いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

「生きるための芸術」とは何か。

12月に個展が決まった。会場は、有楽町マルイ。よしもとクリエイティブ・エージェンシーのアート部門で働く友人が一緒にやろうと誘ってくれた。ギャラリーではないけれど、素晴らしい会場に決まった。

個展のタイトルを「生きるための芸術」にしようと妻のチフミに話したところ、昨日の夜、チフミは難しい顔でメモをしていた。どうしたのか聞くと、チフミは「生きるための芸術がどういうことなのか分からない」と言った。


そうやって会議が始まった。
そもそも「生きる」とは何か、「芸術」とは何かの話。
ぼくには、なぜ生きることと芸術が区別されるのか分からない。
チフミは、なぜ生きると芸術が結び付くのか分からない。

☆☆


こう説明した。
「芸術」はかつて「技術」と同義だった。アートの語源はアルス。技術とは「つくる技」のことで、職人さんはそれを持っている。例えば、かつて家はみんなほぼ同じカタチをしていた。想像力は必要なかった。けれども、もっとこうしたいという欲求が現れて、それを実現するために想像力が必要になった。ぼくは、そこに分岐点があったと思う。想像力を持つ技術者は、もっと欲望を満たしたいパトロンに囲われ、仕事をしながら更に新しいモノを作ろうとした。

現代では、技術と想像力があっても、それではまだアートにならない。
(ちなみにここではアートと芸術を同義で扱うので、そのつもりで読んで欲しい)

じゃあ、どうすればアートになるのか。それには他者の評価が必要で、作られたものをこれがアートだと誰かが認める必要がある。

例えば、ヘンリー・ダーガーは部屋に篭って絵を描いて作品を残したまま孤独死した。死後に作品が発見されたけれど、もし発見されなければ、ダーガーの絵はアートにならなかった。発見され、その絵に意味が与えられ、つまり評価され歴史のなかに位置づけされて、彼の表現はアートになった。

チフミ「じゃあ、誰かに評価されないと芸術ではないってこと?」

ぼく「そう。例えばマルセル・デュシャンはこう言ってる。作品がアートになるには、蜜蜂の作った蜜が精製されてハチミツになるように、人々に鑑賞されなければならないと。つまりアートは社会の中でしか機能しないということなんだ」

チフミ「じゃあわたし達の作品も誰かに評価されなければアートではないってこと?」

 ぼく「そう。だからぼくは文章を書いている」

チフミ「じゃあ、ノリは自分で自分の作品を説明しているということ?だけど、誰か他の人が評価しないとアートにならないんじゃないの?」

ぼく「そう。更にややこしい話だけど、作品を説明している訳ではなくて、新しいアートの概念を作っているんだ。だから、ぼくたちの作品とぼくが書くことはイコールではないんだ」

チフミ「え?よく分からない」

ぼく「今話しながら分かったんだけど、チフミは、ぼくよりもずっと純粋に表現していて、チフミには他者の視点がないんだ。ただ作っている。だからずっとアルスに近い。職人側。ぼくは、書いたり考えることが好きだから、ぼくたちの表現を他者の視点で語ってアートに近づけようとしている。それがすぐにアートとして認められるか分からないし、死んだ後かもしれないし。それでもぼくは今の時代にこれが必要なアートだと信じて生きるための芸術を提案したいんだ」

チフミ「そういうことなんだ。つまり芸術を分解すると「技術+想像力+他者」。わたしは、技術+想像力だけだから、他者の視点である生きるための芸術が理解できなかったのね。わたしには元々そういう考えはないもんね。ノリの言うアートが何かは分かったけど、じゃあ、どうして芸術と生きるが結び付くの?」

 ぼく「芸術は人間がつくるものだけど、それがどうやってつくられるかは問われないでしょ。技術的なことではなくて、どんな生き方をして作られたのかって話として。でも、作られる作品とその人の人生は繋がっている訳で。ぼくは生き方も表現の一部なんだと言いたいんだ」

