いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

高いところから低いところへ流れる水の生き方

水は高いところから低いところへ流れる。人よりも粗末な食事をし、人よりも粗末な服を着て、人よりも質素な生活をし、誰よりも贅沢な暮らしをする。「水の生き方」とはこういうスタイルかもしれない。

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 「何のために」を突き詰めていくと「水」になる。目的は、高いところではなく、低いところへ向い、周りを潤していく。

「しあわせ」には2種類あって「幸せ」は自分がハッピーになることで、その漢字のルーツは、囚われ、手枷を意味している。もうひとつの「仕合せ」は、具合よく重なることの意味で、アート技法のコラージュに通じるし、文化人類学でのブリコラージュでもある。 個人の「幸せ」を追求するならば、競争の世界が待っている。カフカの「城」か、バベルの塔か。争いは絶えず、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のように他者を蹴落とし、高みを目指す宿命を負う。

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もうひとつの「仕合せ」は、自分の行動で周囲をよりよいカタチに変えていく。恋人でも、友達でも家族でも、会社でも、地域でも、自分が属するところをハッピーにする。それは、高いところに登るのではなく、手を差し伸べること。沈没船で、女性や子供を優先して助けるような。誰かの役に立てば、人間は生きていける。それが対価になり、生かされるようになる。

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中学生の頃から25年も音楽が好きだ。今はpenguin cafe orchestraを聞いてる土曜日の朝。
 10代や20代は、働いたおカネをレコードやライブに費やした。本も好きで読みもしない難しい本や装丁が美しい本を集めた。好きでどうしようもないことを抱きかかえながら生きてきた。

 1月末、音楽からのギフトが届いた。アメリカのロスアンゼルスのバンドが日本でライブをやりたい、だけど周りにライブハウスを知っている人がいない、ということでぼくに声が掛かった。みんなは、立派なホールしか知らないという。自分がよく遊んでいたライブハウスにアメリカのそのバンドマンを連れていくと、
 「これだ!これだよ!」と喜んでくれた。そしてこの男は「みんなで楽しみたいね!ライブを無料にしたい。そしたら日本の音楽好きが遊びに来れるだろ?」と言い出した。

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それが3月25日に下北沢スリーで開催される入場無料のイベントになった。このバンドはハンニ・エル・カティブ。そのリーダーでもあるハンニは、ステージの上から降りてきた。まるで水のように。ステージを観ている観客はひとりもいない。すべての人が、それぞれの人生のステージに立っている。

ぼくは何もしていないが、好きなことを好きでいたら、仕事になった話。好きでいた音楽がお返しをしてくれた。アートも本も10年が過ぎた頃からギフトを届けてくれるようになった。だから、競争なんかしないで、好きなモノコトを大切にしたらいい。自分を信じれば大丈夫。競争を止めれば、敵は同じ未来を目指す仲間になる。それが【水の生き方】だ。

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http://www.toos.co.jp/3/

このライブハウスの考え方もまた素晴らしい。

けもの道と子供の時間

f:id:norioishiwata:20170222105418j:plain裏山を散歩して、カモシカに遭遇した。その森の中に現れた存在と、振り向く眼差しに圧倒された。テレパシーのようなコミュニケーションがあった。ぼくは、自然界の新入りだった。

いま暮らしている古民家の裏山を散歩しながら、岩を探している。この4年ほど、自分で岩をみつけてコースをつくってボルダリングをやりたいという願望から、山や川にいくたびに岩を探してきた。なにせ裏山の名前は岩山。きっとあるはずだ。数ヶ月前に、小さな岩をみつけて登ったりもしたが、掴んだ岩が剥がれて2mほど、転げ落ちた。落ちるほど魅力的な岩ではなかったから、もっと別の岩を探していた。

f:id:norioishiwata:20170222105532j:plainカモシカは、いつもなら通らない獣道のずっと先の方にいた。その更に先には、小さな岩がゴロゴロしていた。木と木の間に、岩がチラッと見えることがあるが、多くの場合は目の錯覚で何もない。そうやってドキドキしながら、山の奥へと彷徨っていく。この日はカモシカに導かれた。

