いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

One of thesedays 83

アトリエには朝から来客があった。アトリエにしている古民家の元家主の有賀さんが、草刈りをしてくれた。もう自分のものではない土地なのに。そうしたら、キジが卵を抱えているのをみつけて教えに来てくれた。

キジは桃太郎に出てくる程、日本でポピュラーだし、有賀さんはそう遠くない昔、8年前までは、たまに食べたと話してくれた。それでも、よし!キジを獲ろう!と思わないから、まだまだ生活に余裕がある。そこまでのサバイバルはしてないようだ。

有賀さんと縁側で話しをしていると、近所のカズミ兄さんが「イノシシが檻にかかった」と知らせてくれた。行ってみると、1mものイノシシが檻に突進している。はじめて生きているイノシシを見た。檻の入り口を鼻で持ち上げている。檻から出ようと必死で、鼻から血を出している。

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そこに近所のスミちゃんが現れて「シゲ坊に連絡したからじき来るから、そっとしておけ」と言った。シゲ坊さんとは、猟師で害獣を駆除して農作物を守るヒーローだ。

集まった人々でイノシシの様子を見ながらシゲ坊さんを待ったけれど、現れなかった。檻が動かないように杭を挿してイノシシが出ないようにして、スミちゃんの家にお茶をしに行った。スミちゃんの家では、植木屋さんが木を刈っていた。植木屋さんは、スミちゃんの中学校の同級生で、この集落にお嫁に来る前から知っている。植木屋さんは、スミちゃんは、なんでもできると教えてくれた。いま建っている家の基礎はスミちゃんがやったそうだ。「むかしは、なんでもできることは自分たちでやったんだ」と教えてくれた。

 

アトリエに戻って、少し作業をしていると
「ダーーン」と銃声が集落に響いた。シゲ坊さんがイノシシを殺した。シゲ坊さんはウチに寄ってくれ、死んだイノシシを見せてくれた。放射能の影響がなければ食べれるのにと思う。もし食べれたら、ご馳走だから滅多に口に入れることはないだろうけど。スミちゃんは、イノシシ食べれたときは、売れるから食べれることなんて、あんまりなかったと話してくれたのを思い出した。

シゲ坊さんは友人から貰ったシカの角を持ってきて「何かに使え」と置いていってくれた。

3時ころ、チェンソーでキノコの椅子をつくるタイラさんが現れた。ちょうど間伐材でイベントをやる企画を練っていたので、打ち合わせすることができた。必要なときに必要な人が現れるのは、その方向に未来がある道しるべだと思っている。

夕方は、そのイベントに誘いたかった林業家の古川さんが家族と友人で来てくれた。古川さんは、先日河口で獲ったウナギを調理しに来てくれた。古川さんは手際よくウナギを捌く。頭にアイスピックを刺して動かないようにして、骨に沿って肉を剥ぐ。骨も焼けば美味しく食べられる。売ってるものは加工してあるから調理が簡単だけれど、採取した食材は調理に時間がかかる。手をかけただけ美味しいとも言える。自然から獲物を探し出して、捕獲して火で調理する、原始的な人間活動。ここにアートを感じる。生きるための技術。

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天然のウナギを炭で焼いて食べた。身が厚くてふっくらとして、格別に美味しかった。古川さんの子供たちと友達は、家の周りを探検してタケノコをみつけてきた。焼いて食べたら、ひとりの子供は不味いと言って吐き出して、ほかの子供は美味しいと食べていた。それぞれの味覚がある。

日が暮れると古川さんの友達家族は帰った。そこからさら古川家とのBBQが続いた。と言っても、焼くものは、美味しくないタケノコ。子供たちはキャンプだと喜んでいる。古川さんがシカの角を見て、ルアーをつくったらいいと教えてくれた。かつて日本人は、シカの角でルアーをつくっていたそうだ。

フジロックの BAR用につくった屋台が役に立って、雨が降っていてもBBQを楽しめた。こうやって北茨城での日々を観察してみると、実は目の前に「生きるための技術」が陳列されている。あとは、どのようにアート作品に転換するのか。加工/調理。毎日の小さな出来事のなかに、命や自然や生きるための工夫や、作品になるヒントや種が埋もれている。生活の芸術は、特別なことではなく、日々の暮らしのなかにこそアートがある、と実証する試み。そろそろ爆発させてみたい。