チフミ「なんか難しい」


ぼく「生きることと芸術は、それぞれ別だと考えられているよね。それが当たり前だと思う。だからチフミは理解できない。それでいいんだと思うよ。だけどアートには、新しい領域を開拓する一面もあるんだ。つまり◯◯◯という理由でこれはアートだと説明すること。その新しさが芸術である/なしを決めるポイントでもあると思うんだ。だから、ある意味でゲームのような側面がある。しかも、それは常に提案されていて。常に新しいアートが世界の至る所で評価されていて。あまりにも有名になれば、ぼくらの耳にもその表現や作者の名前が伝わってくるけど。アートには答えはいくつもあるし、常に変わっていくんだと思うよ。だから難しいことになるね、答えがないんだから」

チフミ「じゃあ、説明できて認められれば何でもアートになるってこと?」

ぼく「そう。論理的に説明できて、それに納得する人が大勢いれば。でもそれは簡単なことじゃない。例えばヘンリー・ダーガーの作品を発見して意味を与えた人によって本が出版されたり展示されて世界中に広まったわけだよね。奇跡に近い出来事だよ。ぼくの場合は、生きることがアートであるという考え方を作った。ぼくはチフミと一緒に作品をつくる。ぼくたちの日々の暮らしの中から作品は生まれてくる。日々の体験や考えることが作品に影響を与えている。だから人生も作品の一部だと言える。それを世の中に問いたいと思っている。これはチャレンジでもある。伝わってる?」

チフミ「じゃあ、夫婦でやっていることがわたしたちにとっての芸術ってこと?」

ぼく「そうかもしれない。環境を作ることもアートなんだと思う。作家は、作品をつくると同時にその生活環境も作っている訳で。社会的に評価されれば何をやっても芸術家として認められるかと言えば、今はそうかも知れないけど、それって美しいと言えるのかな? ヨーゼフボイスは、社会彫刻って概念をつくって、人間は誰しも生命活動のなかで、社会を作り変えることができるとメッセージしたんだ。つまりアーティストとして生きるために、ぼくたちがしてきた空き家を改修したり、食べ物をつくったり、地方に暮らして活動しやすい環境を手に入れる活動もアートの一部だと言えると思うんだ。大地に種を撒いて芽が出るように、アーティストがどんな環境に生きて、その作品が誕生したのかを問うことは、これからの未来、考えられるべき大切なポイントだと思う、もちろん、これはアーティストに限らず、すべての人の問題だけれど、それを漠然と言っても伝わらないから、アートの表現として実践している。アートとしてなら理解される可能性もあると思っているんだ」

チフミ「じゃあ、生きるための芸術っていうのは、生活しながらつくるアートっていうこと? 」

ぼく「そう。すごく当たり前のこと。実は。生きるって人間にとって普遍的な問題だし、それが芸術と結び付かないワケはなくて。それを証明することは、アートの歴史的に見ても意味のある開拓だと思うんだ。もちろん、そのためには、作品も生活のひとつひとつも磨かなければとてもアートだとは伝わらないけどね。ぼくたちは、それをやろうとしている。生きていることと表現活動が同じ根にあるなら、すべての表現が生きるための芸術になるんだ」

チフミ「ノリは何のためにそれを言いたいの?」

ぼく「生きるについて考えることは何となく避けがちだけど、本当は最も大切なことで。アートを通じて、それを伝えることが自分の仕事だと思っているんだ」

☆☆☆


ぼくたち夫婦は、昨晩こんな会話をした。ぼくは、アートとは社会への問いと実践だと思う。作品はそれを伝えるためのツール。言葉は作品に意味を与えてアートへと昇華させるツール。ぼくたちは、まだまだ「生きるための芸術」の途中段階にいるけれど、ぼくらの表現がより多くの人の目に触れて、心を動かし言葉になって社会にとって有意義なアートへと成長することを願って2019年12月8日(土)~12月16日(日) 有楽町マルイ8F 催事スペースにて個展をやる。ので、ぜひ足を運んでください。展示までのあれこれを記事にしていこうと思います。

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(続く)

新しい日 - A day new rising

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目覚ましを6時にセットして、予定通りに朝起きた。チフミが作ったブルーベリージャムでパンを食べコーヒーを飲んでウェットスーツを着て、車で出かけた。スーツはウェットなので向かう先は海だ。今日はどんな波だろうと楽しみに海に出ると、あまり波はなかった。ぼくはサーフィンが出来るとは言えないので、波はそれほど重要でもない。海で遊ぶのが楽しいからやっている。

