生活の環境をつくる。

学校を卒業するにあたって、何の仕事をするのか、という選択肢を脅迫される。仕事をしなければ、人間として認めてもらえないような気持ちになるほどに。

ぼくは仕事をしたくなかった。働きたくなかった。好きなことに没頭していたかった。でも、そんな逃げ道は、みつからなくて、嫌々ながらに仕事をしてきた。今は違う。働くのが楽しい。

なぜ働くのか。という疑問について学校も社会も教えてくれない。働かなかったらどうなってしまうのか。先に答えてしまえば、別に何も起こらない。ただ生きている。すごく時間があることに気がつく。暇になる。で結局、また働いたりする。働くには二つある。自分で仕事をつくるか、与えられた仕事をやるのか。

どうせ、働くなら楽しいことをやった方がいい。自分から「やりたい」と手を挙げたくなるような仕事を。

 

仕事をする理由のひとつにお金を手に入れるという目的がある。お金がないと生活するのにとても不便だ。基本的に必要なものが手に入らない。けれども、そのためだけに働いているかと言えばそうでもない。何の仕事をしているか、というステータスもモチベーションになる。憧れの職業とは、カッコよさの指標でもある。

じゃあ、カッコつけるために、朝から晩まで我慢しながら働いているのだろうか。お金が必要だから働いているのだろうか。ほとんどの場合、この疑問について、答えを見つけ出す前に、見ないように蓋をしている。考えても仕方ない、と。

 

いま、ぼくは廃墟を片付けて、荒地を整地して、生活空間をつくろうとしている。仕事かと問われれば、これが仕事だと答える。でも誰かに依頼されたのでも、やらされてるのでもない。将来きっと価値が生まれるだろう事に投資している。時間と労力を。そしてこれは、自分のアート作品になる計画でもある。

この仕事は、空き家再生というよりは開拓に近い。廃棄物が山になって、雑草が生え放題の荒地。もちろん、水も電気もトイレもない。そんな場所を再生するには、どんな着地点があるのか、やりながら考えている。これをやる最大のモチベーションは、社会のマイナスをプラスに転換できること。社会彫刻というアートを実践できること。社会彫刻は、ドイツの芸術家ヨーゼフボイスがつくったコンセプトだ。

社会のカタチを浮き彫りにするアート作品。なんならそのカタチをより理想に近づける表現。

 

このどうしようもない、手を施しようもなく荒れた空間を見て思った。直ちにお金になることばかりにしか人間が取り組まないなら、社会はどんどん歪んでいく。なぜなら、貨幣経済は高みを目指すゲームだから、どんどん切り捨てられていく。1万円になる仕事より2万円の仕事に人は集まり、5万円の仕事が生まれたら、1万円の仕事は誰もやらなくなる。けれども、お金にならないことをお金に変えることができれば、それはゼロをイチに変える魔法になる。まるで現代の錬金術

電気もトイレも水道もない荒地に生活空間をつくる試みは、すべてのないをあるに変換する。水を自給する方法、下水がない場所にトイレをつくる方法。当たり前に与えらている環境がなくなったとき、ぼくらはどうやって生き延びるのか。

この手の施しようのない空間は、そういうテーマを与えてくれる。そもそも、産業廃棄物はどのように処理できるのか。ゴミはどうやって処理されているのか。ぼくたちが、日々どんどん出しているゴミはほんとうに問題ないのだろうか?

疑問に思ったことを追求していけば、そこには道が現れる。自分がみつけた小径を進めば、いくつもの大きな道を経由して、自分の答えに辿り着く。それが哲学だと思う。誰かが考えたことを検証するのではなく、自分の問いにひたすらに答えていく。お金以外の理由で、進むべき道が現れたら、とりあえず進んでみた方がいい。その先は歩いた人にしか分からない世界が待っている。

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絵を描く生活。45歳。芸術家。

絵の構想が頭の中にある。5月と6月は、いろいろ仕事の依頼があって、それも仕上がってきて、おかげで次へと進めそうだ。目の前の仕事を追いかけていると、新しい絵は生まれない。仕事がなくなって、さあどうしようか、というゼロの状態で絵のイメージが湧いてくる。忙しくても湧いてくるけれど、頼まれている仕事がない方が、どうでもよさの純度の高い作品が想像できる。どうでもよいチカラの抜けた作品。でも、それは描いてみないとなんとも評価できない。頭の中では、いくらでも修正を繰り返してしまう。

