いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

世の中の現実がぼくの日常を超えてしまった。

f:id:norioishiwata:20160710063611j:plain本を書きたいと思ったのは、28歳のとき。それからずっと書いている。何かしら。ようやくカタチになって今年の5月に出版流通されたのが「生きるための芸術」。考えてみれば10年以上。とくに誰にも認められないけど続けた。継続はチカラなんてものじゃない。継続は奇跡を起こす。なぜなら、みんな諦めてしまうから。

人生を作品にしたいと考えている。だって、人生がアートになったら最高だと思う。それが「生活芸術」というコンセプト。ライフスタイルをつくろうと思って2014年から空き家再生に取り組んでみたら、日本の「家」という現象の根が深すぎた。それを追求するのに2年かかった。今日はずっと15時間くらい、原稿を書いて、イラストも描いて、その話をまとめている。秋か冬には流通させたい。

目の前のことが大切だと思っている。学校で、哲学といえば、過去の人が言ったり書いたりしたことを、あーでもない、こーでもないと、掘り下げ、検証するけれど、そんなことより、どんなに稚拙でも、自分で哲学するのが大切だと思う。自分の目の前に現在があるのだから。

朝、本を書くために早起きしてたら、北朝鮮のミサイル発射のアラームが鳴った。外でもサイレンが鳴った。信じられない。世の中の現実がもう信じられない。あってはいけない戦争が、何年も前から少しずつ日常を侵食している。防衛という言葉が必要な時代になっている。いつになったら、人間は争いを止められるのだろう。ミサイルが飛んで、戦闘機が飛んで。今日の昼も聞いたことのない音を立てて飛行機が飛んでいる。

f:id:norioishiwata:20170617091059j:plain2017年8月29日。この日が悪夢のはじまりにならないことを願う。そしてぼくは、やっぱり人間の生き方について、深く問い研究し、それを実践したいと思う。

夕方、あまり着信のない携帯に履歴があるので、掛け直したら、5月の仕事の請求が振り込まれていない、という電話だった。名前も電話番号もあっているけど、まったく身に覚えがない。話しも通じないので、直接仕事をした人に確認することを勧めた。あまりにオカシイ。

世の中が、いくらどうなっても、ぼくはつくる。つくり続ける。表現を通じて伝えるしかない。ぼくたちは、何処からやってきて何処へ行こうとしているのか?

人間とは何だ?

まだまだやれる。

 

見えなくても伝わらなくても結果が出なくても評価されなくても、大切なモノコトがある。

 友達から
「家に木材がたくさんあるから、使わない?」と連絡があった。

f:id:norioishiwata:20170827212205j:plain行ってみると、友達の亡くなったお父さんが銘木を集めていたらしい。珍しいカタチと模様の木だったのでいくつか戴いてきたのが7月の頭。で7月の20日頃、お客さんが家に泊まりに来ることになり、慌ててその銘木でテーブルをつくった。


それから一か月後の今週末、映像作家の木村輝一郎が家族と一緒に、PEPの撮影も兼ねて北茨城に遊びに来ることになった。

土曜日の朝は曇りで、雨も降ったりで今年の夏に腹が立ってきた。ところが、午後には雲がなくなり、晴れ間が広がった。友達家族が到着すると二ツ島へ行き、素晴らしい夕焼けと海を楽しんだ。

 夜、木村家と木のテーブルを囲んで夕食をした。このテーブルは、木村輝一郎のお父さんが集めていた銘木でつくったテーブルだった。お父さんのテーブルは、孫や息子やお嫁さんに囲まれ、家族の時間をここに生み出していた。そこには何かしらのチカラが働いていた。

f:id:norioishiwata:20170827212757j:plainこの週末の素晴らしい天気も、映像作家の木村輝一郎が、ウチへ遊びに来てくれたのも、お父さんのテーブルのおかげだ。きっと。

誰にも見えなくても、すぐには伝わらなくても、すぐに結果が出なくても、たくさんの人に評価されなくても、大切なモノコトがある。忘れない。まだまだやれる。


生活を芸術に
芸術を生活に
檻之汰鷲(おりのたわし)

http://orinotawashi.com/

同じ今日はない。毎日を違う今日に。

自分に聞いてみる。
「何がしたい?」
ぼくは答える。
「世界中の人に出会い、人間をもっと知りたい」

f:id:norioishiwata:20170825213902j:plain行動力さえあれば、いますぐ、したいことはできる。同じ毎日のようだけれど、毎日を違う今日にもできる。1日をその日に完成させる。明日はない。今日という日の連続。できるだけ、できるだけ1日のなかに、できないこと、昨日やれなかったこと、ずっとやりたかったことを始めてみよう。

今日は、ペットボトルの筏で沖に出て竿なしで、糸にルアーをつけて、海のうえで釣りをした。

30分 ほどで根掛かりして、600円で買ったばかりのルアーを紛失して魚も獲れなかった。考えてみれば、かつての人々は、身の回りのモノで魚を獲っていたはず。海には海の生態系があり、魚の餌は海にある。人間には、その環境で生き抜く能力と技術がある。