海には先客がいて、浜を掃除してゴミを燃やすお爺さん。名前は知らない。お爺さんは、平潟港の海に面したところに家があって、震災で津波に飲まれた。今は復興住宅に暮らしている。仕事が嫌いで、仕事から仕事へと転々として生きてきた。そう話してくれた。お爺さんのお父さんは漁師で、魚を捕るのが上手だった。お爺さんは、魚は食べるのは好きだけど、働くのは嫌だった。そういえば、ぼくのお父さんの家も漁師だった。だからぼくは、海が好きなのかも知れない。お父さんは、漁師が嫌で家業を継がなかった。ぼくは海の仕事とは関係ない生き方をしてきたのに、海の近くに住んでカヌーを漕いで魚を釣ろうとしている。ないものがみんな欲しい。

お爺さんは「今日は波ないけどせっかく来たんだからやっていきなよ」
と海の主のようなことを言う。

波はあまりない。たまに来る波に乗ろうとする。たまに来る波は15分に3発ぐらい連続でやってくる。その前に小さな波が2回ぐらいある。そのリズムが分かって、たまに来る波が嬉しくて、先走って小さな波に乗ってしまう。結局、大きな波に乗れないまま体力を消耗する。

家に帰ってチフミに今日の波の話しをしたら「まるで人生みたいだね。上手くいかないのねえ」と笑った。そんな話しができるから海に行くのが楽しくなる。

毎日、アトリエにしている古民家に通っている。アトリエの近くに畑を借りている。畑にはひとつも収穫できなかったトマトと、花が咲いているナスと、落花生、モロヘイヤが植わっている。チフミは、モロヘイヤの葉っぱを取って食材にして料理してくれる。

畑は少しずつ良くなっている。失敗をして、それが間違いだと分かって改善している。この地域には畑がいっぱい空いている。食べ物がなかったら死んでしまうけど、すべての人間が食べ物を生産している訳じゃない。大地がなければ人間は死んでしまうけれど、すべての人が大地に関心を持っている訳じゃない。


日本はこれだけ豊かな土壌がありながら、食料の多くを輸入に頼っている。実際、畑をやってみると簡単ではないから、まあ、仕方ないかとも思う。野菜は、かなり丁寧に扱わないと実らない。デリケートだしセレブだ。土を耕してフカフカにして機嫌を損ねないようにエスコートしないといけない。自然のものたがら放っておけば、芽が出て実るかと思いきや、全くそんなことはない。人間は苦労した方がいいと言うけれど、実は快適な環境でのびのびと過ごした方がいいんじゃないかと思ってきた。野菜だって、そいう環境じゃなきゃ美味しくならないのだから。苦労して我慢している日々には何があるのだろう。

午前中は、新しい絵のスケッチをした。この時間のためにすべてがある。そのために余計なことをたくさんしている。改めてそう思う。最近は見たままを絵にしている。空想よりも、目の前の光景が美しいと思う。どう考えても、目の前に存在するすべてが驚異に満ちている。生きていること自体が。

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午後には、お客さんが来た。10月から北茨城市で地域おこし協力隊として活動する成川さん。兵庫の学校を卒業したばかりで北茨城市に引っ越してくる。北茨城市は、いよいよ本当に「芸術のまち」にしようとしている。芸術家が暮らしやすい地域があったら、確かに夢のようだ。広いアトリエスペースがあって「画家です」と自己紹介しても変な顔もされずに、むしろ歓迎される。企業の面接だったら不採用なところ、喜ばれる。そんな企業も増えたらいい。自分の夢や希望を一緒に応援してくれる会社。ある意味、北茨城市はそれに近い。こんなことがあるのかと、ぼく自身この境遇に驚いている。

夕方には、2枚の新作のアイディアが固まった。一日は、あっと言う間に過ぎていく。時間は待ってもくれないし、買うことも売ることもできない。泣いても笑っても同じように過ぎていく。けれども、楽しい時は一瞬で、辛い時は、何度時計を見ても進んでいない。時間は資源だ。植物にとっての大地のように人間は時間の中に生きている。もし時間をお金のように誰かがコントロールするようになったら恐怖だ。今は時間は自然のままにある。本当は、自分の思うがままに時間をコントロールできる。ややこしいけれど、自由とは不自由だ。自分の時間を自分で管理するなら、それは自由だけれど自由ではなくなる。

