いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

One of thesedays 69

師匠と呼んでいる有賀さんのハイキングが開催されるので、朝9時に北茨城市の花園キャンプ場に集合した。

有賀さんは、市役所で測量の仕事をしていたので、北茨城市の地図を詳細に理解している。地図を作ってきたとも言える。

去年は師匠がガイドする山登があって、帰りのバスでうたた寝して、見たような見ていないような川沿いに岩が立ち並ぶ絶景があって、それが現実なのか夢なのか覚えていない。今回もその近くなので、その景色に遭遇するのも楽しみだった。

ハイキングは、北茨城市の小川という地区の原生林を歩いた。小川は、いまでも陸の孤島と呼べる地域で、集落のほとんどが農家で、お店はハイキングコースの近くに美容室があるくらいだった。そのお店の庭がお花畑の楽園のようで、注目を集めた。美容室の人が、ハイキング終わったら、その庭でお昼を食べていいよ、と言ってくれた。

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原生林に入ると、ワッと自然の音が鳴り響く。時期早めな蝉からたくさんの鳥の声。オーケストラ。

原生林は広葉樹ばかりなので、緑に覆われる。歩きながら、研究対象になっている木に釘が打たれているのを見て「可哀想だ」という声があがる。人間と自然。人間の方が弱いのに幅だけはきかせている。

北茨城市の面積80%を山林が占めている。日本の面積の70%を山林が占めている。どちらも、どんどん山林の利用価値は減っているし、足を踏み入れる理由もなくなっている。人間が入らなければ、それはそれで生態系や地球環境には都合がよいと思う。自分的には自然に寄っていきたくて、そうしているけれど、するほどに仕事やおカネからは遠くなるけれど、生命力は高まる。バランスが難しい。そんなことを考えながらのあっというまの2時間だった。

 

こうした原生林があるから、北茨城市の環境は素晴らしく心地がよいのだと思う。

 

原生林を出て、美容室の庭、お花畑にあるバラック小屋でお昼を食べた。その小屋には、馬の写真が飾ってあって、控えめに誰かの写真作品が展示あった。そのどれもが美しかった。

馬が美しかった。馬と映る景色が、雪、春の緑、夜空、夕焼け、疾走する馬、仔馬、喧嘩する馬、触れ合う馬、どれもが美しかった。写真を撮った人の心が、瞬時に伝わってきて感動した。写真作品だから、それを写真に撮る気もしなくて、それもまた新鮮な体験だった。

美しいと思う心、誰かに提示されるのではなく、自負が感じたこと、それをキャッチできたとき、作品のアイディアが生まれる。ぼくは、妻のチフミと2人で活動しているから2人で感動したとき、とても素晴らしい作品が生まれると思った。長いようで短い人生だから、小さなことでも感動できるような環境に夫婦で暮らしていたい。そういう生活をしていたい。

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One of thesedays 68

朝、海へ。風があるのでサーフボードだけ持って行ったけれど、波がほとんどないので、引き返して、筏のペットボトルも運んできた。

海のうえを筏で歩く。アメンボみたいな。海から浜を見るとチフミがお爺さんとしゃがんで何かしている。話を聞くと、魚釣りの餌になる砂虫を探しているらしい。ずっと知りたかった、むかしのヒトは何を餌に釣りをしていたのか、答えがみつかった。何かをしているとき、別の何かを発見することがある。だから、行動する。やっていれば、何かに遭遇する。

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お爺さんと砂虫を掘りながら話をした。
「いわきに住んでいるけれど、随分変わってしまったよ。原発事故の影響でね。問題は放射能だけじゃないよ。避難地域のヒトたちは、一億円とかの大金を突然手に入れる。しかもたくさんの老人がね。まず何をするかと言えば、家を買う。それから高級な外車を買う。けれど、高級な外車はすべて自動で、表示も英語で読めないから、ディーラーさんをすぐに呼び出すんだよ。オマエが売った車だろ!とか言ってね。すべての人ではないけど、突然、大金が転がり込んでくると人間は変わってしまうんだね。わたしの家の近くに家を建てた人も、自治会にも入らなくてね、わたしは被害者だからと、助けてもらうことばかりを主張するんだ。わたしはおカネを貰う側ではなくてよかったと思っているよ。こうやって砂虫を掘る楽しみさえ消えてしまうだろうから」

 

