いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

One of thesedays 56

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森に入った。林業家の古川さんのお手伝い兼、社会科見学として。

人間がつくった森は、人間が手を入れないと、生態系が保てない。木が混んで太陽の光が入らなくて、木がやせ細ってしまう。だから、不要な木を切る。不要な木だけでなく、売れる木も切る。そうしないと、仕事にならない。古川さんは、森の環境をデザインしながら、経済活動している。

古川さんは、重機を操り、道をつくり、チェンソーで木を倒す。木の枝や曲がり方や風を考慮して倒す方向を操る。人間が自然に対峙している。古川さんの仕事は、身体を駆使する労働だから、極力無駄なチカラを使わない。森を歩けば、山菜をみつけて楽しむ。

「そういえば、こないだブログを見たけど、杉の森って写真がアップされてたけど、あれは檜だよ」と古川さんは笑った。そして杉と檜の違いを教えてくれた。似ているけど、違いを知れば、杉は杉で檜は檜になった。葉のカタチと木の皮の違いが特徴だった。

「北茨城はどうなったら、いいのかね?」古川さんが質問した。人口も減っているし、観光資源もそれほどない。そんなまちが生き残っていくにはどうすればいいのか。

引き算だ。古川さんの森の仕事をしながら思った。新しいものをつくるのではなく、削ぎ落としていく。地方のまちが生き残っていくのは、既にあるものを伸ばしていくしかない。

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「すでにあるもの」
これを見つけるのが難しい。人生も同で、持っている能力、技術が足りないと思ってしまう。北茨城市は、海があって山があって、その間に人の暮らしがある。日本の縮図のような環境を持っている。この土地には、自然と共に生きる人間の姿があった。ほとんど過去形だけれど、まだ名残や痕跡が見える。

一次産業。古川さんの林業をはじめ、漁業に農業。自然に働きかける仕事を復興させるのが北茨城の進む道だと思う。すぐに結果が出ることではない。「まち」という大きな単位を動かせることでもない。だからまずは、自分。行動する。やってみる。

間伐材の細い木は、材にならないので放置される。そんな材だったら再利用できる。いままでなら、それをゼロ円で貰ってと考えてきたけれど、次のステップは、それをおカネにできるところまで考えたい。贋金づくり。森に捨ててある木をおカネに変える錬金術

10月ころに、大きな個展をやる可能性が出てきた。生活芸術を発表するタイミングがきた。生活芸術とは、人間と自然の関わり方を再提案するライフスタイルづくり。生活芸術を実践するために絵描き、販売して貨幣を手に入れ活動する。人間と自然の復興はすぐにはおカネにならない。だから自分のアート作品をマネタイズして投資する。これはビジネスモデルでもある。ぼくは絵を描くアーティストでもあり、絵を売る商人でもある。

そして、ここに3冊目の本になる題材がある。ぼくは「生きるための芸術」というシリーズを生涯追究する。