 夕方帰る前に、川にカニを捕る仕掛けをしてきた。一日にできるだけ、いろんなことを仕掛けたい。川のカニを捕るように、野菜を収穫するように一日の中にいろんな物語や想像の種を撒きたい。理想的な美しい一日を作ることが、その一歩だと思う。

12月に個展が決まった。来週打ち合わせして、詳細を詰める。慌てて動き回るより、動きがないときには、できることにじっくり取り組んで、キャッチする波が見えたら、動けばいい。慌てることなく。何にもないほど生産的な日はない。

なぜ絵を描くのに文章を書くのか。

どうして複雑になっていくのだろう。難しさは、結ばれた糸を解くように単純化できないのだろうか。欲望は留まることを知らない。ひとつ夢が叶えば新しい欲望に飲み込まれて消えてしまい、さも当たり前のように叶ったときに感じた喜びや感謝を忘れてしまう。

成功しているような人でも幸せに見えなかったりする。別に有名でも何かを成し遂げていなくても幸せそうな人もいる。生きることの難しさは、そういうところにあると思う。

何を望んでいるのか。自分が自分を知らなければ、幸せを見失ってしまう。絵を描いていたいと思う。何よりもそれが平和なことだから。暴力的な欲望をアートに封じ込めたいと思う。けれども、それすらコントロールできなければやっぱり欲望に飲み込まれてしまう。

ぼくは絵を描くことと同じくらい、考えること、文章を書くことが好きだ。いくら言葉で表しても何かを捉えることはできない。言葉とモノは、別々に存在している。感情や思考も別々に存在している。人間同士で理解し合うには言葉を使う。言葉という道具を利用するしか意識疎通する手段がない。つまり、自分と意識疎通する手段も言葉しかない。だからぼくは書く。

ぼくは芸術という表現を通じて人間という現象を表してみたい。向き合うべき課題であり、理解しなければ、より複雑になって、人類は欲望に溺れて自らを滅ぼしてく。個人であれ社会であれ。社会という現象も人間が作っている。誰が? そこに参加する人々の行動が作っている。にもかかわらず、人間は悩み苦しんでいる。その悩みや苦しみを取り除くことへの欲求はあまりない。人間が人間を痛めつけている。むしろ、複雑さを加速させているようにも見える。何処へ向かっているのだろうか。

人間が快適に心地よく生きていた時代は、すでに過去のものとなっている。というか過ぎてから気づくというのも人間の愚かさでもある。失ってから大切さに気づくことばかりだ。失っていることすらも忘れて、もっともっとという欲望に急き立てられ、ゴールも勝ち負けのルールもない競争の中で静かな暴力が荒れ狂う。文学が伝えてきた人間の愚かさはどうだろうか。小学校で習った国語の教科書を読めば、どうだろうか。人間としてあるべき姿が浮かんでこないだろうか。ノーベル文学賞は飾りなのだろうか。

集団になるともう手がつけられない。欲望が絡み合って解けなくなる。もう誰の声も聞こえなくなり、怒り、憎しみ、不満、妬み、裏切り、嘘、メディアを通じて伝わってくる言葉の数々。こう感じるぼくが狂っているのだろうか。

メディアの向こう側から伝わってくる言葉に違和感を覚える。テレビなんて恐ろしくて正視できない。理想がない。解決するつもりがない。正義がない。答えは、ずっと遥か彼方に消失している。ぼくは、そっとその答えを求めて暮らしの単純化を試行している。東京から地方へ引っ越して、狭い家から広い家へ、コンクリートから大地へ、消費から生産へと、世の中とは逆行するように生活を作り直している。ルネッサンス。再生。100年持続する暮らしを作っている。

情報革命は、時代も場所も超えて必要なだけの手段や方法を与えてくれる。明治時代にも行ければ、アフリカ大陸にも行ける。食べ物の採取方法も分かれば、家の建て方も学べる。行動さえすれば。だとして、ぼくが狂っていて間違ったことをしているなら、やがて忘れられ消えていくだろう。