釣り針もつくれるだろうと、早速、釘を曲げて釣り針をつくってみた。明日、磯にいる貝を餌に魚を釣ってみよう。

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生きるための芸術家
檻之汰鷲(おりのたわし)

http://orinotawashi.com/

知ってる道、知らない道 生きるための道。

f:id:norioishiwata:20170823220440j:plain朝、走っているとき、ふと、いつもは気づかない道をみつけた。どこへ続くのか分からない階段がある。走るのをやめて、階段を登ってみた。落ちていた木の枝で蜘蛛の巣を掻き分けながら、自然に飲み込まれて消えようとしている道を歩いた。予測不能な気配にドキドキした。

あまりに当たり前で、見過ごしていた「道」という存在に気づいた。いつも走る道は、舗装されたアスファルトで、何処へ続いているのか分かっていた。けれども今日みつけた道は、舗装されていない山道で、知らない場所へとつづいていた。

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f:id:norioishiwata:20170823222535j:plain「道」について調べてみると、家、文字、言葉、お金と同じように、人類を進歩発展させてきた技術のひとつだと知った。

まだ狩猟採集の時代、人間は、けものみちを歩いて移動しながら暮らした。食料を確保するために。今も道を利用する主な理由は、糧を得るためだ。毎日会社に行く道も何千年前と同じ理由で使っている。この道も自分が選んでみつけた道でもある。

人間は交易のために道を拓いた。道はコミュニケーションツールだった。自分に足りないモノ、必要なモノを手に入れるための道。それはネットワークでもある。自分の理想や目標のために、血を巡らせる血管のように、人と人の間に道をつくる。道が拓ければ新しい出会いも生まれる。

f:id:norioishiwata:20170824071226j:plain道を歩くとき、ほとんどの場合、知っている道を歩く。大抵は目的があるから、知らない道をわざわざ通ることもない。けれども、それでは、道をつくっていない。道をみつけたり、つくることは、冒険している証だと思う。知らないこと、やったことのないことに子供のような純粋さで興味を持てば、至るところに道が現れ世界が広がる。

今日はどんなことをしよう。まだまだやれる。

 

お金も家も仕事も幸せハッピーに生きるための道具でしかない。

昨日、テレビ神奈川の番組に出演してたくさん話したのだけれど、それでも言い足りないことがある。だからここに書いておく。
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ぼくは嫁と2人でアーティスト檻之汰鷲(おりのたわし)になる。嫁と夫。女と男。男は女を必要とし、女もまた然り。夫婦として共に暮らしても、別々に仕事をしていれば、共にする時間は想像以上に短い。たぶん、会社の上司や同僚の方が一緒にいる時間が長い。だったら、その一度限りの人生を、愛する人とできるだけ一緒にいてみよう。そして、できるだけ幸せな人生をつくってみたい。

名前の由来は「檻のように閉じられた社会から、アートのチカラで大空を羽ばたく鷲のように自由になる」

人は瞬間毎に選択をしている。どんな場所に、どんな家に、どんな仕事をして、どんな人と。何をして、何をしないのか。意識するにせよ、しないにせよ。現代は、情報がいくらでも手に入るから、少し先の未来、ずっと昔の人類が歩き始めた頃まで、簡単に見渡すことができる。ぼくたちは「生活」をいろんな場所につくることができる。競争するのでもなく、誰かと比較するのでもなければ、それぞれのやり方で、それぞれの豊かさや幸せのカタチをつくることができる時代になった。

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 競争する社会は、ピラミッド型に尖っていく。競わなければ頂上は獲れない。時に競争するのも悪いことではない。進歩や進化をもたらすこともある。けれども、幸せハッピーを目的にするなら、それ以外の道もたくさんある。もっともっと生活可能領域は広がる。貨幣価値を失なった家は、空き家として放置されているから、その家でよければゼロ円で雨風をしのぐこともできる。地方にいけばたくさん土地が余っているから、大地を耕せば自然は、食べ物を与えてくれる。価値を失ったモノコトも見方を変えれば資源になる。お金を使うこともできるし、採取することもできる。つまり、消費もできれば生産もできる。

競争に適しているひともいれば、それが向いてない人もいる。都市生活が好きな人も自然が好きな人もいる。お金も家も仕事も、ぼくたちが幸せハッピーに生きるための道具でしかない。何よりも自分が自分らしく表現できない環境にいる必要はない。ぼくたちは、瞬間毎に選びながら人生をつくっている。すべてのひとが表現者であり芸術家だ。ぼくたちは、社会と自然、社会人と原始人の間に、もっと自由にバラエティー豊かなライフスタイルをつくることができる。少しの勇気を持って自分が自分を信じれば、大丈夫。

 

