いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

目標を設定して、どうしたら到達できるのか考えること

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ある日、ボルダリングをやってみたいと思った。お店のなかには入らないで、外から様子を眺めて、自分にできるかな、と考えて躊躇してた。

そのころ、音楽マネージメントの会社で働いていて、CDをリリースしたり、アーティストのマネージャーをやったり、フェスティバルの制作を仕事にしていた。今から10年も前の話だけど。

社長が俳優の浅野忠信さんと友人だったこともあり、ウチの会社で浅野さんの音楽方面のマネージメントをやることになり、ぼくが担当者となってツアーに同行させてもらったりした。

浅野さんは、普段はとてもふざけていて冗談を言ったりして、気さくな人だった。けれども、ステージに立ったり、撮影のカメラが回ると、一瞬で立ち振る舞いや表情が変わった。あるとき、ファッションの撮影現場に同行したとき、ほんの数枚の写真を撮っただけで仕事は完了して、そこにいた全員が驚いた。俳優浅野忠信がそこにいた。完璧な仕事っぷりだった。

そんな浅野さんに

「最近、ボルダリングやりたいと思ってるんですよ」と話したら

「え?何でやらないの?!」即答だった。まったく素直な返答で、逆に自分もなんでだろう、と思ってしまった。

だから、その日の夕方、仕事が終わってボルダリングジムに電話した。入会金が少し高めだったけど、家から近かったので問い合わせてみた。

 

電話に出た女性が入会金と初心者レッスンと月謝の案内をした。思ったよりお金が掛かるので、ちょっと躊躇した。すると女性は

「適当にやるんだったらウチじゃなくていいと思います。ほかにも安いところあるので、そちらでどうぞ。ウチは初心者レッスンで基礎を教えますので、多少お金は掛かりますが、ボルダリングをきちんと教えます」と言った。

そんなに言うならとそのジムでレッスンをうけた。そうしてボルダリングを始めた。

最初のレッスンは「今からABCのルートを教えますので、自分で練習してください。30分したらまた声を掛けます」と言われた。

やってみたら案外難しくて、ABまでしかできなかった。30分後に先生に「ABCをやってみてください」と言われ「ABをやってみせて、Cは時間がなくて、やれませんでした」と言うと

「わたしはABCをやりなさいって言いましたよね?時間がなくてできないではなく、どうしたらできるか考えないのですか?」

と厳しく言われハッとした。

あれはできるとか、できないとかやる前に判断していたことに気がついた。何もする前にやってもいないのにできないと諦めている自分がいた。

ボルダリングの先生は

ボルダリングは、まずオブザーベーションと言って、どうしたら目標に到達できるのか頭のなかでシミュレーションします。無駄な体力を使わないように。頭の中でイメージして、そのルートを登ってゴールするんです。あなたは、与えられた時間のなかで、どうしたらゴールできるか考えましたか?」

ぼくは、それまで目標に到達するルートをイメージしたことがなかった。ボルダリングは、目標に到達するやり方を教えてくれた。それから6年くらいボルダリングにハマって、外の岩にも登るようになって、ボルダリングジムでアルバイトさせてもらうようになった。できないことをどうすればできるようになるのか、シミュレーションして実力が足りなければ、トレーニングを重ね、ひとつひとつ目標をクリアする基礎が身についた。

 

いつか自分でボルダリングの壁を作りたいと思うようになって、紆余曲折、いまボルダリングの壁を作っている。ボルダリングは、競争というより自分との戦い。昨日の自分を超えて、今日より明日へと自分を成長させていく。個人競技だから、誰かと比べる必要もない。言葉通り、壁を乗り越えることの連続で、常に壁にぶち当たっている。

いまだから分かるけど、浅野さんは常に現場で、自分の壁を乗り越えているから、躊躇したり考えたりするよりも表現して結果を出してきたんだ。同じ時間を過ごしてもらったことに感謝しかない。浅野さんが当時やっていたハードコアパンクバンドの歌詞に名言がある。

 

「おまえがおまえを信じなくて誰がおまえを信じる」

おかげでぼくは自分が信じる道を歩いて、やりたいと思ったことは何でもやっている。だって、やらない理由なんてひとつもないよね?