忙しいなか、頭の片隅で練り上げきたイメージを仕事と仕事の合間にさっと描くとき、なんの迷いもなく速やかに完成することがある。失敗する余裕がないから、作業に緊張感が生まれる。けれども、失敗するのも悪くない。ああ、これは駄目だったと分かることは、明確な答えを手にする。むしろ成功する方が、セオリーが見えない。いくつもの好条件が重なって成功しているから、何が勝因なのか答えがない。

 

大きな絵を描きたい。自然の中を人間のカタチをした植物の塊が動物に囲まれている。空と山が見える。動物は、イノシシ、鹿、犬、猫、猿、キジ、トンビ、スズメ、タヌキ、キツネ、あと蝶々も飛んでる。パネルは逆三角形にしよう。

こうやって湧いてきたイメージには、なんの価値もないし、ニーズもない。それを絵にする。納得のいくところまで画面を構成して、下絵をつくる。構図が破綻してるぐらい、いろんなイメージを組み合わせる。ここにぼくの原点であるコラージュ技法が生かされている。

植物の塊の人間の細部を検討する。どんな植物にしようか。雑草がいい。そのなかに花が咲いている。

 

絵のイメージは、ぼくが体験したことをぼくを通じて現れる。頭の中に。だから、毎日、何をして暮らすのかが、とても重要な素材になっている。見たこと、聞いたこと、感じたこと。現実が嫌なものであれば、現実を逃避した作品になるだろうし、怒りがあれば、そういう作品になる。

だから、ぼくは都市から離れた場所を制作の拠点にしている。アトリエがある北茨城市の富士ガ丘という地域には何もない。お店も一軒しかない。何もないとは、人間側にとっての便利さの話で、自然の側からすれば、すべてがある。山、川、森、雑草、動物や虫、それらが自由に広がっている。

 

ひとつひとつの絵が傑作になればいい。けれど、時間とか労力とか、売れるとか売れないとか、そういうことを計算し始めると、イメージしているような作品は生まれない。

アート作品は、徹底した無駄だ。役にも立たないし、コストパフォーマンスも悪い。おまけにニーズがあるかも分からない。誕生する前は、社会に必要とされる要素が全くないところに、贅沢の極みがある。ある意味で作品を存在させる試みとその結果があまりに贅沢。

究極に矛盾した状態に作品を孤立させることができれば、その作品に個性を与えることができる。未だ名付けようのない感覚の領域に存在している。

 

ハキムベイという詩人は、それをT.A.Zと名付けた。一時的自立ゾーン。周囲と独立して、そこだけで成立する空間。地方に暮らしアトリエを持つこともT.A.Zの実践だ。

経済社会から、広告が作り出す価値から、テレビや新聞の情報から、「ちゃんとする」という曖昧なコモンセンスから、距離を取る。絶妙なバランスで。金持ちでもなければ貧乏でもない。知らないことも知ってることも、どちらもたくさんある。知らなくていい情報は摂取しない。

理想の作品も一時的に自立させたい。とてもメッセージ性の強い作品なんだけれど、作品を前にすると、もっと純粋な意味を超えた快楽ばかりが感じられるような作品。あらゆるアート的な制度や価値観から距離を保つ作品。美術館やギャラリーには縁がないけれど、誰かにとっては、心を鷲掴みにされ、目の前から離れられなくなるような作品。

 

こうやって、作品の仕上がり具合をイメージしながら制作している。このイメージを妻チフミが、絵の具と筆を駆使して完成させる。最近は、そういう役割り分担になってる。

だからか、チフミがいなくなってしまう夢を見ては、恐れている。チフミは「わたしに頼りすぎじゃない?」という。夢の中で。けれども、いつか人は死んでしまう。どっちが先に死ぬのか分からない。でも、今、妻も自分も生きていて、一緒に作業して、作品を残せる日々は、ほんとうに貴重な時間。

いますぐに価値がなくても、妻と一緒に作品をつくること、その行為自体が究極の幸せだから、ひとつでも多く作品を残したいと思う。文章を書きながらそういう結論になった。絵を描こう。