 獣道を歩いていくと、谷の下に岩が転がり落ちたように集まっている。その下で水が流れる音がする。遠くの方で、トントントントンと軽快な音がする。カモシカが崖を降りてくるのだろうか。音だけで水も動物も見えない。谷の周りに、爆破されたように岩が散らばっている巨石群れが現れた。ずっとイメージしていたボルダリングエリアがここにあった。

f:id:norioishiwata:20170222105735j:plainひとつの岩からまるで、クライミングジムのホールドのような掴む場所とルートがハッキリと見えた。背負っていたマットをおろして、シューズを履いて、岩にしがみつく。手の感触を確かめながら、足の置き場を探しながら、登っていく。高い。次の手を掴み損ねたら落ちて怪我をする。足場を探りながら地面に戻ると、心臓がバクバクしている。

f:id:norioishiwata:20170222105848j:plain 誰かがつくったルートを登るのとは桁違いの緊張感。安全の保証がない。これがボルダリングだ。ルートを自分で考え、どうやればできるのか自分の身体を駆使してゴールを目指す。ボルダリングに出会ったとき、人生だと思った。危険に対するリスクをどう回避するのか、それとも賭けるのか。

30分ぐらい、横になって森の音に耳を傾けた。ぼくは何でこんな場所にいるんだろうか、と思った。ひとり自然のなかにいた。

f:id:norioishiwata:20170222110201j:plain 再挑戦。岩をよじ登る。前回よりゴールに接近した。絶妙なバランスで壁にへばりついているが、足場がみつからない。焦る。ゴールを諦めて地面に戻った。結局、クリアできなかった。

 家から歩いて30分の森の中に、夢のような時間があった。夢や理想は、目標にすれば、結果は違っても意外なカタチで叶っていたりする。意外過ぎて、気に入らなかったり、気づかないこともある。人は欲深いから、すぐに忘れてしまう。けど、その瞬間にワクワクがある。その純粋なワクワクは、子供のころ、日が暮れるのを忘れて遊んだような、時間を超えた夢の世界は、どこか遠くではない、いつも自分の近くにある。

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あまりなにもない日の収穫

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まだ冬だ。先日、火鉢をみつけて、使ってみた。炭を寄せ集めて火をつけると、これは暖かい。ほんものの火は、いくら眺めても見飽きない。オレンジや黄色に燃えている。

ここ数日は、うまくいかなかった。親切で貸してもらったチェンソーのオイルとガソリンを入れ間違えて壊してしまった。
 火鉢用の炭も自分でつくってみようと、イノシシが空けた穴に、穴窯をつくってみた。いろんな方法があるけど、もっともシンプルな原始的なやり方がいい。翌朝、穴を掘り返したら、生焼けで炭はできていなかった。

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 思い出しては、原始的なやり方で火起しをしているのだけど、手にマメができたり、両腕がパンパンになったりで、煙は上がってもまだ火をつくれないでいる。

この冬は古民家で越すと決めて、やってみれば、できないことばかりだ。むかしのひとは、強かったんだと思う。強かったのでもなく、そうなるしかなかったのかもしれない。

 今日、起きたらチカラが出なくて、何をしたらいいかと考えて、ストレッチの体操をしたけど、スッキリしなくて、facebookを覗いたら「冬のこの時期は、鬱になる人が多い」と投稿している人がいて、なんだ季節のせいかと思ったらやる気がでてきた。

冬は春の展示に向けて、制作しているがなかなか完成しない。本の出版の計画も進んでいるけど、まだ書店には並ばない。だから、目の前ことをやるしかない。遠くの未来や場所のことを考えるより、目の前の小さな積み重ねをした方がずっと気分もいい。

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 昼前にチフミが火鉢にサツマイモを焼いてくれた。つまんでいるうちにお昼になったので、昼メシはいらないな、と話していたら、小麦粉を丸めてあるから、それを焼いてみることにした。煎餅みたいな何かと思っていたら、ピザ生地だった。もしくはナン。知らないって面白い。食べられるモノを焼けば、何かしらのモノになるらしい。実際、チフミは、小麦粉を丸めたのから、うどんや餃子の皮もつくるようになった。

 午後には、昨日修理に出したチェンソーが直った連絡があり、昨日提出していたゴールデンウィークに東京の恵比寿で廃材を使った展示案についての前向きな返事もあって、進んでるような気持ちにもなってきた。

 今夜はほんとうに冷える。トイレは古民家の外にあるから行くのがキツイ。だけど、外に出て見上げると、満天の星空が広がる。いまは冬。次は春。冬があるから春が嬉しくて、うまくいかなかったり、つまずいたりするから、進む喜びがある。