One of thesedays 82

朝起きると晴れていた。海に行くことにした。外に出ると、市役所から草刈りに来ているおじさんが
「サーフボードあったけどやってるの?」
と話しかけてきた。
「やってると言っても、つい最近始めたんです」
「わたしも30年位やったよ。まだサーフィンてスポーツがいまほど定着してなかったから苦労したけど。気をつけてね。サーフボードが吹っ飛んで、リードに引っ張られて頭に当たったりするから」

「ちょうど、足の甲にフィンが当たってケガしたんです」
「波に飲まれたら、サーフボードにつかまると怪我の確率が減るよ」

降ってきた天啓のような貴重なアドバイスを頂いて海に出た。海はうねって大きな波をつくっていた。海に入る。波に向かう。波に乗る。立とうとするけど立ない。何度も繰り返す。チフミは、砂浜で流木を拾っている。1時間ぐらいやって部活を終わりにした。”KITAIBARAKI BEACH CLUB”と命名して、ペットボトルの筏に乗ったり、サーフィンやったり、釣りをして海と遊んでいる。

帰り道、新しい浜を見に行った。新しく見る場所はすべてが新鮮。浜では3本の釣竿を海に垂らしているおじさんがいた。バケツを覗くとカニ。聞くとワタリガニだと教えてくれた。新しくみつけた浜は、工事をしていてテトラポットが並んでいる。海は自然で人間がテトラポットを並べて自然に対抗している。絶対の安全なんてないから、ほどほどに抵抗しつつ、自然のままの景観を残してほしいと思う。

浜を後にして、家の裏にある苗屋さんに寄ってトマトとキュウリの苗を買った。山のアトリエへ移動して、近くに借りた畑に植えた。畑を観察してみるとニンジンの種も芽を出している。小さすぎて周りの雑草に負けているので、雑草を抜いてニンジンが育ちやすい環境を確保した。畑には、ナスの苗が発泡スチロールに入れてあって「たぶん畑を貸してくれたミツコさんがくれたんだね」とチフミと話してナスも植えた。少しずつ畑に品目が増えてきた。

「大地を耕して食べ物を手に入れる」行為は、人類の歴史のなかでは、それをしなければ死んでしまう労働だったのだけれど、近現代では、それをしなくても生きていける層が増えて、やり方を知らない人間も増えている。ぼく自身がそうだ。大地を耕して食べ物を手に入れるという技術こそ、生きるための芸術で、この時代には新鮮なアートとして提案できると思う。どう何を表現して見せるのか。それ次第では。そんな思いも含めて土をイジりはじめた。


市役所から、ふるさと納税の相談があると連絡があって、市役所に行くことにした。北茨城市ふるさと納税の返礼品として、キツネの焼き物を出品している。品目を増やしたいから、絵画作品も出さないかと相談された。絵を売る窓口が増えるのは、願ったり叶ったりだ。

市役所で茨城空港のチラシをみつけた。台湾の台北も中国の上海も、片道1万円もしないで飛べるらしい。なるほど、この地から中国や台湾と交流することを閃いた。アジアの地方、むかしながらの暮らしを調査するのは、日本との共通点や、人類がどうやって生きてきたのか知るうえでも有意義な旅になる。きっと。

アトリエに戻って、二ツ島の波の絵を完成させた。サーフィンの体験が波の絵に反映されていた。見える波と、触れて体感する波は、まったく違う。「見る/聞く」は文章の基盤になるけれど、行動や経験には劣る。

夜は、今年のフジロックフェスティバルでBarをやる準備のために、スーパーで買ってきたクラフトビールを飲んでみた。「水曜日のネコ」と「よれよれビール」どちらも260円ほどで「水曜日のネコオレンジピールが入っていて苦味がない。「よれよれ」はフルーティな香りプラス苦味もある。缶を眺めていると水曜日のネコ発泡酒と書いてある。

調べてみると、麦芽50%以下だったり、それ以外のものを混ぜていると発泡酒になるそうだ。水曜日のネコは、麦芽は90%以上でビールなのだけれど、オレンジピールが混ざっているので発泡酒扱いになる。けれども麦芽が90%以上なので、値段はビール扱い。とてもややこしい。ちなみに海外では、水曜日のネコと同様の飲み物はビールとして販売されている。