神さま。何かそういう類いのもの。願えば叶う。下手くそがサーフィンをして何の役に立つのか

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廃墟の荒れ地を整地するために、ユンボの資格を取ることにした。人力ではもう先に進めない。3t未満であれば、2日間の講習で運転技術を習得できると誰かのブログに書いてあって、調べてみると、八王子で受講できるらしく、早速申し込みして免許をゲットしてきた。

よし!ユンボを借りるぞ、とリース会社に電話してみると、どこも契約あるところしか貸してくれない。取り引きしないとか、自分で取りに来てくれ、とか初心者にまったく優しくない。新規お断り業界のようだ。というか、北茨城市近辺にはユンボをリースしてくれる会社がないことが分かった。困った。

廃材を集めたときに、お世話になった建設関係の社長さんがいるから、その人に相談することにして、夜電話した方がいいから、その前に波をチェックしに海に行った。途中で、ユンボで工事している業者さんがいたので話しかけてみた。

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ユンボで均したい土地があるんですけど、仕事の相談できますか?」

業者「いやー、社長に聞かないと分からないな。けどウチ水道屋だから無理だな」と言われた。なるほど。

 

海に行ったら波がとても良かったのでサーフボードを取りに帰り、長浜海岸に戻ると、サーファーがいた。サップをやっている人もいる。初心者で恥ずかしいので少し離れたところで、サーフィンをしていると、徐々にサーファーが近づいて来て、ついに話しかけてきた。

「もしかしてユンボ探してますか?」

意味が分からなかった。

「探してるけど、なんで知ってるの?」

「俺、さっき君が話しかけた水道屋の社長なんだ、従業員から聞いて。で、練馬ナンバーの車だったって言ってたからピンときて。君さ、去年も海で遊んでたでしょ」

「じゃ、ユンボで土地均してくれるんですか?」

「いいよ、ウチ建設系の仕事もするから。どうやって連絡するかな、そうだ砂浜に電話番号書いとくよ」

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神さま。何かそういう類いのもの。願えば叶う。下手くそがサーフィンをして何の役に立つのか、とか思っていたけど、こんな奇跡があるとは。まったく別のことをしているときに、本来やりたかったことが解決してしまう。見事なセレンディピティ。どうやら、まだまだ運はついている。というか波に乗るという現象は、タイミングがすべてで。つまり行動すれば、どこかにタイミングがやってくる。

制作は始まっていた。新作は目の前にあって、いつのまにか、生まれようとしている。

ぼくが妻と取り組んでいる生活芸術は、その名前の通り生活のなかの芸術を追求している。それは生活のなかに芸術が浸透して見えない状態になっていて、していることが芸術なのか生活なのか自分でも理解できないことがある。

ぼくがしていることは、ほとんどの場合、ただ生活しているだけなのかもしれない。ただ生活している快適さや楽しさを分析したり、どうやったらそれを続けられるか考えて行動するとき、その行為は単なる生活ではなくなる。生活を編集して制作していると言える。

 

北茨城市に古民家のアトリエを作った。これは北茨城市の施設で、ぼくらは暮らすことができない。アトリエとしては使えるけれど、住所にはならない。ぼくらはこの環境が気に入ってるので、別の家を探すことにした。

何件目の家だろうか。2014年からずっと家を探している。愛知県で空き家を改修して、家を直す技術を手に入れて、三重県岐阜県に暮らしてきた。家に執着しないことにして、暮らした家が自分のものにならなくてもいいと考えることにした。空き家は、人が暮らせば再生する。改修しなくても、片付けや掃除をしてやれば家は生き返る。家はその家族の運命と共にある。どんなに立派な家でも気に入っても欲しないことにした。流れに身を任せるのが一番快適だ。仮に流れに逆らって、無理をしてもその先にもずっと同じような困難が続くことを空き家暮らしから学んだ。

 

じゃあ、別の家を探そうとアトリエの近所暮らすスミちゃん(80)と話していたら「ウチの隠居に住め」と言ってくれ、スミちゃんが、何十年振りかに隠居のドアを開けたら、水道管が破裂していて、家は水浸しだったらしく、その話しは自然消滅した。

周りを見渡してみると、廃墟と産廃が山になった荒地がある。そのことがずっと頭の片隅にあった。つまり建物がある。壁と屋根と床があれば、そのどれかが壊れていれば直せば作ればいい。

そもそも、この美しい里山の景観にこの廃墟は、あまりにミスマッチだった。まったく美しくない。この場所もスミちゃんの持ち物だったので「ここを綺麗にしてもいいですか?」

