いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

アートをアートの外へと連れていく旅

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今回の展示で、やりたかったことが更新された。ぼくは芸術を生活の中に表現したかったのだけれど、そうではなくて、芸術やアートを、現在地よりもずっと離れた場所に連れ出したかったことに気がついた。

次の目的地が見つかった、と言い換えることもできる。つまり、ぼくは「アート」を散歩させたい。もし「アート」が何らかの概念的なハコの中に収まっているなら、その外に連れ出してみたい。外に出て、それが変質したり溶解するなら、その様を見てみたい。簡単に壊れてしまうのか、それともアートとは堅固な塊なのか。

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現在、北茨城市桃源郷芸術祭のなかて、ギャラリーアトリエとして改修してきた古民家を出品している。

これは、家の内も外も、家を中心とした住環境すべてを作品としている。でも、それはこちら側の考えで、鑑賞する側にはそっちの受け取り方がある。

 

会場は、改修した母屋と裏にある馬小屋で、馬小屋は2階が展示室になっている。すべて全力で制作した。でも、それも製作者側の都合でしかなく、鑑賞する側にはそっちの都合がある。

どんなに懸命にやった仕事でも、興味がない人には、視界に入らない。けれども興味は、あらゆる角度から喚起させることができる。ぼくが有名な作家であれば、それだけで、ぼくのやったことは理解しなければという自助力が働く。

けれども、ぼくは有名な作家でもないから、興味を持ってもらえるように工夫をする。地域の方々が地域で採れた野菜でつくる豚汁と、羽釜で炊いたご飯をそれぞれ100円で売っている。おまけに地域の方々が持ち寄る漬物をサービスしている。ぼくは、この食事も作品だと思っている。

しかし食べ物と絵画を比べたとき、その伝わり方の差はでかい。豚汁は誰が食べても美味しい。つまり食べ物への興味のせいで展示している作品が霞むなんて始末。なかには豚汁だけ食べて帰ってしまう人や、豚汁が売り切れていれば、展示を鑑賞しないで帰ってしまう人もいる。でもこれでいい。自然に育まれた食材とぼくの作品では比べものにならない。でも、自然に育まれた料理と競合するなら、ぼくの作品はずっと強くなる。

 

ぼくたちは、感覚の趣くままに遊べばいいから、分からないものは分からないいでいい。けれど豚汁を食べながら絵を見たら、また違う見方ができるかもしれない。

ぼくは10世帯ほどの小さな集落に芸術を体験できる施設を作った。この場所は、芸術祭が終わっても、開放されていて、北茨城市の富士ガ丘という地域の暮らしにはいつもアートが存在している。

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先日のニュースで、県北芸術祭の中止が発表された。効果が曖昧という理由で。その指標が経済効果ならば、間違っていると思う。芸術や文化が提供してきたのは、ひとりひとりの人間の人生に対する豊かさだ。県北芸術祭が中止になってしまうのは、残念だけれど、作家や芸術に関わる人たちが、経済価値に依拠してきたことを省みる機会でもある。

ぼくは、経済的な理由で、制作や作家活動を諦めたりしない。お金がなくても表現はできる。その表現に価値を与えることができる。作品が売れることだけでなく、アートには、喜びや楽しみを提供する意義がある。

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だから、ぼくはもう少し遠くへ、アートを散歩させてみようと思う。次の作品は、山に登って、その道のりの環境を利用して作品をつくることにしたい。そこに辿り着くまでが鑑賞者にとっての作品となる。

もちろんきっと、そんな作品を体験しない、という選択をする人もいる。そんな人が多ければ多いほど、ぼくたちの現在が浮き彫りになる。ぼくたちは、どんどん自然から離れていく。自然がなければ死んでしまうのに。ギャラリーや美術館にしかアートが存在できないのなら、アートは既に亡骸になっている。 ぼくは、生きているアートを追い求めている。それがなんら評価に値しなくても、ぼくがまず体験して、その存在を証明したい。人間と自然を繋ぐアートのカタチを。つくる理由は、止めどもなく溢れてくる。