世の中はどうでもいいことに、いくつもの線を引いて分類して状況を複雑にする。そもそもタバコなんかも、家でつくって販売していた。それもいつの間にか日本ではやらなくなった。やらなくなったというか規制された。ビールひとつににしてもこう複雑なのだから、世の中の多くは、こんな状態が増えていくんだろう。

もっとバカでいいと思う。愚直で単純になりたい。ルールや社会が引く線に気がつかないほどバカのままでいい。
ビーチボーイズのアルバム「surf's up」を聴いて寝た。

One of thesedays 81

月曜日から2日間アルバイトをして、サッカー観戦をして朝まで友達の家で寝てしまったので、生活のリズムが狂っている。

朝、アトリエにしている富士ケ丘小学校で、北茨城市の地域おこし協力隊、都築さんとの打ち合わせ。市からの依頼で、新しくできた公園でやるイベントの企画を練った。チフミと車で移動しながらいつも打ち合わせしているので、イデアはいくつかあった。

公園なので、ベンチやイス、テーブルがあったらいい。チェンソーでキノコの椅子をつくるタイラさんと、森で木を切る林業家の古川さんのチカラを借りれば、自然採取で材料を仕入れて制作することができる。そうすれば、森とタイラさんと古川さんにおカネを回すことができる。

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林業では川上/川下という言い方がある。世の中は、川下が儲かる仕組みになりがちで、川上がいなければ成立しないマーケットなのに、割が悪くなるのは川上ばっかりだ。漁業だって漁師がいなければ売る魚もないけれど、漁師は厳しい状況のなか魚を獲っている。儲けるのは中間業者ばかり。その意味では、消費者がマーケットをつくっている。消費者は最強の権力者。なので、その流れを逆流させて川上と日常を接続するような取り組みにしたい。



午後はアトリエで、リズムを取り戻すためにこのブログの記事を投稿した。

夕方、依頼されている北茨城の海の絵を描き進めた。途中で筆が止まっていた作品だったけれど、新しいタッチの海の絵を描くことができた。日々の生活は、絵を描くことが何よりも最優先だけれど、そればかりをやっていても、絵は良くならない。海に行ったり、友達に会ったり、旅をしたり、目線を変えれば、今まで見ていた景色の見方も変わる。日常は同じことの繰り返しではない。自然に接近するほど、違う表情を見せてくれる。自分自身を新鮮にすることが、苦しんで悩んで描くことよりも、絵を美しくするのかもしれない。

ぼくは夫婦で作品をつくる夫婦芸術家だから、妻のチフミと毎日作品をつくる。昨日よりも今日、今日よりも明日と、1日を刻んでいく日々が制作の基本になっている。できることはとても小さくて、けれども、それを日々積み重ねていくから、想像以上の結果を手にすることができる。

One of thesedays 80

朝起きたら友達のガレージだった。昨日、ワールドカップを観ながら飲んで、ここで寝てしまった。明け方に起きて常陸太田市から北茨城市まで帰って、朝から老人介護施設で旗づくりをやった。旗づくりは、誰でも参加できるので、こうした施設からのオファーが増えてきている。旗づくりはチフミが中心にやっている。毎回テーマを決めて消しゴム判子をつくって、旗になる布を集めたり、切ったりの準備をしている。

施設に入ると「105歳誕生日おめでとう」の飾りが目に入った。105歳。今から105年後はどんな世界になっているだろうか。
職員の方は
「女性の方が圧倒的に長生きしますね。あと、女性が入所したら男性は甲斐甲斐しく面倒を見にきますが、男性が入所した場合は、女性はほとんど来ません。それから平均寿命が女性の方が8年ほど長いので、女性は8歳下と結婚するとちょうどいいんです」
と高齢者あるあるを話してくれた。

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旗づくりのやり方を説明すると、職員さんたちは「できるかしら」という顔をした。車椅子のご老人がひとりふたりと現れて、総勢12名が参加した。

チフミのつくったスタンプを押していく。次第にマジックで絵を描いたり、詩を書いたり自由な表現になっていく。1枚2枚と数を重ねていくうちに個性が出てくる。むかしやっていたことが旗の表情をつくる。うまくやろうとか邪心がない。純粋過ぎて批評の余地もない。つくってくれた旗をひとつずつ飾っていけば、ギャラリーが現れる。