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 特別な日よりも、あんまり進まなかったり、少しだけしか出来事がなかったような日の方が、気持ちを整理したり向き合えていいかもしれない。夕方、キジが飛んでいくのを見た。

夢や願いを叶えるには、たくさんのことを諦める。

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中津川の古民家で冬を越すと決めて、気がつけばもう立春。暦のうえでは春になった。
この冬は念願だったアート作品の制作に没頭する数ヶ月を過ごしている。朝起きてから寝るまで作品をつくることばかり。それでも生きていけるようになった。とても不可能なように思えたことも4年間も続けてみれば、実現できるらしい。

チフミは小麦粉でパンを焼く。石油ストーブのうえで焼く温度がちょうどよくて美味しいパンを毎日食べている。
 買い物は週に1回ぐらいで20分くらい車を走らせスーパーに買いにいく。野菜は家の近くの直売所で安く買える。米は、古民家の大家さんが提供してくれるから、食費は2000円から3000円で1週間。夫婦の1日3食が400円だから、かなりの節約生活をしている。

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だからと言って、みんなが節約生活をすればいいとも思わない。これは生活の実験。こうして記録しておかないと目的を忘れてしまう。つまり、ほんとうに貧しい生活をしている気分になってくる。違う、日常を冒険する非現実な、生きるための芸術というパフォーマンスだ。

とりあえず、消費の欲を消しさえすれば、日本では、生きていくことができる。空き家に住めば、家賃は限りなくゼロに近いし、スーパーマーケットで食材は何でも手に入る。少しの収入があれば。夢や願いを叶えるには、たくさんのことを諦める。たったひとつを貫くために。

ぼくは、家が欲しい訳ではなく、新鮮な眼差しを保つために、日本の日常を旅するために、空き家に滞在している。期間限定でいろんな土地を味わっている。長い歴史と培われてきた独自の文化。空き家を通じて100年分の過去まで旅してきた。おかげで日本がほんとうに豊かな国だと分かった。

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 朝から晩まで作品をつくるには、自分の発想がすべてだ。何を見て、何を食べて、何を感じ、何を考え、誰と何を話し何を聞くのか。体験が新鮮であるほど、純粋で真っ直ぐな作品が生まれる。ぼくを媒介するように作品は生まれてくる。いろんな影響を受けて作品は生まれてくる。素直であるほど、いいとか悪いの判断もない。最近は、自然ばかり。自然には無限のバリエーションがあって、同じ瞬間はない。なぜ存在するのか。人間も草も木も空も。そのこと自体が奇跡。シンプルな生活になると、自然が身近になるらしい。つまり野生化してくる。

 何のために「つくる」のか。心が望むことに没頭することが、もっとも平和な時間。波風が立たない。世の中がどんなに荒もうと争っていても、ここには平穏がある。それが分かった。嫁と共に人生に与えられた時間を過ごすこと。

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そうやって誕生したモノが人に社会に役に立つならば、それ以上の喜びはない。でも、まだ人や社会に役に立つほどの作品はつくれていない。それは収入に比例することでもあるから。誕生したカタチの価値は、鑑賞者に委ねられ、作品は見られるほど成長する。

つくり続けたいし、止まらない。何に向かっているのか分からないけど、信じる道を歩き続ければ、何かが起きる。それを証明したい。

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もうすぐ春だ。

期待しない、振り返らない。快適に生きるための技。

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海と森がある小さな町。新しい展開に期待しながら北茨城を訪れてきた。コンパクトで、東京からも2時間ほどだし、暮らすにはよさそう。もし縁があれば。いろいろ楽しみだ。未来に希望を託すと夢が広がる。もしかしたら、北茨城で空き家をみつけて改修してアトリエを持つことができるかもしれない。畑もやれるかもしれない。

 東京で10年振りの友達に会った。恵比寿で廃材を使ったイベントプロデュースの相談。これもまた夢広がるアイディアが炸裂していた。もしかしたら、最近考えていた廃材で小屋を建てることができるかもしれない。そうやって想いを載せていると次のステップに進むGOサインが待ち遠しい。

