いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

空き家改修プロジェクト延期の騒動から撤収までの顛末

まるで半年間の夢を掻き消すように一週間が過ぎていった。空き家再生を目指した空村プロジェクトは夢の地図だけを描いて終了した。理由は空き家のオーナーとの信頼関係をつくれなかったこと。その1点に尽きる。そしてぼくは、生まれ育った東京に未だ暮らしている。


オーナーは「物事が上手くいってるときはすべてがテンポよく進み、一旦ズレてくれはノイズが溢れ出してくる。」と例えた。

愛知県津島市の空き家に出会ってから素人が空き家を改修する計画をつくり、入居者を募集して、反響を得て、さあ、これから始めようという矢先のことだった。
チフミは2013年の旅の前の会社に復職したがそれを辞めて、ぼくら夫婦は津島市の空き家改修に賭けていた。この冒険の向こう側に未来をみていた。この1週間、日々悪化する状況のなかで少しでも活路を見出そうとしたが、津島市に生まれた縁は消えていった。こんなことを起こす運命を疑った。

現在、この出来事をどのように受け止めればいいのかわからない。自分に正直になるなら、空き家への興味が消えた訳ではない。場と空間を手に入れることができれば、創造はより自由に、文化はさらに発展するはずだ。文化とは芸術で、ぼくが考える芸術とは、人間の良心を表現するもので、どんな時代でも、このフィールドは人間が尊厳を持って生きる可能性と方向を照らし出してくれる。だからこそ、次の世代のためにも、場と空間を手に入る方法をつくり出したい。捨てるほど余って困るものがあるなら利用して価値をつくる、それがぼくの考える芸術の表現方法だ。

今回の件を母親に話したところ「不安で仕方なかった。仕事もないところへ引越すなんて。」と言われた。
「もっともっと、いろんなところへ引越したいよ。」と僕が話すと
「どうやって生きていくつもりなんだ。」と呆れられた。
「どうやって生きていくのか考えるために新しい土地へ移るんだ。仕事がなければつくればいい。それに日本に生まれて、この素晴らしい国の姿を知らないまま死ぬなんて残念過ぎる。」と話すと
「わたしにはそんなこと出来ない。誰かに仕事を貰わなければ生きていけない。だから、あなたの行動をみて不安になるの。でもそれはわたしの考え方。あなたはもっと自由に生きていけるのね。応援するわ。」と言ってくれた。

ぼくは不安に支配されてきたと思う。どうして不安になってしまうのか。その根源が「食べる」「住む」の2つにある。あとは欲。それは貧・瞋・痴(どんじんち)。これさえ押さえれば、不安から解放されるんじゃないだろうか。

ここから見える未来は2つ。ひとつは東京に暮らしながら生活革命を実践すること。もうひとつは、地方に行き、空き家をみつけて活動をすること。いま考えている空き家の利用方法は「解体した空き家の材を再利用して空き家を改修すること」このプログラムを遂行すれば、場と空間をより多くのひとに解放することができる。

しかし、日本の建築は構造と安全に関するルールが厳しく、それをクリアするためにはお金が必要。また日本の建築は分業で、ひとつの建物を完成させるにも多くの手が必要で、それもまたコストが膨らむ原因になっている。しかし、それは職能の保護でもある。またお金を使わないことで、逆に関係が複雑になり目的を達成できないこともある。

登山に例えれば、入念な準備をして山の入り口に立ったが、今回は断念せざるを得ない結果となった。しかし、ぼくには、まだ「やりたい」ことがある。それがあれば生きる意味を感じることができる。まだ山の頂を踏んでいない。冒険は始まったばかりだ。空き家のオーナーには「まだやりたいことが明確でないようだ」と指摘された。

物事が上手く転がらない1週間だったが、津島に撤収の荷物を片付けに来た日は、偶然が重なり流れが変わり小さな奇跡が起きた。
空き家を現状復帰するために、剥がした畳を戻そうとするとパズルのようで嵌らない。4.5畳のそれぞれの位置を示す文字が書いてあるが達筆過ぎて解読ができない。2時間ほど格闘しても答えがみつからず、畳のサイズを図るためにメジャーを買いにいく途中、畳屋のトラックを発見、待つこと5分ほどで職人さんが現れた。畳の嵌め方を質問すると、メモを書いてくれ、後で寄るよ、と言ってくれた。約束通り現れた畳職人は2分ほどで片付けてくれた。

人生はこのように偶然に助けられながら課題をクリアし続ければ、なんの問題もなく快適に日々を送ることができる。誰かに委ねたり、より大きな方へと流れていく心が、予測不能な事態を起こす。かと言って、それが悪い訳でもない。空き家改修プロジェクトのために、空けた向こう1年が白紙になった。これはこれで、至極シンプルな状態になった。

「なにをしたいのか」
世間体でもなく誰かのためでもなく、誰かの夢でもなく、只々、純粋な自分の心から湧き上がる想いをカタチにしていくこと。失敗も成功もなく、日々を愚直に積み重ね繰り返せばいい。屋根は雨が漏らなければ、食べ物は飢えさえしなければ、何より、嫁と作品を作り続けることができればいい。それがぼくにとっての生きる芸術だ。

夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/

生きる芸術のための生活者
石渡のりお
norioishiwata@gmail.com