絵が上手いとか下手とか関係なく、そこに現れてくる自由なカタチに魅力が溢れている。到底及ばない生きているアートがここにある。1時間30分ほどで100枚の旗をつくってくれた。職員の方々も驚いていた。表現は、誰にもできることだけれど、それを常識や目的が制限してしまう。考えるほどできなくなる。無邪気な絵は心を洗ってくれる。

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この旗づくりは、去年、北茨城市に来てすぐに、地域おこし協力隊の都築響子さんと一緒に始めた取り組。やりながら、工夫していくうちに、興味を持ってくれる人が増えて、いまでは出張して旗づくりをしている。目標は10kmで、未だ200mほど。数パーセントしか成果を出していないけれど、それをみんな面白がって協力してくれる。目標はバカでかい方が理解される。

お昼は、北茨城市役所の食堂で海鮮丼を食べた。7月2日で閉店してしまうので残念。ここの食堂は安くて美味い。大津港駅前の太信という和食屋さんが運営しているから、リーズナブルに地産の魚が食べたい北茨城旅行者にはおススメのお店。

午後。美容室のタイル貼りのバイトのためにホームセンターから借りた道具を返却していなかったことに気づいて、常陸太田市へ向かう。片道1時間。大雨のなか移動して返却してホッとすると、ヤフーモバイルのお店をみつけた。ちょうど、使っている携帯がPHSで2020年にサービスが終了するから、変更する必要があったので、機種変更してもらった。携帯の契約は、いつも不信感でいっぱいになる。安くなるはずが、なんだかんだ値段がプラスされて料金はあまり変わらない。もしくは高くなる。これはサービスより詐欺に近いと思う。

 

帰り道、高萩の漫画喫茶に寄り道して、漫画を読んで頭をからっぽにした。帰宅して飯を食べて寝た。何も進まなかったような日だった。でも毎日文章を書いて80日が過ぎた。悪くない。

One of thesedays 79

バイト2日目。
朝起きて、アメリカで描いた鳥の絵にチフミにサインを入れてもらって、現場へ向かう。今日の午前中はシンセンくんは予定があるので、ひとりで作業した。

昨日のホームセンターで教えてもらったようにタイルをグラインダーでカットした。次は、タイルを貼るセメントと水を混ぜて練った。全部で5箇所を貼り替える予定で、5つ目を作業しているときにオーナーの鈴木さんが現れた。キリのよいところまで作業して、鈴木さんに絵を見せた。このお店ROOSTは海の近くにあって「鳥が木で休むようにお客さんがリラックスして、また羽ばたいていく」というコンセプト。鳥の絵を鈴木さんとお店のあちこちに飾ってみながら、反応を確かめていると鈴木さんが、

「ぼくは絵は詳しくないから分からないんです。けれど、この絵はいいですね。お店に絵があるといいですね」と言ってくれた。

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とりあえず、絵をお店に置いて、鈴木さんと音楽の話しで盛り上がった。そこにシンセンくんが現れ、お昼を食べに行った。唐揚げ屋さんでお弁当を買って海で食べた。

シンセンくんと共感するのは、ライフスタイルをつくっていること。安定よりも、これからどんな暮らしが心地よいのかを試みているところ。シンセンくんは音楽をやりながら、デザインや野菜づくり、古民家再生などをやっている。もしくはやろうとしている。シンセンくんと話しているうちに、昨日の編集者のメールのことが腑に落ちた。

書き手は、自分のことを書くのではない。物語を書くのは、書き手だけれど、語るのは登場人物や出来事だ。太宰治走れメロスは、メロスの物語だから太宰治の姿や言葉は、物語の向こう側に消えている。こうやってブログを書くのと、物語を書くのは違う次元にある。県北クリエイティブの編集者は、それを言っていると気がついた。適当によいですね、とか、オッケーです、と返事をくれるひとは、たくさんいるけれど、しっかりとディレクションしてくれるひとは、滅多にいない。実際は、ヘタな原稿がウザいと感じているだけかもしれないけれど。

シンセンくんを題材に記事を書けば、ぼくは原稿から消えることができるかもしれないと思った。

午後にタイル貼りの仕上げをして、3時ころには完了した。シンセンくんが鈴木さんに電話すると、現れて仕上がりを喜んでくれた。そして、奥さんとも相談してあって絵を買ってくれることになった。

