いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

One of thesedays 62

うまくいかないことがある。できないことや、結果が望ましくない場合がある。

壁画プロジェクトの企画に対して返事が来た。「ノー」だった。予算が折り合わなかった。プロジェクトのためにスケジュールを調整してもらった大黒くんに申し訳なかった。大きな予算を提案してしまった先方に申し訳なかった。

予算はどれくらい掛けられるのか質問は最初にしたのだけれど、分からないからそっちで決めてくれ、と言われた。何にせよ残念な気持ちになった。

そこに林業家の古川さんから電話が来た。
「ノリオくん。ブログ読んだよ。絵本を描きたいって記事。絵本のイベントやろうよ。俺も書きたいし、子供たちにも描かせたいし」

 

絵本をつくりたいと思っていた。絵本は、シンプルで道徳的で、絵と短い文章でできているから、何かの結晶だと思う。自分にとってのその何かを抽出したい。生きることはシンプルなのに、人生は複雑になるばかり。

まず絵本のイベントの企画書をまとめて古川さんに送ることにした

午後は、アトリエにしている小学校のサインをつくった。依頼されている海の絵を描いた。

夜、自分が望んだことの多くが叶っていると感じた。それで不足を感じている。満たされているから、不足している。満たされているから、減らすしかない。生活のリズムを整えよう。先人達の教えを思い出す。そうやって自分自身をチューニングする。

生まれ変わるときだ。きっと6月生まれだから、5月の終わりに死ぬんだ。そして生まれる。増やすのではなく、減らすこと。つまり、研ぎ澄ますこと。やりたいことは分かっている。生活と芸術。シンプルに。

One of thesedays 61

毎日何か書くと、毎日の自分に向き合うことになる。毎日の何かに向き合うと、毎日出会うヒトや会話の節々にキラキラと光る意味をみつける。もし毎日が退屈なら、それは毎日を過ごす誰かに対しての不満でもあるし、自分への不満でもある。昨日、商売のポイントは「不」だという記事を読んだ。足りないのは何だろうか。それは、今までやってなかったことだし、考えたこともなかったことだし、今までの自分が興味を持たなかったことに、その答えがある。

いまアトリエをつくった古民家の地域のミツコさんが、畑をシェアしてくれたので、ホームセンターで苗を買ってきた。だから、今日は大地を耕した。古民家に残された鍬を使って。その鍬の持ち手は、木を削ってつくられている。何だって人間は生きるための努力をしてきた。

朝の2時間、大地を耕す。英語でcultivate=耕す。カルチャーの語源。大地を耕して種を植えれば食べる物が手に入る。日本は、世界のなかでも比較的に食べ物を手に入れやすい環境に恵まれている。

昼は、田人町のモモカフェにランチにいく。モカフェの隣にはチャンドメラというカレー屋さんがある。その隣にはギャラリー。家族で経営している。

お父さんがやっているカレー屋さんで、高級感あるカレーを食べて、モモカフェでコーヒー。6月のイベントの打ち合わせをしながら、猫と遊ぶ。一匹、足が曲がってしまって3本足で歩く猫がいた。カフェのスタッフが包帯を取り替えてあげる。猫はおとなしく待っている。モカフェは福岡のアーティストがセルフビルドした。オーナーも参加して仲間たちと建てた。手づくり感溢れる建物で、廃材も使っている。できるだけ予算をかけないで建たらしい。

帰りの車でチフミと話した。

「日本には日本のアートがあるんだよね。それを探している。日本のアートは絵画ではないと思うんだ。じゃあ、何だろうか、と考えればやっぱり生活なんだよね。日本は農業大国だったから、自然そのものに由来していると思う。茶道とかね。次の個展のためにタイトルを考えてるんだけど、やっぱり"生きるための芸術"なんだよね。伝わる伝わらないとかあるけど、理解されるからやるとかではなくて、自分が思うことを貫くところにアートがあると思うんだ」

「だから次の個展に向けて、2冊目の本を出版するクラウドファウンディングをやろうと思うんだ。返礼のメニューが自分たちの価値というか仕事になることだと思うんだ」

アトリエArigatee に帰って、制作中の作品を進めた。絵を描くのは、売るためだけではなく、進むべき道がここにあるからだ。商売は、新しくみつけた「生きるための芸術」のコンセプト。たぶん「商売」は人類が文明化された最初期に文字と同様に、必要として誕生した技術だった。その原初のカタチをみつけて、これを作品にしたい。

