96年前祖母が生まれて、一昨日死んで。ぼくはこの世でまだ道半ば。道は未知。

母からの電話だった。

「横須賀のお婆ちゃんが亡くなったの」

驚きはしなかった。もう10年近く老人ホームにいた。でも、そろそろ会いに行こうと思っていた。数日前から肩が痛くて整体で診てもらっていた。肩の痛みと祖母が他界したことが自分の中でリンクした。

20代の中頃、占い師のマドモワゼル朱鷺ちゃんがウチに住んでいたことがあった。朱鷺ちゃんはタロット占い師として有名人だったけれど、当時、ぼくは見えないものを信じていなかった。まったく。だから朱鷺ちゃんに「あなたは才能あるのに、見えないモノを見ようとしないから自分自身さえ見えてない」と言われていた。

朱鷺ちゃんは、風を呼んで公園の木々を騒わつかせることができた。静かな夜に突風を起こすことができた。今ならそう言うことができる。当時は、偶然だろ、と鼻で笑っていた。

死が身近になると、なぜか朱鷺ちゃんを思い出す。


ぼくはこれまでに3回交通事故に遭っていて、1回目は小学校に上がる前、友達の家の前のスーパーマーケットにお菓子を買いに行ってクルマに轢かれた。頭蓋骨を骨折して入院した。2回目は、大学生のとき。自転車に乗っていて後ろから撥ねられた。足首を複雑骨折した。3回目は、28歳のとき、背骨を圧迫骨折した。すべて意識を失って目覚めると事故の後だった。起きた瞬間のことは覚えていなから、どこか別の場所に意識が消し飛んでいた。どこだかは分からない。

二回目の骨折のとき、ボルトで固定した。そのとき地球の気持ちになった。自然環境をアスファルトやコンクリートで固めて鉄筋でビルを建てることと自分の左足首の出来事がリンクした。ぼくの足首は近代化したと感じた。ぼくたち人間は、地球にとって、身体のなかにいる細胞のみたいだと思うようになった。


祖母が亡くなって、お葬式に行くのに喪服がないことに気づいて、田舎暮らしだから30分くらいかけて隣のいわき市イオンモールに買いに行った。黒いスーツを選んで裾上げを頼んだら3日後と言われ、妻チフミが交渉したら2時間後になって、余った時間で本屋に行った。

棚を見ていたら「ひとはなぜ戦争をするのか」という薄い文庫をみつけた。1932年、国際連盟アインシュタインに「今の文明においてもっとも大事だと思われる事柄を、いちばん意見を交換したい相手と書簡を交わしてください。」と依頼し、選んだ相手はフロイト、テーマは「戦争」だった――。

 

夜チフミと、ひとはなぜ戦争するのかについて話した。

チフミは

「もし他の国が攻撃してきて、仕事も無くなって家族を殺されても、それでも戦争は必要ないと言い切れるの?」

ぼくは言った。

「そう考えるから戦争がなくならない。どんな状況になっても戦争はしない、そもそもそんな状況にしない、という強い意志があれば、戦争は起きないと思うんだけど。だって殺人は悪いことだと理解できるんだから。けれども、人間には欲があるから、それをコントロールしなければ争いはなくならない。だからフロイトは文化が必要だって言ってる。

ぼくが不思議なのは、20年前、もしくは10年前は、戦争なんて絶対に起してはいけない、と多くの人が信じていたはずなんだ。ぼくらは、戦争の反省の上に生きてきたのだから。それこそ、ぼくの祖母の世代は知っていた。そして話してくれた。何があっても戦争などという愚かなことをしてはならない、と。それなのに0.1ミリでも、戦争が許容される考え方が存在しているなんて、ほんとうにこの世界はどうかしている」

うちの祖母は福島出身だった。20歳でうちの母を産んだと聞いた。また、うちの祖父の最初の奥さんが早くに亡くなって、その代わり嫁いできたのが妹だったうちの祖母だったという話しも聞いたことがある。96歳で亡くなった。


交通事故の後遺症なのか、近頃、左足の動きが悪くてもしかしたら、このままだったらと不安に思いながらストレッチをしている。けれども、まだ足は動く。走ることもできる。何かを失って初めてそれがあることの大切さに気がつく。

