いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

バリ島トリップ、都市と地方。

バリ島のクタから、今回招待してくれたツトム氏が経営するもうひとつのヴィラがあるカラガッサムへ車で2時間ほど移動した。都市から地方へ。バリ島の地方とは、どんなところだろうか。

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ツトム氏の話によると、バリ島は、どんどん発展していて、もうひとつのヴィラがある町も、少しずつ観光地化しているそうだ。夜遅くに着いたので、この日はすぐに寝た。

 

翌朝目覚めると、窓の外は、緑だった。家の外には川が流れている。バリ島にいて不思議なのは、何か懐かしい感じがする。高校の同級生といるからか、子供の頃の夏を思い出す。まだクーラーもなかった頃。夏はとても暑かった。

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早速散歩してみた。公園には池や滝があって老人が上半身裸で草刈りしている。田んぼが広がっている。バリ島はずっと夏みたいな気候だから、年に3回、米を収穫する。ずっと暖かいから、誰も冬の心配をしていない。だから、家も、一階に壁がなかったりする。家は、その家が建っている環境を教えてくれる。


散歩から戻って絵を描いた。旅先で見た景色を写真に撮って、写真をスケッチブックに線で書き写して、それをパソコンでトレースして簡略化して色を付ける。そうやって作品をつくるようになった。抽象画と具象画の中間地点を探して、色とカタチを風景の中から抽出している。これが何絵なのかは分からない。コラージュの進化系だと思っている。雑誌がなくても、目の前の色とカタチをコラージュして絵を描けるようになった。


海外に行くと、大きな絵を描きたくなる。家のサイズが、絵を大きくしたい気分にさせる。もって来た材料でいろいろ調整してみた。65cm x 200cmの絵が描けそうだ。あと、建材屋さんを散歩でみつけたので、材料を買ってウッドパネルをつくろう。100cm x 100cm ぐらいの作品をつくりたい。

バリ島に来て1週間が経って、下書きが3つある。悪くないペースだ。バリ島の旅で出会った人や、旅で経験したことから生まれるアート。ここにしかないオリジナリティで、どれだけ普遍的な絵を描けるのか。それが具象と抽象の中間地点にある。

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夕方、ツトムに誘われてジャスリンという海に出掛けた。車から見える景色は、バリ島の田園風景。なんとも、美しい。途中、原始的な小屋をみつける。目的地の近くだったので戻って写真に撮った。身の回りのモノを駆使して、ほとんどお金をかけないで建てる小屋の美しさとはなんなのだろうか。

ツトムはサーフィンをして、チフミとぼくはチョコレート工場と呼ばれる場所を目指して歩いた。海岸沿いに歩いていくと、ブランコがあって、それが目印だった。ブランコがある場所には、バリの建築を応用した不思議な建て物が並んでいた。

スタッフらしき人が声を掛けてくれ、建物の中に案内してくれた。中ではチョコレートと石鹸を販売していた。チフミは、お土産に両方を買った。

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今回バリ島に来たのは、観光地とは何かを考えたかったからだ。ぼくは今、北茨城市に暮らして「芸術によるまちづくり」に関わっている。北茨城市にも海も山もあって、魅力的な景観もある。けれども、旅行者も少ないし観光スポットもあまり目立たない。


ツトムのヴィラのひとつは都市クタにあってもうひとつは田舎にあって、この対比はとても参考になる。クタにあるのは、混雑と観光ビジネス。田舎にあるのは、人の暮らしと景観。この中間地点に理想の観光地があるように思う。日本はバリ島よりもずっと前に高度成長して、観光地になるところは一旦盛り上がって、いまは衰退している。その衰退に歯止めをかけるために地方は新しい観光を模索している。ほとんどの自治体が、答えを探している。答えは日本のなかにはなくて、日本の外で起きていることを参考にいくつかを組み合わせて日本で実践すれば、まだまだ盛り上がりをつくることができる。自然が資源であることに気がつきさえすれば。

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旅するアート/滞在制作はアスリート。

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バリ島で滞在制作している。旅しながらアート制作する醍醐味は、制限があることだ。時間も限られているし、できることも限られている。材料も手法も。その中で、何をどう表現するのか。まさに限られた中で模索していく。