One of thesedays 60

苗を買いにいった。ついに畑を貸してもらったので食べ物をつくる。ホームセンターで苗と種をチェックする。

ホームセンターで買うとみんな同じ時期に同じものが収穫しちゃうから、違うのを買った方がいいんだけどな」

通りすがりの老人が教えてくれた。イマイチ、ピンと来なかったけど、枝豆と落花生、ズッキーニ、生姜、ニンジン、の苗を種を買った。あと、桃の苗木を買った。アトリエがある古民家のエリアを桃源郷と設定して、桃の木が植わっていて、夏になると桃が食べれる、そんな空想をした。だから、桃の苗木を買った。

夕方、いわき市田人のモモカフェのヒトが遊びに来た。先日、誘われるがままにアートイベントのミーティングに参加しに出掛けたら前日だったあの日に出会ったひと。モモカフェの由来を聞いたら、なんと名前が桃太郎だった。桃の苗木を買ったら、桃太郎さんがやってきた。

桃太郎さんは、モモカフェの10周年のフェスを6月中旬に予定していて、そこで何かをやらないかと誘いに来てくれた。参加型のアートプログラムがあったらいいという話しなので、ガーランドの旗づくりをやることにした。話しながら、日本には、日本のアートのニーズがあると思った。先月アメリカに行ってから「アメリカは絵を買うヒトがいるけど日本にはいない」と考えていたけれど、比較しても無意味だ。ここは日本だ。

例えば、北茨城市では「芸術によるまちづくり」をしていて、地方でのアートのニーズは高まっている。具体的にそれが、絵の販売に繋がるのではなく、絵画とは別のアートが必要とされているように思えてきた。

ここ数日「商い」について考えている。商売のポイントは「不」にあるとう記事を読んだ。不満、不足、不安、不自由。絵画は、日本では不足してない。飾る壁もないし、飾る習慣もない。けれども「アート」への期待はある。それは、楽しみの不足を埋めるため、コミュニケーションの不足を埋めるツールとしてあるんだと思う。ホームセンターで老人が言っていたのはそういうことだ。同じ野菜がたくさん収穫される時期に違う野菜を収穫すれば、それは喜ばれるものになる。

不思議なもので、必要とされる出来事は必然的に起こる。昨日の考えが明日に引き継がれて、また別のヒトの影響を受けて、さらに別の地点に着地する。人間は、字のごとく、人と人の間に生きている。

One of thesedays 59

海の側にリゾート地をつくる計画の打ち合わせ。担当者は、イタリアやドイツに住んでいて、7ヶ月前に日本に来たばかりで、日本語が堪能ではなくて、英語で話すことになった。

「イエェ、イエェ」
と相づちを打ちながら話しをする。日本語とは違う脳の回転をする。使える単語が少ないから思考が単純化する。

北茨城にいて英語が使えるのは嬉しい。少しでも触れる機会が欲しくて、毎日netflixでドラマを英語字幕で観ているし、MIKANという単語アプリもやっているし、ネットで英語会話をやろうと思うぐらいだった。

打ち合わせをしたら速攻で資料をまとめる。考えていることを相手に伝える。できるだけ簡潔に。今回は壁画の制作依頼。スケジュールもタイトなので、東京から絵描きの仲間を集めて制作チームを組むことにした。

芸術によるまちづくり。北茨城市に滞在して絵を描く。それが仕事になる。1週間の予定で、作業した分だけのギャラを保証したい。アートが仕事になることを願う。この壁画のプロモーションがうまくいけば、きっとニーズは増えると思う。

日本でアートで生きていくには、絵を描いて売るだけでなく、アートという価値やブランディングを利用して、仕事にしていくやり方もある。最近は、商売に興味がある。

商(殷)が、周によって滅ぼされたときは「万里朱殷」といわれるように「人々は皆殺しされ村々の大地は血みどろになった」の様態であったが、避難した人々もいた。彼らは各地で「商人」とよばれた。彼等は故郷を失い、土地も所有してなかったから「交易」を生業とせざるを得なかった。時の経過とともに、出世地は関係なく「交易(あきない)を生業にする人」のことは「商人」と呼ばれるようになった。通俗的に商業は、人類の文明が発展する途上、狩猟・農耕・手工業の次に余剰生産物を交換して利益を得る形態として発展したと考えられている。ただしその起源までさかのぼることは、記録がないため難しく、どの時代に最初の商業が成立したのかは、推察の域を出ない。形態として物々交換から始まり、やがて媒介物を用いる貨幣経済に発展した。