と聞いたら「いいよ。好きに使えばいいよ」と言ってくれた。

手をつけてみると、空き家改修の次元じゃなかった。最終処分について考えるレベル。つまり家庭のゴミではなく産業廃棄物の山だった。

 

妻のチフミは、控えめに言っても片付けの天才だ。空き家が空き地に規模拡大しても、片付けの基本ができているから、やる事は同じで、コツコツと始末していく。基本とは分別して置く場所を決める。すると、産廃と言っていたゴミが、鉄、プラスチック、ガラス、タイヤ、ブロック、瓦、木材、と内容が明らかになってくる。整理しながら、産廃の山を崩していく。

様子を見に来たスミちゃんは「おー、綺麗になってきたな。ここに住めー」と言ってくれた。廃墟だけど。

おまけにブロックを指して

「これを積んで地面を平にすれば、整地できっから」と指示を出してくれた。

スミちゃんは、元土建業界の人。産廃と呼んでいたブロックにそんな使いみちがあるとは。いやむしろ、それがブロックの本来の仕事だ。

 

この空間を整理して一カ月。どうやら、究極なサバイバルアートを実践していることに気づいた。ここにあるものを最大限活用して快適な空間をつくること。この空き地が今回の作品となる。どうしようもなくなって、誰もが無視していた空き地を再生する。

絵を描くことはアートの基本だ。けれども、そこから発展した今の時代に適ったアートの姿があってもいい。人類が見失っている価値を発掘したい。時代に必要なアートはこれだという道を開拓したい。映像などに記録して、伝えることができれば、それは作品になる。

 

去年辺りから「ココニアル」というコンセプトについて考えている。

なんでもある都市に対して、地方や田舎は「何もない」と言われる。ほんとうにそうだろうか。見渡してみれば、田舎には、草や木、水、大地、空、星、虫や動物たち、川、自然がたくさんある。これらは、何もないどころか、生きるために必要なすべてである。自然の側に立ってみれば、都市の方こそ何もない。ぼくらはこの左右のバランスに立っている。左か右かという問題じゃない。都市か田舎という二択でもない。

表現者として、この田舎の土地を利用して何をつくれるのか、ここから何を伝えることができるのか、これは自分がみつけたテーマだから、自分が表現してみせるしかない。この何もないにあるすべてとは何か。制作の過程を言葉で追って、思考を整理していく。未だ言葉にされていない領域を開拓して意味を与える。これが今している作業で、作品の思想であり背景になる。自分の行為を自分で理解するには言葉に変換するしかない。

 

「ココニアル」は「コロニアル」の真逆を目指す。

まずコロニアルを理解しよう。コロニアルとは日本語で植民地化のことで、国外に人が移り住む、本国政府の支配下にある領土のこと。200年ほど人類は、この流れに乗っている。はじまりは、18世紀末にイギリスで紡績機械の開発がはじまり、産業革命が起こり、機械に従事する人間が必要となり、それまで農業を営んでいた人々から土地を奪って農家を生産手段を持たない労働者に転化させた。

働く者と働かざる者に分かれた。富める者と貧する者とも言える。当然、日本にもこの流れは波及した。農家は減り、都市へと人は流入して、田舎は何もない場所になった。植民地主義のピークは第二次世界大戦だ。その惨劇すら忘れようとする日本が見え隠れしている。

 

生活という言葉に着目すると、ぼくたちはほとんど生活をしていないことに気がつく。野菜も育てないし、家もつくらない。水も汲まないし、火も熾さない。生活とは、命を永らえるための活動のことだ。

それをしないことで何が起こるのか。人間が暮らしやすい環境が自然の中から消えていく。自然と人間の関係が失われていく。人間は、機械化された産業で生産される製品を消費する。消費する機械として働く。つまり未だにコロニアルの影響下にある。

もう変わらないのかもしれない。むしろこれが、正常な人間の暮らし方として定着しているのかもしれない。だとして、じゃあ、どんな理想がこの先描けるのか、その絵を魅せるのが想像力を駆使する作家の仕事だろう。現実と空想の狭間に理想を描くこと。