大学の先生が2000年頃にこう話してくれた。
「これまでの情報はトップダウン。上に立たなければ、言葉を世の中に伝えることができなかった。けれども、これからはボトムアップの時代。つまりコーヒーでのドリップ式からサイフォン式へと時代が変わる」

90年代以前だったら、ぼくが書いている文章は、ある程度の権威の了承を得なければ、拡散できなかった。つまり雑誌や小説や、商業としてのフィルターを通さなければ。けれども今は、こうして何百人に伝えることができる。

だとして何が変わるのか。ダムが決壊したように言葉が溢れて、嘘も本当もごちゃ混ぜになっている。嘘も本当も分からない時代に生きている。

つまり、この時代のアートも同じこと。何がアートなのか答えがない。90年代以前ならば、雑誌やギャラリーや美術館の作品や批評家の言葉が基準になった。けれども今の時代は、偽物も本物もなくただ溢れている。誰かにとっての宝物はゴミだと批判される。

だとすれば、ぼくは感じるしかない。感じたことを表現する。言葉にする。何も参照も参考もしない。歴史から文脈から自らを断ち切って、狂っていたとしても感じるままに表現する。社会のあらゆる複雑さに接触しないで純粋な生命活動を営む。何十年も何百年も前に到達していた人間が幸せだった理想郷に生きる。

ぼくの言葉は表現や行動に先行している。なぜなら理想を語るから。この言葉たちはぼくの理想であって、誰かの価値を否定や批判するものではない。ぼくは生き方について考えている。だとして、作品に言葉はいらない。作品空間に広がる景色が、鑑賞者の眼差しを捉えて離さない罠が仕掛けられれば、作品の企みはある程度成功している。捕らえられた眼差しは、作品空間の向こう側に何かを感じる。鑑賞する人と作品が真っ直ぐに繋がったとき、そのとき初めてぼくは、作品を表現できたということができる。作品にぼくの言葉はいらない。そこから言葉を消すためにぼくは書く。

 

夢が叶った日だった

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朝目が覚めて、カヌーをクルマに載せて海に行った。波は穏やかで、まだ朝の7時前。以前にみつけたアジの泳ぐスポットに向かってカヌーを漕ぐ。海の上を走る。カヌーのうえで、仕掛けを用意して、、、いるうちにポイントから流されている。また漕いで戻って、糸を垂れる。反応がなければ場所を変えて、また同じことを繰り返す。ヒット!1匹釣れれば、あとは連発。7匹釣って餌が終了。カヌーを漕いで浜に戻る。

浜でこちらの様子を見ている人がいる。なんだろう。カヌーを海から引き上げて担いでクルマへ運んでいると

「おお手作りのカヌーなんですね!」

そうやって会話が始まった。
いわき市に住んでいる鯨岡さんは、去年からカヌーの海釣りをしている。釣りが好き過ぎてついに海に出てしまったそうだ。せっかくなので鯨岡さんに他に釣れそうな魚を教えてもらった。いまの時期だとヒラメ、ブリ、アジだそうだ。アジを餌に釣れるらしい。

ぼくは舟を作って海で遊びたくて、空き家改修をやるようになって、3年間その取り組みをしてきた。もう夢は叶っていた。この3年間のことを一冊の本に書いて、出版社に提出した。ぼくは人生そのものを記録して、出版し続けようと考えている。一冊目の本の出版社を探して回っていたとき、ある出版社の方が

「他にもこういう本はあるなという感じですけど、石渡さんがこの本をシリーズ化して、少年ジャンプみたいに続けたら、他にないユニークな本になると思います」
とアドバイスをくれた。ぼくはそれをやっている。

今年は畑が全然収穫できなかった。もっと簡単だと甘く考えていた。失敗の原因は、肥料を少ししか入れなかったこと。畑を貸してくれたミツコさんが親切に肥料まで用意してくれたのに。

いろいろな本を読んだりネットで調べて、どうやら土が重要だと分かった。さも発見かのようにチフミに話したら「そんなことは分かってるけど」と。失敗したときは、畑を耕していたけれど、何のためにやっているのか分かっていなかったのも敗因だと思う。なので、今朝は心機一転、心を込めて畑を耕しに行った。鍬で深く掘って、周りの雑草を抜いて土に混ぜた。それをやったら、まるでジムに行ったほど汗をかいた。いい運動だ。