商人(しょうにん)とは、第1次、第2次産業の生産者と需要者の間に立って商品を売買し、利益を得ることを目的とする事業者(第3次産業)を指す。

調べてみるとこの通り。商いは、人類が文明を持ったその原初から行われている。これもまた「生きるための技術」だ。

昔の経営者は言った。
「売り手よし、買い手よし、世間よし」
商売は、誰かを負かしたり騙したりすることではない。双方が勝つような、得をするようなやり方。理想の戦い方。ゲームの法則。商いをテーマにした表現とは何か。

何せよ「面白いヒトと面白いことをする」それができれば楽しい日々を過ごせる。山に登るのが目的ではなく、その過程を楽しむこと。これでいいのだ。

絵を描く。絵を売る。生きるための芸術。

ぼくは妻のチフミと絵を描く。その絵を売って生きる。これが理想。けれども現実は少し違う。

ぼくは妻のチフミと絵を描く。その絵を売るだけでは、こと足りないので、そのほかにも仕事をしている。

昨日は、渋谷のギャラリー&バー「ゲルニカでアートオークションに作品を出品してきた。結論から言えば売れなかった。残念ながら。何人もの人が欲しいと言ってくれたし、携帯の待ち受け画面にしてくれたり、出品された作品のなかで一番良かったという声もあったけれども、結局は売れなかった。

出品された作品の3割から4割ぐらいがオークションで売れていった。JAPARTは、なかなか売れないアート作品をダイレクトに販売する画期的なイベントだと思う。

参加した作家は、さまざまなスタイルで表現し、さまざまな状況のなかで活動している。あるコラージュアーティストは「instagramに作品を投稿したら、ギャラリーから問い合わせが来て、所属して活動している」シンデレラボーイ。

グラフィティーを10年以上も続けて、かつては電車にも描いたことがあるという強者。それでは犯罪になるので、とキャンバスに描くようになったストリートなアーティスト。絵を描くきっかけ描き続ける理由は十人十色。

チフミもぼくも絵を買いたいと思っている。絵を買ってみないと、絵が売れることが、どういうことなのか分からない。3万円、5万円、10万円、30万円、50万円。絵画に上限はないのか、と思うほど価格は違う。

絵を売ることは、価値について考えることだし、経済とは何かについて考えることでもある。商売でもある。ここに道がある。押せば売れるということでもないし、黙っていても売れない。カネ、カネ、言うのは卑しいとも言われたりする。いや、いや、どうしたら絵を理想の価格で売ることができるのか。とても面白いテーマだと思う。

何にせよ、絵が売れるとき、そこには責任や義務はなく、愛とか衝動がある。「欲しい」という想いが溢れて止まらない衝動。ずっと見ていたいと思う気持ち。言葉にしてみると恋みたいだとも思う。ほんとうにラブリーな素敵な出会いがあったとき絵は売れる。

最近は、画家でありながら画商でもありたいと思うから、いろんなところに連絡して「絵を買いませんか?」と営業してみた。

結局、オークションに入札してくれる人はみつからなかったけれど、絵の注文が2つ入った。

ぼくは妻と絵を描いて暮らしているけれど、こんな具合なので、デザインや家の改修、または北茨城市の地域おこし協力隊として、この地を拠点にアートで生きていく実践をしている。何を成し遂げたとか、どんな結果を出したとかよりも、まずは今日昨日明日と、ものづくりをして生きていられること。これが究極、幸せハッピーだと思う。

夫婦芸術家
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/



One of thesedays 57

小学校の運動会にいった。チフミとぼくには子供がいない。だから、子供のことはよく分からない。けれど、チフミの姉の子供たち、りゅうのすけ、りなこ、甥っ子と姪っ子が、子供について教えてくれる。彼らと過ごすことで。

小学校の運動会を観覧しながら、自分のころを思い出す。学校は、ひとつの完結した世界だった。先生は先生だし、勉強は仕事だったし、列を乱すことは、ルール違反だし、話をよく聞く子がいい子だった。子供同士の世界のバランスがあって、イジメや小さな暴力や。