ココニアルは、ひたすら「ここにあるもの」と向き合ってみる。目の前に可能性を見る眼差しを持つ。ないをあるに変換する。

ココニアルは、外からその土地に踏み込んでいくけれども、お邪魔するだけだ。一時的に。何も奪わない。マイナスをプラスに転化したら、持ち主に返す。

ココニアルは、できるだけ消費しない。むしろ生産する。マイナスをゼロにできることならコンマイチでもプラスに転化する。そこにあるモノには役割がある。もしくはあったはずだ。解決策はある。

ココニアルはジャズだ。環境とセッションする。最小限の条件のもと。登山だとも言える。未だ歩いた人がいない道を進むように、どうやってこの環境を再生するのか分からない場所に立ち向かっていく。

あらゆる境界線のうえを歩いている。もしその一線を欲望や所有の概念で越えようとすれば争いが生まれる。けれども、生きるために、その命を永らえるためだけに通過させてもらうなら、すべての境界線は、バリケードを解放する。なぜなら、マイナスがプラスになって返ってくるのだから。自然の摂理にはその循環がある。

ぼくは「ココニアル」をアート手法として提案したいけれども、必ず成功するとも限らないし、何ができるかも分からない。なぜなら、そこにあるものを最大限に活用してつくるセッションだから。表面的に美しいものをつくるために、いくつもの犠牲を払ったり、不要なものが増えたり、お金が無駄に投入されることが、いつまでも最新のアートでいいのだろうか。

ぼくは、この200年以上の流れに反旗を翻して、理想の生活芸術を美術館やギャラリーではない、生活空間のなかに点在させていきたい。

生活の環境をつくる。

学校を卒業するにあたって、何の仕事をするのか、という選択肢を脅迫される。仕事をしなければ、人間として認めてもらえないような気持ちになるほどに。

ぼくは仕事をしたくなかった。働きたくなかった。好きなことに没頭していたかった。でも、そんな逃げ道は、みつからなくて、嫌々ながらに仕事をしてきた。今は違う。働くのが楽しい。

なぜ働くのか。という疑問について学校も社会も教えてくれない。働かなかったらどうなってしまうのか。先に答えてしまえば、別に何も起こらない。ただ生きている。すごく時間があることに気がつく。暇になる。で結局、また働いたりする。働くには二つある。自分で仕事をつくるか、与えられた仕事をやるのか。

どうせ、働くなら楽しいことをやった方がいい。自分から「やりたい」と手を挙げたくなるような仕事を。

 

仕事をする理由のひとつにお金を手に入れるという目的がある。お金がないと生活するのにとても不便だ。基本的に必要なものが手に入らない。けれども、そのためだけに働いているかと言えばそうでもない。何の仕事をしているか、というステータスもモチベーションになる。憧れの職業とは、カッコよさの指標でもある。

じゃあ、カッコつけるために、朝から晩まで我慢しながら働いているのだろうか。お金が必要だから働いているのだろうか。ほとんどの場合、この疑問について、答えを見つけ出す前に、見ないように蓋をしている。考えても仕方ない、と。

 

いま、ぼくは廃墟を片付けて、荒地を整地して、生活空間をつくろうとしている。仕事かと問われれば、これが仕事だと答える。でも誰かに依頼されたのでも、やらされてるのでもない。将来きっと価値が生まれるだろう事に投資している。時間と労力を。そしてこれは、自分のアート作品になる計画でもある。

この仕事は、空き家再生というよりは開拓に近い。廃棄物が山になって、雑草が生え放題の荒地。もちろん、水も電気もトイレもない。そんな場所を再生するには、どんな着地点があるのか、やりながら考えている。これをやる最大のモチベーションは、社会のマイナスをプラスに転換できること。社会彫刻というアートを実践できること。社会彫刻は、ドイツの芸術家ヨーゼフボイスがつくったコンセプトだ。

社会のカタチを浮き彫りにするアート作品。なんならそのカタチをより理想に近づける表現。

 

このどうしようもない、手を施しようもなく荒れた空間を見て思った。直ちにお金になることばかりにしか人間が取り組まないなら、社会はどんどん歪んでいく。なぜなら、貨幣経済は高みを目指すゲームだから、どんどん切り捨てられていく。1万円になる仕事より2万円の仕事に人は集まり、5万円の仕事が生まれたら、1万円の仕事は誰もやらなくなる。けれども、お金にならないことをお金に変えることができれば、それはゼロをイチに変える魔法になる。まるで現代の錬金術

電気もトイレも水道もない荒地に生活空間をつくる試みは、すべてのないをあるに変換する。水を自給する方法、下水がない場所にトイレをつくる方法。当たり前に与えらている環境がなくなったとき、ぼくらはどうやって生き延びるのか。

この手の施しようのない空間は、そういうテーマを与えてくれる。そもそも、産業廃棄物はどのように処理できるのか。ゴミはどうやって処理されているのか。ぼくたちが、日々どんどん出しているゴミはほんとうに問題ないのだろうか?