そもそも、とっくにぼくは、死んでいたかもしれないし、歩けなくなっていたかもしれないし、そもそも生まれていなかったかもしれない。だとしたら、当たり前のように過ぎていく今日という日があることすら驚きに満ちている。走ることさえ、歩くことさえ奇跡に思える。祖母のおかげで、ぼくはこうして生きている。

ぼくも、そのうち死ぬけれど、もう少し何かを残せそうだから、頑張ってみます。さようなら、ありがとうございました。おばあちゃん。

何よりも「生きている」それを全力で。

桃源郷芸術祭2020が完了した。北茨城市での3年間の取り組みがカタチになった。合計4つの建物を再生して、500坪ほどの土地を活用できるようにした。そしてこの場所に春から暮らしていくことになった。

2014年からスタートした空き家を巡る冒険は、6年の歳月を経て着地した。かつての夢は新しい日常になって次の夢へと冒険は続いていく。暮らしていく場所には、水もトイレもないから、それをどうにかするとか、風呂を作るとか、野菜をつくることや、魚を捕ったり理想の生活づくりは続いていくし、絵の制作も続いていく。昨年、有楽町マルイで展示をやらせてもらい、それが好評で今年も声を掛けてもらった。来月の15日だから、休む間もなく作るしかない。やるしかない。目標は有名になるでも売れるでもなく、生きていくことだ。

 

2019年の秋ころにイメージしたランドスケープを作る計画も実現してきた。北茨城市の定住する地域にサクラを植樹する計画と、炭窯を作るプロジェクトが動き出した。サクラは、手間がかかるから、それをきっかけにこの土地を整備してく約束のためのシンボルだ。「100年後のランドスケープ」というコンセプトで毎年タイトルの数を減らして翌年なら99年後のランドスケープ、98年後のランドスケープ、と三世代後までバトンを渡していくようにしたい。「50年後のランドスケープ」というタイトルになったとき、現在、関わる人間は全員この世には存在しない計算になる。手塚治虫の「火の鳥」みたいなスケールでいこう。

炭窯は、薪の調達も兼ねるし、炭窯の横に野焼きスペースを作りたいと企んでいる。粘土を採取して火と土と水と風の芸術を自分の作品にしたい。

 

空き家を巡る冒険が終わり新しい物語がスタートするから、これまでの話を本にして未来を模索したい。本は、未だ到達していない理想を目標に書いてきた。2冊出版した生きるための芸術シリーズ。次のコンセプトは「生活芸術」だろう。

展示やイベントも面白いけれど、特に何もない日々にこそ、何ができるのか。誰からの依頼も約束もない自分の時間に向き合うからこそ自分の未来をつくれる。

 

「アート」というカテゴライズに興味はなくて、とにかく「生きていくこと」そこにフォーカスしたい。それは身体を動かして命を永らえることだ。現代日本から見える日常生活の景色からでは、ほんとうの意味での生活を知ることができない。水も汲まなければ、火も熾さない。野菜も育てない。生きるために必要なことは何ひとつしていない。そもそも都市では火は焚けない。水も蛇口から出る。便利はそれはそれでいい。恩恵として。でも生き物として授かった能力が失われていく。それでいいのだろうか。もっともっと生きたい。もっともっと自然の中に踏み込んで生活をしてみようと思う。

 

野生の芸術について(はじめてのメモ)

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何が起きているのかを考える時間にした。大切なことはいまの瞬間にある。いま芸術祭の開催中で会場を作品として展示している。そこで起きたことを記録すると雑多になるので、頭に浮かぶことを書く。

展示をしているときは、人と接するのが主な仕事になる。作品を作っていないかといえば、そうとも言い切れない。作品と鑑賞者の接点を作っている。接客の方法も創作できる。案内するための言葉を創造することができる。その新しい言葉で自分が作ったモノの説明をする。何度も説明するうちに言葉は洗練されてもっとも単純な説明に落ち着く。

「荒地と廃墟を再生して生活空間を作っています」

便器を芸術品にしたマルセル・デュシャンは「創造されたモノは鑑賞されることで芸術になる」という言葉を残している。ぼくはそれを「作品は鑑賞されて成長する」と解釈している。