おカネについて、考えているようで、すぐに忘れてしまう。あれば助かるけれど、欲すれば際限がない。人間が作った道具だけれど、人間を支配している。そもそも余剰生産物を交換するためにつくられた道具だけれど、農業技術が進んで、食べ物を保存できるようになったところから、貧富の差が生まれ、支配層/被支配層になったのだから、欲望はおカネの性質に備わっているとも思う。だから、うまく利用したいと思う。消費と生産のバランスを自分の暮らしのなかでコントロールする。スポーツ、何かの潔い競技だと思えばいい。

 

午後、山側のアトリエ、Arigatee の周りで、植物のスケッチをしたり、写真を撮ったりした。身の回りの植物をテーマに作品をつくりたい。例えば旅。旅とは遠くへ行くものと考えがちだけれど、近くも旅できる。普段、見落としていることがたくさんある。貨幣価値や常識から零れ落ちている事がたくさんある。北茨城市という場所も、名前で判断すれば、茨城県?北茨城? 茨城の北? 何があるの? という話になる。ぼくは、なんにもなくていいと思う。何もないところには自然が溢れている。何もないところには、まだ誰も価値を見出していない名前のない宝物が転がっている。それを絵にしたいと思う。チフミは歩きながら、桑の実を食べる。山育ちの人はよく知っていることだ。英語だとブラックベリー呼び名が変われば、なんだか魅力的な響きになる。

 

愛知の空き家改修の件で、電話をくれ、と施主さんからメールを貰ったのを思い出して、電話する。

「実は、昨日話して断わることにしたヒトにも作業してもらうことになって、石渡さんたちと一緒にやれないだろうかとも考えたのだけど、どちらかにした方がいいと思って」と相談されたので、ぼくたちは、また必要なときに連絡くれればいい、と仕事を断った。話がスムースに運ぶときは、いろんなことがスムースに展開するけれど、無理を通せば、ずっと無理を通すことになる。

生活の基本は、創作活動にあり、ものをつくること、絵を描くことにある。それがおカネになろうと、ならなくても、そこに生きる道がある。

夕方、いわき市田人町を紹介してくれた川崎さんが訪ねてきて、軽トラック必要なら3万円で売れるよ、と言ってくれた。軽トラック欲しい、とあちこちで言っていた効果があった。2~3日考えて返事すると答えたけれど、確認するのを忘れていたことがあった。自分の免許はオートマ限定だった。川崎さんに電話で問い合わせると、マニュアルの車両だった。

いろんなことが、波のように日常に起こって、それに乗るのも乗らないのも自分次第。波に乗らなくても、海にいるだけで楽しい。海にいるだけで何か起こることもある。最近はじめたサーフィンから、そんなことを学んだ。

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one of thesedays 67

打ち合わせのため東京に。新宿まで高速バスで移動。「ゾミアー脱国家の世界史」を読む。この本はすごい。読むたびに、新しい発見と感心に打ち震える。ページを閉じて考えて、また読んで。大切に読んでいる。なにが面白いかと言えば、国家のシステムを暴いていること。それも弱者の視点から。後進国や未発達部族など遅れていると考えられていた地域や人々が、むしろ自ら選択して、自由を獲得しているという発見。都市に暮らすことは、国家に管理され隷属することだ、とこの本は指摘している。日本にも、そんな眼差しがあった。民俗学者宮本常一だ。とても敬愛している。ほとんどの著書を読んだかもしれない。ゾミアは、宮本常一の視点を世界に拡大したようなインパクトだ。国家と人間。いま生きている日々、ここに深く突き刺さっている現象。国家は果たして国民の幸福のために働く機関なのか。

 

あっというまに2時間30分が過ぎて新宿に到着。時間とは相対的だ。歩きながら愛知県の空き家改修の仕事の打ち合わせを電話でする。

石渡さんたちのように施主に寄り添っておカネのかからない方法で改修してくれるヒトはいないんですよ。最近も紹介してもらった人に相談してたのですが、おカネがないやとやれない、わたしに全権任せてくれの一点張りで。依頼しているはずのわたしが、悩んでしまって。あまりに、わたしの考えや意見を否定するので、気がついたら洗脳されているみたいで。勇気を出して、ちょうど断ったところだったんです。素晴らしいタイミングで連絡をありがとうね」

と言ってくれた。家主の役に立てるようにできる限りのことをする。あるものをできる限り生かすようにやる。家を改修するとき、それだけを考えている。一度、仕事をした人がまた依頼してくれる。これ程嬉しい見返りはない。月末から行く予定になった。


新宿から表参道まで歩く。原宿のむかしオフィスがあった場所を通って、表参道のアートショップ、オンサンデーズに立ち寄る。かつては、意味のわからない新奇なアート本で溢れているように映ったけれど、いくらか本棚を読めるようになった。名前の分かる作家も増えて楽しめるようになった。