生活にリズムを心に音楽を身体にスポーツを。

生活にリズムがある。朝起きて、今日は波を見にいった。荒れていたけど、サーフィンできそうだったのでボードを取りに戻って1時間くらい海で遊んだ。

サーフィンは全然できない。やってるとは人に言えない。去年はじめたばかりだし、まあ上手くはなりたいと思っているけれど。それでも競争ではないし、楽しいことが喜びだし、何より朝からスポーツをすることに意味がある。なぜか朝海に入ってサーフィンをすると全身がエネルギーに満ちる。たぶん、体幹が鍛えられるし、パドリングで上半身のエクササイズになるんだと思う。あとやると決めたことを実行する気持ち良さがある。

 

朝サーフィンをやって、山のアトリエに行く。この海と山のバランスがまた北茨城の魅力。アトリエに着いてすぐ、チェンソーで冬用の薪を切ってから、廃墟の片付けをする。廃墟には30kgほどのブロックがあって、瓦礫の山から下ろしては、別の場所に並べている。

瓦礫の山が問題だ。瓦礫のなかに産業廃棄物が混ざっていて、産廃は軽トラ一杯で15000円。払いたくない。ぼくらにとっては、この問題は、アートだったりする。どうしようもない空間に価値を創造すること。だから、ブロックを運ぶのはトレーニングジムにいるみたいなことだ、と思うことにしている。朝のサーフィンからブロック運びで気持ちいい汗をかく。

この廃墟を綺麗にすれば空間が生まれる。心地よいスペースがあれば、人間は集まってくる。何かしたいと考える。想像力を刺激するのもアートの仕事だ。ぼくは、誰かの想像力が跳ね上がる水準まで、この場所をつくり続けよう。行動を作品にするために、今日はチフミと交互に動画を撮影した。記録すれば、それは作品になる。していることをアートに変換できれば、どんなことも有意義な活動になる。1円にもならなくても。

 

昼前に北茨城市の職員の方々が様子を見に来てくれた。北茨城市は、ぼくらの活動を応援してくれ、やりたいことを全力でやらせてくれる。この廃墟再生にもチカラを貸してもらっている。

 

お昼は、庭から採った大葉とネギにうどん。つゆは、去年庭で採れた柚子を絞ったポン酢。身の回りから食べ物を得られるのは、シンプルで豊かな暮らしだと思う。死ぬ恐れから距離を保てる。誰かに安心や安全を保障してもらう必要もないから、広告に騙されなくなる。

 

午後は、アトリエの近くの山を登ってみた。古民家の家主だった有賀さんが、山の上から海が見えると教えてくれたことがあったので、確かめてみたかった。

山の上までは20分ほど。もっと近かったかもしれない。頂上に着くと、木が鬱蒼としていて、遠くを見通すことができなかった。少し下ると、ほんのわずか木の隙間から波止場が見えるようだった。たぶん、大津港が見えていた。もし、海が見える山にするなら、かなり木を切って、見晴らしをよくする必要がある。そんなことをする必要があるのかよく考えた方がいい、と山を下りながら独り言を口にしてた。

 

山を下りて歩いていると、炭焼き小屋があるのを思い出して、寄っていくことにした。小屋を覗いてみると、窯は崩壊していた。けれど小屋の周りには、炭の材料になる木や、道具を収納する小屋があった。もし使えるなら、ここを陶芸の窯に再生したいと思った。木と水と土と火でつくられる陶器は、自然を駆使した究極の生活芸術品だと思う。

今年の春に滞在したバリ島では、天然の粘土に出会ったけれど、日本ではまだ遭遇してない。

メモ:粘土を身の回りでみつけたい。

 

炭焼き小屋をチェックしたあと、廃墟に戻って、片付けしてるチフミと合流して、少し作業を続けて、ゴミを車に積んで、ゴミ処理場に持っていった。

ゴミ。廃棄物。とてつもなく厄介な問題。ぼくたちは、何の罪の意識もなくゴミを大量に生産している。しかも、その処理についてはなんら問題の意識もない。何を買うのか、買わないのか、その選択ひとつが社会に与える影響は小さいけれど、積み重ねれば、とても大きな影響を与える。

想像して欲しい。例えば、一万人がペットボトルを買わなくなったら。ペットボトルの商品が売れなくなれば、企業は新たに売れるものを考えるだろう。

政治も同じだ。ぼくたちが黙っているから、直接何も言わないから、政治家は努力しなくなる。

人間は怠け者だ。だから生活にリズムが必要なんだ。朝昼晩。じゃない。早朝、朝、午前中、昼、午後、夕方、夜、深夜。同じ1日でもリズムを変えてみれば、これだけある。その1日のなかに、自分が楽しくなることを少しでもやれば、やっぱり、それも積み重なって、人生が豊かになる。1日をリズムにして、楽しいことがハーモニーを奏でる。1日を磨けば、ダイヤモンドにもなる。誰もが同じ24時間を持っていて可能性に溢れている。何かをはじめるに遅いことはない。