つまり鑑賞された眼差しや言葉や感情が作品を洗練させて評価となって「芸術」と呼ばれるようになる。けれどもぼくは「芸術」という勲章が欲しい訳じゃない。生きていたいだけだ。だから、それを伝えたい。そのメッセージを。

「何のために?」

社会は黙って受け入れ従うだけでは、まず悪い方向にしか進まない。だから流されるものの中に流されない杭を打ち込むように、ぼくは作品にメッセージを込めて伝えようとしている。

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作ろうとしているのは生活の芸術で、生活空間のなかに芸術を出現させたい。それは新たなものではなく、今までもそこにあったのだけれど、表現することで、気づかなかったり見えなかったりするモノに光を当てて人の暮らしを豊かにしたい。大切なものは目に見えないし、測ることもできない。だから、芸術という表現もまた、そう簡単にはその本質を掴ませてくれない。常に時代や状況によって姿かたちを変えていく。

通常、芸術とは美術館やギャラリーのような保護された施設のなかに保管されている。人はそれを見て芸術だと理解する。そんな場所でしか芸術を体験することはできない、そうだろうか?

それでは動物園の檻のなかの動物を眺めて動物を理解しようとするようなことでしかない。動物は本来、自然の中に生きている。人間はそれを野生の動物と呼ぶ。同じように芸術にも、保護管理される前の状態があると考えることができる。それは何か。それは生まれたばかりの芸術。未だ芸術に成長していない何モノかの存在。それを拾いあげて、保護管理される前の生まれたままの状態で提示してみたい。つまりそれを「野生の芸術」と呼んでみようと思う。では野生の芸術とはどんなモノならそう呼ぶことができるのだろうか。

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例えば、今回の北茨城市で展示している作品「D-HOUSE」は土地、文化、人間、環境、廃材をコラージュした作品で、この土地に来なければ体験できない。この土地に足を踏み入れれば、風や太陽や雨や鳥の声やこの場所の光や匂いも含めて体験することができる。ぼくはこの作品にこの土地の環境を詰め込んだ。この場所は、本来、鑑賞されるために存在していなかった。この場所は、何百年も前に誰かが暮らしを作るために切り拓いた場所だ。その土地に何十年か前に運び込まれた鉄骨の住居、木造の倉庫、もしここにある廃棄物を整理観察すれば、この土地で何があったのかイメージすることができる。

 

「展示」ということは、何を鑑賞させるのか、その導線を作ることだ。人間を誘導する技術だ。予め「芸術祭の会場です」とアナウンスしておけば、人は何かを鑑賞しにこの場所にやってくる。芸術祭の会場だから芸術の一部だと理解することができる。けれども、たまたま、この場所に遭遇したなら、言葉にならない異様な印象を受けるだろう。このギャップに「野生の芸術」を言語化する余地がある。

これは「芸術です」と説明されるから芸術なのか、それとも説明もないままでも何か衝撃を受けるような強度があってはじめて芸術と呼ぶことができるのか、この違いを見つけて、どちらかといえば、後者に魅力を感じる。そもそも別に芸術でなくても構わない。目的は伝えることだから。

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木造の倉庫には、土地の再生で発掘した廃棄物を展示している。象徴となるアイコンは瓦礫だ。役に立たないゴミ達とは何なのだろうか。ゴミはゴミになる前、部品や道具の一部だった。はじめは何か役割を持って生産された。作ったのは人間だ。作った人間は生産したモノがどのような末路を辿るのか、全く考えていない。生産したものを販売してしまえば、責任は消費者に委ねられる。結局、生産者も消費者も、役に立たなくなったモノたちが「何処からやってきて何処へ行くのか」知る由もない。

人間が自分が生産したモノの末路を知りもしないのだから、人間を作った神様が人間の行き先を不明にしているのも、同じことなのかもしれない。そこまで伝わっているのか分からないけれど、ぼくは、この展示で、これを伝えた。

こうして消化されていない思考を日々の活動から掘り起こして言語化する作業こそ、日常を耕して種を蒔くようなことで、これが未来に芽を出し豊かさを収穫させてくれる。ブログはアイディアの畑だ。

