いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

信じれば美しく機能する

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頭に浮かんだモノを取り出してカタチにすること。それは動くこと。カタチを取り出すには、いろんな方法がある。メモ、言葉、写真、スケッチ。ぼくは長い間、コラージュというテクニックを使ってきた。最近は、何でもよくなって、目の前にある素材を使う。いまは廃材を削って「walking」という作品に取り組んでいる。木彫だ。

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四角い木材をイメージに沿って削る。5時間続けると、ようやくカタチが現れて、そこからまたイメージを膨らませて、作業しながら、あれこれ考えて没頭して。コンセプトや想いが先走り、作品を追い詰めていく。突き詰めていくとそれ以外に選択肢がないようなイメージに到達する。唯一無二。そのイメージを何かしらの技術を駆使してカタチにする。大切なのは信じること。生まれようとしているカタチは、ぼくにしか見えないのだから。ぼくが信じなければ、存在理由は無くなってしまう。それはアートに限らず、すべての人が、信じ、信じられてこそ社会が美しく機能する。

現代アートとは「なぜそれをつくるのか」「それは何の意味があるのか」と問い詰めて、解答を浮き彫りにするゲームだと思う。そのユニークさとオリジナリティ、未だ表現されていないカタチ、そのインパクトで価値が評価される、そう思っている。勘違いかもしれないけれど。その間違いも突き抜ければ、それもまた個性になる。アート作品は、視覚芸術なので、瞬時に評価される。鑑賞者の興味を惹くことに成功すれば、細部まで、そのメッセージまで伝えることができる。

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昨日より今日の方が傑作を生み出す日に近い。今日より明日の方が、素晴らしい作品が仕上がりつつある。けれども、例えば今日は、何も進まなかった。作業はどれも中途半端で、次の手がみえない。同時に2つの作品をつくっているけど、両方とも手詰まり。そんな日もある。

信じられないけれど、もう2013年から、こうやって作品だけつくって生きている。その環境を与えられたことに感謝している。だからもっといい作品をつくりたいと思う。アート作品が人を豊かにしたり幸せにできるということを実証したい。
「walking」が完成すれば立体と平面が共演する小さな劇場のような新作が誕生する。

「walking」は先へ進む人生に捧げる作品。止まりそうになっても、仮に止まったとしても、何度でも歩き始めたらいい。毎日の小さなところへ、メッセージと共に作品を届けたい。ほんの些細なことを意識するだけで、人生は思ったよりずっと豊かにできる。そう信じている。

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Noと叫んだり誰かを責めるばかりではなく行動ある生活を。

f:id:norioishiwata:20170617090448j:plain古い家を巡って、かつての暮らしを採取するうちに、日本という土地に続く歴史が見えてきた。江戸時代から明治時代、大正から昭和。その延長線に生きていて、かつての人々と同じように未来へ続く今をつくっている。

ぼくたちは、アメリカ人でもイギリス人でもなく日本人だということ。だけど毎日洋服を着て過ごしている。身の回りを見渡す限り、日本という文化の価値を信じる人が少なくなって、限りなく透明な文化になっている。けれども消えてしまったわけではない。

別に着物を勧めているのではなく、懐古趣味でもなく、悲観しているのでもない。ただ、見えないことも含めて見ることができれば、今がどんな時代なのかが浮き彫りにできる。

空き家という現象は家に「新しい」ばかりを求め「古い」を捨ててしまったことに原因がある。今は消費できることが、豊かさの象徴になっている。古い家に暮らすことは、まるで貧しいことのような記号になっている。ぼくたちは、服を着るようにあらゆるモノコトを選択して記号で自分を着飾っている。古着という言葉があるように家屋にもビンテージと言う称号が与えられる日もあるかもしれない。

f:id:norioishiwata:20170617090709j:plain北茨城市の老人会「くるみの会」にお邪魔して、80代から90代の話しを聞いた。92歳の方は、山菜で作ったお煮しめを振舞ってくれた。

「山に行けば、たくさんあるから、それを採ってきて、調理して、冷凍しておけばチンして食べれっから。」

お婆さんは、生きる知恵と電子レンジを組み合わせてゼロ円料理を実践していた。最近では山菜を採る人も減っているらしい。山に行けば、食べ物があるけれど、それよりはスーパーマーケットにいった方が便利だし、美味しい食べ物が並んでいることになっている。