今回の旅は、ツトム氏のナビゲートで、サーフィンを体験している。自分がやるのもそうだし、サーフィンをする人々や環境、文化そのものを体験している。だから、作品は海を中心にサーフィンをテーマにしたものになっている。

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旅の前半は、なんでも興味あるものを写真に撮って題材を探しながら、いくつかスケッチしてみる。採用するか分からないけれど、スケッチを増やしていく。

同時に材料も手探りで見つけていく。今回は、粘土を発見した。まだ、稚拙なレベルだけれど、粘土という素材に出会った。売っているものではなく、大地から採取する天然素材だ。これは日本で制作してきたなかで、何がもっとも美しい素材かを考えて、得た答えだった。

土は美しい。その土を焼く火も美しい。土を捏ねる水も美しい。自然のエレメントを最大限に利用した土器を今後の制作に取り入れていきたかったから、粘土の発見は大収穫だった。

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滞在制作を繰り返すうちに、学んだことがある。道具は日本が一番揃っている。だから、基本的なものは、日本から運んでくる。筆や絵の具、キャンバス、ノコギリ、鑿、玄翁、彫刻刀、筆記用具、定規など。

今回はチフミが選んで持ってきたキャンバスに絵を描くことになった。持ち運べる荷物のサイズに制限された結果、200cm×60cmの海の絵を描くことになった。サーフィンで見てきた波の絵。まだキャンバスしかないので、枠を組み立てる必要がある。現地のホームセンターで材料を調達する。バリ島なので、英語が通じなかったりして、それで現地の言葉を覚える必要もでてくる。言語もまた制限される。


なんでもかんでも制限されて、ミニマル化する。最小限の状況で、最大限の可能性を引き出す。これが、滞在制作の魅力だ。人によってその楽しみは違うだろうけど、歴史を見れば、数多くの画家が旅をしている。その文脈で、滞在制作というジャンルを語ることもできる。個人的には、アスリート的な文脈で語る誘惑に駆られている。サーフィンもそうだし、登山やクライミングなど、自分が体験してきたスポーツにも、最小限の装備で自然に対峙して最大限パフォーマンスを発揮する、これが「アート」だと言いたい誘惑に駆られている。もちろん、これは今までの文脈とは異なるアートだということは分かっている。だからこそ、言葉を費やしてみたい。

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旅するアート/アスリート。これはしばらく掘れそうだ。

好きなことで食えないから夢を諦めるのか。

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ぼくはサーファーではないけれど、たまたま滞在制作でバリ島に来た。招待してくれたツトムがサーフィンを愛するばかり、ツトムの周りにサーファーが集まってくる。みんな波が大好きなのだけれど、波乗りは仕事にならないそうだ。そう簡単には。聞くところによると日本トップの女子プロでもスポンサーによる月収は13万円。それで生きていくのは厳し過ぎる。

 

例えば、ジンさんは大好きなサーフィンを続けるために30代半ばから40代を飲食店の経営に費やした。いまでは、大成功して、バリ島に移住してサーフィンをしている。

ジンさんの友人の佐竹さんは、大好きなサーフィンをずっと我慢して会社員をしていた。後輩は、自由な生き方を選んでお金を貯めては旅をしてサーフィンをしていた。ある日、後輩が死んでしまったのを機に、佐竹さんは会社を即日辞めた。大好きなサーフィンに没頭するために。けれど家族もいるから仕事をしなければならない。退職金をいろんなビジネスに投資するけど、上手くいかず、貯金も底付き、ヤフオクで買った品々を訪問販売するというハードコア自営業をしていたとき、友人からビットコインを勧められる。元手がないから、闇金融で100万調達して注ぎ込んだところ、なんと100倍になって佐竹さんは家族ごとバリ島に移住して、サーフィン三昧の暮らしをしている。

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我が親友のツトムは、アメフトを極めるためアメリカに単身渡るが、格の違いで道を閉ざされたが、サーフィンに出会い、波を求めてバリ島にたどり着く。この島に俺は暮らすという直感があったらしい。そのあと、バリ人の奥さんと結婚して、土地を買ったら、それが何十倍にもなって、現在はヴィラやゲストハウスを経営して、サーフィン三昧の生活をしている。