それでも夏はやってくる。ワクワクして寝れない子供たち。

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海水浴場にペットボトルのSUPを持っていき、ライフセイバーさんと海水浴場を開いている市の担当者に相談すると、手作りSUPの試乗会を11日、12日、13日の連休でやってくれることになった。小学生以上を対象に開催され、述べ30人ほどが体験してくれた。


「ぼくは子供なので、なかなか海の上に行けないんですよ、貴重な体験です。」

「え、ペットボトルでつくったの? スゲー!乗りたい!」

「怖い!怖いよ!動かないで!」

「最初は難しいと思ったけど、すぐに乗れるようになったよ。」

いろんな反応があった。

ライフセイバーさんのレスキューボートで波を越えてやってきて「海には絶対落ちれない」という子がいた。話しを聞くと、目が見えないという。すごい勇気だと思った。

彼は

「これが海の上か!怖え!めっちゃ怖え!」と叫んだ。
それでも楽しんでいる様子だった。無事にSUPに乗り移ったあと


「めっちゃ揺れる!波揺れる!怖え!」と騒いだけれど
ジェットコースターを楽しむようだった。


子供たちは、ものすごいチャレンジをしているのだと思う。瞬間という瞬間を楽しみ、瞬間毎に新しい発見をして。夏休みに遊びに来た甥っ子は、毎日が楽しみ過ぎて、朝5時には起きる。ワクワクして、寝ていられないらしい。

その熱狂に比べたら、まだまだやれると思う。「大人になりさない」とか「大人なんだから」という文句があるけれど「子供を見習いなさい」とか「子供の気持ちで考えてごらん」とは言わない。子供の気持ちになれば、SUPに帆を張ってヨットにもできるだろうし、英語だって話せるようになるだろうし、世界一周だってできるだろう。まだまだやれる。

 

 

ペットボトルの筏は現代アートになるのか。

f:id:norioishiwata:20170808102147j:plainペットボトルで筏をつくった。ぼくはこの数年、舟をつくりたかった。北茨城市で、和船に出会ったけれども、その重さに怯んでしまった。仮に木材で和船をつくっても、運搬もできないし保管場所もない。もう少し、やるべき理由が重なるまで保留にすることにした。

そこで、もっともシンプルな海の乗り物、SUPをつくることにした。SUPとは、stand up paddleという立って漕ぐサーフボード。サーフボードとも呼べるけれども、つまりは筏。海に浮かぶ板状のモノをつくればいい。

f:id:norioishiwata:20170808102245j:plainモノづくりで、重視したいのは、材料がどこからやってきて、どこへいくのか。その流れは、モノが環境に与える影響を可視化してくれる。この日本には、使えるモノがたくさんある。ザンビアやアフリカを旅して、その違いに驚かされた。モノが少ない地域は「ない」を「ある」に変える創造力を持っている。その発想力で、日本を見渡せば、お宝がたくさん転がっている。

日本には、SUPを買える経済力がある人はたくさんいるだろうけれど、そもそもそれを買う目的は何か?突き詰めれば「海の上に立つこと」(イヤ、手づくりなんてダサい、お洒落なSUPに乗りたいって人もいるだろうけれど、ぼく的には、10万円もの金額を知らない人に払いたくない)。

そんなときは、サバイバル的な発想の転換で考えてみる。これが栽培化された思考の設計図やマニュアル的なやり方の対極にある野生の思考。動物が巣をつくるような身の回りの材料でつくる自然に即した表現技法。ぼくはサバイバルアートと呼んでいる。

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今回は

・ペットボトル 2L  48個

・木材①240cm 4本

              210cm  2本

              150cm  2本

・角材②160cm  2本

・紐

・インシロック

が主な材料

全部で5000円もしない。

ポイントは、ペットボトルの浮力をどうやって束ねるのか。その解決策として、木材にペットボトルを縛り付けた。実際に乗ってみると、捩れて不安定なので、横板も追加した。これで、海の上を立って漕げる。パドルも自作。

f:id:norioishiwata:20170808102821j:plainぼくの野望は、こうした創作がアートとして評価されるようにしたい。なぜなら、この筏は、環境負荷が少ないし、元々、ゴミだったモノを再利用しているので、また同じようにゴミに戻せるし、世界中の至るところで、この筏をつくることができる。金持ちも貧乏人も関係ない。

ぼくの考える「アート」とはARTの語源のアルスで、それは技術を意味する。特別な知識や経験を必要としない、原始的な技術のカタチを発掘、創造したい。ぼくは、それらをアートに位置づけたい。

そのためにも、このペットボトルの筏を、ギャラリーや美術館で観賞するモノへと変換させてみたい。人間は、ゴミを宝にできれば、金をゴミにもしてしまうし、人生をつまらなくもすれば、最高に楽しいものにもできる、嘘も本当に変えるほどの能力もある。そのチカラを証明しよう。ペットボトルの筏は現代アートになる。