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早く仕事が終わったので、シンセンくんの家に遊びにいった。茨城県常陸太田市。大きな敷地に古民家、平屋、畑、森、竃、薪風呂がある。立派な家。こうした家が相続されなくなっている。数十年前には信じられない。シンセンくんは

「この家に暮らすようになって気持ちよくて。ああ、これだな、と思うよね。なんで、東京に縛られてたのかと思うよ。まあ、今だからそう感じるのかもしれないけど。でも、これからもっと地方は需要でてくるよね」

夜、シンセンくんが野菜づくりをバイトしながら学んでいるスペイン人のオラシオが現れて、3人で、ワールドカップの日本戦を観戦しに、居酒屋に出掛けた。居酒屋には50人くらいが集まって、大騒ぎしながらサッカーを観戦した。子供たちにサッカーを教えている人と話しをしていると、ポスターをデザインして欲しいという話しになった。

4年前のワールドカップのとき「アイムアフットボールというコンセプトをつくったのを思い出した。自分の夢をサッカーボールのように人から人へ伝えていけば、ゴールできるかもしれない。あれから4年が経った。ぼくは、家を直せるようになって、カヌーもつくった。夢はもう叶っている。もっと大きな夢を持てる。また、新しい挑戦ができる時期に来ている。

One of thesedays 78

月曜日。
昨日の夜、アルバイトの準備ができていなかったので、朝起きて、アトリエに寄って大工道具を車に積んで、常陸多賀へ向かった。8時30分に駅待ち合わせだったので高速で行くことにした。地方とはいえ、朝は道が混む。高速を使ったおかげで8時35分に着いた。

アルバイトに誘ってくれた音楽家のシンセンくんと合流して、現場に向かう。今日の仕事は、美容室のタイル貼り。美容室の入り口に施工してあるウッドデッキを撤去して、下に隠れているタイルを見えるようにして、いくつか欠けているタイルを交換するのが今回のミッション。

シンセンくんは、常陸太田の古民家に住んでいて、かつて東京でDJをしていた。たくさん共通の知り合いがいて、いままで会ったことがないのが不思議なくらい、親近感を覚える友達。

クライアントは、ROOSTという名前の美容室のオーナー鈴木さんで30代半ば。シンセンくんが、ぼくのことを話していてくれたので、作品に興味を持ってくれていた。会うとすぐに美容室に絵を飾りたいと相談してくれ、ROOSTの由来を聞くと、鳥の止まり木だと説明してくれた。すぐにピンときた。アメリカで描いた絵のひとつは、枝に止まる鳥だった。その絵の話をすると見たいと言ってくれた。

今日の仕事は、ウッドデッキの撤去からスタートして、ホームセンターにタイルを買いにいくこと。似たような色のタイルを探した。あったけれど切らないとハマらない。ホームセンターでカットのサービスを相談すると、値段の割には、仕上がりが悪いのでおススメできないと言われる。代わりに親切な店員さんがタイルのカットの仕方を教えてくれた。タイルをカットする刃をグラインダーに取り付ければ、簡単にできるらしいので、やってみることにした。

美容室に戻る途中、昭和から時間が止まったラーメン屋をみつけて入ってみることにした。70歳くらいの男の人がひとりお店にいた。お昼なのに誰もお客さんがいない。ぼくはチャーシューメンを頼んだ。おじいさんは、ラーメンをつくりながら話しはじめた。

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「こんなお店は流行らないよ、もうとっくに競争に負けているから、ただ続けているだけだ」
おじいさんは話すたびに
「ちょっと話しは後にしてくれ、ラーメンをつくりたいんだ」と自分から話し始めたくせにそんなことを言う。
それでも
「いまは大変な時代になった。君たちは可哀想だよ。何をやっても儲からない。役人ばかりが儲かる時代さ。少しずつ、奴らは準備してたんだ」と話しを続ける。
「悪いが話しは後だ。ラーメンづくりに専念させてくれ」
と言いながら
「わたしがお店を続けられたのは健康だからだよ。健康だけが大事さ。もう競争にはとっくに負けているから」
と結局、話しは止まることなくラーメンが出てきた。ラーメンと一緒におじいさんはカウンターから出てきて話し続けた

「もう土地だって価値がないから、息子もいらないって言うんだ。ここにラーメンを食べに来る人もいないからな、もういつ店を畳もうかと考えているよ。大変な時代だよ。わたしが言えるのは、健康が一番だということさ」