 

生活をアートにできるのか。生活がアートになれば、アートはすべての人の幸福のために

いましてること。生活を芸術にしようとしている。それは絵を描くことを中心に豊かなライフスタイルをつくること。その生活のあり方がそのままアート作品でありたい。

芸術が生活になれば、生活は作品になる。つまり、毎日の営みがアートになる。理想はイメージできるけれど、その実態はどんなものか。理想と現実を把握するためにこれを書いている。文章を書くことは、地図を広げて現在地を確認することに似ている。ぼくは何をしようとしているのか。

 

生活とは、命を永らえるための活動のことである。つまり生きるための活動。生きるために必要なこととは何か。食料。水。これがなければ死ぬ。それから家。雨や寒さ暑さから身を守るシェルター。服。つまり衣食住。それからお金、仕事、友人。

それらがあれば全部オッケーの完璧か、と問えば、なんでもあればいいって話ではない。快適さや美しさや量を求める。

ところで美しさとは何だろうか。ダイヤモンドやサファイア、水晶、宝石は高価なもの。原石より磨いた方が美しいとされる。けれどもほんとうに美しいのか。その美しさは何の役に立つのか。

 

同じように美しい生活とは何だろうか。宝石のような暮らし。例えば、花は美しい。空とか夕焼けとか、海にも美しさを感じる。美しさは、人間と自然の間にある。自然を観察する人間の心がなければ、美しさは発揮されない。

手付かずの自然よりも、人間が手を加えた自然の方に優しさや愛おしさを感じる。手の加わった自然こそが、人間が生きるためにはじめた自然への働きかけではないだろうか。人類が生き延びるためにした工夫は、すべて自然を舞台に題材に素材としてつくられてきた。まさに衣食住のために。自然を切り拓いて、創り出された便利さに芸術を感じる。例えば道。例えば井戸。例えば田んぼ。例えば粗末な小屋。草を依ったロープ。

こうやって、はじまりの生活を想像する一方で、現在のぼくらのライフスタイルを省みる。もちろん、人それぞれ違うものだけれど、ぼくら夫婦の場合はこうだ。

 

いましていること。野菜を育てている。キャベツは青虫に食べられほぼ全滅。ぼくら夫婦は芯を食べてる。大葉、バジル、エンドウ豆、ジャガイモ、スイカ、トマト、小松菜、キュウリ、ズッキーニ。なかでも小松菜はとても優れていて、葉っぱを食べても、また葉っぱは生えてきて何回でも食べられる。しかも夏にも冬にも強い。だから小松菜は、種を採取してみた。ジャガイモは、イノシシの好物で食べられてしまったけど、畑を貸してくれているミツコさんが、植え直してくれ今、花が咲いている。枯れたら収穫できる。自給自足までは考えていないけれど、基本的な野菜を自分で作ることはできる。そうやって食べ物をつくることこそ、アートの始まりだったとぼくは定義したい。

 

家は、空き家を改修できるようになって、古民家をアトリエ兼ギャラリーに改修した。茨城県北茨城市の山の集落にあって、誰も来ないような場所だったけれど、自然環境が素晴らしく心地よいので、ここにアトリエ兼ギャラリーを構えた。理想は、ここを訪れた人たちが作品を買ってくれることだった。しかし、誰がこんな場所に来るのか。はじめて2年目。ところが、今月は、東京から来た方、沖縄から訪ねて来てくれた方が、作品を買ってくれた。理想を描けば、それはカタチになる。

 

アトリエ兼ギャラリーには庭があって、草刈りをするうちに、庭の美しさが見えてきた。草木は季節によって、咲かせる花の種類と場所を変える。柿や枇杷が実る。この自然環境は、誰かが作ったものだ。人間と自然の境界線、つまり、創造と自然の境い目がここにある。放置すれば荒地となって自然に飲み込まれる。手入れをすれば、古民家の庭となって心地よい環境を与えてくれる。

その眼差しを集落へと広げてみた。すると、荒地や廃屋が見えてきた。マイナスをプラスに変えられないだろうか。これが今のぼくらの制作現場の最前線。廃棄物と廃屋を再生させること。まったくギャラリーにも美術館にも収まらないアート。