バルトリヒターの評伝とアイウェイウェイの評伝が気になった。自分のスタイルからして、やっぱりアイウェイウェイだ。ついでに江戸時代の園芸植物関係も手に取って、昨日、コンニャクの花を見て、スケッチしたかったのを思い出した。それを忘れないためにもアイウェイウェイと園芸の2冊の本を買った。園芸の本をぱらぱらとめくって、魅力的な草花のスケッチを集めて、一枚の絵にしようと思った。版画がいいかもしれない。

表参道のレストランでランチをしながら、フジロックのバーとTシャツの打ち合わせをやった。先輩であり前の会社のボス、ブライアンと久しぶりにゆっくりと話した。ちょうど今日歩いてきたルートは、かつての生活圏だった。もう20年もの付き合いになる。話しながら感じた。SNSやインターネットでヒトとヒトが繋がっているような感覚は終わりだ、と。人と対面してはじめて繋がりが生まれる。それこそ生きるためのネットワークになると気がついた。

打ち合わせをした後、表参道から原宿まで歩いて、美容室のカームに遊びに行った。ぼくが絵を描き始めたとき、まだ売れなかったころ、飾ってくれたお店だ。ブライアンは、向かう途中に、カームのイベントをやろう!と思いついて、オーナーのたけちゃんこと荒武さんに話した。ブライアンはすぐに代官山ユニットに電話した。そう20年前は、こんな風に仕事をしていた。顔の見える相手と。

帰りのバスで、アイウェイウェイの本を読んだ。力強い彼の活動に勇気づけられた。映像作品をつくりたいと思った。そのための準備として、映像作品をつくろう。チフミとぼく、2人いるから、交互に撮影して編集すれば、やれるはずだ。根気よく続けていけば、これは制作スタイルのひとつになる。

こう思った。
「おカネは使えばなくなるけれど、技術は使うほどに、研ぎ澄まされていく」

宮本常一

bushoojapan.com


☆「ゾミアー脱国家の世界史」

www.msz.co.jp


アイ・ウェイウェイ

www.artpedia.jp

 

思考する絵画

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アート。芸術。魅了されて止まらない。なぜか。アートは何にでも変換できる。それは答えがないからだ。だから、答えをつくることができる。例えば、生きることが芸術だと言いたい。なぜ生きることが芸術なのか。その問いに答える。自ら設問して、問い続ける。ぼくはそれがアートだと思う。

答えがないことの方が多い。なぜ生きるのか。なぜ、自然があるのか。なぜ地球があるのか。なぜこの世界があるのか。答えるために学問がある。科学、歴史、芸術、宗教、哲学。それぞれの道がある。

その道を追求することは、ビジネスではない。経済とは別の地点に答えがあると思う。けれども、今の時代を生きるには、経済と切り離すことはできない。

いつもその狭間で夢を見ている。どんな未来を生きたいのか。自分ひとりに限るなら、それほど難しくない。けれども、妻のチフミの生涯、その人生が幸せだと感じて死ねるような、そんな生活を日々送れるように、それでいて自分の理想と矛盾しない人生を送ってみたいと思う。

夫婦とは、最小限の共同体だと思う。聖書によればアダムとイブ。更に遡れば、はじめに光あり。けれど、聖書の光を伝えるのは言葉。言語を通して人間は世界を理解する。けれども、言葉ですべてを語り尽くすことができるなら、文学は必要ないし、芸術もいらない。それぞれの表現は、言葉で語り尽くせないところをまた別の方法で記述する。追いかけては、見えなくなって、何度も何度も、その消失点を求めている。

何万何千億の言葉を費やしても、この世界を語ることはできない。代わりにアートは、目に映る何かを通じて、言葉以上の何かを語る。その何かとは表象。語り尽くされたから感動する訳でもない。むしろ、語られない空白から何かを読み取れたときに心が動く。そこに芸術がある。つまり、欠けているところに美しさが宿る。

もし、目の前に美しさを感じる景色があって、それを伝えたいとする。いま、それを描こうとしている。目の前の景色の要素を検証して、最低限に絞り込み、それぞれの要素だけを鋭角化する。他は切り落とす。意味が見えなくなる地点まで。それでも目の前の景色の美しさを伝えることができるなら、その空白を生み出すことができたとき、アートが生まれたと感じる。