9月に入ってから絵の制作が捗っている。涼しくなって海へ行きたい気持ちが落ち着いて、夏に遊んだ長浜海岸の絵を描いている。ぼくたちは夫婦で絵を描いているから経験したことが作品になる。

絵を描いて、魚を捕ったり、野菜を育てたりして、失敗もあるけれど、生活を作ることは幸福への近道だと思う。昨日はミツコさんが、裏の川でカニが獲れると教えてくれた。自然が近くにあると食べる物が身の回りにある。次の本は定住して、食べ物を自給しながら、アート活動する夫婦の話になりそうだ。自分のやっていることを文章にして俯瞰してみると、何をしたらいいのか、自ずと道が見えてくる。

気が付けば、北茨城市の揚枝方という集落にギャラリー&アトリエで滞在制作もできる古民家がある。身の回りの環境や資源を最大限に活用することが、生きていく基盤になる。遠くても不便でも、この場所が素晴らしいのだから、ここにわざわざ人が訪れるような環境をつくることが、自然と人間と暮らしのアート、生活芸術なんだと思う。

生産と創造を日々の暮らしに

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ぼくはこれまでに3回の交通事故に遭っている。1回目は小学生になる前、近所のスーパーマーケットの前の道路を横断しようとしてクルマにはねられた。2回目は20歳の頃、自転車に乗っているとき、後ろから追突されて。3回目は、生きるための芸術の冒頭に書いた次第。

2回目のとき、左足首を骨折し、手術をしてボルトを入れることになった。今までは自然のままだった身体にボルトを入れることで都市化される気持ちになった。つまり、大地を削り、コンクリートで固めて、鉄骨のビルが並ぶ都市を作られる地球の気持ちになった。

🌲

自然と人間の関係は、これからもっと重要な課題になっていくと思う。今年の夏には台風が西日本に2回も上陸して、甚大な被害を与えている。昨日、北海道で震度6地震があったと報道された。

自然をコントロールすることはできない。もしかしたら、科学の進歩でそんなことが可能になるかもしれない。けれども、自然は人間の想像力を遥かに超える。コントロールできたとしても、「できない」ということを基準にして、受け入れることが、それこそ自然なんだと思う。

日本の農林水産の生産性は、アメリカの50分の1しかないらしい。ヨーロッパの平均の10分の1。これに対して、いろんな意見がある。「日本の」という視点で測れば、それを制度や政治、時代のせいにする向きもある。そうだ、今の政権が悪い。確かにそういう話しもできる。テレビやネットの画面の前で。もしくは友人と酒を酌み交わしながら。

だが、ぼくは言いたい。世の中の問題を自分自身の尺度で測り直してみれば、つまり自分がどれだけ農林水産的な生産しているのか省みると、話の向きは変わってこないだろうか。

誰が森に足を運んでいるだろうか。誰が海の状態を気にかけているだろうか、誰が畑を耕したり土に触っているのだろうか。いや、俺の仕事は一次産業ではないから、と友達は言う。つまり、そういう人間が日本人のほとんどだ。

だから、ぼくは自分自身を政治して自分自身の農林水産の生産性を上げてみようと思う。森に入って道を整備する。畑を耕して食料を手に入れる。海で釣りをする。これがぼくの次の理想だ。生産と創造。

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昨日、測量をやっている友達にアルバイトに誘ってもらった。海老沢くんは、北茨城市の山の中を測量していて、道なき道を開拓して歩く。その仕事に興味を持って、参加させてもらうと、家から歩いて20分ぐらいの場所だった。田んぼを抜けて山の中へ入っていくと、釣り堀がある。会員制のシークレット釣り堀。驚きのプレイスポット。山の入り口には、3メートル級の岩があって注連縄がしてある。

ミッションは、山の頂上へのルートを開拓しながら測量する。ぼくは、荷物を運んだり、言われた通りに働く道具になった。山の中を開拓していくと、確かに道があった形跡がある。歩きながら、何百年前の旅人の気分になる。けもの道もある。測量する海老沢くんは方向感覚に優れて、山の中をどんどん歩いて目的地にたどり着く。自然を読む技術を持っている。

