いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

アンチ観光派の【反観光】という冒険についてのメモ

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沖縄へ。チフミの妹の結婚式で2泊3日の旅。今回はチフミの両親と姉家族も同伴で、自分がどこへ行きたい、とか手に入れたいモノへの欲はゼロにした。なんの欲もなく眺める観光地。そんなレイヤーで沖縄を体験した。

初日は15時に那覇空港に着いて、家族たちは、美ら海水族館に行くと計画。チフミと自分は、ホテルへ直行し、途中で骨董美術屋をみつけ寄り道した。

店のなかで、真っ先に目に付いた器があった。色彩と文様が南国風で沖縄らしい。この器は、民藝を牽引した柳宗悦に手厳しい批判をされて、本来の評価を得られないまま、今に至るそうだった。大正から昭和初期につくられた小さな陶器が1万円ほど。時に埋もれたモノの美しさは否定のしようがない。柳宗悦さんの時代には、まだ新し過ぎたんだろうか。

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購入した図鑑から写真を引用。

 

体験したのは「観光」という現象、イメージの「沖縄」。

「消費から創造へ」の生活芸術を標榜する自分には、観光も研究の対象になるが、沖縄で生活する人と言葉を交わしてないし、何処にも行ってないので、語れることは無いに等しい。なので常々、感じている「観光」への違和感を表現する「反観光」をイメージしてみたい。

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「観光」は商品。カタログ化され、群衆が足を運んで消費を繰り返すシステムであり、経済を活性化させる。観光が与えるモノやコトは、幻影だ。

「反観光」は未だカタログ化されていない楽園を探す冒険だ。捨てられた土地や建物を探して、彷徨い歩くこと。ベクトルを変えれば、空港は原始的な波止場で、どんな商品も無意味な記号群に変換できる。そうすれば、お土産は視界から消えて、冒険に必要な道具やアイテム探す嗅覚ばかりが鋭くなる。

 

楽園を発見するのは簡単ではない

最も有効な手段は人からの情報だ。自分の勘を信じて、その人物や土地や建物=場所に白羽の矢を立てる。むしろ、インターネットは、まだカタログに登録されていないか確認するツールとして利用する。誰かにその場所について話したときに「何処それ?」と聞き返されるのが理想だ。なんだか分からない場所に目的を定めることができたら「反観光」という冒険はスタートする。

ぼくには2つの「反観光」を実践する武器がある。

「家」は、過去の暮らし方を採取する研究材料として、古くてボロいほどに魅了的だし、もしも、そんな家に泊まることができたら、胸躍る冒険=タイムトラベルが待っている。築年数だけの過去を旅することができる。

「舟」は、かつて日本人の生活の中心にあったはずだとの予測を裏付けるために、カヌーを手づくりして、川から海へと出たり、海を陸沿いに漕いで、日本の原風景を見いだしてみたい、と企んでいる。

【反観光】とは、
・消費を目的とした旅ではない
・価値を発見発掘する旅のこと
・偶然を信じて行き先を決める

f:id:norioishiwata:20160208135003j:plain海洋文化館にて


「家」と「舟」が合体するとこうなるのか?

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夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/