いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

最後につくった作品を売りに街へ出た。ストリートで展示して作品を欲しい人を探す。

今日は最後につくった作品を売りに街へ出た。ストリートで展示して作品を欲しい人を探す。住んでいるアパートの最寄り駅近くでは、ぼくら日本人夫婦は、すっかりお馴染みになって、コピーDVDの販売を一緒にやろう、と誘ってくれるブラザーもできた。

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作品を壁に掛けていると「これはどういう意味だ?」と隅々まで質問された。買ってはくれなかったが、ストリート・ギャラリーのお客さんだ。

午後は新たな場所を求めてマンハッタンへ、途中の駅や地下鉄でも作品を展示しながら移動した。

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目的地はロウワーイーストの中華街。ここには小さなギャラリーがたくさんある。ギャラリー街に着くと雨が降ってきて、近くのギャラリーに雨宿りを兼ねて入った。
袋に包んだ作品をギャラリーの隅に置いて作品を見ていたら、ギャラリーのディレクターが「その袋は何?」と質問してきた。
袋から出して作品を見せると「クールだね。」と褒めてくれた。
ブルックリンでの活動といま展示していることを話したら興味を持ってくれた。
僅かな遣り取りだったが、作品と活動を伝えることに成功した。

作品を余計につくらなければ、中華街に来なかったし、雨が降らなければ、このギャラリーにも入らなかった。可能性を残すことができた。

ニューヨークで展開していくのがゴールではないが、ニューヨークには、質の高い作品か集まっている。その中で勝負するのは世界を舞台にすること。いま世界で起きているアートの現象を体験したからには、そこに突っ込んでいきたい。

アートのコンセプト的な部分は今まで通り追求していけばいい。それと同時に作品自体のクオリティを追求していきたい。この両方を武器に英語圏で勝負できれば、未来を切り拓くことができる。

明日で終わるニューヨークでの即興生活芸術。一カ月の時間をすべて愛すべきアートに注げたことに感謝。

どこにいても制作が生活と心の平穏。未知の場所で創造の旅に出ること。

残すところニューヨークの滞在も3泊4日。たくさんのギャラリーに行って、次の展開の営業をしながら、たくさんの愛おしい作品に出会った。アートの森を彷徨いながら、進むべき未来が見えてきた。

朝起きて、作品がつくりたくなった。ニューヨークでの経験をカタチにしたくなった。展示は始まっているが構わず、拾ってあった廃材で制作を始めた。

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どこにいても制作が生活と心の平穏。何かが欲しいと心がざわつくこともなく、何処かへ行く欲望もない。旅をして彷徨いたくない。ぼくにとっての旅とは未知の場所で創造の旅に出ることだ。

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作品はニューヨークの展示で人気のあった集中線とレジンで仕上げる。

ぼくたち夫婦の制作は自分たちの冒険の記録だが、突然、作品を目の前にする人には、そのストーリーは関係ない。または、価値の創造を目指すのであれば、魅力の純度を高めることが、錬金術への近道。「急がば回れ」とは遠回りをしながらも、頂を目指すこと。これは狩りだということを忘れてはいけない。

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ニューヨーク滞在の始まりに音楽雑誌を拾って、そこにフューチュラのインタビューがあった。バスキアとキースへリングの話をしていた。
「2人は誰よりも、世の中の要求に応えた。身を滅ぼすほどに。」

自分だったらどう振る舞うだろうか。

ぼくたち夫婦には2つの物語が必要。消費社会が切り捨てたモノコトを再生させ、社会へ還流させること。それは豊かさを増やす社会実験。それは奇跡を起こす。人が好むストーリーでもある。

もうひとつは、アート作品に価値を与え、貨幣を獲得すること。最も当たり前の行為、であり生存のための運動。今回は、まだこの運動が足りていない。

築80年の家の廃材がニューヨークで起こした奇跡。

ブルックリンの展示初日。水を買いにいった嫁チフミが、知り合いがいるはずもない、
ブルックリンのストリートで呼び止められた。

「あなたは日本から来たアーティスト?わたしは、あなたの作った箱を持っているのよ。」

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それは、今年の春、ニューヨークでのグループ展に出品した作品だった。その箱は、愛知県津島市の空き家再生プロジェクトをきっかけに廃材でつくったモノで、高円寺のギャラリーAMP cafeノグループ展に出品し、それを気に入ってくれたキュレーターが銀座TOKYU PLAZAのお店で取り扱いしてくれ、同じタイミングでニューヨークに送っていた。