疑問に思ったことを追求していけば、そこには道が現れる。自分がみつけた小径を進めば、いくつもの大きな道を経由して、自分の答えに辿り着く。それが哲学だと思う。誰かが考えたことを検証するのではなく、自分の問いにひたすらに答えていく。お金以外の理由で、進むべき道が現れたら、とりあえず進んでみた方がいい。その先は歩いた人にしか分からない世界が待っている。

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絵を描く生活。45歳。芸術家。

絵の構想が頭の中にある。5月と6月は、いろいろ仕事の依頼があって、それも仕上がってきて、おかげで次へと進めそうだ。目の前の仕事を追いかけていると、新しい絵は生まれない。仕事がなくなって、さあどうしようか、というゼロの状態で絵のイメージが湧いてくる。忙しくても湧いてくるけれど、頼まれている仕事がない方が、どうでもよさの純度の高い作品が想像できる。どうでもよいチカラの抜けた作品。でも、それは描いてみないとなんとも評価できない。頭の中では、いくらでも修正を繰り返してしまう。

忙しいなか、頭の片隅で練り上げきたイメージを仕事と仕事の合間にさっと描くとき、なんの迷いもなく速やかに完成することがある。失敗する余裕がないから、作業に緊張感が生まれる。けれども、失敗するのも悪くない。ああ、これは駄目だったと分かることは、明確な答えを手にする。むしろ成功する方が、セオリーが見えない。いくつもの好条件が重なって成功しているから、何が勝因なのか答えがない。

 

大きな絵を描きたい。自然の中を人間のカタチをした植物の塊が動物に囲まれている。空と山が見える。動物は、イノシシ、鹿、犬、猫、猿、キジ、トンビ、スズメ、タヌキ、キツネ、あと蝶々も飛んでる。パネルは逆三角形にしよう。

こうやって湧いてきたイメージには、なんの価値もないし、ニーズもない。それを絵にする。納得のいくところまで画面を構成して、下絵をつくる。構図が破綻してるぐらい、いろんなイメージを組み合わせる。ここにぼくの原点であるコラージュ技法が生かされている。

植物の塊の人間の細部を検討する。どんな植物にしようか。雑草がいい。そのなかに花が咲いている。

 

絵のイメージは、ぼくが体験したことをぼくを通じて現れる。頭の中に。だから、毎日、何をして暮らすのかが、とても重要な素材になっている。見たこと、聞いたこと、感じたこと。現実が嫌なものであれば、現実を逃避した作品になるだろうし、怒りがあれば、そういう作品になる。

だから、ぼくは都市から離れた場所を制作の拠点にしている。アトリエがある北茨城市の富士ガ丘という地域には何もない。お店も一軒しかない。何もないとは、人間側にとっての便利さの話で、自然の側からすれば、すべてがある。山、川、森、雑草、動物や虫、それらが自由に広がっている。

 

ひとつひとつの絵が傑作になればいい。けれど、時間とか労力とか、売れるとか売れないとか、そういうことを計算し始めると、イメージしているような作品は生まれない。

アート作品は、徹底した無駄だ。役にも立たないし、コストパフォーマンスも悪い。おまけにニーズがあるかも分からない。誕生する前は、社会に必要とされる要素が全くないところに、贅沢の極みがある。ある意味で作品を存在させる試みとその結果があまりに贅沢。

究極に矛盾した状態に作品を孤立させることができれば、その作品に個性を与えることができる。未だ名付けようのない感覚の領域に存在している。

 

ハキムベイという詩人は、それをT.A.Zと名付けた。一時的自立ゾーン。周囲と独立して、そこだけで成立する空間。地方に暮らしアトリエを持つこともT.A.Zの実践だ。

経済社会から、広告が作り出す価値から、テレビや新聞の情報から、「ちゃんとする」という曖昧なコモンセンスから、距離を取る。絶妙なバランスで。金持ちでもなければ貧乏でもない。知らないことも知ってることも、どちらもたくさんある。知らなくていい情報は摂取しない。