この1週間で、ロサンゼルスから来日するロックバンドのイベント企画、友達が新たに立ち上げる会社のロゴ制作、先に書いた北茨城の新生活や恵比寿の廃材プロジェクトなど。どれも楽しそうだけど、もし全部なくなったら、それは残念過ぎる。今までは、 そうやって傷ついたり悲しくなっていた。

けれど、仕事も未来も恋愛も、ダメなときはダメ。自分のチカラが及ばないこともある。

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そんなときは「駅のホームで電車を眺めるだけで乗らないこと」これが座禅のテクニックで、浮かんでは溢れてくる現在過去未来の想いに囚われない技。

 期待しない。
つまり未来に想いを託さない。その代わりに、やれることを「そのとき」全力でやる。

振り返らない。
つまり過去に想いを託さない。
ぼくの場合、北茨城に関してはやるべきことはやったから考えない。忘れながら返事を待つ。廃材のプロジェクトは、こちっから企画を提案すれば進む可能性があるから「いまやれることをやる」。それ以上でも以下でもない。

 期待や希望は、楽しいけど、過剰になれば現実を離れていく。世の中のニュースやインターネットの情報も、ただ見ることができれば、つまりその情報にホームから電車を眺めるように乗らなければ、ずっと自分らしく生きることができる。ほんとうに安倍首相の言動が、君の人生に影響を与えているのか。トランプ大統領の発言は、君の未来にどれだけ重要なのだろうか。遠くの壁を超えられるか不安になって一喜一憂するよりも、自分の壁を超えたほうがいい。誰かがつくった壁を乗り越えるなんてゴールがないマランソンみたいだ。永遠に続く。

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 日本の社会が悪い方向に進んでいたとしても、自分が流されずに、日々を大切に感謝して生きていれば、周りには平和が現れる。それを「一時的自律圏」と呼ぶ。自分自身をコントロールできれば、もっと社会をよくすることができる。
 
「自分が自分を信じなくて誰がお前を信じる?」尊敬する先輩が教えてくれた言葉。

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常識とは壊したほうがいい差別の壁だ。

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ゴキブリ。文字だけでも嫌な感じがする。その理由は、かつて人間がゴキブリに食べられていたからだと、ぼくは思っている。その記憶がDNAレベルで伝達されているのではないかと。
その仮説をある人に話すと
「実はわたしはゴキブリ飼っているんです。家にいるヤツじゃなくて。森にはもっとたくさんの種類が生息しているんです。それがいなくなったら森の生態系は壊れてしまいます。ゴキブリは人間を食べるほどには大きくはなれないです。嫌悪感は、単なる思い込みです。あるときラジオの子供質問コーナーで、ゴキブリはどれくらい汚いですか?という疑問に調査した結果、人間の掌より菌が少なかったんですよ。」

ぼくは何も知らないくせに、偏見の塊だった。なぜ、そんな風に思い込んでいたんだろうか。ゴキブリは汚い。それが「常識」。
 常識は、当たり前過ぎて疑う余地がない。常識に従えば、問題なく安全安心に生きることができる。だけど、世間の言われた通りに「ちゃんと」するほど、世界は狭くなっていく。ぼくは、知っているつもりになるほど、知らなくなっていく。逆に非常識になるほど、トンデモない言説が溢れ、世界は驚異と魅力で広がっていく。

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この日、津島のルミエールセンターで出会ったは砂川さんは、動物や生き物が好きで、東日本大震災をきっかけに、小動物を預かる取り組みを始めたら、どういう訳か爬虫類ばかりが集まってきたらしい。

いろんな動物に触れるうちに詳しくなり、いまではいろんな動物を飼う人の相談役になっている。
 「鳥の体調を知るには足の裏をみるんです。足が擦れていたら、それは長い間、木に止まっていた証拠なので、飛べていないから、どこかが具合悪い。とても当たり前のことなんです。」
 「ぼくは、誰も飼育できない凶暴なトカゲも手懐けました。やり方は噛ませて、どんなに痛くても騒がないことです。痛みも気絶するほど、幽体離脱するほどだと騒ぐ気も起きないですから。そこまで非暴力なら、凶暴なトカゲも仲良くしてくれます。」

 今では、爬虫類をかなりの数飼っているらしい。爬虫類と聞いて、あなたはどう思うだろうか。
ぼくは蛇には触れないかもとイメージする。だけど、それも思い込みの偏見で、ヌルヌルしてそうとか思うけど、確かに思っているだけで、触ったことはない。