ギャラリーには、「売れなかったら来場者にギフトとしてプレゼントしてください」と依頼したところ、今回、チフミに声を掛けた女性が手に入れたという経緯。その女性は、箱に感動してくれ「わたしはあなたたちに会いに来たの」と言ってぼくの目の前に現れた。チフミはその出会いに涙。

 

その女性はアートスクールの先生だった。今回の展示も楽しんでくれ「素晴らしい」とコメントしてくれフランクロイドライトの冊子と手紙をプレゼントしてくれた。

しかし、女性にどこに住んでいるのか尋ねると今はホームレスだと言う。ぼくら夫婦のアートのテーマに経済が切り捨ててきたモノ・コトがある。
それは何なのか。

ぼくらは彼女から1円も受け取っていないが、この出来事にはそれ以上の価値がある。
日本では廃棄物だった木材が、カタチを変えて人を繋ぎ、感動をプレゼントしてくれた。これは何だろうか。社会が切り捨てたモノとコトが出会い価値を生み出した。

 

ぼくは正直にまっすぐに表現しながら、
嘘ばかりの社会と勝負したい。
勝負とは正直な気持ちと魂で
どれだけのお金を獲得できるのか。
実は、すべての人が
このゲームのプレイヤー。
それこそが資本主義だ。
立ち上がれ。
自分のやり方で踊る時代だ。

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ブルックリンでの展示初日。思考すれば細り険しくなる道。それでも先へ進む勇気と希望がある。

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何のために制作するのか。人生、心の平和のため。それは個人的なこと。制作には2つのベクトルがある。ひとつは、感情的なこと。もうひとつは、作品が語るすべてのこと。
感情的なことを語る術は、このようにテキストでカタチにしてきた。それが「生きるための芸術」というコンセプトになった。誰でも日々を記録し続ければ、生きるための芸術を実践できる。自分の声を聞き、自分の生きる道をつくること。

一方で、ぼくらの作品はどれだけのことを語るのか。ニューヨークで3週間の滞在期間で材料とアイディアを拾い集め、やれることはすべて出し尽くし、そして未来への課題が残った。

昨日の午後、ニューヨークのギャラリーへ営業のためにネットで下調べするうちに、そこがゴールではないとハッキリ理解した。いくつものギャラリーを調べるうちに、取り扱う作品の強度が高いほどにギャラリーはは何も語らないことを知った。作品が言葉以上にすべてを語るからだ。

「活動」と「作品」が違うレイヤーにあるように、「作品」と「展示」もまた異なるレイヤーにある。展示は鑑賞空間をつくること。それは作品が世に生を享け呼吸を始める場所。創り手を離れ作品が語り始めるスペース=宇宙。この空間の強度、そこにアート作品の価値が宿る。作家のいかなる感情の説明を省いても、作品が内包するオーラがすべてを語る。だからギャラリーはホワイトキューブだ。

こうしてテキストによって語られる感情と、作品に反映されるテクニックは関係ない。こうして文章を書くことも作品づくりの技術も日頃からの鍛錬の結果だろう。では、自分はいつ作品づくりの技術を磨いているのか。

思考すれば道は細り険しくなる。それでも先へ進む勇気と希望がある。それが「道」なのかもしれない。日本的なひとつのことを極めようとする姿勢。指先にまで宿る全体。日本人として生まれ、ここに学ぶべき芸術論がある。結局のところ、それは全てに通じる。つまり、人としての。身なりが良い悪いでもないし、性格の良し悪しでもないし、貧富でもないし、それでも、その道にどれだけ邁進できるのか。日常を芸術に変えることができるのか。

ニューヨーク。現代アートの源流。観察できたことは、これからの活動に大きな糧となった。ギャラリーとコネクションを持つのは、旅の港を見つけるようなこと。人生を芸術にした船が、立寄る港を探している。ぼくらに興味を持ってくれ、機会があれば展示をやらせてくれ、作品に価値を与えてくれるような。その意味で今回、展示をやらせてくれたOuchi Galleryは、充分な役割を果たしてくれた。感謝。