結局、ラーメンはそれほど美味しくなかったので、おじいさんの話にも説得力がなかった。

午後、美容室に戻って、タイルを磨いて、明日の準備をして夕方に仕事を終えた。帰りは高速を使わずに帰って、アトリエに寄って、明日の道具を用意して、美容室のオーナーに見せる鳥の絵を車に積んだら8時を過ぎていた。メールをチェックすると、県北クリエイティブというサイトの編集者からメールが来ていた。

「石渡さんに声をかけようかなと思っていましたが、なかなか編集しがいのある原稿ですから、もっと事実に即して記事を書いて頂けるならまたお願いしたいと思います。ぜひ企画を送ってください」
サイトが今期も続くならまた記事を書きたいとメッセージした返事だった。

One of thesedays 77

6/17 日曜日
いわき市田人のモモカフェの10周年に参加した。先月、田人で開催されるアートイベントの会議に誘われていったら、それは前日で、町の会議をやっていて、そこにいた方々が暖かく迎え入れてくれ、縁を頂き、モカフェに参加することになった次第。何がどう転ぶか分からない。

モカフェでは、会場装飾にガーランドづくりをやった。チフミは毎回消しゴム判子のスタンプを用意して、子供たちが気軽に参加できるようにしている。オープンと同時に家族連れがやってくる。子供たちが集まってくる。ハンコをはじめて押す子供もいる。ハンコを布から離すと、現れる模様に目を輝かせる。

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つくってくれた旗をひとつずつ会場に装飾していく。参加者のみんなと一緒に会場をつくるアート。

いわき市田人という山奥の集落で開催されたフェス。フェスだから音楽が演奏される。名前も聞いたことのないアーティストたち。場所と雰囲気に合った音楽。演奏者たちは、子供から老人までを楽しませるような柔らかさを持っている。

ドブロク。3人組のロックバンド。ポエトリーとハーモニーが素晴らしい歌を聴かせてくれる。ベースの人は、レッチリのフリーのようなグルーヴを効かせていた。ほどよく熱いバンド。

出演者のひとり、Miya Takehiroこと宮くんが、ガーランドに興味を持ってくれ
「大人もやっていいですか」
と旗をつくってくれた。たくさんの野外フェスでライブをやっている宮くんは「旗の装飾はたくさんみるけれど、来場者と一緒につくるのは、はじめてだし素晴らしい」と言ってくれた。

アトリエのArigateeを訪れてくれたいわき市のナオトさんも、旗をつくりに来てくれた。

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夕方にイベントは終わり、打ち上げに突入した。ワシントンDCから日本を自転車で旅しているマイケルと話した。マイケルは、3.11に関心があり、現地の人の声を聞くために旅をしている。マイケルは、仏教に興味があって大学で勉強していたとき、先輩に四国のお遍路巡りを勧められて日本に来たんだ、と流暢な日本語で話してくれた。お遍路に続いて2度目の旅をしている。

出演者たちと話しをした。みんなかなりの数のライブをやっていて、出演者同士も仲良く、日本のあちこちで小さなフェスが開催されていて、みんなそこかしこで出会うそうだ。関西弁のトークが印象的な中西さんは、滋賀県からライブしに来ていて、年間200本のライブをしているという。それだけやるのだから、ほとんど家にいなくて、家に帰ると、子供が歩くようになっていたり、喋れるようになっていて驚く、と話してくれた。

日が暮れてきて、帰ろうかなと思っていたら、モカフェのオーナーの桃太郎さんが焚き火をやろうと誘ってくれ、小さな焚き火を三つつくった。肌寒くなってきていたので、会場に残っていた人が集まってワイワイと賑やかになった。

8時を過ぎると、帰る人が増えていき、出演者の宮くんが、泊まっていくというので、せっかくなので、お酒を飲みながら話した。

宮くんは、東京の府中に奥さんと子供と暮らしていて、やっぱり日本中のフェスティバルを旅するように渡り歩いている。北海道では、農場が主催するイベントがあって、マイクもスピーカーもなく、宮くんはウクレレだけを持ってライブしに行くそうだ。小さな会場に呼ばれても、そこに音楽を愛する人がいるなら、できるだけいろんな場所で歌えるように、ピアノの弾き語りスタイルからウクレレに変更した、と話してくれた

10時近くなってきたので、家に帰ることにした。明日は朝から久しぶりにアルバイトをする。