理想の作品も一時的に自立させたい。とてもメッセージ性の強い作品なんだけれど、作品を前にすると、もっと純粋な意味を超えた快楽ばかりが感じられるような作品。あらゆるアート的な制度や価値観から距離を保つ作品。美術館やギャラリーには縁がないけれど、誰かにとっては、心を鷲掴みにされ、目の前から離れられなくなるような作品。

 

こうやって、作品の仕上がり具合をイメージしながら制作している。このイメージを妻チフミが、絵の具と筆を駆使して完成させる。最近は、そういう役割り分担になってる。

だからか、チフミがいなくなってしまう夢を見ては、恐れている。チフミは「わたしに頼りすぎじゃない?」という。夢の中で。けれども、いつか人は死んでしまう。どっちが先に死ぬのか分からない。でも、今、妻も自分も生きていて、一緒に作業して、作品を残せる日々は、ほんとうに貴重な時間。

いますぐに価値がなくても、妻と一緒に作品をつくること、その行為自体が究極の幸せだから、ひとつでも多く作品を残したいと思う。文章を書きながらそういう結論になった。絵を描こう。

生活にリズムを心に音楽を身体にスポーツを。

生活にリズムがある。朝起きて、今日は波を見にいった。荒れていたけど、サーフィンできそうだったのでボードを取りに戻って1時間くらい海で遊んだ。

サーフィンは全然できない。やってるとは人に言えない。去年はじめたばかりだし、まあ上手くはなりたいと思っているけれど。それでも競争ではないし、楽しいことが喜びだし、何より朝からスポーツをすることに意味がある。なぜか朝海に入ってサーフィンをすると全身がエネルギーに満ちる。たぶん、体幹が鍛えられるし、パドリングで上半身のエクササイズになるんだと思う。あとやると決めたことを実行する気持ち良さがある。

 

朝サーフィンをやって、山のアトリエに行く。この海と山のバランスがまた北茨城の魅力。アトリエに着いてすぐ、チェンソーで冬用の薪を切ってから、廃墟の片付けをする。廃墟には30kgほどのブロックがあって、瓦礫の山から下ろしては、別の場所に並べている。

瓦礫の山が問題だ。瓦礫のなかに産業廃棄物が混ざっていて、産廃は軽トラ一杯で15000円。払いたくない。ぼくらにとっては、この問題は、アートだったりする。どうしようもない空間に価値を創造すること。だから、ブロックを運ぶのはトレーニングジムにいるみたいなことだ、と思うことにしている。朝のサーフィンからブロック運びで気持ちいい汗をかく。

この廃墟を綺麗にすれば空間が生まれる。心地よいスペースがあれば、人間は集まってくる。何かしたいと考える。想像力を刺激するのもアートの仕事だ。ぼくは、誰かの想像力が跳ね上がる水準まで、この場所をつくり続けよう。行動を作品にするために、今日はチフミと交互に動画を撮影した。記録すれば、それは作品になる。していることをアートに変換できれば、どんなことも有意義な活動になる。1円にもならなくても。

 

昼前に北茨城市の職員の方々が様子を見に来てくれた。北茨城市は、ぼくらの活動を応援してくれ、やりたいことを全力でやらせてくれる。この廃墟再生にもチカラを貸してもらっている。

 

お昼は、庭から採った大葉とネギにうどん。つゆは、去年庭で採れた柚子を絞ったポン酢。身の回りから食べ物を得られるのは、シンプルで豊かな暮らしだと思う。死ぬ恐れから距離を保てる。誰かに安心や安全を保障してもらう必要もないから、広告に騙されなくなる。

 

午後は、アトリエの近くの山を登ってみた。古民家の家主だった有賀さんが、山の上から海が見えると教えてくれたことがあったので、確かめてみたかった。

山の上までは20分ほど。もっと近かったかもしれない。頂上に着くと、木が鬱蒼としていて、遠くを見通すことができなかった。少し下ると、ほんのわずか木の隙間から波止場が見えるようだった。たぶん、大津港が見えていた。もし、海が見える山にするなら、かなり木を切って、見晴らしをよくする必要がある。そんなことをする必要があるのかよく考えた方がいい、と山を下りながら独り言を口にしてた。