美術館やギャラリーがあるからアート作品が存在するわけじゃない。アート作品と呼ばれる以前の想像が溢れて現実化した物体のいくつかが、ギャラリーや美術館に収蔵される。その物体が誕生したとき、理解を超えたエネルギーを放っている。これは何なんだ!という驚き。その輝きに言葉が与えられ、社会的な価値が与えられ、ようやくギャラリーや美術館に収蔵される。

 

収入は、絵が売れたお金、いくつかのデザインの仕事、それから北茨城市での芸術によるまちづくりの仕事。まちづくりの仕事は、地域おこし協力隊という制度から、給料を貰っている。

北茨城市に感謝している。これまで自称芸術家だったぼくら夫婦を芸術家として受け入れてくれた町。はじめて社会から芸術家として必要された。それまでは、パトロン的な理解者に奇跡的に巡り合えて生き延びてきた。北茨城市に受け入れてもらったことで、ぼくら夫婦は、社会のカタチを変える芸術を実践している。社会実験であり社会彫刻として。

ぼくは自分が特別優れた芸術家ではないと思う。むしろ、特別な才能はなくて、憧れと勘違いで猛進しているタイプだと思う。でも、社会のほとんどは特別な天才ではない。これまでの芸術は、特別な人たちに贈られるギフトだった。才能がない人たちには、届かないものだった。どうして、そこに線引きが要求されるのだろうか。芸術が豊かなものなら、それを分け隔てなくその喜びを共有すればいい。なのになぜ、芸術は高い位置から見下ろそうとするのだろうか。自ら、流れる水となって、居座り続けてきた位置からは届かない人々を潤そうとしないのだろうか。

ぼくは10代から30代、芸術が居座り続ける場所に憧れていた。今もそうだ。けれども、時代が変わりつつある。アートが社会に対して役に立たないのであれば、そろそろ、その椅子から引き摺り降ろすべきだと考えるようになった。権力者がずっと同じ椅子にしがみついて、社会を悪い方向へと変質させてしまうこと同じ構図が日本のアートにも当てはまる。芸術を生活のレベルまで引き摺り降ろして、もう一度やり直す。ルネッサンス。それでも、それは芸術と呼べるほどタフなのか。

その仕事をやり遂げるために、こうして現在地を確認している。芸術が生活になればなるほど、芸術は生活の中に溶けて消えていく。それでも、その無垢な姿を、生まれたてのような芸術の姿を捉えなければ、太古から続くアートの流れを復興はできない。妄想か現実か、自然と人間の狭間に生きるように、この道を模索している。

できることは何だろうか。表現することは何の役に立つのだろうか。

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ずっと違和感があった。したいことがあった。子供のように遊び戯れていたかった。けれども、そんなことは許されない。そんな空気が社会にはある。

重圧はあるけれど、何のために働かなければいけないのか、それに対する明快な答えはずっとなかった。

結局のところ、自分で判断するしかなかった。やるしかない。ぼくは、距離を取ることにした。都市と経済と。便利さ、楽しさ、快適さ、競争することとはまた別の何かが必要だと感じていたから。

 

夏が近づいてくると海もどんどん近くなってくる。物理的な距離は同じでも、身体的にずっと近くなる。

朝5時や6時に目を覚まして海へいく。海で何をしようかと波の状況を見て考える。今日は波がなかったので、ペットボトルの筏で、魚を釣ることにした。エサは磯のカニだ。カニを岩についている貝で釣る。

波が少ないとは言え、筏にバケツと竿を乗せて海に出るからひっくり返っては困る。波のリズムに合わせて、引いたときに海へと漕ぎ出す。

筏や小舟で釣りをするために、竿を自作した。竹で作った短い竿だ。1mもない。海底が岩場だろうポイントをみつけて、カニを針につけて糸を垂らす。竿を揺らすと、何かがかかった?と引いても上がらない。強く引っ張ると、なんと海底の海藻に引っ掛かって針がとれてしまった。2時間の努力は一瞬で終わった。

何も成功していないけれど、朝早くから起きてしまうほどの楽しさがある。筏を作ったり、竿を作ったり、カニを獲ったり、海のうえを漕いだり、生きるために必要なものを買うのではなく作る喜びがある。

 

