を歩いてきたことが認められたようだし、この道の先に希望が見える。そう勘違いさせてくれる兆しがあれば、ぼくは歩いていける。旅で得た興奮をそのまま日本で爆発させよう。静かに。Quiet explosion.生活のアートは、日常をアートに変える。それはとても穏やかなアート。日常を忘れるための休みや旅ではなくて、日々をつくるための休みや旅であれば、休日も平日も仕事も遊びもなく、生きている瞬間すべてがアートに変わる。

すべての人の豊かさのために

生きるための芸術

生活芸術を。

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