 

山を下りて歩いていると、炭焼き小屋があるのを思い出して、寄っていくことにした。小屋を覗いてみると、窯は崩壊していた。けれど小屋の周りには、炭の材料になる木や、道具を収納する小屋があった。もし使えるなら、ここを陶芸の窯に再生したいと思った。木と水と土と火でつくられる陶器は、自然を駆使した究極の生活芸術品だと思う。

今年の春に滞在したバリ島では、天然の粘土に出会ったけれど、日本ではまだ遭遇してない。

メモ:粘土を身の回りでみつけたい。

 

炭焼き小屋をチェックしたあと、廃墟に戻って、片付けしてるチフミと合流して、少し作業を続けて、ゴミを車に積んで、ゴミ処理場に持っていった。

ゴミ。廃棄物。とてつもなく厄介な問題。ぼくたちは、何の罪の意識もなくゴミを大量に生産している。しかも、その処理についてはなんら問題の意識もない。何を買うのか、買わないのか、その選択ひとつが社会に与える影響は小さいけれど、積み重ねれば、とても大きな影響を与える。

想像して欲しい。例えば、一万人がペットボトルを買わなくなったら。ペットボトルの商品が売れなくなれば、企業は新たに売れるものを考えるだろう。

政治も同じだ。ぼくたちが黙っているから、直接何も言わないから、政治家は努力しなくなる。

人間は怠け者だ。だから生活にリズムが必要なんだ。朝昼晩。じゃない。早朝、朝、午前中、昼、午後、夕方、夜、深夜。同じ1日でもリズムを変えてみれば、これだけある。その1日のなかに、自分が楽しくなることを少しでもやれば、やっぱり、それも積み重なって、人生が豊かになる。1日をリズムにして、楽しいことがハーモニーを奏でる。1日を磨けば、ダイヤモンドにもなる。誰もが同じ24時間を持っていて可能性に溢れている。何かをはじめるに遅いことはない。

 

生活をアートにできるのか。生活がアートになれば、アートはすべての人の幸福のために

いましてること。生活を芸術にしようとしている。それは絵を描くことを中心に豊かなライフスタイルをつくること。その生活のあり方がそのままアート作品でありたい。

芸術が生活になれば、生活は作品になる。つまり、毎日の営みがアートになる。理想はイメージできるけれど、その実態はどんなものか。理想と現実を把握するためにこれを書いている。文章を書くことは、地図を広げて現在地を確認することに似ている。ぼくは何をしようとしているのか。

 

生活とは、命を永らえるための活動のことである。つまり生きるための活動。生きるために必要なこととは何か。食料。水。これがなければ死ぬ。それから家。雨や寒さ暑さから身を守るシェルター。服。つまり衣食住。それからお金、仕事、友人。

それらがあれば全部オッケーの完璧か、と問えば、なんでもあればいいって話ではない。快適さや美しさや量を求める。

ところで美しさとは何だろうか。ダイヤモンドやサファイア、水晶、宝石は高価なもの。原石より磨いた方が美しいとされる。けれどもほんとうに美しいのか。その美しさは何の役に立つのか。

 

同じように美しい生活とは何だろうか。宝石のような暮らし。例えば、花は美しい。空とか夕焼けとか、海にも美しさを感じる。美しさは、人間と自然の間にある。自然を観察する人間の心がなければ、美しさは発揮されない。

手付かずの自然よりも、人間が手を加えた自然の方に優しさや愛おしさを感じる。手の加わった自然こそが、人間が生きるためにはじめた自然への働きかけではないだろうか。人類が生き延びるためにした工夫は、すべて自然を舞台に題材に素材としてつくられてきた。まさに衣食住のために。自然を切り拓いて、創り出された便利さに芸術を感じる。例えば道。例えば井戸。例えば田んぼ。例えば粗末な小屋。草を依ったロープ。

こうやって、はじまりの生活を想像する一方で、現在のぼくらのライフスタイルを省みる。もちろん、人それぞれ違うものだけれど、ぼくら夫婦の場合はこうだ。

 