ココニアルという理想。

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ずっと生活と芸術の一致を目指してきて、北茨城市で改修してきたARIGATEEで、ひとつの理想を描けた。それを「ココニアル」と名付けた。

地方や田舎には「何もない」と言われるけれど、ここには、草や木、水、土、などの自然がある。何もないどころか生きるために必要なすべてがある。

このARIGATEEという場所にある「ココニアル」ものを最大限に活用したとき、何を表現できるのか。何かを買ってくるのではなく環境のなかに利用価値を見出すこと。

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「ココニアル」とは、コロニアル(植民地)の変種。コロニアル(植民地)が、国外に人が移り住み、本国政府の支配下にある領土のことなのに対して、ココニアルとは、あらゆる境界線を無くし、ここにある者と物が協同する理想郷を出現させる。

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桃源郷芸術祭2019出現した

「ココニアル」

https://www.tougenkyo-art-fes.jp

北茨城市に暮らして、福島の原発から100km。ここから何が見えるのか。

ぼくは、2011.3.11の東日本大震災をきっかけに生き方を変えた。だって社会は正しさを基準にしていないことが分かったから。それは今も変わっていない。

 

沖縄の県民投票、その声が社会に反映されないなら、どうやってぼくたちの声を社会に届けて変えていけるのだろうか。

 

まるで、もう社会は巨大な岩や壁のようだけど、ぼくの選択するひとつひとつが社会を形成していることを忘れない。試しに「社会」を「環境」という文字に置き換えてみると景色が変わる。

「ぼくの選択するひとつひとつが環境を形成する」つまり自分の身の回りからなら変えることができる。

 

3月が近くなって、地元の人と震災の話題になった。
北茨城市では津波の被害が大きかった。それから原発事故で、福島から大勢の人が避難してきた。けれど、福島に暮らす人たちが、それ以上南下できないように検問があって、人が選り分けられて難民のようになった」
そんな話しを聞いた。
「社会は私たちを守るどころか迫害する事があると知った。ほんとに恐ろしかった」
映画のワンシーンや小説でもない。

 

ぼくは原発事故のとき東京に暮らしていて、もっと遠くに行く選択肢もあったけれど、北茨城市に暮らしている。今何が起きているのか。遠くから眺めているだけじゃ伝わらないことがある。

 

いわき市に生まれ育った小松理虔くんが書いた「新復興論」は、もし親友が福島にいて、あの日を体験していたら、何を感じて何をぼくに語ってくれただろうか、勝手にそんな本だと思っている。

3月3日には
北茨城市桃源郷芸術祭で、小松理虔くんとトーク
11時50分から12時35分。
https://www.tougenkyo-art-fes.jp/

 

で、小松くんとのトークを東京で開催したいと思っていたのだけど、スケジュールの都合で狙っていたタイミングはできなかったので、ぼくの友達、知人、ここに繋がる人に言いたい。
放射能が福島が」と線引きするなら「新復興論」を読んでみて。

ぼくも言われることがある。
「北茨城の野菜は食べれない」と。

 

社会がいくら硬直しても、環境は変えられる。なぜなら、環境は自分が立っている足元に広がっているから。

例えば
会社を変えることができなくても

仕事をする環境は変えられる。

家を作るだけじゃなくて
家に暮らす環境をつくれば

家庭は楽しくなる。
食べ物を作るばかりじゃなくて
食べ物が育つ環境をつくれば

食卓が豊かになる。

 

社会問題を解決するんじゃなくて
社会問題が解決する環境をつくる。
アート作品を作るんじゃなくて
アートが生まれる環境をつくる。

 

自分の身の回りから始めれば、社会に対してやれることはいくらでもある。

4月にもトーク企画あるのでまた告知します。そのときは、ぜひ足を運んで耳を傾けてください。

家が作品シリーズ ギャラリー・ウマイエ

とにかく古い家が好きで

最大の魅力は

そのほとんどが

自然由来だということ。

世の中が

貨幣価値で埋め尽くされ

利用価値がなれければ

捨てられる。

けれども

自然がなければ

生きていけない。

すべては存在できない。

日本の伝統建築は

自然の摂理に適った

貨幣価値に依存しない

自立した建物。

その循環は

失われつつある

人間の生きる姿を現している。

ここは馬小屋だった。

だから名前は

馬家(ウマイエ)