出版した本を読んでくれたと父の友人で絵本作家の深見春夫さんがメッセージを送っくれた。子供のころ「あしにょきにょき」という絵本が好きだった。ぼくが子供だった頃の深見さんと同じぐらいの年齢になった。
父親の影響でたくさんの映画やアニメを見て、マンガもたくさん読んだ。中学や高校の頃はロックやパンクやヒップポップに夢中になった。

この年齢になって気がついたのは、日本人には宗教がない。あるけれど、これもまた透明になっていて、世代が若くなるほど、考え方や生き方に影響を与えていない。一日の中に手を合わせて拝む瞬間はない。共通認識として強くあるのは、戦後からの経済成長が作り出した「ちゃんとする」というルール。「ちゃんと勉強しなさい」「ちゃんと働きなさい」「ちゃんとした大人になりなさい」それはルールに従えというメッセージ。学生の頃「右へ倣え、前倣え!」の号令が嫌だった。

でも、ぼくには「ちゃんと」を教育されるよりも前に信じるものが見つかっていた。アニメや漫画、文学、映画。小学校に上がる前から、高校生まで多感な時期を映像や絵や活字に浸って過ごしていた。だから前へ倣え!なんて意味が分からなかった。

イケてない主人公が、夢を叶えるサクセスストーリー、弱かったけれど成長して力を手に入れ悪と戦ったり、一人ではできないことを仲間に出会い助け合って達成したり、地球の環境を人間が悪くしていることや、戦争は愚かだということを教えてくれた。それは教科書というより、生きるための思想、バイブルになった。子供の頃、観た映画や漫画は、現代社会を放っておけば、未来はディストピアだというメッセージだった。

f:id:norioishiwata:20170617091059j:plainところが大人になると「君の正義は社会に通用しない。それはマンガの世界だから」と「ちゃんとする」ことを強制されるようになった。そんな気持ちを救ってくれたのが音楽だった。ポップスやロックの歌詞にはメッセージが込められていた。ぼくは、パンクやヒップポップから反抗の仕方を学んだ。それらは「ない」ことから立ち上がってくる衝動。楽器がろくに演奏できない、けれどもやりたい。その想いがパンクロックになった。嘘で塗り固められたくだらない世の中にノーと叫んだ。楽器も買うことができない若者たちが両親のレコードとレコードプレイヤーを外に出して電柱から電気を盗んでパーティーをはじめた。踊ろう!とマイクを握って。若者たちは奇妙な踊りを発明した。町中に落書きをした。伝説の何者かになるために。それがヒップホップになった。

🎤


妻のチフミは「生きるたのめ芸術って何?」といつも質問する。「芸術」とは何かはっきり分からないと言う。
ぼくは「生きることが芸術なんだと思う」と答える。息を吸う、歩く、見る、聞く、話す、食べる。そのすべてを工夫することができる。深呼吸したり、ヨガをやってみたり、ゆっくり歩いたり、美しい歩き方を考案したり、見えないものを見る努力をしたり、景色を見たり、嫌なモノを見ないようにしたり、誰の話を聞いて誰に話すのか、何を食べるのか、ぼくたちは選ぶことができる。

選ぶということは、クリエイティブな行為だ。表現でもある。日常を研ぎ澄ませば、強いチカラが手に入る。チカラは選択肢を増やす。前へ倣わなくても右に倣わなくても、列から離れて自分の道を歩くことができる。ノーと言える強さ。生き方を作るアートは、テレビやインターネットの中にはない。自分の中にしかない。


日本人として、江戸時代から明治時代、大正から昭和。その延長線にぼくらは生きている。けれども、かつての人々と同じようにしてはならない。歴史は過ちの上に積み重なっている。失敗の連続。だから昭和の映画や文学、アニメや漫画は、その反省の上に理想を塗り重ねている。ぼくはそこに学んできた。日本を代表するアニメ作品を送り届けてくれるジブリだってそうだ。手塚治虫ガンダム黒澤明ブルーハーツ忌野清志郎。ぼくは特に、本当に幼い頃に見た「未来少年コナン」に影響を受けている。第二次世界大戦のあと、ドイツは反省を込めて、子供たちに「従わない」ことを教育したそうだ。平和のために。