未完成。鑑賞者の眼差しと心が動く余地を残しているか。その不足しているところに、美しさが宿る。

毎日、アート、表現について考えて、今日はこんな風に考えている。これは答えではなくて今思うこと。いま感じていることで、一枚の絵を描けるなら、ぼくは作家として、今日もひとついい仕事をしたと誇ることができる。明日は、また違うことを感じて考える。そうしたら、また違う絵が描ける。そうやって、新しい絵を描き続けて、死にたいと思う。生きるための芸術は、死をデザインする、死ぬための芸術でもある。

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One of thesedays 65

朝起きて朝食を済ませて、車に乗って海に向かう。ほんの10分。お気に入りの長浜海岸。サーフボードを持って海に入る。波に向かってパドリングする。

とにかく海と戯れたい。海にいる理由が欲しい。だから、舟をつくるし、ペットボトルの筏もつくった。けれど、今までは寒かったり、波があると遊べなかった。そこでサーフィン。数回しかやったことないし、まったくの未経験者レベルだけど、はじめてみた。今日が最初の日。

今日は波があまりなくて、初日には最適だった。中古で買ったボードも悪くない感じだし、何より朝から海に入って1日がはじまるのが嬉しい。1時間ぐらいチャレンジして波もなくなってきたので、帰宅して、山側のアトリエに。

午後は、茨城県の職員さんが訪ねてきた。いま県では、茨城県の県北エリアを芸術村と設定して、アーティストやアートイベントを仕掛けるコーディネーターの移住者を募集している。これが「アートによるまちづくり」の地域おこし協力隊の募集。つまり、ぼくが北茨城でやっていることと同じ仕事。

 

www.iju-join.jp

7月17日まで募集してます。

 

地域活性は日本全国でやっているけれど、アート、つまりクリエイターに特化しているのが茨城県アートでまちを活性化させようという試み。それはアートで起業できるまち。そんなのできるの?という疑問もあると思う。村上隆さんの芸術起業論は、それに当たるけれど、成功し過ぎてて参考にならない。でも実は、派手でなくても堅実に創作で生きているヒトはたくさんいる。とくに地方は、家賃や生活費のコストを抑えられるから、クリエイターが生きていきやすい環境と言える。

 

まあ、何かを表現して、それを経済活動に変換して、社会参加して生きていく。市や県が、そのチャレンジをサポートしますよ、という話。

 

ぼくは現在、2年目で、素晴らしい制度だと思っている。学校を卒業すれば、待ったなしで、社会参加を強制され、おカネにならない表現は、淘汰されていく日本社会のなかで、3年という期間、改めて自分の表現活動と向き合い、社会に還元していく道筋をみつける。もちろん、表現形態によって課題は異なると思うけれど、時間とおカネが必要なのは、誰でも同じこと。

ぜひ、興味ある方は、チェックしてみてください。

One of thesedays 64

 仕事を集めてみる。手元に手繰り寄せてみる。どれくらいあるんだろうか。ちょっとした会話の節々に、仕事の果実がぶら下がっているのをみつける。種を受け取ることもある。それは少し育てる必要がある。メールで飛び込んでくることもある。おカネが発生するのか分からないこともある。誰にも指示されないし、怒られることもないけれど、うっかりすると、収穫期を逃したり、頼まれていることに気がつかなかったり、イタズラに時間が過ぎてしまうことがある。忘れていることもある。だから宮本武蔵五輪書の教え「無駄なことをしない」を思い出しては、仕事をみつけて育てている。

 

絵を描く。デザインする。イベントをやる。森に入る。畑をやる。文章を書く。家を直す。どれも、ひとりでやることもできるけれど、届ける相手がいるだけで、喜びは何百倍にも増える。

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午前中は絵を描いた。二ツ島の景色に毎日少しずつ手を入れているけれど、納得できる地点まではまだ遠い。美しい景色を探している。描けばいいという訳でもなく、空白だったり同じ色の繰り返しだったり、色とカタチのハーモニーを探している。絵の世界を旅しながら、つくることを思考する。それはいろんな仕事に通じている。その逆もある。畑仕事が絵に影響を与えるし、遊びに行くこともまた創作活動のひとつとも言える。

 

午後、フジロックフェスティバルのTシャツをデザインしながら、甘いものを食べたいとチフミと話していると、来客があった。お隣、いわき市に住むナオトさんが、スウィーツを差し入れしてくれ、作品を入れ替えたばかりのギャラリーの絵を鑑賞してくれ

「わあ!綺麗!」と感嘆の声をあげてくれた。

 