交わらなければ道が拓ける。

表現している。絵は、いくつもの偶然が重なって事故のように発生する。ぼくは絵描きではない。絵を描く以前にしていることがある。描く以前に行動がある。興味あることの奥深くに足を踏み入れたい。自分で考えたい。誰かの言葉や文章ではなく。「行動して考える」を繰り返して、踏み込んだ先の体験を文章にしている。そこに自分の言葉が現れる。それを表現している。

 

「生き方」を制作するようになって10年経った。成果と言えばこれに終わりがないことが分かった。だから迷いが無くなった。自分の進む道が決まって、見渡してみれば、世間は複雑になるばかりだ。その複雑さに巻き込まれないで俯瞰できる場所にいたい。

SNSは、似た志向の集合社会だから誤解や憎しみ、怒りも共感し増幅する。年末年始は妻チフミの実家に親戚が集まった。ときには政治の話にもなって、社会的な属性や世代が異なる人々は、SNSは比にならないほど様々だった。ある人は、ヘイト本を読んでいて韓国が嫌いだと言う。ある人は、消費税増税は仕方ないと考えていた。れいわ新撰組はカルトだと話す人もいた。

情報は、右からも左からも上からも下からも、あらゆる角度から耳に入ってくる。何を信じればいいのか、誰にも答えは分からない。

数日前から、アメリカがイランの将軍を殺害して第三次世界大戦に突入する、という騒ぎになった。ほんとうに狂っている。何を信じればよいのか分からないこの時代に、戦争が正義のような、必然のようなフリをして正当化するなんて狂気の沙汰だ。

ある人は言う。明日からイランの将軍はアメリカにとっての敵だとみんなが信じ込まされる。イランの将軍が誰なのかも知らなかった人たちが、明日からすっかり洗脳されて彼は悪人だと証言する、と。ある人は、イランの将軍は殺されるべき人物で、アメリカのおかげでわたしたちは一歩平和に近づいた、と言う。

 

携帯の向こう側はまるで世界中の様子が覗ける窓のようだ。でも、その窓の向こう側が現実とは限らない。だれかがどこかで聞いたり読んだりした歪んだ世界が広がっている可能性もある。現代は、現実を捉えることがファンタジーになってしまった。歪んだ情報社会に混ざらない純粋な現実を掴むことは、鉱物が結晶化して宝石になるほど貴重な眼差しだと思う。空想よりも現実、目の前のことにフォーカスできることがずっとクリエイティブだと感じる。

 

大切なことは、人間が欲深く、基本的には誤ちを犯している生物だということだ。

何千年もの間、戦争を繰り返し、何万冊という書物がその愚行を批判し、何億人もの人がその警告を噛み締め涙しても戦争はなくならない。もちろん、ぼく自身が何をしようとも、環境的には破壊への道を開拓している。人間なのだから罪を犯してしまう。だから人間は宗教を発明した。その基本に立って、生きる道を模索するなら、せめてもだれかのために表現して、その表現がだれかの道を照らすようにしたい。

何処へ向かっているのか想像できる。生きるために必要なものを輸入しないことだ。国に例えたら国内で可能な限り生産する体制を整える。つまり身近なところで生きるために必要なものを揃えることだ。「自給」という言葉では誤解を招く。自給自足がしたい訳じゃない。近所に米を作っている人がいるから、米は作らない。やりたかったら、その人を手伝う。野菜を育てるとしても、大根は近所の人が作っているから違う野菜を作る。顔が見える人にお金を払って生きていきたい。経済圏をつくる。生活に関するあれこれを交易して豊かさを創造する。経済は貨幣だけじゃない。憎しみや怒りや妬みの代わりに喜び笑い美しさを提供する経済もあり得る。

芸術とは一次産業だ。農業や林業や漁業と同じで、想像力という大地を耕してイメージを育み、作品をつくる。その作品は、空腹を満たすことはできないけれど、誰かの心や人生を満たすことはできる。

