いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

北茨城市に暮らして、福島の原発から100km。ここから何が見えるのか。

ぼくは、2011.3.11の東日本大震災をきっかけに生き方を変えた。だって社会は正しさを基準にしていないことが分かったから。それは今も変わっていない。

 

沖縄の県民投票、その声が社会に反映されないなら、どうやってぼくたちの声を社会に届けて変えていけるのだろうか。

 

まるで、もう社会は巨大な岩や壁のようだけど、ぼくの選択するひとつひとつが社会を形成していることを忘れない。試しに「社会」を「環境」という文字に置き換えてみると景色が変わる。

「ぼくの選択するひとつひとつが環境を形成する」つまり自分の身の回りからなら変えることができる。

 

3月が近くなって、地元の人と震災の話題になった。
北茨城市では津波の被害が大きかった。それから原発事故で、福島から大勢の人が避難してきた。けれど、福島に暮らす人たちが、それ以上南下できないように検問があって、人が選り分けられて難民のようになった」
そんな話しを聞いた。
「社会は私たちを守るどころか迫害する事があると知った。ほんとに恐ろしかった」
映画のワンシーンや小説でもない。

 

ぼくは原発事故のとき東京に暮らしていて、もっと遠くに行く選択肢もあったけれど、北茨城市に暮らしている。今何が起きているのか。遠くから眺めているだけじゃ伝わらないことがある。

 

いわき市に生まれ育った小松理虔くんが書いた「新復興論」は、もし親友が福島にいて、あの日を体験していたら、何を感じて何をぼくに語ってくれただろうか、勝手にそんな本だと思っている。

3月3日には
北茨城市桃源郷芸術祭で、小松理虔くんとトーク
11時50分から12時35分。
https://www.tougenkyo-art-fes.jp/

 

で、小松くんとのトークを東京で開催したいと思っていたのだけど、スケジュールの都合で狙っていたタイミングはできなかったので、ぼくの友達、知人、ここに繋がる人に言いたい。
放射能が福島が」と線引きするなら「新復興論」を読んでみて。

ぼくも言われることがある。
「北茨城の野菜は食べれない」と。

 

社会がいくら硬直しても、環境は変えられる。なぜなら、環境は自分が立っている足元に広がっているから。

例えば
会社を変えることができなくても

仕事をする環境は変えられる。

家を作るだけじゃなくて
家に暮らす環境をつくれば

家庭は楽しくなる。
食べ物を作るばかりじゃなくて
食べ物が育つ環境をつくれば

食卓が豊かになる。

 

社会問題を解決するんじゃなくて
社会問題が解決する環境をつくる。
アート作品を作るんじゃなくて
アートが生まれる環境をつくる。

 

自分の身の回りから始めれば、社会に対してやれることはいくらでもある。

4月にもトーク企画あるのでまた告知します。そのときは、ぜひ足を運んで耳を傾けてください。