みんな波乗りがしたくて仕方がない。でもお金にならないから、どうやってサーフィンをやりながら生活をつくるのか、試行錯誤して生きている。まさに、みんな生きるための芸術家だ。

 

これは人生の哲学だ。

サーフィンではお金を稼げない。だから辞めるのか、続けるのか選択を迫られる。そのとき、好きなことを続けるにはどうしたらいいのか、考える。ぼくは、サーファーと話しながら、それをアートに置き換える。アートで食えないから辞めてしまうのか。なんでも置き換えてみればいい。バンドで食えないから辞めてしまうのか。小説で食えないから、映画で食えないから、アイドルで食えないから。

 

もし、そんな理由で、やりたいことを諦めてしまうなら、それまでの情熱しかなかったんだと思う。けれど、迷ったり悩んだりしているなら、続ける道を模索した方がいい。実際に、そうやって夢を叶えた人がバリ島にはたくさんいる。

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波を求めて、海へ行き、サーフィンを楽しむ。波がなければ乗れないし、タイミングが合わなければ、波に乗れない。よい日もあれば悪い日もある。

 

好きなことを続ける方法はある。

ネバーギブアップだ。

諦めなければ、

諦めた奴の分も手に入る。

(ザンビアの言葉)

アイディアはメモしないと消えてしまう。だからこして書いて現実に残す。

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可能性がたくさん湧いてきているのでメモしよう。バリ島での滞在制作をしている。高校生のときの友達、ツトムが紆余曲折、サーフィンの波を求めてバリ島にたどり着いて、現地で結婚して土地を買って、ヴィラを経営している。昨年12月のマルイの展示で、アートコレクターのハイロ氏とツトムが共同で作品を購入して、バリ島のツトムのヴィラに届けてくれ、その縁でバリ島での滞在制作が始まった。アートコレクターのハイロ氏も高校の同級生。

 

人生何が起こるか分からない。ツトムはコーチングという、コンサルのようなこともしていて、一緒に過ごすすべての時間が、どのように生きていくのか、というメッセージに溢れている。

 

ぼくは妻のチフミと絵を描く。その作品をどう売って、豊かなライフスタイルをつくるのか。そればかりを考えてきたけれど、新しい目標が見えてきた。どうやって作品を売って、アーティストとして生きていくのか。ツトムはハイロに相談すればいい、とアドバイスをくれた。当たり前なんだけれど、なるほど身近にアートをプロデュースするプロフェッショナルがいた。相談しよう。

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売れる作品をつくろう。そうすれば、みんなハッピーになれる。ぼくの夢は世界を飛び回ってアート作品をつくること。夢とは叶いそうにないこと、だとツトムは教えてくれた。夢は自分を動かすエネルギーになる。夢が叶いそうになったら、次の夢を設定すること、そうツトムがコーチしてくれた。

叶わない夢を人は見ることができない。だから、夢の抽象度を高めて、ぼんやりした景色をイメージする。どうやってやれば良いか分からないような途方もない夢を見て、その目標までのルートを考える。目標までのルートを考えることをオブザベーションと言う。これはボルダリングで学んだ。

 

日本を離れると日本を俯瞰して見ることができる。日本にはなくてバリ島にあるもの。日本でやれそうなこと。バラック小屋は素晴らしい。身の回りの材料でつくることができる。竹細工の建築も勉強になる。日本は竹の使い方を忘れてしまった。バリ島からその技を盗める。北茨城の揚枝方にバラックと竹の小屋を建てよう。今年は、揚枝方をアートの里にする基礎をつくる。

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ツトムのヴィラにマンゴーの種を植えるプロジェクトをはじめた。これは夢だった。5年前ザンビアでマンゴーをたくさん食べて大好きになって以来、いつかマンゴーを育てたいと思った。だからマンゴーを食べて種を取り出して、ペットボトルで芽出しをしている。1週間ほどで芽が出る。種を蒔こう。やがて芽が出て収穫できる。あちこちに夢の種を蒔こう。

 

まるで架空の民族のようなライフスタイルを作り上げる

バリ島で滞在制作のため成田空港にいる。フライトまで時間があるので、これを書いている。先月末、公募に提出したら、一次選考で落ちた。いつも自信満々なのだけど、ほとんど公募の類いは通らない。

 