家に帰ると、妻チフミがアトリエへ早く行きたいと待っていた。朝9時に10kmほどクルマを走らせ山の集落にある古民家に着く。山の匂いがする。

今週は、オファーがあった仕事を片付けている。最近ぼくのところに来る仕事は、デザインと絵のオーダー。デザインは5万円くらいで、絵は10万円。デザインはCDの表紙、イベントのチラシイメージ、Tシャツのデザインなど。

チフミは、最近、アトリエの周りの環境整備をしていて、草刈りや栽培している野菜の面倒を見ている。これこそがいま自分たちのアート活動だと思っている。モノをつくることや売買することばかりがアートではない。生きるための糧をつくるや空間をつくること。

食べ物をつくるのは、生きることの基本だとアフリカのザンビアで教わった。ぼくは数年前まで野菜の育て方も知らないし、そんなことに興味すらなかった。50年前には当たり前だったことがぼくの世代では特別なことになっている。当たり前が特別になる瞬間、その境目にアートがある。古民家もそうだ。単なる古い家だったものが古民家というヴィンテージに変わっている。

 

ぼくたち夫婦がアトリエにして制作活動をしている北茨城市の古民家は、再生した。アトリエを訪ねて来る人がたまにいる。何もない山の集落に。今日は、そこで絵が売れた。売りに行かなくても、この場所で価値が生まれた。

 

午前中はデザインの仕事をして、午後はアトリエから2分のところにある廃墟を整理した。

アトリエは北茨城市の持ち物なので、ここには暮らさないことになっている。だからアトリエとは別の家を探しているときに、この廃墟を直すことを思いついた。

荒地や廃墟を使える空間に変えること、マイナスをプラスに転じることもアートだと思う。これがビジネスだったら、まったく費用対効果も悪いし効率もよくない。誰もやる理由がないことをやるのが楽しい。それは山に登ることのようだ。新しい遊びでもある。

廃墟の再生。ここには経済的な意義だけではない、プラスを世の中に増やせるという魅力が詰まっている。

 

こうやって自分のアートを模索しながら、ひとつずつ、できないことをできることに変えて、社会に依存なく生きていけるように工夫している。それを生活芸術と呼んでいる。自分で生きていける環境をつくること。

 

家、食料、道具、それをつくること。どれもこれもアートでいい。人生を消費させない、むしろ生産に向かわせるものはすべてアートだ。料理、サーフィン。

ぼくは、人間について考えるために、田舎に暮らしたり、家を直したり、野菜を作ってみたりして、新しいアートの概念、歴史から捉え直した「生活芸術」を表現しようとしている。

人間社会は地球という自然環境のうえに成り立っていて、人間社会がすべてをつくったわけではない。ぼくらは間借りしているに過ぎない。

ぼくが生きているという存在自体が周囲に影響を与える。死ぬということもアクションのひとつ。最後のパフォーマンス。ひとつのアクションが波紋のように社会を変える。それを可視化できたら作品にできるかもしれない。鑑賞者を傍観者ではなく主役にしたい。いまは、みんな観劇してしまう。ほんとうは、ひとりひとりの行動が社会をつくるのに。

 

メモは作品と人生をつくる。思考を耕すことだ。きっと種が芽を出す。

ヒーローよ、立ち上がれ。何度でも。

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最近よく、影響を受けたものは何ですか、と聞かれて、アートの話しをしなきゃと、作家の名前を並べるんだけど、それは後付けで、ほんとうに影響を受けたものは、確実に漫画とロック。

小学生一年生のときにデビルマンのコミックスを品川の古本市で、父親に買ってもらって衝撃を受けた。同じころに、公園に少年ジャンプを持ってくる上級生がいてキン肉マンの洗礼を受けた。

父親は映画が好きでビデオデッキを持っていて、テレビで録画をしてはコレクションしていて100本くらいあった。ついでにアニメのガンダムの映画やあしたのジョーの映画を録画してもらって自分も何本かコレクションを持っていた。だからアニメ特有のビビットな色が好きなのはその頃から始まっている。

 

まあ、40年近く前の話しだから、いまとは状況が違うけれど、空想の世界に没頭する子供だった。つまり影響を受けたものの原点はヒーローだ。ぼくはヒーローになりたかった。きっと誰もが男の子なら特撮ヒーローに憧れるあれだ。悪と戦う。正義のために。世界を救うために変身する。変身願望がある。

 