主役は誰なのか。絵は何を語るのか。それを知るために書くこと。

ギャラリーにタイトルやサイズ、値段などの資料を提出する期限だったので昨晩まとめて作業した。今朝は起きてから、プレスリリースを作成。

ぼくら夫婦の作品と活動は、ギャラリーの枠に収まりきらないと考えている。もちろん、作品はギャラリーに展示されるから、鑑賞者にそのメッセージやモノとしての魅力を伝えるものであり続けたい。その一方で、はみ出して溢れてしまう日常に溶け出していくエネルギーを与え続けたい。つまり作品が、ギャラリーで溢れだす魅力を放ち、活動は、その外へと飛び出していく。

日常に溢れていくアートのエネルギーは、経済圏からはみ出していく。金勘定で線を引けば、それ以上の領域を拡大できないから、ぼくらは街や自然の中でアートを表現し、限界を超えていこうとする。

ニューヨークの地下鉄で「仕事ください」という手書きの紙を拾った。また別の日に地下鉄の電車の中で「お金をください」と歩く人がいた。それを聞いた人が「あなたは、働けるのだから仕事を見つけてお金をつくりなさい」と言った。また別の人がその出来事に「ファックユー」と言い放った。

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ぼくはその手紙を材料にしてこの作品をつくった。

作品をつくることはスポーツ選手のようにストイックに技術と感覚を研ぎ澄ますことだ。チフミはそれを「気合いと根性」と言っている。

出来上がった作品は、出会いをセッティングしさえすれば、目に触れる機会を与えれば自ら成長していく。出会いが物語を編み出していく。

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今日の午後は、ハーレムのようにスラム化したNEWKRIKの駅前でティピを建てた。意外にも通行人はあまり気にしてない様子だった。駅前の物売りのおばさんたちの列に入れてもらい、撮影した一枚。ティピは日常を切り取るための道具なのかもしれない。主役はブルックリンの日々を生きる人々。明日もまた撮影に出掛ける。

 

世界で最もシンプルな24ドルの家。

朝起きてティピの仕上げ作業。午前中ずっと縫い物。考えてみれば縫い物も自分たちの手法になっている。

あり合わせの材料でつくるチフミの昼メシを食べて、またティピの制作。数日前には頭の中にぼんやりとあったカタチが目の前に現れた。

家の前で撮影して、頭の中のイメージにあった傘をてっぺんに付けるとブリコラージュ感溢れる作品に仕上がった。やった!キテる。

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ここからはティピを仕上げるために街で撮影。ティピを目撃した数人がいいね!と声を掛けてくれた。まさにブルックリンとのセッション。

マンハッタンは、

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ブロードウェイと7番街が交差する42丁目から47丁目あたり、夜は宝石のような美しい夜景が広がります。世界一有名な広告と言われる「ワン・タイムズ・スクエアビル」の巨大ビルボードは連日のように撮影するカメラマンがやってくる。
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ここがポイントかも。

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夕方からは、タイトルやサイズ、情報をまとめる。つくった13個の作品を並べてみる。完成した作品が成長していくのを感じる。

 

作品を日常に出現させたい、ストリートで展示する計画

朝起きて、身体が運動したがっているので走りに行った。周辺のことは分かってきたので海を目指したがたどり着かなかった。あとで調べてみたら、もう倍走らないと海には着かないことが分かった。

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昨日の続き、ティピの生地を縫う作業を始めた。縫い物をしながら、これはこれでかなり長い歴史のある技術だな、と感心した。人間は針と糸を使っていろんな身につけるモノをつくってきた。
昼メシを食べて、またティピの生地を縫い合わせて、夕方に仮に組み立ててみた。チフミがひとりでも建られる単純さ。実際、目の前にそのティピーが現れてみると、かなり出来がよい。むしろ商品のようだ。

このティピをアート作品として完成させるには、それの使用方法やイメージをどう見せるのか。どんな場所で使うのか。

例えば
交差点に建っている。
地下鉄のホーム。

公園
家の前

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その写真がこの作品のアウトプットになる。