いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

模索しているからこそ、状況の確認把握をする。重要なことを自分でみつける。

朝起きてオーダーの作品をつくる。ベニヤを貼り合わせる。やってみると作品づくりの体力、集中力が低下していることが分かった。チフミと2人でパネル2枚を組み合わせるだけで、道具がない材料がないと2階と1階を行き来する。アトリエや工房、道具の適所適材は重要。

作品作りの作業と部屋の片付けの同時進行。不要なモノを捨てるにもお金が掛かる。モノがなくなれば空間ができる。隙間が重要。

津島の新居は、いまより狭くなる。荷物を減らさないと入らない。生きるために必要なものなんてほんとうに僅か。持っていたら新しいモノが入ってこない。

午後は週末の春風のトークを整理した。それなりな役割を貰ったので、しっかり応えたい。指名してもらったからには。対談やインタビューは有意義な時間。相手を独占できるし、本気の言葉をやり合える。打ち合わせ、プレゼン、トークなどの場面で、いつも宮本武蔵を思い出す。
「日常が戦いの場面であれば、戦いの場面は日常になる」
そうすれば、いざというときでも平常心でいられる。いつでも言葉やフレーズが浮かんでくる本は、読むを超え呑んだに等しい。

夜は、津島に引越す前、最後の東京での空村の打ち合わせ。ここ10日ほどで、建築家の米澤さんと改修プランについて打ち合わせを重ねてきた。イメージ図では、理想の家が描けた。この作業を通じて空村プロジェクトがどれだけ、ビジネスからかけ離れ理想だけを追求しているかを体感した。お金のためではなく、空き家を再利用する前列をつくる、というミッションに意気投合する仲間たちがいる。

米澤さんのデザインはほぼ完成して、日本橋で街づくりを手掛ける名古屋出身の鳥羽さんが、実行プランをつくる予定になっている。つまりぼくら夫婦は、プロの腕を借りて仕事を進める。こんな奇跡があるのか、と感動する。最近読んだ本「フランクリン自伝」でみつけた生きる技術がここにあった。

フランクリンは「もし大きな仕事でひとを動かしたいなら、自分がやりたいからではなく、もっと別の正当な理由をみつけること」と言っていた。空村プロジェクトは、まさにそのセオリーに嵌っている。

「空き家を村に」夢をカタチにする場所。手を挙げて集まってくる人みんなが、やりたいことをやっている。その状態をキープすることが重要。

建築家チームとの進め方が決まり、いよいよプロジェクトは改修へとステップアップする。いよいよ始まる。

 

夫婦で作品をつくる
コラージュ・アーティスト
檻之汰鷲(おりのたわし)
http://orinotawashi.com/

生きる芸術のための生活者
石渡のりお
norioishiwata@gmail.com