いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

夢や願いを叶えるには、たくさんのことを諦める。

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中津川の古民家で冬を越すと決めて、気がつけばもう立春。暦のうえでは春になった。
この冬は念願だったアート作品の制作に没頭する数ヶ月を過ごしている。朝起きてから寝るまで作品をつくることばかり。それでも生きていけるようになった。とても不可能なように思えたことも4年間も続けてみれば、実現できるらしい。

チフミは小麦粉でパンを焼く。石油ストーブのうえで焼く温度がちょうどよくて美味しいパンを毎日食べている。
 買い物は週に1回ぐらいで20分くらい車を走らせスーパーに買いにいく。野菜は家の近くの直売所で安く買える。米は、古民家の大家さんが提供してくれるから、食費は2000円から3000円で1週間。夫婦の1日3食が400円だから、かなりの節約生活をしている。

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だからと言って、みんなが節約生活をすればいいとも思わない。これは生活の実験。こうして記録しておかないと目的を忘れてしまう。つまり、ほんとうに貧しい生活をしている気分になってくる。違う、日常を冒険する非現実な、生きるための芸術というパフォーマンスだ。

とりあえず、消費の欲を消しさえすれば、日本では、生きていくことができる。空き家に住めば、家賃は限りなくゼロに近いし、スーパーマーケットで食材は何でも手に入る。少しの収入があれば。夢や願いを叶えるには、たくさんのことを諦める。たったひとつを貫くために。

ぼくは、家が欲しい訳ではなく、新鮮な眼差しを保つために、日本の日常を旅するために、空き家に滞在している。期間限定でいろんな土地を味わっている。長い歴史と培われてきた独自の文化。空き家を通じて100年分の過去まで旅してきた。おかげで日本がほんとうに豊かな国だと分かった。

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 朝から晩まで作品をつくるには、自分の発想がすべてだ。何を見て、何を食べて、何を感じ、何を考え、誰と何を話し何を聞くのか。体験が新鮮であるほど、純粋で真っ直ぐな作品が生まれる。ぼくを媒介するように作品は生まれてくる。いろんな影響を受けて作品は生まれてくる。素直であるほど、いいとか悪いの判断もない。最近は、自然ばかり。自然には無限のバリエーションがあって、同じ瞬間はない。なぜ存在するのか。人間も草も木も空も。そのこと自体が奇跡。シンプルな生活になると、自然が身近になるらしい。つまり野生化してくる。

 何のために「つくる」のか。心が望むことに没頭することが、もっとも平和な時間。波風が立たない。世の中がどんなに荒もうと争っていても、ここには平穏がある。それが分かった。嫁と共に人生に与えられた時間を過ごすこと。

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そうやって誕生したモノが人に社会に役に立つならば、それ以上の喜びはない。でも、まだ人や社会に役に立つほどの作品はつくれていない。それは収入に比例することでもあるから。誕生したカタチの価値は、鑑賞者に委ねられ、作品は見られるほど成長する。

つくり続けたいし、止まらない。何に向かっているのか分からないけど、信じる道を歩き続ければ、何かが起きる。それを証明したい。

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もうすぐ春だ。