先日、インタビューしてくれた新聞記者さんが「細部に神は宿るんですよ!小さなことを見逃がさないことです」と話してくれた。今日1日すること。小さな振る舞いが、社会を動かし時代をつくっている。流れの中で流されない強さ。「ない」を理由に諦めない気持ち。逆の方向に進む勇気。ぼくは今日、食べたマンゴーの種を植えてみた。

【 Yes I do 】NoよりYesより、何を「やる」のか。

先日、下北沢で本の出版イベントを開催してトークをした。空き家を巡る旅から、日本の森林のこと、最近始めた放置農園、そこで実践してみた自然農の話しに広がった。買ってきた苗を植えたエピソードのところで「野口の種を知っていますか?」と質問された。ぼくは知らなかった。

f:id:norioishiwata:20170613063422j:plainそれは「日本に普及している苗や種は、成長してできた種をもう一度植えても収穫できない」という話しだった。種を植えて育て同じように収穫できるのが特別な「野口の種」という話しだった。

ぼくは驚いた。種を蒔いて収穫する、当たり前の生命活動がなくなっているという、自然はそこまで改造されているのか、とても信じられなかったので、北茨城の農家さんに質問してみた。
「スイカを植えたんだけど、そのスイカの種を植えたら、またスイカを食べられるのかな」
「それではまともなスイカはできないよ。種を買うか、苗を買ってこなきゃ。」
「収穫したスイカの種では、育たないってこと?」
「育っても、美味しいスイカになるか分からないし、それだったら種や苗を買ってくれば、たくさん美味しいスイカができるから」
「昔からそうだったの?」
「昔はそうじゃなかったけど、今は買ってくれば綺麗で美味しいスイカがたくさんできるから、その方がいいんだよ。」
と話してくれた。

f:id:norioishiwata:20170613063609j:plain人類は「よりよい」を目指して社会という道をつくってきた。よりよく効率的に収穫するために植物の交配を繰り返し、交配した人工的な種をつくりだした。これは種の物語のイントロダクション。

物事には2つの側面がある。

自然のままの種では、効率が悪く、このままでは、増え続ける人口を満たすほどの食料を供給できない。もっと収穫を多くして、たくさんの人に届けるべく、開発を重ねてきたおかげで、現在、ぼくたちの食卓には、たくさんの野菜が並んでいる。昔からの種のままだったら生活は苦しかっただろう。しかし、逆方向から語れば、遺伝子を人工的に操作して、除草剤や殺虫剤の毒素を持った遺伝子の植物が開発され、その遺伝子組み換え食品が日常生活に普及している。

トークイベントの翌日、大好物のマンゴーを買って食べた。チフミがそれをみて「種があるよ」と気がついた。メキシコ産のマンゴーの種が、どんな状態なのか、まったく様子が分からないけど、芽が出るかもしれない。マンゴーは収穫するまで7年かかる。7年かけて育て収穫できなかったら、さぞかし残念だろうと思う。その気持ちが、野生の植物を交配させて、新たな種をつくり、人間は生き延びてきた。それは生きるための知恵でもある。叡智=wisdom. その反対はignorance=無知.

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この世の中に必要ないものは存在しないと仮定したい。美味しいスイカが安価に食卓に届けられるのは、ニーズがあるからだ。必要とされるから、それは存在する。誰も必要としなければ、それは消えていく。

YesかNoの対極に巻き込まれないで生きる。ほんとんどの場合、どちらの側にも理由がある。視点をずっと高くして、両方の立場を理解して、そのうえで行動する。キリスト教の立場があれば、イスラム教の立場がある。戦争に反対する人間がいれば、戦争に駆り立てる人間もいる。