ぼくの望みはシンプルで、表現して生きていきたい。それには、価値を創造しなければ成立しない。価値と言っても様々。まずはお金を手に入れることだ。

「絵を描いて展示して絵を買ってもらう」これは画家として生きていく基本中の基本。ところが、これが難しい。北茨城市に暮らしている画家の毛利さんや小板橋さんは、この基本をクリアして生きている。そのためには画廊やギャラリーが必要になる。そのオーナーに気に入ってもらわなければ展示はできない。なので画廊かギャラリーを探さないといけない。

ぼくの場合は、画廊もギャラリーも契約しないまま、10年近く作家活動をしてきた。運良く出会った人が作品を買ってくれたり、空き家改修でお金を得たり、プロジェクトに予算がついたり。

今回も高校時代の同級生がバリ島でゲストハウスを運営していて、山側に3件目を出すから、泊まっていいよ、と連絡をくれた。

ぼくの興味は「生きるための技術」。だからバリ島でも、どうやって人々が生きているのか、どうやって生き延びてきたのか、その辺を調査したい。なんなら、バリ島の人々のテクニックを学んで、日本に持ち帰りたいと思う。

 

先月末に企画を考えたときに気がついたのだけど「生きるための技術」は今のところアートではない。だから、お米を栽培して火を熾して美味しい白米を展示します。では成立しない。人参は美しいとか土は素晴らしい働きをするんです、と子供のように騒いでも、やっぱりアートではありませんと言われてしまう。そうなんだけれど、この境界線を突破して、アートの領域を生活の次元まで拡張させたい、そう考えている。

小松菜やジャガイモを育てても、アートでも何でもないと言われるだろう。山の中の古民家を改修して、ギャラリーを作っても、それを美術館やギャラリーに移築することは難しい。どっちにしろアートというフォーマットに落とし込まなければアートとしては伝わらない。

 

今年の課題はここだ。生活の中で生まれた感動をどうやってアートに翻訳するか。小松菜やジャガイモをアートに仕立てる突破口はあるはずだ。アートとは脱獄ゲームかもしれない。ほとんど不可能と思われる常識の壁に穴を開けて想像の世界と現実をリンクさせてしまうような。

目の前にある現象は、どれにしたって、奇跡のうえに成り立っている。そうなんだけど「奇跡」ですね、じゃアートにならない。言葉じゃ届かない描けない領域に触れてこそ、アートになる。ぼくは絵を描くけれど、画家になりたい訳じゃない。絵も現実に穴を開けるためのツールのひとつ。そうか。生きるための技術も、現実に穴を開けるためのツール。もう少しで見えそうだ。つまり、穴を開けて何を見せようとするのか。インドネシアのバリ島では、生きるための技術もアートも、農業も家屋も、漁業も工芸も、それらのことがぎゅっと生活の中に詰まっているんじゃないかと思っている。これはバリ島に限らず、世界中の田舎で、見られる現象じゃないかと期待している。

ライフスタイルとしてのアートがある。未だないけれど、そういう表現を描くことができると企んでいる。それは人種も国境も宗教も超えた普遍的に人類が必要としている、過去から未来を貫く生活のスタイル。つまり自然を利用して人間か作り出してきた...この先の言葉がない。そのモノなのか、環境なのか、技術なのか、ぼくが本来の意味を逸脱して「アート」呼んでいる、それを捉えるための旅に出掛ける。

盗作と創作。

家を改修していると絵が描きたくなって、絵を描いていると、立体を作りたくなって、お酒とタバコを吸っていると何もしなくなって、これはヤバいと思って、お酒とタバコをやめた。習慣には、悪いのと良いのがあって、基本ぼくは自堕落だから、油断するとルーズになっていく。Born to Loose. だからパンクが好きなんだと思う。

 

良くも悪くも没頭してたり熱中しているのが好きで、まあお酒を飲んでいるのも絵を描いているのも同じことで、違うところは生産的かどうか。1時間お酒を飲めば気持ちよいだけで何も生まれなくて、1時間絵を描けば、明日へ繋がる何かが生まれる。技術だったり、売れるかもという希望や失敗という結果だったり。ほんとうに、僅かな違いが人生に大きく差をつける。100メートル走で、たった1秒が大差になるように。

 