「全体止まれ!前へ倣へ!休め!」
改めて、運動会という行事は、軍隊みたいだな、と思った。

足が速い子もいれば遅い子もいる。ぼくは足は速くなかった。4位とか5位だったと思う。りゅうのすけは、小学一年生で、短距離走で1位になりたいと思っている。

「ノリ応援してね!ぼく頑張るから」
でも勝負の世界は厳しい。りゅうのすけは3位だった。僅かの差で。

学校って何だろうかと思う。社会なんだと思う。学校で感じたことが、ぼくの人生のはじまりなんだと思う。運動は苦手だな、とか勉強が好きじゃないとか。学校に好きなことがなければ、外にあるかもしれない。でも、それは誰も教えてくれない。

 

ぼくは、勉強もスポーツも得意じゃなかった。大学を卒業しても、何もうまくいかなかった。ぼくは、音楽が好きなのに、楽器も弾けないし、歌もヘタで、CDやレコードばかりを集めていた。いつも、社会は生きにくい場所だと感じていた。

けれども、大好きな音楽は、同じ気持ちの友達や先輩に引き合わせてくれた。自分を変える必要がないことを知って、居場所をみつけ、生きるのがずっと楽しくなった。

りゅうのすけは、勉強が嫌い。
りゅうのすけは、恐竜が好き。
名前もたくさん覚えている。男の子だから、相撲みたいな恐竜ごっこをやりたがる。ぼくに勝てるはずないけど、負けると悔しがる。
りゅうのすけは、アマゾンに昆虫の調査に行きたいという夢を持っている。

ぼくは、りゅうのすけの叔父さんだから、もし学校に好きなことがなかったら、いろいろ教えてあげたいと思う。そんなつもりで、絵本も描きたいと思う。

One of thesedays 56

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森に入った。林業家の古川さんのお手伝い兼、社会科見学として。

人間がつくった森は、人間が手を入れないと、生態系が保てない。木が混んで太陽の光が入らなくて、木がやせ細ってしまう。だから、不要な木を切る。不要な木だけでなく、売れる木も切る。そうしないと、仕事にならない。古川さんは、森の環境をデザインしながら、経済活動している。

古川さんは、重機を操り、道をつくり、チェンソーで木を倒す。木の枝や曲がり方や風を考慮して倒す方向を操る。人間が自然に対峙している。古川さんの仕事は、身体を駆使する労働だから、極力無駄なチカラを使わない。森を歩けば、山菜をみつけて楽しむ。

「そういえば、こないだブログを見たけど、杉の森って写真がアップされてたけど、あれは檜だよ」と古川さんは笑った。そして杉と檜の違いを教えてくれた。似ているけど、違いを知れば、杉は杉で檜は檜になった。葉のカタチと木の皮の違いが特徴だった。

「北茨城はどうなったら、いいのかね?」古川さんが質問した。人口も減っているし、観光資源もそれほどない。そんなまちが生き残っていくにはどうすればいいのか。

引き算だ。古川さんの森の仕事をしながら思った。新しいものをつくるのではなく、削ぎ落としていく。地方のまちが生き残っていくのは、既にあるものを伸ばしていくしかない。

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「すでにあるもの」
これを見つけるのが難しい。人生も同で、持っている能力、技術が足りないと思ってしまう。北茨城市は、海があって山があって、その間に人の暮らしがある。日本の縮図のような環境を持っている。この土地には、自然と共に生きる人間の姿があった。ほとんど過去形だけれど、まだ名残や痕跡が見える。

一次産業。古川さんの林業をはじめ、漁業に農業。自然に働きかける仕事を復興させるのが北茨城の進む道だと思う。すぐに結果が出ることではない。「まち」という大きな単位を動かせることでもない。だからまずは、自分。行動する。やってみる。

間伐材の細い木は、材にならないので放置される。そんな材だったら再利用できる。いままでなら、それをゼロ円で貰ってと考えてきたけれど、次のステップは、それをおカネにできるところまで考えたい。贋金づくり。森に捨ててある木をおカネに変える錬金術

10月ころに、大きな個展をやる可能性が出てきた。生活芸術を発表するタイミングがきた。生活芸術とは、人間と自然の関わり方を再提案するライフスタイルづくり。生活芸術を実践するために絵描き、販売して貨幣を手に入れ活動する。人間と自然の復興はすぐにはおカネにならない。だから自分のアート作品をマネタイズして投資する。これはビジネスモデルでもある。ぼくは絵を描くアーティストでもあり、絵を売る商人でもある。

そして、ここに3冊目の本になる題材がある。ぼくは「生きるための芸術」というシリーズを生涯追究する。