麦を育ててみたいと思っている。麦は踏まれて強くなる。その生命力を知りたい。その麦だって野生種の交配を繰り返して栽培できるようになった。どうやって麦を育てるのか。やり方を選ぶことができる。自分の生活のなかにも対立がある。批判や否定的な気持ちに巻き込まれない、つまり「No」ではなく「Yes」。小さな生活のなかで何を選ぶのか。答えは常に何を「する」のか。「やる」「やらない」の間で思考停止するなら、動いた方がいい。やってみれば分かる。

f:id:norioishiwata:20170613064107j:plain和船をつくりたい。3年間も追い求めてきた。ついに日曜日、北茨城市で発見した。生活の中の舟は、必要とされなくなり消えてしまった。実物を見て分かった。木の舟は重過ぎる。いまだったら自分だったらどんな舟をつくるのか。ぼくは「生活をつくる」という表現をしたい。

雑草に学ぶ野生型適応戦略

f:id:norioishiwata:20170601221330j:plain月曜日に日の出を見に行ってから早起きになった。午前中は、六時間になって、制作できる時間が増えた。今日は少し遅くて、7時にアトリエに来て、この日記を書いている。

今日は雨。だけど嬉しい。野菜を育てて食べようと、自然農というやり方で、耕しもせず、雑草の根を残したまま植えてみた。種からではなく、苗を買ってきたので育つか心配で、畑をやっている友達には、それは野生に小型犬を放つようだ、と笑われた。植物は、厳しい環境を乗り越えて強くなるらしい。子犬のようなウチの野菜たちも、逞しく育っている。雨が嬉しい。

f:id:norioishiwata:20170601221451j:plain大学の恩師に、記事を頼まれて、気合い入れて書いたら「長い」と返事が来た。前半をばっさりカットして、読み直したら、言いたいことが明確になった。書いて気がついたのは、自然から生き方を学んでいること。特に雑草と呼ばれる植物は凄い。英語ではRuderalという。人間が開拓して荒廃した土地に生える荒地植物の意味。SFみたいだ。雑草は、種子をタイミングが来るまで眠らせたり、地上よりも地中に強く根を這わせて、生き延びたりする。Ruderalな考え方、行動の仕方、企業経営があるように思う。結局、野生型適応戦略 - Ruderal City計画 - という記事になった。

f:id:norioishiwata:20170601221547j:plain北茨城市の廃校、旧富士ヶ丘小学校をアトリエにしている。この場所は、今後、陶芸教室やシェアオフィス、アーティストインレジデンス、ギャラリーとして再利用されていく。昨日は、コーディネーターの都築さんと、場所の名前を決めるミーティングをした。
まだやることもはっきりしていないので、できるだけ可能性を限定しない方がいいという話から「富士ヶ丘Favoratory」になった。favorite と laboratoryの造語で、「好きを探求する」という意味。その言葉に遭遇して、フレッシュなコンセプトを手に入れた。

なるほど。早起きをしたついでに英語の勉強を再開した。まだ1日だけ。それでも眠っていた頭脳がアクティブになった。
RuderalにFavoriteをLaboratoryする。つまり、雑草のように生き延びて、好きを研究する。ぼくの好きではなく、未だ出会っていない誰かの「好き」を創造するために。ああ、それが音楽のポップスだと気がついた。PRINCEの歌に「POP LIFE」だ。

Pop life
Everybody needs a thrill
Pop life
We all got a space 2 fill
Pop life
Everybody can't be on top
But life it aint real funky
Unless it's got that pop

POPな人生
それを誰もが求めてる
POPな人生
みんな満たされない思いを持ってる
POPな人生
誰もがトップになれるわけじゃない

そう
POPに生きないかぎり
本当に楽しくはならない

モノをつくり、愛する人と出会うこと。

f:id:norioishiwata:20170528232927j:plain作品をつくるにしても、材料をどうするのか。イメージがどこからやってくるのか。イメージをカタチにするための道具と技術をどうするのか。それらをクリアできれば傑作が誕生する(はず)。

ぼくは偶然を愛するがゆえに、材料をできるだけ買わない。お店で購入すれば、おカネと引き換えに望んだモノが手に入るけど、偶然による奇跡はひとつも起こらない。

木材を買わないで手に入れる方法のひとつが廃材。北茨城市にも古い家がたくさんあって、チャンスを狙っていると、築100年の蔵を解体するという話が飛び込んできた。木材を欲しいと話すと快諾してくれ、翌日現場へ。解体していた職人さんたちが協力的でトラックで運んでくれた。

f:id:norioishiwata:20170528232617j:plainその日の夕方、蔵を解体していた職人さんが、様子を見に来てくれた。職人さんは社長さんで「俺もモノをつくるのが好きなんだよ。で君たちが木材欲しいって廃材取りに来たから嬉しくてさ、芸術やってんだろ? なかなかできることじゃない、頑張ってくれよ。応援するよ。」と言ってくれた。