小学生の高学年になると、だんだんヒーローになれないことが分かってくる。漫画は漫画の話しだし、特撮は撮影されたドラマ。足が速いわけでもないし、スポーツが得意なわけでもない。主人公タイプじゃない。それでなりたいと思いついたのが漫画家。物語世界をつくればいいと、こっそり漫画を描いてみたけど、とんでもなく難しい。盛り上がってる場面しか描くことができない。描いても数ページで終わってしまう。

描くよりは漫画を読み漁る専門だった中学生は音楽を好きになる。はじめて買ったのはアイドル7inchレコード。南野陽子渡辺美里TMネットワーク、たまたま雑誌でSEX PISTOLSというバンドの名前を見つけて、エロい何かかと思ってCDをレンタルしてみたら、まったく意味が分からないけれど、なんかヤバイのに触れてしまったみたいで興奮した。その頃、テレビのCMで流れたブルーハーツの「人にやさしく」に衝撃を受けてロック少年が完成した。

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父親は近所の子供を集めてピアノの先生をやっていたけれど、ぼくはもう小学生の早い段階で嫌になってしまった。教科書バイエルを庭に埋めたりした。しょうもない子供だった。父親はドラマーを職業にしていて、当時カラオケが普及する前で、キャバレーでドラムを叩いていた。父親がドラマーになったのは、夜、小学校の校庭でドラムを練習していて近所のたまたまキャバレーのオーナーがいいね、と声を掛けたのがきっかけ。今じゃありえない。学校に不法侵入して騒音って話しだ。ぼくは小学生になる前、家で留守番してたとき、ドラムスティックで、家中の襖に穴をあけたことを覚えてる。あまり怒られた記憶はない。思いついて行動せずにはいられなかった。これが創作の原点かもしれない。

 

ぼくが音楽を聴くようになると、父親はいろんな音楽を聴かせてくれた。学校から帰ると、父親がカセットでボブ・マーリーを教えてくれた。ビートルズとかローリングストーンズとか。ウッドストックの映画も撮りためたコレクションから観せてくれた。スンタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」、「時計仕掛けのオレンジ」も観せてくれた。

 

高校生になると、ぼくは映画監督かロックスターになりたいと思った。もちろんロックスターになりたいなんて誰にも言えないから、まずはバンドをやりたいと思った。高校の3年にもなると、周りにもバンドをやっている奴がいて、いよいよバンドをやることになった。ただやっても面白くないから、学園祭でライブハウスをつくろうと仲間を誘って教室をライブハウスにした。近所の音響屋さんにスピーカーなど機材を借りて。

ぼくは頭をモヒカン刈りにして、SEX PISTOLSRAMONESとCLASHの曲をベースボーカルで演奏した。

 

ぼくが影響を受けたものは、ここに書いたようなことだと思う。ぼくが絵を描くルーツには、レコードジャケットがある。ジャケットの絵がその音世界を表現しているけれども、それはまったく次元の違う世界で、実体のない音と二次元の絵の世界は重ならない。ぼくにとって絵を描くことは、レコードとそのジャケットの絵との関係に似ている。レコードがぼくらの生きている現実世界だとすれば、絵は現実を空想によって理想化した世界を象徴している。

 

ぼくは漫画から道徳や人生を学んだ。ちなみにベスト3を挙げるなら「シュマリ」「火の鳥」「漂流教室」。手塚治虫楳図かずお。あと小山ゆうも好きだ。

音楽からは社会への抵抗の仕方を学んだ。ボブ・マーリー、パンク、ヒップホップ、特にヒップホップのシーンから現れたグラフィティー・アーティストのラメルジーには強烈な影響を受けた。たぶん、ラメルジーに遭遇してなかったら絵を描いてなかったと思う。

本も読んだ。もっとも好きな本はヴォルテールの「カンディード」、宮本武蔵の「五輪書」、宮沢賢治の「農民芸術概論」。

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ここに名前が上がったのは、ぼくのヒーローたち。44歳のいまでもヒーローになりたいと思っている。このご時世、誰かがやるのを待ってても何も変わらない。だったら自分がやるしかないんじゃないか? もっとマシな世の中になった方がいいと思わないか?

