いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

Arigateeはアーティストインレジデンス。作家が北茨城の自然のなかで制作に没頭できる環境。

5月6日(日)

「どうして舟をつくるんですか」
クロダ氏が質問してくれた。ぼくたちは五浦の海を眺めていた。

「ぼくにとってのアートは生きるための技術で、人間のもっとも古い道具が舟だと思って。海の向こう側を見た人間はどうしてもその先に何があるのか知りたかった。海に舟で出ることは、海と人間の関係を繋ぐことでもあるし、海から眺めた景色を作品にしたいと思っているんだ」
そう答えながら実は、まだが理由はっきりしていなかった。

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北茨城市の芸術活動拠点施設Arigatee にミュージシャンのクロダ氏が東京から3泊4日の滞在制作をした。ぼくは、夢のひとつだったアーティストインレジデンスを北茨城の奥地につくった。家が作品。でも課題があった。こんな場所に来る人がいるのか。

SNSで「GWに音楽制作に没頭したい。どこかそういう場所はないか」という投稿をみつけた。自然環境のなかで制作に没頭できる場所。それがArigateeのコンセプトだったのでクロダ氏にメッセージを送ってみた。何度かのやり取りを重ねると、数年前に会ったことがあった。


共通の知り合いもいて、音楽とアートをつくる仲間として打ち解けた。ぼくはクロダ氏が滞在して経験したことを教えてもらった。
「家の裏の川へ行ったんです。でも藪がすごくてちょっとした冒険でしたよ。Arigateeを見学したいと来た人と2時間ほど話しをして。全く知らない人なんだけど、いろいろな発見があって」と話してくれた。

クロダ氏は、この場所に価値があることを教えてくれた。そしてArigateeという曲もプレゼントしてくれた。アートが生まれる場所になった。


お昼にクロダ氏を磯原駅に見送って、ふくしまのアクアマリンに向かった。テオ・ヤンセン展を観るために。テオ・ヤンセンはストランド・ビーストと命名された自然の力で動く作品をつくるオランダのアーティスト。はじめて知ったのは15年以上前。ぼくは雑誌やネットや本や漫画、あらゆるところから引用してきたネタをコラージュした物語をつくっていた。ぼくは「神話」と呼んでいた。

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現代のダビンチとも言われるテオヤンセンの世界を堪能した。はじめて、その全体像を掴むことができた。彼の世界観には、進化系統樹からなる物語があった。

物語。これが自分の原点だと思い出した。グラフィティーのアーティスト、ラメルジーに触発されてぼくは絵を描くようになった。ラメルジーにも神話的な世界観がある。ちょうどいまニューヨークで大規模な回顧展が開催されている。


ぼくは、毎日文章を書いている。記録している。物語を編んでいる。見たこと聞いたこと、経験したことが作品の糧になる。書くとは「欠く、掻く、覚」でもある。何かを記録することは、それ以外のことを捨てることでもある。けれども記録したことは痕跡になる。その痕跡が行動を起こすスイッチにもなる。覚悟。

ぼくは舟をどうやってつくろうか迷っていた。選択肢が3つある。日本の伝統的な和船を再現するのか。岡倉天心龍王丸を再現するのか。アイルランドのカラックをつくるのか。今日一日を過ごして気がついた。そのどれでもない。つくるのはオリジナルだ。

ぼくは「生活芸術」を目指している。それは何ですか。とよく質問される。答えは簡単だ。生活の芸術だ。生活とは何か。芸術とは何か。日本の社会に芸術なんて存在しない。自然と人間を繋ぐ生活も存在しない。それを結びつけること。それは究極の理想だ。それができる場所が北茨城市。ぼくはこの場所に出会った。絵を描くこと。それは自然のカタチを翻訳すること。極限までシンプルにそぎ落とし、それでも残る美しさ。海にいく。山にいく。森をみる。それをキャンバスに映す。イメージが宝物になる。それほどの価値を持つまで追求したい。その一方で、生活を芸術にしたい。生活とは、自然環境のなかで人間が生きること。生命を永らえるための活動。生活芸術とは自然を利用して表現すること。舟をつくる。家をつくる。絵を描くこと。


軽くて持ち運べる舟。自然の摂理を最大限に活かした舟。
ぼくは自由に生きるために作品をつくる。
北茨城に開かれた制作に没頭できる場所がある。
Arigatee。ありがてえ。感謝する場所。
興味ある方は、norioishiwata@gmail.comまで。