時間は、目に見えないし、長くなったり短かくなったり変動する。フランスの作家セリーヌは「一日減って一日増える」と書いた。これは生きられる日が一日減って、生きた時間が一日増えるということだ。

つまり、どっちにしろ、死に向かって一方通行なんだから、それほど恐れることはない。それでも、生きるためにはお金が必要で、年金や税金、携帯やなんだと支払いがある。税金の類いは、何百年も変わらない年貢みたいなもので、近代化なんて表面だけで、根っこのところで人間は何も変わっていないのだから、誰かに支配されるなら自分を支配してコントロールして抵抗した方がよっぽど面白くないか?人生?という話だ。それを表現するなら小説がよさそうだ。自分で自分をコントロールして社会と戦うんだ。書きながらそう思ってきた。

 

むかしより、表面的に便利になっているから、適当に生きられてしまう。むかしだったら、とっくに死んでいるような状況でもまだ生きている。でもそれはほんとうの意味で生きてると言えるのだろうか。100年前の庶民は、畑をやらなければ死んでいた。畑をやっても、食べられるのは僅かで苦しい生活を強いられた。でも、いまは最低限のお金があれば生活は保障される。食べ物を育てても、誰にも奪われることはない。なんだって取り上げられてしまう世の中の仕組みなのに野菜については、税金とか手数料とか搾取されないのは、現代社会の裏技的抜け道だと思う。

 

最低限の生活を目指しているわけじゃないけど、その対極にある豊かで幸せな生活すらも意味不明で、何を指しているのかの共通認識すら存在しない今現在、すべてのことが、貨幣経済な価値基準で計られているから答えがない。例えば、1000万円持っていても使い方を知らなければ、すぐに不幸せになるだろうし、単純な話、どんなに高級なトマトよりも自分で育てたトマトの方が美味いってことだ。これは味だけの話じゃない。

 

ぼくが常にこうやって問い続けているのは、何のために生きるのか、それについてよく考えているから。よく真面目ですね、と言われる。そうなんだ、真っ直ぐに進まないと、すぐに迷路に入り込んでしまう人生は。けれど、では君は、痛みを感じないのか? と聞き返したい。

子供のころからアニメや漫画、文学や映画に親しんで、その名作のほとんどは、人類の愚かさに対して表現してきた。宗教や哲学、芸術の類いは、ずっとそうだった。そうじゃないか? ぼくは手塚治虫の作品が好きだ。少しでも、そんな次元の表現に近づきたい。

仮にもし君が、手塚治虫なんてどうでもいいし、芸術やアートも何の文化的な表現に対しても興味を持たないのなら、「生きることへの興味はないのか?」と質問してみたい。

食べることや異性や、それらを手に入れるためにすることや、快適な住まいなどについて。

 

もしそれすらにも興味がないと答える人がいるなら、この時代のディストピアとしての設定は完成している。動物としての本能を去勢された人間への改造計画が完了してしまった。だからこそぼくは、もっともっと表現しようと思う。それがオルタネィティブであり、カウンターカルチャーでもある。もちろん、これは架空の話だ。それでもぼくの頭の中は、ほとんど空想で溢れているから、大真面目だ。空想の大真面目だ。空想と現実の狭間で生きるほど、クリエイティブなことはない。

 

ぼくは「アート」という表現活動を自分のライフワークに選んだ。例えば絵を描くことは、空想の世界を現実化する技術で、社会参加的には、貨幣を獲得するためのテクニックでもある。ここにも空想と現実の別々のレイヤーが重なっている。

「アート」は記号だ。何にでも変換できる便利なツールだ。例えば、絵画自体が貨幣だということもできる。けれども、ぼくが生産する貨幣は贋金だったりもするから、5万円の絵は5万円ではない。ある人にはそれ以上の価値があり、ある人にはまったく価値がない。それでも、絵画を貨幣と交換するのは、ぼくにとっての生命活動だからだ。絵を描くことは自然の営みであり一次産業だ。ぼくのアート活動は、誰かを騙したり搾取したりしないで、公害や廃棄物が出ない循環のなかで営まれる理想郷のなかの社会事業だ。

大切なことは、どう生きるかだ。どんな絵を描くかじゃない。どういう生き方をしてどんな絵を描くかだ。どんな学校へ行くのか、何を学ぶのか、どんな仕事をするのか。その問いと同じことだ。けれど知っている。自分に問いを向けるのは面倒だと知っているから避けている。知らないフリをしている。