いましていること。野菜を育てている。キャベツは青虫に食べられほぼ全滅。ぼくら夫婦は芯を食べてる。大葉、バジル、エンドウ豆、ジャガイモ、スイカ、トマト、小松菜、キュウリ、ズッキーニ。なかでも小松菜はとても優れていて、葉っぱを食べても、また葉っぱは生えてきて何回でも食べられる。しかも夏にも冬にも強い。だから小松菜は、種を採取してみた。ジャガイモは、イノシシの好物で食べられてしまったけど、畑を貸してくれているミツコさんが、植え直してくれ今、花が咲いている。枯れたら収穫できる。自給自足までは考えていないけれど、基本的な野菜を自分で作ることはできる。そうやって食べ物をつくることこそ、アートの始まりだったとぼくは定義したい。

 

家は、空き家を改修できるようになって、古民家をアトリエ兼ギャラリーに改修した。茨城県北茨城市の山の集落にあって、誰も来ないような場所だったけれど、自然環境が素晴らしく心地よいので、ここにアトリエ兼ギャラリーを構えた。理想は、ここを訪れた人たちが作品を買ってくれることだった。しかし、誰がこんな場所に来るのか。はじめて2年目。ところが、今月は、東京から来た方、沖縄から訪ねて来てくれた方が、作品を買ってくれた。理想を描けば、それはカタチになる。

 

アトリエ兼ギャラリーには庭があって、草刈りをするうちに、庭の美しさが見えてきた。草木は季節によって、咲かせる花の種類と場所を変える。柿や枇杷が実る。この自然環境は、誰かが作ったものだ。人間と自然の境界線、つまり、創造と自然の境い目がここにある。放置すれば荒地となって自然に飲み込まれる。手入れをすれば、古民家の庭となって心地よい環境を与えてくれる。

その眼差しを集落へと広げてみた。すると、荒地や廃屋が見えてきた。マイナスをプラスに変えられないだろうか。これが今のぼくらの制作現場の最前線。廃棄物と廃屋を再生させること。まったくギャラリーにも美術館にも収まらないアート。

美術館やギャラリーがあるからアート作品が存在するわけじゃない。アート作品と呼ばれる以前の想像が溢れて現実化した物体のいくつかが、ギャラリーや美術館に収蔵される。その物体が誕生したとき、理解を超えたエネルギーを放っている。これは何なんだ!という驚き。その輝きに言葉が与えられ、社会的な価値が与えられ、ようやくギャラリーや美術館に収蔵される。

 

収入は、絵が売れたお金、いくつかのデザインの仕事、それから北茨城市での芸術によるまちづくりの仕事。まちづくりの仕事は、地域おこし協力隊という制度から、給料を貰っている。

北茨城市に感謝している。これまで自称芸術家だったぼくら夫婦を芸術家として受け入れてくれた町。はじめて社会から芸術家として必要された。それまでは、パトロン的な理解者に奇跡的に巡り合えて生き延びてきた。北茨城市に受け入れてもらったことで、ぼくら夫婦は、社会のカタチを変える芸術を実践している。社会実験であり社会彫刻として。

ぼくは自分が特別優れた芸術家ではないと思う。むしろ、特別な才能はなくて、憧れと勘違いで猛進しているタイプだと思う。でも、社会のほとんどは特別な天才ではない。これまでの芸術は、特別な人たちに贈られるギフトだった。才能がない人たちには、届かないものだった。どうして、そこに線引きが要求されるのだろうか。芸術が豊かなものなら、それを分け隔てなくその喜びを共有すればいい。なのになぜ、芸術は高い位置から見下ろそうとするのだろうか。自ら、流れる水となって、居座り続けてきた位置からは届かない人々を潤そうとしないのだろうか。

ぼくは10代から30代、芸術が居座り続ける場所に憧れていた。今もそうだ。けれども、時代が変わりつつある。アートが社会に対して役に立たないのであれば、そろそろ、その椅子から引き摺り降ろすべきだと考えるようになった。権力者がずっと同じ椅子にしがみついて、社会を悪い方向へと変質させてしまうこと同じ構図が日本のアートにも当てはまる。芸術を生活のレベルまで引き摺り降ろして、もう一度やり直す。ルネッサンス。それでも、それは芸術と呼べるほどタフなのか。

その仕事をやり遂げるために、こうして現在地を確認している。芸術が生活になればなるほど、芸術は生活の中に溶けて消えていく。それでも、その無垢な姿を、生まれたてのような芸術の姿を捉えなければ、太古から続くアートの流れを復興はできない。妄想か現実か、自然と人間の狭間に生きるように、この道を模索している。