ぼくが暮らす北茨城市は、人の手が入っていない、開発されていない地域がたくさんある。この地に暮らして、自然に働きかける芸術をやりたいと思っている。これが難しい。自然は美術館にもギャラリーにもないし、石や木やカボチャをアートだと展示するわけにもいかない。いや、そうできる離れ業もきっとある。便器をアートにした偉人もいるわけだから。そう思って生活をアートにしたいと企む。けれども生活はあまりに当たり前のことだからアートには転換できない。簡単には。ぼくにとって芸術に思えることが、ある人には、当たり前の日常の出来事に過ぎないことがある。例えば「田んぼ」を作ることは、あらゆる生きるための技術が集まったアートだと思う。けれども田んぼはアートではなく田んぼだと言われる。

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 それでも自分が美しいと思うものを信じて、当たり前と日常と芸術、それぞれの領域が交わるところに生きてみようと思う。3年間、空き家に取り組んできて家に困らなくなったように、食料を生産しながらアート作品を創造していきたい。これから100年ぐらい通用するライフスタイル「生活芸術」を表現してみたい。生活の中に「生産と創造」を増やせば景色が変わる。イメージできるなら、やれないことはない。はじめに言葉ありき。次に行動。伝えて動けば未来は変わる。

 

美しい絵はヘタクソでも美しい

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今週は北茨城市の老人ホームで、ガーランド(旗)作りをしている。キャンプとかイベントで見る三角形の旗。これを10キロメートルまで伸ばそうとしている。達成できるかは、さほど問題ではなくて、いろんな場所でいろんな人と創作する時間を過ごせることが楽しい。

90歳の田村さんは、急に席を立ち上がり「役所へ行かなければ」と言う。なぜかと聞けば、弟がいると言う。きっと役所と弟は田村さんにとって大切な何かだったんだと思う。大切なことは記憶に刻まれ生涯残るんだ、きっと。

旗の作業は難しくない。けど、年齢によって「できる/できない」の差がある。決められた作業ができても絵が描けない人もいる。絵が描けるけれど、決められた作業ができない人もいる。お年寄りや子供は絵を描ける。すぐにサラサラを描く。上手いとか下手の判断がない。「できる/できない」の判断ができる人は、絵が描けない。失敗するのが分かるから手が止まる。だからチフミはスタンプを作って、誰でも気軽るに参加できるようにした。

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「できる/できない」の判断は人間を区別する。老人施設にいる方々は「できない」ことが多い。だから施設にいる。90歳とか97歳とか。ぼくもやがてそうなる。ぼくは絵を描くことを選んだからこの先、何の保障もない。だから、90歳とか97歳になっても絵を描く。生涯仕事をする。友達は60歳になったらリタイヤして好きなことをすると言う。どっちがアリでどっちがキリギリスなんだろうか。

なぜ人間はそんなに長生きするようになったのだろうか。そんなとき映画「楢山節考」を思い出す。70歳になると、姥捨山に息子に背負われて捨てられる村の話だ。延命とかなくて70歳で一斉に人生が終わるなら単純な話だ。思うのだけれど、今92歳の人は大正15年生まれ。今日話をしてくれたお婆さんのご主人はシベリアから帰還したと言っていた。この世代の人たちは体力と精神力が強いと思う。自然と共に生きてきたし、戦争も体験しているし。それに比べてぼくらの世代は、今のお年寄りのような老後を送れないように思う。精神的にも体力的にも弱いし、社会のカタチも歪んできているように思う。もしかしたら、老人が増えすぎて、合法的に命を絶つことが容認される未来もあるかもしれない。

「使える/使えない」とか「できる/できない」という枠組でしかモノを判断しないなら、その世界には美しさは存在しない。美しさは、もっと遠くの足元に輝いているのだと思う。見えるようで見えていないのだと思う。どんなにお洒落をしてもカッコつけても、中身は変わらないように、ありのままには敵わない。だから、ヘタクソな絵を描きたいと思う。それでも美しければ、それが真実の姿だと思う。