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廃墟を再生して、その中からイメージやカタチを抽出して、絵やオブジェや作品を制作している。絵を描くために絵を描くのではなく、生きるために絵を描く。伝えるために絵を描く。年末からタイヤで絵を描く試みをしている。廃タイヤに色を塗って、それでペインティングしている。思うように描けないのだけれど、そもそも思うように描く必要もなく、色とカタチがあればいい。そのカタチは、出来るだけ自然発生したものがいい。意図は要らない。狙った途端に自然は意図に変わる。役に立たないタイヤが描く線とカタチ。中にはどうしようもない絵も生まれた。なるほど見れば見るほど、良くない。けれど、それはそれで自然で、むしろ、自然とはそういうものだ。雑草は美しくない。そうだろか、雑草の生き方を教われば人生の師範になる。雑草とは何か。鑑賞しながら思考してみる。行動して考える。すると雑草にもそれぞれ役割があるように、失敗した絵も悪くないと思える。少しだけ手を入れてみると、物語が浮かんでくる。"D"からコンセプトを導いてDawn=夜明け。混沌とした絵の具の爆発は、夜明けが生まれる瞬間だった。そうやって絵は成長する。

 

世の中は、混沌としている。だから共感もしないし理解もしない。それぞれがバラバラで狂っている。その中に一筋の光が差して、一点の曇りもない空へと導く。

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身の回りにあるもので充分に生きていけるのだとしたら、ぼくたちは何を望むのだろう。

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ぼくたちは、うまれて死ぬまでの中間に生きていて、ゆっくりと死へと接近している。今日という1日が朝から夜まで回転するように、月火水木金土日とぐるぐると、春夏秋冬と季節が過ぎて、そうやって今年から来年へと時は移り変ろうとしている。ぼくがいつ死ぬのか、まったく予想もできない。誰もそんなこと分かりはしない。だから、1日1日を丁寧に作っていきたい。

見渡すと自然が溢れる環境にいて、木々や草、風や太陽に、鳥の声に包まれるように暮らしている。いろんな縁が重なって、来年もアトリエを作った北茨城市に暮らすことになった。「水もないところにどうやって暮らすんだ」ともっと計画的に考えろ、と言われたりもするけれど、どうやったらできるのか分からないけれど、やってみることに意義を感じるし、直感が閃いて、そうすると決めたら、物事はとてもシンプルに条件を整えてくれた。どうなるか分かることに向かって人生を進めても、安定はするけれど、むしろぼくは、失敗も含めて人生の可能性を実験して、競争や高みを目指すような生き方に馴染まない人のために迂回路を開拓していきたい。

生きるための芸術、社会彫刻、サバイバルアート、生活芸術、とコンセプトを作って活動をしてきて、どれも同じことを別の言葉で別の角度から説明していて、図にするなら、きっと四面体で中心にはコアがあって、それぞれの言葉は中心から花が咲くように意味を広げている。知りたいのは、それからの概念の中心にあるコアに、どんな名称が与えられるのか。

それぞれの言葉の方向性への活動は、継続しながら、より深く掘り下げたい。より自然に接近していきたい。「都市と自然」という対極があるなら、より自然へと自分を踏み込ませて、そこでの活動を都市へフィードバックさせたい。本も書きたい。目の前にある環境に対して出来るだけの取り組みをしたい。具体的には、陶芸をやりたい。より原始的な方法で。今年の春、バリで滞在したとき、偶然にも粘土をみつけて、焚き火で土器を作ってみた。それは1にも満たない成果だったけれどはじめる足掛かりにはなった。

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火と土と水と風、自然のエレメントから生まれるモノが美しくない訳がない。どう考えても美しい。やりたいことは、既存の陶芸ではない。粘土を買ってきたり、電気窯やガス窯でやっても、そこにはぼくがやる意味がない。なぜなら、目指しているのはサバイバルアートであり、生きるための芸術であり、生活芸術であり、そのコアを表現するツールとして陶芸をやりたいからだ。

たぶん、いまは、これから先10年くらい続く活動のスタート地点にいる。来年から新しい物語がスタートする。これまでは「いるべき場所」を探す冒険だった。もちろん、未来は分からないけれど、ぼくたちは、未来を想像することはできる。地球とか日本とか私たちのような大きな主語の未来ではく、小さな個人の未来なら作ることができる。それは計画すること、予定すること。もっとも単純な未来の作り方は、すぐに始めること。数秒後、数分後に。そうすれば未来は変わる。

 