スウィーツを頂きながら、世間話やお互いの話をする。ぼくは東京での出来事を話をした。

エスカレーターで、左側は立ち止まって列に並ぶ、急いでいるヒトは右を進む、という暗黙の了解があって。ぼくら右が空いてるときは、どんどん前に進むタイプですが、たまにお年寄りが右にいて進めないときは、左に寄って空くのを待つんですね。そしたら後ろから舌打ちが聞こえて。進むなら進めよ、って言ってるんですよ。進めないから、左に寄ってるのに。そのヒトこそ先に進めばいいのに、ぼくの後ろにぴったり付いて怒ってる。怖いですね。イライラして。だから、フェイントをかけて、先に行ってもらったら、スゴい睨んできて邪魔なんだよ、と呟いたんですよ。前に進めないのが嫌なんじゃなくて、ぼくの動き方が気にいらなかったんでしょうね」

 「人間がイライラしてますね。なんというか、質が低下しているというか」

 「東京から、北茨城のアトリエに戻ると思うんですよ。疎開しているんだなと」

 「SNSなんかは怒ってるひとばかっりですものね。だから、ぼくは絵を鑑賞したり、本を読むのが好きなんです」ナオトさんが言った。

 会話は鏡だと思う。会話のキャッチボールをしているとき、お互いが似たことを言っている。自分の言葉が相手の発した言葉のようで、その逆もある。

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メールをチェックすると、ネットで問い合わせていた中古サーフボードが買えるとの連絡がきた。6500円。筑西市のホームセンターが引き渡し場所になったので高速を走らせた。100km1時間30分。ついにサーフボード を手に入れた。親切なひとで、ワックスとサーフボード と足を繋ぐコードもつけてくれた。

帰宅して夜中まで、デザインをしたけれど、イメージが出てこない。ロックな生活をしてないからイメージが湧いてこない。音楽を聴いたり、ネットを検索したり、雑誌をめくったり、イメージを耕すのに時間を費やした。明日は仕上げる。海で波と遊ぶ。

One of thesedays 63

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かつては自然からすべてを生み出していた。そこに魅力を感じる。

水戸に森の間伐を手伝いに行った。「きらめ樹」という間伐方法で、樹の皮を剥いてたったまま乾燥させる。根から吸い上げる水は、皮と幹の間を流れている。樹の皮を剥ぐと、水分を吸収できなくなり樹は枯れる。

現代の暮らしと樹の関係が見えなくなっている。けれども50年ほど時間を遡れば、樹は日本人の暮らしに欠かせない存在だった。家をつくる材として、煮炊きする燃料として、樹がなければ死ぬほどだったけれど、現代の暮らしでは、直接的には樹がなくても死にはしない。けれど放置された森は、人間の生態系に影響を与える。はじめから放置されている森なら、それは自然のことだから問題ない。けれど、日本の森は、杉や檜が大量に植えられ、そのままになっているから、自然に回復するのも難しい状況にある。何にせよ、森の樹に価値がなくなって、人が入らなくて、そこに問題があるなら、ぼくは森に入って何が起きているのか知りたい。中に入って、そこから眺めてみれば、解決策や突破口がある。身の回りの生活圏のなかに冒険の入り口がある。失われていく日本人の生活を巡って冒険してみたい。近くて遠い、同じ場所のレイヤーの違う次元に足を踏み入れて遊ぶ。

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樹の幹に竹でつくったヘラを当てて打ちつけて、皮と幹の間から剥いでいく。下から上に引っ張って皮を剥いていく。とにかく、皮を一周剥けば、樹はたったまま枯れる。

この方法を使う使わないにしても、本の森にある樹を利用したいと思っている。2014年から2年間、空き家に取り組んできて、分かったのは、空き家の問題なんてないこと。問題をつくってスタックしているだけで、その問題を跨いでしまえば、なんてことのない障害で「古い/新しい」「便利/不便」「価値のある/なし」だったりする。問題は絶対的ではなく相対的で、人によって違うのだから、空き家を前に「古くて価値のない不便な家を楽しむ」ことができれば、問題は消えてしまう。

 

2018年は森に取り組んでみたい。ちょうど、フジロックフェスティバルでBARをやる仕事があって、その店をどうつくるか考えていた。小屋だ。簡易的な。露店をつくりたい。その構造に間伐材を使えるはず。それから竹。竹も余るほど山に生えている。これもバリに暮らす友達が絵を買ってくれ滞在制作をさせてくれるというので、東南アジアの竹づかいを学びたいと思っている。自分がつくりたいからつくるというだけでなく、目の前に起きている出来事を繋ぎ合わせて、展開させていけば、想像を超える未来が生まれる。

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