応援してくれる人がいて、その人が欲しいと感じてくれるような作品をつくりたい。モチベーションが生まれた。芸術は難しいことではなく、鑑賞した人が直感で何かを受け取ってくれればいい。ぼくがつくりたいからつくるのではなく、喜ばせたい人がいるからつくる方がずっといい作品に仕上がる。

f:id:norioishiwata:20170528232819j:plainいまは六角形の変形パネルに円形の景色をつくりたいと企んでいる。六角形は、岡倉天心の六角堂で、そこからの景色を模様として彩ってみたい。北茨城という土地から生まれた発想。これはチフミのアイディア。ぼくが考えたモノではなく、相方のイメージを拾ってカタチにすれば、みたことのない作品が生まれる。コラボレーションは、どこにも存在しないオリジナリティになる。

「おカネを使わない」ことが、出会いを生み出す。偶然の為せる奇跡。偶然によってつくられた作品は、唯一無二の価値を持つ。それは作為を超える。アートは、作品の価値を感じてくれる人を、たったひとりの理解者をみつければ成立する。ひとつしか存在しない作品は、ひとりだけしか所有できないのだから。モノをつくり、愛する人と出会う。それがぼくにとってのシンプルなアート活動だ。そのためにも、心底から素晴らしいと思える作品をつくりたい。

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人生に勇気を。失敗を恐れない気持を。

f:id:norioishiwata:20170522142317j:plain北茨城市の富士が丘小学校をアトリエにして、もうすぐ1週間。暮らしている辺りの地理も理解できてきた。新しい町にいったら、ぼくは走る。それがもっとも地域の様子がわかる。どこに何があるのか。

北茨城市に来てみれば、ひとつの冒険が終わったように思う。それは空き家を巡る旅。海の傍の空き家に暮らしたいと夢見て3年が過ぎ、それまでに5つの家に暮らした。家を改修できるようになった。どんな場所にいても創作活動できるようになった。

日本で自由に生きたければ、出来るだけ古い空き家に暮らすことだ。家賃も安いし、古い家には日本の伝統文化が息づいている。日本人は、生活のなかに芸術を見出してきた。古い家には自然と共にある美しい暮らし方が刻まれている。

敬愛する日本の表現者を選ぶなら、宮本武蔵柳宗悦宮沢賢治宮本常一岡倉天心。その岡倉天心が、人生の後半を過ごした拠点が、北茨城市の五浦。天心の建てた六角堂からの眺めは素晴らしく、当時、ここに居を構えるなんて驚くばかり。それこそ何もなかっただろうが、そこにはすべてがあった。

f:id:norioishiwata:20170522142358j:plain歴史を振り返ってみれば、日本人にとっての芸術とは、まさに暮らしの芸術だった。茶道をはじめとし、自然素材でつくられた家や生活そのものに芸術を求めた。
岡倉天心の時代からはじまった西洋と東洋の接衝。もはや、そんな境界線すら見えないほど西洋に傾倒している現代。心が震えるほどの美しさは、どこにあるのだろうか。

自然なくして「美しさ」は宿らない。都市生活に「美」があるとは思えない。でも、つくることはできる。
青空や田んぼ、カエルの鳴き声、溢れかえるような草々の緑、空へと伸びる木々。何百年も暮らしを見守る大樹。岩に砕ける波。透き通る青い海。若い竹の模様、どれもが美しい。

f:id:norioishiwata:20170522144147j:plainぼくは、都市から里山へと生活の拠点を移すうちに生活芸術というコンセプトをみつけたが、それは北茨城市で消えようとしている。なぜなら、ここでは、自然と共に暮らすのが当たり前だから。でもこの当たり前もやがて失われていく。だからこそ、これを表現したい。柳宗悦の民藝だって、どこにでもある名もない陶工の手仕事を評価してのことだし、宮本常一は、消えようとする当たり前の日常を記録し続けた。宮本武蔵は、日常が戦場と思えば、戦場は日常だと説いたし、宮沢賢治は、農民芸術論として、自然のなかで営む農民の暮らしを芸術にすることを夢見た。
岡倉天心は、自然と人間と芸術の融合を東洋の芸術や思想から描いた。ぼくはまだ何もしていない。これまでやってきたことを糧に、ここからスタートしたい。自然農で畑をやってみようと思う。廃材を集めて屋台をつくろうと思う。冬に向けて服をつくろうと思う。自分が理想とする衣食住を表現してみたい。