実は日本社会は、それだけの自由を国民に与えている。両方の意味で。無視する自由。自由になろうとする自由。けれども、自由を掴む人は少ない。例えば、テストでゼロ点を取る勇気がない。嫌だと思っている会社を辞める勇気がない。同じことだ。野菜を育ててご飯は食べれても、人が羨むような地位や名誉は手に入らない。テレビや雑誌にも紹介されないし、肩書きもない。数ヶ月先どうなるのか分からない。でも生きている。ぼくは、これが自由だと思う。今のところ。つまり自由ほど不自由なことはない。自由であるほどに自分を律しなければ堕落していく。

何をしてても同じことなんだ。お酒に溺れてもお酒を辞めても。はっきりしているのは、ぼくたちは、社会に対して責任がある。人間として。ぼくたちは自然に対して責任がある。動物として。自然が破壊し尽くされれば人間は滅びる。都市が壊滅すれば多くの人間が死ぬ。その状況で生きる強さを持っていない。

 

だからぼくたちは指揮をする必要がある。人間ひとりひとりが、その生活のなかで政治家になる必要がある。食料について、経済について、外交について、身の回りの環境について、仕事について、オーケストラの指揮者のように調節すること。これを生活のなかで演じることができる。空想と現実は、同じレイヤー上に重なっている。政治家にならなくてもいい。ほんの少しの欲望と習慣をコントロールすることができれば。

 

ぼくは絵を描く。はじまりはコラージュで、雑誌からイメージを盗んでいた。盗んだ破片を組み合わせて新しいイメージを創作した。まったくのオリジナルなんてない。何かに影響を受けて表現は生まれる。その点、自然は寛大だ。大地から野菜を作って恵みを頂いても、誰かと同じようにやっても罪に問われない。自然と向き合って心が動いた風景を描いても、それはオリジナルだと言われる。目の前から盗んだイメージという点では、ぼくにとって、自然を模倣するのも誰かの作品を盗作するのも同じこと。目の前にある自分が素晴らしいと思うモノを絵にするのだから。でも、ほんのすこし、ほんのすこしの違いで、ぼくたちは、まったく違う人生を歩むことになる。

 

だから

何を見るのか

何を聞くのか

何を買うのか

何を売るのか

何を捨てるのか

 

その選択のひとつひとつを研ぎ澄ますことが、アートであり、ぼくはこれを生活芸術と呼んでいる。これは未だ存在しないアートだから、こうやって言葉を並べて、絵を描くようにその概念を描写している。

仕事が生まれる条件

明日は、日立市の海にいくと決めて寝た。翌朝目覚めて、妻チフミがコーヒーをポットに淹れて、7時半ころに出掛けた。

ぼくたちは絵描きだ。だから、よい景色を見たい。前回の展示で、注文された作品をコツコツと作っている。ぼくはアイディア、パネル、額、下絵、チフミは、下絵、色調、色塗り、仕上げ。頼まれた作品は、その人に合ったものを作りたい。そんな気持ちで、日立市の海にきた。

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天気が良いので、作品たちを撮影した。

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これがぼくの仕事だ。ぼくは仕事を作った。頼まれてやる仕事と、頼まれもしないでやる仕事がある。後者は、予言もしくは予知だ。

まったくお金になるか分からないけれど、自分が信じるところを表現する。するとその表現を愛してくれる人が現れる。何年後なのか、何ヶ月後なのか。お金にならなくても、死んだ後になって価値が生まれるかもしれない。だから、これは仕事なんだと思う。

そんな生活を続けるには、食べ物を確保したい。だから畑をやるようになった。いくつかの品種を植えたけど、小松菜は素晴らしい。秋から冬を越えて春になっても、花が咲いても食べられる。強く逞しい。まるで雑草みたいだ。ぼくたち夫婦が必要とするから畑に仕事が生まれる。

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北茨城市が掲げる「芸術によるまちづくり」も仕事になっている。古民家を改修してアトリエギャラリーをつくって、今年は、その周辺環境をつくる。

それは何か。

人と自然の間をつくることだ。

これは新しい仕事になる。

必要とされること。

ここから仕事が生まれる。

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