食べ物を作りたい。畑をやるのだけれど、三年目になるけれど、驚くほど下手だ。頭の片隅に自然農があって、放置しても収穫できる野菜のイメージがあって、でも現実はそんな簡単な話じゃない。あれは何かの奥義で合気道みたいな技だ。だから、まずは食べ物をつくるという目標にする。北茨城市の山側では、小規模な畑をやっている人がたくさんいて、みんなが採れた野菜を贈与し合っている。これは驚くほど豊かなことだけれど10年もすれば、その数はずっと減るだろう。地域では当たり前のことで、ビジネスや経済活動未満のこれらの小さな畑が、地域の自然環境や景観に与えている影響は、評価されていない。これは目に見ないこの地域の文化遺産だと思う。だから学んでいこうと思う。この豊かさを。

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2013年から始まった芸術を巡る冒険、つまり「夫婦40歳を前に退職、芸術で生きていけるのか」は、45歳にして、芸術で生きていけるようになった。ぼくが試みたことは、誰にもでもできること。どうやればできるのか考えて行動して、トライ&エラーを繰り返して、諦めることなく続けるだけだ。けれども、いつからか、石渡さんは特別だからとか才能があるから、と言われるようになった。そうやって理由をみつけて諦めることもできる。同じように諦めずに続けることもできる。お金や評価を目的にしなければ。

次は、どれだけ野生に帰ることができるのか。もちろん、妻チフミもいるから、それなりの快適さを保ちながら、自然と共にある暮らしを模索しよう。人間と自然と生活文化のバランスを行き来しながら、表現をしながら生きていくんだということだけはっきりしている。2020年は、新しいサイクルのはじまりになる。

 

自分で考えて行動する。その行動に対価がうまれて生き延びる

もうすぐ2019年が終わる。2020年になる。そんな未来のことを子供の頃には想像もできなかった。自分がどんな風に生きたいのか、どんな職業にも興味を持てない子供だった。世の中の職業的なことに特技がなかったから、会社員という漠然とした選択肢しか浮かばなかった。勉強以外なら、映画やアニメ、漫画や小説が好きだった。中学生になって音楽が好きになって、ミュージシャンになりたいと思った。音楽は好きだけれど、残念ながら、売れる音楽には興味がなかった。聴いたこともない音楽ばっかり追い求めていた。

 

ぼくは今、芸術家を名乗っている。職業は芸術家だ。中学生の自分が知ったら驚くだろうけれど、ここにたどり着くまで時間が必要だった。つまり、いろいろやってみたけれど、最終的に自分でやるしかない、という結論に達するまでの時間が必要だった。イベンターだったり、企業で働いたり、建築現場や、広告代理店、運転手、マネージャー、ラジオの構成作家、いろいろやった。

 

今のところの結論は【自分で考えて行動する。その行動に対価が発生して生き延びる】

とてもシンプルなことだ。高みを目指さない。目的は生きることだから。上へ上へと登っていくより、下へと降りていく。水を手本にしている。水は、低い方へと流れていく。その流れが大地と生命の渇きを潤している。自分が向かう先には喜びが溢れる。水が大地を潤し花を咲かせるように。そうありたい。「働く」の語源「側(はた)を楽にする」のように行動する。

自分を楽にするのではなく、周りを楽にする。そのために自分を動かす。それが「働く」だ。お金にならなくてもいい。むしろ、ほとんどの人は、お金になることを最優先するから、お金にならないところに余白がある。親切とか感謝とか愛。自然にそういう気持ちが溢れることをしていたい。

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廃墟を改修して家を作っている。コンクリートで土間を打って、サッシや建具を使って、サンルームのような部屋を作った。お年寄りが遊びに来やすいように、段を極力減らして、広くスペースを取った。薪ストーブを入れた。

薪ストーブを使ってみたら、薪の消費量が多くて驚いた。来年は薪をたくさん用意しなきゃ、と考えていたら、造園屋さんが、薪になる木を持ってきてくれることになった。イメージしたことがカタチになっていく、そう展開していくときは大丈夫。

 

造園屋さんは、3月に桜を植えに来てくれる。アトリエがある地域、茨城県北茨城市の山間部のほんとに小さな集落に、桜を植えて、桜を育てながら、この地域の環境を保全していく準備が進んでいる。北茨城市とぼくたち夫婦が協力して進めている。

きっかけはスミちゃんというお婆さん。自分が死んでも、この地域が美しく残って欲しいという思いから桜を50本、自費で植えた。まだ小さな桜。咲くまでにはあと3年。10年すれば満開の桜が咲く。スミちゃんが地域に残すライフワーク。働き。