 砂川さんは、あるとき飼っているトカゲが調子悪くなり、病院にいくと「トカゲを診察したことがないからわからない」といわれ、砂川さんは「原因は分かっているから、指示通りに手術してくれ」と依頼すると「トカゲの手術なんて、やったことないから」と断られ「俺がやるからやり方を教えてくれ」と自らメスを握って手術をしたらしい。おかげで、トカゲは回復した。そんな砂川さん、いまでは、動物園やら動物病院のアドバイスにのることもあるらしい。

 思い込みと常識が、視野を狭くする。家の改修方法にしても、砂川さんの動物の話にしても、技術の栽培化が進み過ぎた結果。つまり教えられた通りにやれば、資格さえ持っていれば、おカネになる仕事さえしていれば、それでいいのが常識。それは、まったくその通りでどこも悪くない。それでいい。

しかし、どういう訳か、何かの間違いか運命の悪戯か、常識の圏外に踏み出してしまうひとがいる。すぐ戻ることもできるけど、そのフィールドに喜びを感じてしまうひともいる。それは心の底から溢れる対象への愛なんだと思う。そういう人たちを何と呼んだらいいのだろう。

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この世界は、自分が見ているのと同じように、人の数だけあって、それぞれ違うのだから遠くに行かなくても、ちょっと違う角度から日常を覗いてみるだけで旅ができる。旅とは遠くに行くことではなく、新しい眼差しを手に入れることだ。キツネは、ずる賢くないし、蛇だって人間を誘惑したりしないし、オオカミだって悪い動物じゃない。UFOだって飛んでいるかもしれないし、ぼくたちだって、もっともっと幸せに生きる方法があるかもしれない。
 平凡で、単純で、日常的なこと、奇妙で普通じゃないことのあいだに差別をなくせば、日々の暮らしのなかにですら発見と喜びに満ちた大冒険ができる。

 砂川さんに「自由ですね」とコメントしたら「いや自然ですから」と言われた。自由の反対は不自由だから、自由ではまだまだ、不自由なんだと思う。正義が悪でもあるように。

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空き家は問題じゃない

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扉を開けると人が集まっていた。2年前は空き家だった津島のルミエールセンターを半年振りに訪ねた。

空き家とは何か
思うに、家主さんがその家を大切にしていたり、そこに愛があれば、空き家ではない。例え使っていないとしても。

この津島の長屋群は、もっと注目を集める場所になる。
なぜなら、
「ここの改修は終わらないです。ずっとやりますよ。それがライフワークですから。」と家主の水谷さんが言う。
ここは小さなガウディのサグラダファミリアで、シュヴァルの理想宮でもある。人生が注ぎ込まれた建築は、世にも珍しい芸術作品になる。家主の水谷さんは、建築家や専門家がおカネでしか解決できなかった木造住宅の構造補強を誰でもできるようにした。

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プロフェッショナルは、報酬を得て仕事をする。逆に言えば、プロはおカネにならないことはやらない。10万円の仕事より50万円の仕事がしたい。誰もがそう思う。
だけど、ぼくたちは、どうしてもこの津島の長屋を再生したかった。1円にもならなくても。実はおカネにならないモノコトの方が、人生にとって重要だったりする。信頼や友情や友達や恋人や結婚や愛や楽しみや幸せや命。人と人の間には、おカネでは数えられない大切なことがある。それはモノと人でも同じ。

 2年前、家主の水谷さん夫婦とぼくら夫婦で始めた空き家再生は、建物の改修は完成しなくても、その過程に集まる仲間がいて、入居者がいて。この日も新たな入居者が決まった様子。

 現在、構造だけを残して、床や壁を新しくする作業中。入居者は、自由度の高い家づくりを体験できる。これだけ自由に改造できる家も日本中見渡してもなかなかない。

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 家は人生を捧げるようなモノではなく、人生を楽しむための道具。もし、家を買えないとか、競争にウンザリしてるなら、思い切って古い家に暮らすのがいい。人の反対側に向かっていけば、ずっとその道を歩けば、それはそれで価値ある人生が見えてくる。答えなんてないし、常識なんて人の数だけあるのだから。

ぜひ、愛知県津島市宝町13 ルミエールセンターを訪ねてみてください。「たんぽぽ屋」という優しさに溢れたショップもあるので案内してもらってください。