いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

けもの道と子供の時間

f:id:norioishiwata:20170222105418j:plain裏山を散歩して、カモシカに遭遇した。その森の中に現れた存在と、振り向く眼差しに圧倒された。テレパシーのようなコミュニケーションがあった。ぼくは、自然界の新入りだった。

いま暮らしている古民家の裏山を散歩しながら、岩を探している。この4年ほど、自分で岩をみつけてコースをつくってボルダリングをやりたいという願望から、山や川にいくたびに岩を探してきた。なにせ裏山の名前は岩山。きっとあるはずだ。数ヶ月前に、小さな岩をみつけて登ったりもしたが、掴んだ岩が剥がれて2mほど、転げ落ちた。落ちるほど魅力的な岩ではなかったから、もっと別の岩を探していた。

f:id:norioishiwata:20170222105532j:plainカモシカは、いつもなら通らない獣道のずっと先の方にいた。その更に先には、小さな岩がゴロゴロしていた。木と木の間に、岩がチラッと見えることがあるが、多くの場合は目の錯覚で何もない。そうやってドキドキしながら、山の奥へと彷徨っていく。この日はカモシカに導かれた。

 獣道を歩いていくと、谷の下に岩が転がり落ちたように集まっている。その下で水が流れる音がする。遠くの方で、トントントントンと軽快な音がする。カモシカが崖を降りてくるのだろうか。音だけで水も動物も見えない。谷の周りに、爆破されたように岩が散らばっている巨石群れが現れた。ずっとイメージしていたボルダリングエリアがここにあった。

f:id:norioishiwata:20170222105735j:plainひとつの岩からまるで、クライミングジムのホールドのような掴む場所とルートがハッキリと見えた。背負っていたマットをおろして、シューズを履いて、岩にしがみつく。手の感触を確かめながら、足の置き場を探しながら、登っていく。高い。次の手を掴み損ねたら落ちて怪我をする。足場を探りながら地面に戻ると、心臓がバクバクしている。

f:id:norioishiwata:20170222105848j:plain 誰かがつくったルートを登るのとは桁違いの緊張感。安全の保証がない。これがボルダリングだ。ルートを自分で考え、どうやればできるのか自分の身体を駆使してゴールを目指す。ボルダリングに出会ったとき、人生だと思った。危険に対するリスクをどう回避するのか、それとも賭けるのか。

30分ぐらい、横になって森の音に耳を傾けた。ぼくは何でこんな場所にいるんだろうか、と思った。ひとり自然のなかにいた。

f:id:norioishiwata:20170222110201j:plain 再挑戦。岩をよじ登る。前回よりゴールに接近した。絶妙なバランスで壁にへばりついているが、足場がみつからない。焦る。ゴールを諦めて地面に戻った。結局、クリアできなかった。

 家から歩いて30分の森の中に、夢のような時間があった。夢や理想は、目標にすれば、結果は違っても意外なカタチで叶っていたりする。意外過ぎて、気に入らなかったり、気づかないこともある。人は欲深いから、すぐに忘れてしまう。けど、その瞬間にワクワクがある。その純粋なワクワクは、子供のころ、日が暮れるのを忘れて遊んだような、時間を超えた夢の世界は、どこか遠くではない、いつも自分の近くにある。

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