5月6日(日)
「どうして舟をつくるんですか」
クロダ氏が質問してくれた。ぼくたちは五浦の海を眺めていた。
「ぼくにとってのアートは生きるための技術で、
そう答えながら実は、まだが理由はっきりしていなかった。
北茨城市の芸術活動拠点施設Arig
SNSで「GWに音楽制作に没頭したい。
共通の知り合いもいて、音楽とアートをつくる仲間として打ち解けた。ぼくはクロダ氏が滞在して経験したことを教えてもらった。
「家の裏の川へ行ったんです。でも藪がすごくてちょっとした冒険でしたよ。Arigatee
クロダ氏は、この場所に価値があることを教えてくれた。そしてArigateeという曲もプレゼントしてくれた。アートが生まれる場所になった。
お昼にクロダ氏を磯原駅に見送って、
現代のダビンチとも言われるテオヤンセンの世界を堪能した。はじめて、
物語。これが自分の原点だと思い出した。
ぼくは、毎日文章を書いている。記録している。物語を編んでいる。見たこと聞いたこと、経験したことが作品の糧になる。書くとは「欠く、掻く、覚」でもある。何かを記録することは、それ以外のことを捨てることでもある。けれども記録したことは痕跡になる。その痕跡が行動を起こすスイッチにもなる。覚悟。
ぼくは舟をどうやってつくろうか迷っていた。選択肢が3つある。
ぼくは「生活芸術」を目指している。それは何ですか。とよく質問される。答えは簡単だ。生活の芸術だ。生活とは何か。芸術とは何か。日本の社会に芸術なんて存在しない。自然と人間を繋ぐ生活も存在しない。それを結びつけること。それは究極の理想だ。それができる場所が北茨城市。ぼくはこの場所に出会った。絵を描くこと。それは自然のカタチを翻訳すること。極限までシンプルにそぎ落とし、それでも残る美しさ。海にいく。山にいく。森をみる。それをキャンバスに映す。イメージが宝物になる。それほどの価値を持つまで追求したい。その一方で、生活を芸術にしたい。生活とは、自然環境のなかで人間が生きること。生命を永らえるための活動。生活芸術とは自然を利用して表現すること。舟をつくる。家をつくる。絵を描くこと。
軽くて持ち運べる舟。自然の摂理を最大限に活かした舟。
ぼくは自由に生きるために作品をつくる。
北茨城に開かれた制作に没頭できる場所がある。
Arigatee。ありがてえ。感謝する場所。
興味ある方は、norioishiwata@gmail.comまで。