ウマイエは

上手い絵でもある。

生まれながらにそれは美しい。

美しくなろうとすることなく。

ギャラリー・ウマイエは

人間と自然と社会、

その理想的な関係を描く

インディペンデントな

芸術空間を目指す。

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光あるうちに光の中を進め

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人間はひとりでは生きていけないと言う。ロビンソン・クルーソーは、無人島にひとり遭難した。けれどこれは空想の物語。ヘンリー・ソローの「森の生活」は2年間、森のなかでひとり自給自足した。一説によると洗濯はお母さんにしてもらっていたとか。

その手の本としては、先日偶然知った「アガーフィアの森」が傑作だった。ロシアの森の奥、町から何百キロも離れた地に、宗教的な理由で文明から離れて暮らす家族の物語。資源開発の研究者が森を探査して発見したことで世に知られる。第二次大戦も、テレビも鉄道も知らない。それでも人間は生きていた。外の世界を知りたいと旅に出て文明や便利を知ったアガーフィアは、森に帰って今までと同じ暮らしをすることを選択した。つまり環境が人間をつくり、人間は馴染みある環境に生きるということ。

環境を作りたい。生きるための。これまでは与えられた環境で生きてきたから、次は環境を創造したい。

つまり、人類の歴史という膨大な時間の中から、夜空の星や海の砂粒のような、小さな可能性の破片を拾い集めて自分の人生のなかに、そっと並べてみたいと想像する。

それは、人間と社会と自然というそれぞれが全く別の理由で存在している現象が、まるで皆既日食と月蝕が重なるような奇跡のうちに、ひとつの光となって道を照らすこと。

フランスの作家レーモン・ルーセルは、ペンが光を放ち、それが傑作であることを悟り、外へと漏れて騒ぎにならないようカーテンを閉めて執筆した。出版された作品は、傑作どころか全く話題にならなかった。ルーセルは狂ってしまった。

 

ぼくが、これから語ることは、錯覚の類いだ。それが何なのかは、これから明らかになるとして、これまでにその光は、例えば、登山家が未踏峰の山から奇跡の生還をするとき、つまり社会から離れ自然の只中に命を晒したときや、例えば、戦争の中で、食料もなければ自由もないような環境でも、逞しく生きていく人間の姿のなかに現れてきた。もちろん、ぼくは未踏峰にも行かないし戦争も体験していない。それは、沢木耕太郎の小説「凍」、水木しげるの自伝漫画「ゲゲゲの楽園」に輝いていた光の話。

 

その光こそがアートだ。誰が何と言おうと。それを既存のジャンルや表現形態やビジネスや美術館に納めてしまえば、その光は消え失せてしまう。まるで、中国の古事、渾沌の話だ。

とある国の王である渾沌は、来客を丁寧に持て成した。客人はお礼に「人には皆、七つの穴があって、それで見て聞いて食べて息をしている。渾沌には一つも穴がないので、穴をあけてあげましょう」と言い、一日に一つずつ穴を開け始めた。ところが七日目に七つ目を開けたところで渾沌は死んでしまった。

 

表現行為は、空想の世界と現実を極限まで重ねることができる。ほんとうに渾沌に穴を開けなくても、開けて死んでしまったことを描写することができる。この世界が終わっていなくても、この世界の終わった先のことを描くことができる。

だから人間という存在を描いてみたい。それは絵画としてでもあるし、それは言葉でもあるし、その発想の源から発展していく、試行錯誤の様子が記録されていて、おまけにその作品は、実際の生活として営まれている暮らしでもある。それは「人間」という存在そのものがアートになるという証明でもある。それは特別なことではなく、社会と自然の間によりよい立ち位置をみつけるパフォーマンスでもある。ヨーゼフボイスは、その表現領域を社会彫刻と呼んだのだと思う。