 

ぼくはアート活動をしてきた。アートとは何かを考え、毎回、新しい表現を追い求めてきた。コラージュ、空き家再生、ダンボールでつくる立体パピエマシェ、次第に行動と表現を一致させるようになった。それは芸術が空想の世界に閉ざすのではなく、現実に働きかけて、現実そのものを変える、という試み。ペットボトルの筏は、その代表作品と言える。

美術館やギャラリーに作品が飾られるのは名誉なことだし、評価や理解されることは嬉しい。けれども、美術館やギャラリーに評価されたり、飾られないから、その表現に価値がない、ということではないと思う。美術館やギャラリーは結果であって、到達し完成したモノが収蔵される。アートでも音楽でも、目的に達しないからと、それで挫折してやめてしまう人がいる。やめることも選択のひとつだけれど、それを苦にしたり、未練を持つなら、何のためにやるのか考えてみたらいい。ぼくは、していることそれ自体が痺れるほど楽しいからやっている。

だから、評価されることを目指す必要はない。それよりも、日々の中で、どんどん作品を生み出して、アートとは何か追求しながら表現していけばいい。だから、そのために北茨城市に場所を作った。ここがあれば、アートは生まれ続ける。そして結果だけが残る。

 

今、自分の目の前には里山がある。草や木や自然ばかりが目の前に存在している。そこには作品のアイディアが詰まっている。自然環境が作品の素材として広がっている。

ランドスケープ」この言葉には風景という意味だけでなく、その土地の資源、環境、歴史、水、土、大気、動物、植物、などを含む概念としての意味がある。まさにランドスケープを前にしている。

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この小さな集落をこっそりとキャンバスに見立てて、ランドスケープ・アートを表現してみたい。「こっそり」という言葉を使うのは、あからさまに表現するのではなく、それこそ、環境に溶け込むように整備していきたいと考えている。それには時間がかかる。植物は1年を通して成長するし、樹木であればもっとかかる。絵を描くように、環境を整備してみたい。春夏秋冬。何回も繰り返し、大地と自然と対話するように暮らす。これが今、目の前に広がっているアート作品の構想だ。生きるための芸術とは、そういうことだ。人生を通して表現できるテーマに出会うこと。

 

自分がやりたいと考えたり思ったりすることは、社会の出来事と比較すれば小さなことだし、意味がないように感じることもある。けれど、それは逆に誰も考えてなかったり、誰もやろうとしてないから、小さく見えてしまうだけだ。ぼくは、ずっと、見たことがないモノを追い求めている。今から思えば、子供の時もそうだった。もっと面白い漫画やアニメ、映画を探していた。でもそんな職業はない。だから、誰かが作ったモノではなく、いつからか、見たことのないものを自分で作るようになった。つまり職業も作っているんだと思う。たぶん、それが自分の表現の原点なんだと思う。ないものを作ること。

見たこともないランドスケープを作りたい。それが、ぼくのライフワークかもしれない。

生きるための技術/自分と会議する。

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金曜日、北茨城の改修している廃墟の映像作品のため、撮影チームが来てくれた。20年来の友達、木村輝一郎。インタビューでは、今の取り組みについて話して、質問されることで、構想と妄想が暴走して、伝わらないところも発見できた。毎日妻と二人で制作しているから、どんどん自分の世界は展開していって、社会との接点が少ない環境にいるので、たまに第三者に伝えないと、客観視できなくなる。「構想の妄想が暴走」は、それはそれで素晴らしいのだけど。

生活芸術というコンセプトは、難しい。「生活の中に芸術があり、芸術は生活のなかで育まれる」ということだけれど、生活の中に芸術が溶け込んでいるとき、そこには鑑賞する姿勢が生まれない。ぼくが、いまここに芸術がある!と訴えても、どこにあるのか見つけることができない。だから、フレームが必要になる。枠。それは額であったり、作品として、陳列することだったり、簡単な言葉を添えるなど、アートのフォーマットに落とし込む必要がある。