お年寄りとガーランドを作っていると涙が出てくる。自分の母も父もやがて歳を取り死ぬだろうし、自分も妻のチフミも死ぬだろうし、けれども、その瀬戸際まで生きるわけで、その瀬戸際がどんな状況になっているかは、全く誰にも予想できない。ぼくの目の前にいる御老人は、その瀬戸際に近く、命を燃やしている。その人が何かを創造するその瞬間は美しい。誰もが美しいのではなくて、理由は分からないけれども、何かのタイミングで美しさが輝いて、その光に触れると、生きることに打ちのめされて涙が出る。悲しいのではなくて、喜びに震えているのかもしれない。

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ぼくがやろうとしていること、やりたいことは「美術である」とか商売で成功するとか有名になるとか、そういうところから、やればやるほど遠くなって、流れるがままに向かって生きたい自分がいる。それが何処へ向かうかと言えば、死なんだと思う。死に向かって真っ直ぐ生きるほど美しいことはないと思っている。それは魂が望む方向にひたすら進むことで、たぶん、それをすれば、人間は生きられるのだと思う。死がやってくるまで。それを実証するために、ぼくは絵を描くことを選んでいるのかもしれない。その気持ちを確かめるためにこの文章を書いている。

ライフスタイルが絵を描く

朝起きてサーフィンに行こうか考えた。考えても波の様子は分からないので、朝食のパンを買いに行くついでに波を見てきた。曇り空でもうウェットスーツなしでは入れなさそうだし波も少し弱い。

ぼくは家から海までクルマで10分くらいなので気軽に様子を見に行ける。けど、サーファーは、どうやって波の有る無しを判断してるのだろうと、ネットを検索してみた。

どうやら波は低気圧の位置が関係しているらしい。Surftideというアプリは天気図と風向き、波の高さを教えてくれる。毎日これを見て、波の様子を観察している。今日も答え合わせのつもりで海を見てきた。思ったより波はなかった。
現代では、便利な道具があるけれど、かつての人々は自然を読んでいた。魚を獲るのも、野菜を育てるのも、土や気候や海と対話しながら仕事をしていた。

図書館に行って本を借りた。本棚を眺めていると手が伸びる。急に炭鉱に興味が湧いた。なぜなら、今活動している北茨城の関本町には、常磐炭田があって、採掘されていた。今では面影もないけれど、ここにはたくさんの人が暮らして町になっていた。ぼくはその炭鉱がなくなって、人も少なくなった町に移住してきたわけだ。今も残る神の山住宅はその名残。

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「炭鉱に生きる 地の底の人生記録 山本作兵衛

明治25年に生まれ、7歳から炭鉱に入り、以来50年以上、炭鉱で働いてきた山本さんが抜群な記憶で、鮮明にその景色を絵に残している。人間の労力が動力だった時代、働くことはキツかった。扱いもキツかった。まるで人間ではないような扱いをされることもあった。石炭を必要としているのは人間なのに。人間が社会を作っているのになぜ人間は苦しまなければならないのか。「炭鉱で働くことはまるで奴隷」だと描いている。

キツい労働環境にある仕事は、どれも人間が生きる上で欠かせない。石炭がなければ、戦前・戦後は、何ものも発展しなかった。農業や漁業や林業の一次産業もそうだ。この仕事がなくなったら人間は生きていけなくなる。

ぼくは東京で生まれ育っているから、自然から離れた環境で過ごしていた。だから、自然のある場所に暮らしたいと思った。何ができるのか。分からないけれど何か表現したいと思う。文章を書くことは、そのひとつ。

昨日からようやく絵を描きはじめた。12月の個展に向けて。いつもサーフィンをしている長浜海岸の絵だ。なんてことのない景色。特徴のない絵。そんな絵が理由を探すまでもなく美しくて目が離せない。そんな絵になったらいいな、と思って、今日は波乗りはやめて、絵の続きを描くことにした。アトリエに向かう途中、神の山住宅を見てきた。その奥は行き止まりになっていて、けれども道は続いていた。どこに向かっているのだろうか。ぼくは小さな古い道をみつけるとその先へ進んでみたくなる。今自分がしていることが、そんな道なんだと思う。その道は、日々の過ごし方が、絵に影響を与えるという制作方法。そんなものがあるのか分からないけれど極めて単純な話「ライフスタイルが絵を描く」そんな絵を見てみたい。ぼくはこの先、そういう絵が生まれると信じている。

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