これをやり遂げられるのが檻之汰鷲(おりのたわし)という最大2名から成るアート・チームだと妄信している。だからこの話は、錯覚だと片付けられてしまう。むしろ、そうあって欲しい。「うんうん、分かる。ぼくもそう思っていた」では困る。レーモン・ルーセルが見た光ほどに幻であるべきだ。なぜなら、ぼくは未だ現実にはないアートの可能性について話をしているのだから。この先に光が見える。光あるうちに光の中を進め。

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空き家は魔物

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家を作品にしようと改修を繰り返している。家は恐ろしい魅力を放つ。とくに古い家は魔性だ。

家は生きている。家は人を選ぶ。家は人を働かせる。気をつけた方がいい。ぼくは、もうとっくに家の魔力に飲み込まれている。

 

この家に来てから1年半が経った。この家は、山の小さな集落に建ち続けること150年。江戸時代の末期から、この場所に生きている。この土地の景観は、さほど変わっていないと思う。それがたまらない魅力。ぼくにとっては魅力だけれど、訪れる人にとっては迷惑なほど不便だったりする。

 

古民家だから寒い。お店もないからクルマがないと生活できない。おまけに今年の冬は、暖かく晴れが続いて快適だと思いきや、雨が降らないせいで、井戸が枯れた。水が出なくなった。それでも、この家が愛おしい。

枯れた井戸のポンプを再起動するとき「呼び水」をする。「呼び水」とは、ある事柄を引き起こすきっかけという意味もある。ぼくはこの家を作品として完成することが何かしらの呼び水になると信じている。いつだって根拠のない自信がぼくを奮い立たせる。

 

すっかり家に取り憑かれたぼくら夫婦は、1月も2月も家のために働いている。自分の家でもないのに、少しでも使いやすいようにと、知恵やアイディアを捻り出している。家を改修していると、どういう訳か、光に虫が集まるように、人が集まってくる。

今は、羽岡(はおか)さん(推定72歳)が通ってくる。毎日作業をしては、明日はこれをやろうと打ち合わせして帰っていく。

木を1ミリよりもっと細かい単位で切る。そうするとぴったりハマる。まるで興奮剤だ。ハマらなければ「あーっ!」と声が出るし、ハマれば「よし!」と次の作業が止まらなくなる。羽岡さんとぼくの声が、家の中に動物がいるように「あー!」「よし!」「あー!」と響いている。

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馬小屋の階段は、干し草を運ぶために作られた簡易的なものだから、急な勾配で老人にはキツイ。登ったら降りられない人もいる。「それじゃ困る」と家が言う。ぼくにはその声が聞こえる。羽岡さんは、すでに階段を改修するアイディアを持っていた。そのアイディアを基に改修し、たまたま現れたご老人に登ってもらうと、全体6cmほど、上げたいという。なんと!

日も暮れてきたところだったけれど、羽岡さんが帰った後に、階段ごと持ち上げて修正した。6cmの木材を突っ込んで底上げに成功。おかげで筋肉痛。

 

昨日は、羽岡さんが床を完成させてくれたし、初めて作ったステンドガラスも入った。

ミリ単位でぴったりハマると興奮するというドーピングがご褒美で家に働かさせられる日々。もう少し続きそうだ。そろそろ絵を描くシーズンに移り変わる。

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ひと粒の砂

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途中なんだ。

ずっとどこかへ

向かっていて。

生きると死ぬの

間を歩いていて。

 

何を恐れるの?

お金がなくなること?

夢が叶わないこと?

失敗すること?

 

1日は小さく

砂つぶみたいに。

でも砂つぶには

ひとつひとつの

世界があって。

 

みんなとか

一緒とか

綺麗事に混ぜないで。

ひとつひとつの砂つぶに

ひとつひとつの世界がある。

 

ぼくの人生も

君の人生も

それぞれの

ひと粒の砂

I'm on the way. 
It goes to somewhere for long journey.
 I'm walking between live and death.

What are you afraid for?
Lost money?
Don't dream come true? 
Failed?

The day is small.
Like a grain of sand.
However a grain of sand has a each world.

Everybody?
Together?
I'm not like them.
One by one of grain of sand
is
one by one of the world.

My life
your life
It's different each grain of sand.