映像作品にすることは、生活のなかに芸術を作っている過程をドキュメントするための手法でもある。インタビューは自分の言葉が反射する鏡だ。友達もまた自分を映す鏡だ。

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土曜日は、朝から「そこにある芸術」と題した三田村美土里さんのワークショップがウチのギャラリーアトリエで開催された。参加者がそれぞれ、これがアートだと思うモノを持ち寄る企画。ぼくは、その問いかけに、このアトリエが作品であり、ここで起こることも作品だ、と思ったけれど、それでは三田村さんに失礼なので、地域のアイドル、すみちゃんと、すみちゃんの料理がアートだと提示した。ぼくはアートを拡張させたい。なぜなら、アートというフォームは水のように何にでも溶けて、溶かした媒体の側から語ることができる。それはアートがカタチを取り出す作業で頭からイメージを取り出すという意味では思想でもあるからだ。思考すれば、そこには新しい造形が生まれ、新しい造形に遭遇すれば、そのカタチに対して思考する。その循環のなかで逸脱して、領域を拡張していく。その過程を言葉で追いかけてドキュメントしていく。

東京吉祥寺のギャラリーOn goingの小川さんが、この展示のキュレーター兼記録として参加していた。以前だったら、ギャラリストだというだけで、気に入られたいと必死になったけれど、縁があれば何かに展開するし、ないからと言ってそれが評価されない、ということでもないので、気負わずに話して知り合いになれた。

「ギャラリー自体は赤字だけれど、それをやっていることで、いろんな仕事が生まれて運営している」という言葉が印象的だった。

北茨城のアトリエArigateeの運営も廃墟の再生も、それ自体は仕事になっていない。厳密に言えば、地域おこし協力隊としての芸術活動として助成金が支給されているけれど、これは続くものではないから、それとは別に収支を考える必要がある。

 

イベントはお昼過ぎに終わり、片付けをして、電車で大阪を目指した。日曜日に大阪でのトークイベントに登壇した。

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北茨城での取り組みを紹介してパネルディスカッションは「地域でのチャレンジ」というお題だったので、ビジネスではない、おカネにならないことに取り組んで、地域を再生させる話しをした。

北茨城でしていることは、主にはおカネにならないけれど、その活動や体験が、トークイベントに出演するきっかけになったり、絵を描くモチーフになっている。それがおカネを生んで、ぼくは生きていくことができる。理想的な循環が見えてきた。

日曜日の夜、大阪駅周辺を散策して、たこ焼きを食べてハイボールを飲んで東京へ移動した。新幹線の中で、明日の打ち合わせ、有楽町マルイでの展示のコンセプトをまとめた。

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昨年にやった展示が良かったと、有楽町マルイさんからオファーを頂いき、その間は、よしもとクリエイティブ・エージェンシーが担当してくれている。月曜日の朝、新宿のよしもとのオフィスで打ち合わせした。廃墟と自然のあいだにあるモノをアート作品として仕上げて、有楽町マルイで展示販売する。自然から廃墟から都市のど真ん中の商業施設へと横断させる試み。新たに何かを作るというよりは、切り取る作業だ。

 

構想メモ

廃墟で拾ってきた金具をオブジェにする。瓦礫を額装する。崩れた廃墟の屋根から空が見える様子を絵にする。廃材を利用してオブジェをつくる。柱を乱暴に切り落とし、かろうじて成り立つ動物のカタチをつくる。廃タイヤでペインティングを作る。陶芸でデタラメなカタチのオブジェをつくる。それを参加型プログラムのワークショップにする。

 

展示までにどこまでカタチにできるか。同時に1月の桃源郷芸術祭の準備もある。同時進行で走る。起きた出来事と感じたり考えたりしたことを書き起こし、メモする。その言葉は現実に固定されるから消えない。あとは実行するだけ。こうやって、人生を作り作品をプロダクトする。

今回の旅のお供はこの3冊。

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「瓦礫の未来」磯崎新

タイトルに惹かれた。今回の展示のモチーフが瓦礫だから。

「制作へ」上妻世海

消費から参加へ、そして制作へ、このテキストは最高傑作。自分が考え及ばなかった領域へと思考を運んでくれた。

「文読む月日」トルストイ

もはやバイブル。Twitterのように短い名言が365日並ぶ。ときにトルストイの道徳に満ちた短篇小説が差し込まれる。あまりにも名著過ぎる。