過ぎていく時間。人生をつくる時間。

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「忙しい」とは、心を亡くすと意味だ。けれど、どうやっても忙しくなってしまう。忙しくても忙しいと思わない、それだけで全然話しの流れは変わっていく。

毎日やることが山ほどあるけど、忙しいとはまったく思わない。毎日やることが山ほどあって忙しくて仕方ない。この二つの文章は同じ状況でありながら、感じ方によってアウトプットが違っている。

ひとつはっきりしているのは、誰もが一日24時間しか持っていない。時間は借りることも貸すこともできない。ところが、ぼくたちは、平気でこの貴重な時間をあらゆるサービスや商品と引き換えに失っていく。さらには仕事にそのほとんどを売り渡してしまう。

もちろん、生きていくうえでお金は必要だから会社で働いたり、仕事を請けて時間を費やし、その対価としてお金を得るのは真っ当なやり方。それでいい。

けれど、そうしているうちに、自分の時間の価値を見失ってしまう。

何もすることがない時間を「暇」だと名付けてしまう。「暇」とは誰からも依頼もなければ、用事もない自分が生まれ持った純粋な時間のことだ。この「暇」な時間こそが人生をつくるための原石であり、この時間の使い方が人生をクリエイティブに変えてくれる。「暇」とはとても貴重な空白ことで、ゼロから何かをスタートするには、この空白が絶対に必要になる。

5月の後半は予定が次から次へと決まって、この先の予定も入ってきて、今迄からすれば、ずいぶんと忙しくなってきた。それは喜ばしいことであると同時に、空白が失われていくことでもある。絵を描くという行為は、まさにゼロから作り上げることなので、誰にも頼まれない純粋な時間があってこそ集中できる。だから、社会生活のなかでぼくの立ち位置は矛盾してくる。頼まれた仕事をしないとお金が入ってこない。でも頼まれ仕事はがりしていると、純粋な時間がなくなっていく。

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そんなことを書いておきながら、先週は草刈りばかりをしていた。荒地を開墾していて、廃墟を再生しようと企んでいる。草刈りは、絵を描くことに例えるなら、キャンバスを下塗りする作業だ。ところが、このキャンバスには産業廃棄物が投棄されていて、真っ白に塗り潰せない。だから、なんとかアトリエのある集落からこれを撤去したい。

空き家改修をやるうちに庭という人間と自然の境界線に気がつき、庭を拡大していくと、アトリエのある揚枝方という集落がキャンバスに思えている。ランドアートをやりたい。自然に働きかけて景観をつくりたい。このアート作品は、お金になるか分からない。たぶんならない。だから、絵を描いてお金を作りたいと思う。そう考えていたら、もっと具体的なデザインの仕事、ワークショップの依頼、CDのジャケット、イベントのフライヤー、Tシャツのデザインが立て続けに来るよになった。すべて10年前にはぜひやりたい仕事だった。そうやって経済活動が活性化する一方でお金にならないことをやりたい。その行為からも生まれる価値がある。

 

草刈りをしていたら、竹が欲しいと現れた老人がいて、話しをしていたら、表装を教えているという。掛け軸を作品にしたいと思っていたから、教えてもうことにした。掛け軸は、日本独特の文化で、オリジナルの掛け軸はキャンバスよりも日本人らしさを強調したアート作品に仕上げることができる。しかも持ち運びに優れている。

 

アトリエの古民家を見学に来てくれた人がいた。久しぶりの超人だった。一日一食で、ほぼ時給自足だと言う。超人は、畑をイノシシに荒らされたことがないと言う。田舎で畑をやったことがある人なら分かると思うけれど、獣害はなかなか厳しい。植えた未来の食料を奪われるのだから。

ところが超人は、イノシシの食べる分を山に植えているそうだ。食べ物をシェアして、山を下刈りして見通しをよくすれば、イノシシは人里に降りてこない。

 

今週は美術館の学芸員さんからワークショップの仕事を依頼され、とある企業の研修のアーティストとして10年以上付き合いのある美術関係者から講師に招いてもらった。

8月にあるバンドのリハーサルも先週と今週、東京でスタジオに入っている。ドラムのトリッキーが誘ってもらい渋谷のLa-mamaでやる。

すべては、人の繋がりだ。ぼくを知っている人から価値を認めてもらって生きている。そのすべてに200%応えてこそ、これまでやってきた意味がある。やりたいことをやっているなら、そのやりたいこと全部に結果を出せ。

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一日は24時間。それが7日で1週間。リズムの取り方だ。今日やれることは今日やって、明日やれることを少しでも今日やっておけば、明日は明日の仕事が始まる。まだこのくらいなら大丈夫。もっと仕事をして絵を描こう。