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f:id:norioishiwata:20170522142702j:plainどうして、新しいことをやらないのか。できないことをやれば、どうやればできるのか分かる。それが技術だ。
できなくて当たり前だし、失敗して当たり前だし、3年も5年もしつこくやれば、それはそれで技術になる。失敗を恐れたら、成長は止まる。それが大人だというなら、ぼくは永遠に子供のままでいい。

なによりも、社会と環境のバランスと循環のなかにある生活基盤を自らの手でつくり出し、そのうえで創作活動すること。美しい理想の芸術。自然のなかに生きる生活を表現して、実りある1日を過ごすことができれば、その日々が最高傑作になる。

 

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北茨城最奥地ではじまる未来

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北茨城市での暮らしが始まった。東京から荷物を運び、アトリエになる富士が丘小学校に道具を運んだ。午後から、市の担当者鈴木さんと課長と、コーディネーターの都築さんと打ち合わせをした。

そのなかで、市長の驚くべき構想が発表された。それは1枚のメモ書きで、芸術の里「桃芸の里(とうげいのさと)」をつくる企画案だった。それは芸術の桃源郷だ。ぼくはチフミと相談して、北茨城市でやりたいことをまとめた資料をつくっていた。その内容と市の構想が一致していた。コラージュによるセレンディピティが起きた。

では早速、その村へ行ってみようと車を走らせること20分ほど。まさに里山、その村の入り口にある古民家が、その舞台になるという。茅葺き屋根にトタンを覆ってあった。農小屋や離れもある。裏には川が流れていた。

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チフミは「スゴい!わたしここに住みたい!」と声をあげた。嬉しかった。こんな場所で喜ぶパートナーで。まずは市長に興味があることを伝え、続報を待つことになった。北茨城市では、これまでの経験を磨き上げる創作活動ができそうだ。それには、積み上げてきたすべての知識や経験を下ろして、「身を低くして、他者から学ぶべきだ」今日の夜、訪れた温泉のカレンダーに書いてあった名言。これが15日のこと。

北茨城市最奥地の集落に住む、陶芸家の浅野さんを訪ねた。浅野さんは、北茨城市の「五浦天心焼き」という陶芸の名産を復活させた人だった。僅かな資料と手掛かりをもとに再現された、五浦天心焼き独特の鮫肌と呼ばれる釉薬効果は、浅野さんが偶然の出会いに導かれ開発したモノだった。考古学であり民俗学な芸術。とても陶芸をやってみたいなんて言い出せなかった。

ぼくは、生活を芸術にしたい。自然と人間の関係を伝える「生きる技術」を保存したい。でも、これは現時点では、芸術でも何でもなく、とくに里山では当たり前のこと。けれど、それは静かに消えていこうとしている。生活を芸術にするアートは、自然に接近するほどに薄まっていくが、時間が経つほどにその芸術的意義は強まっていく。愛知県津島市の長屋も、岐阜県中津川市の森も。北茨城市では、古民家の再生だけではなく、畑や地域の景観も含めたランドスケープの芸術を表現してみたい。街路樹が桃の木で、時期になると、花を咲かせ、果実を気軽に手にして食べる。畑や雑草、自然と人間のハーモニーがそこにあるような。

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自然に溶けていく生活芸術の活動と並行して、日本人の暮らしを彩るアート作品をみつけたい。それは平面のコラージュ作品だったり、パピエマシェの立体だったり。中津川でつくった風景シリーズは、都会には自然過ぎて、田舎には都会過ぎるように思う。しかし、この中道にこそ、進むべき道がある。未だなかった景色に新しい芸術の道がある。イメージがあれば、人生はつくれる。

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「生きるための芸術 - 40歳を前に退職。夫婦、アートで生きていけるか」

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