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できないことなんてない。イメージできるのであれば。

古家採取活生計画 独立独歩会議 生きるための芸術の記録

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人は常に偶然によって人と出会い、恋人も友人もそうやって結ばれていく。社会は、常に人が人と縁を持つことでつくられていく。貨幣は、人と人が価値を円滑に交換するための道具であり、その行為が経済を動かしている。そうあるのが理想の社会像だ。理想がなければ、未来をつくることはできない。理想とは、勘違いのような思い付きを丸呑みして信じ込ませることだ。できないことなんてない。イメージできるのであれば。

生活芸術的商売の発見
愛知県津島市には、しげんカフェという廃棄物の買い取り施設があって、ぼくたち夫婦が今月制作したPOP LIFEの像の発泡スチロールの廃棄を引き取ってくれた。発泡スチロールはリサイクルできないので、買い取りではなく有料で、630円支払った。しげんカフェのスタッフは親切にも、いくつかのお金を支払わないで処理する方法を提案してくれた。ひとつは、少しずつ、ゴミの回収日に出すこと、ひとつは近所のスーパーの発泡スチロール容器の回収に少しずつ出すこと、だった。しかし、翌日に津島市を発つぼくらはすぐに処分したかったので、630円はむしろ安価だった。お店のスタッフは「申し訳ないね、ゴミを買い取りできたらいいんだけど、リサイクルできないからね、余計な出費をさせて申し訳ないね。」と言ってくれた。そのとき、喉が渇いていたので「チフミにジュースを買うから100円をくれ。」と言うとお店のスタッフの人が「そんなの買う必要ないなら、そこにある水を飲んでいいから。」と水筒を差し出してくれた。よく冷えた水は、乾きを癒してくれた。

しげんカフェのやっていることは、不用物に価値を与える仕事で、社会的に貢献度が高く、それは徳の高い心をつくるのかもしれないと思った。人の役に立ち、尚且つ、人から何も奪わずにむしろ与える。これこそ、生活芸術的な商売の態度だと思った。

土曜日の朝、津島での滞在制作した作品の写真撮影をして、徳川美術館の展示を見て、東京に向かった。東京の家をいよいよ引き払うことにした。ぼくたち夫婦は、利用価値のない空き家を転々として、その家に滞在して、使える状態にして家主にお返しする、そんな暮らしを始めている。

妄想と現実、怪獣の教え
昼から夕方まで、名古屋から東京まで車を走らせ、六本木に向かった。土曜日の夜は、友人のアーティスト、ピューぴる、ことぴゅーちゃんが、怪獣のデザインをした「怪獣の教え」という舞台を観る予定だった。

その舞台芸術は、いまの東京、日本を表現していた。
東京という街は、いつも東京だった。コンクリートに覆わて、人が溢れて消費を煽ってくる。いつも何かが欲しくて、常に消費を繰り返してしまう。働いても働いても、決して満足するこはない。
高校生のとき、気が狂ってしまった友達が「空を怪獣が飛んでいて、それは視界いっぱいに広がっていて、街は陰に覆われて、俺は銃を持って追跡したんだ。」と話したことを思い出した。その友人は、見ず知らずの他人の家の押入れに隠れていたのを発見され逮捕されてしまった。もし、彼がその妄想を文章や絵で表現していたら、また違う未来があったかもしれない。

「怪獣の教え」は、他の誰でもない自分の夢を生きろ、と伝えていた。

人は常に選択して生きている。右か左か。今か明日か。自分の夢を生きるとは、とても難しく険しい道だ。気がつかなければ、すぐに他人の夢に寄りかって生きてしまう。
東京で生まれ育ったぼくは、常に音楽や本を探していて、その刺激を理解することが、自分の価値だと思っていた。平日働き、休みになると、新しい刺激を追い求めていた。その頃は、まだ自分の夢を生きていなかった。誰かの夢を追体験して満足していた。それは常に消費だった。

どんな小さな夢の種でも、自分の心のなかで育て続ければ、やがて芽を出す。大抵の場合は、そんな小さな芽を育てるより、あっちの大きな畑で働いた方が効率が良いし、何より安心だ、とお世話をしてくれる。そうやって自分の畑を放置してしまう。

ぼくの場合は、嫁と一緒にアート活動を始めたこと、アート作品に貨幣価値を与え、仕事にしたこと。そこから自分の夢を生きる道が始まった。

それは些細な頭に浮かんだイメージを捉えてカタチにしていく作業だ。例えば「空き家に住んでみよう」と思いつく。どうすればいいのか考える。それができない理由を消去していく。ライフスタイルをつくることは、この時代に最もクリエイティブな表現だと思う。そう行動する人間が増えれば社会が変わる。

自分の夢を生きるとは、とても危険で不安なことだ。誰かが完成させた夢を追体験するのとは次元が違い、夢を現実とすり替えてしまうことだから。しかし、好きなことをしているから、何の苦労も不安もない。そのことをしている限り。それはときに自分との闘いでスポーツのようでもある。そこには優しさや愛や勇気といった、大きな畑で忘れられていく大切なことが詰まっているように思う。

徳川美術館に陳列された品々は、手工業の傑作ばかりで、自然をモチーフにした作品が多かった。そのはずで、200年も前には、自然が身近で、生活のすべてで、そこには畏怖があり、至るところに神が宿る信仰があり、だからこそ美しい瞬間を捉えることができたのかもしれない。

ぼくは自分のつくるものに価値が与えれら、人の手に渡ることを大事にしたい。それは、人と人の出会いであり、そこに価値が生まれる瞬間だから。その人から戴いた価値を、よい未来へと循環する社会をつくるための糧にして生きていく。だからこそ、生活は芸術であり、社会が押し付けてくる現実を押し退け、ぼくの夢に浸食されて理想が立ち現れてくる。「怪獣の教え」を観て、ぼくは、2013年から自分の人生の舞台に立ち続けていると気がついた。

次のテーマは「商い」
「世界旅行」「空き家」とテーマをみつけては開拓してきたぼくら夫婦の次の冒険は「商い」にしてみたい。商売をテーマに、自然や社会から採取できるマテリアルをアートにして、貨幣経済へと還元させる理想の交易を描いてみようと思う。
生活芸術とは、生きること、当たり前の日常のなかを冒険すること。日々のルーティンも、僅か右や左に寄れば、まったく新しい世界が広がっている。思いついたことは、まずやってみる。ぼくら夫婦にできることは、誰にでもできる。生き方は、自分の手でつくれることを証明しよう。

商いの原則
1. 他より安い物
2. 質の高い良い物
3. 付加価値の付いた物
4. 誰かに頼まれるようなこと
5. 売れる場所をみつける
6. 儲からないと思われているもの
7. 暇を潰せるもの
8. 人生の悩みを解決出来る術