太陽光発電のミニシステムを手に入れた自立エネルギー時代

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「自立エネルギーの時代へようこそ」のタイトルでトークをした。ゲストは、藤野電力の小田嶋電哲さん。3.11以降、2000個近いソーラーパネル発電をレクチャーしてきた。

ずっとやりたかった太陽光発電のミニシステムのワークショップも同時に開催することができた。しかし価格は45000円。高すぎると不評で、自分でもその金額を出せるのかギリギリまで判断できなかった。ワークショップを開催するには3名必要だったので、2016年3月11日に告知することにした。大きな反響を期待してfacebookに投稿したが、まったく響かなかった。

ぼくのネット環境では、社会や政治に対する不満が溢れているのに、原発に関するニュースをシェアするひとがたくさんいるのに、時間やお金を費やして、社会を変える行動を選択する人なんてほとんどいないという事実。みんな不平不満ばかりで、面倒なことはしない。

ところが奇跡的に信頼するキュレーターの大黒氏から参加表明があり、さらに1通の申し込みメールがあり合計2名になった。やってみるもんだ。さて、あとひとりどうする?45000円。心の中では、自分がやるしかないと決めていたが、開催の前日4月1日まで、申込者は2名のままだった。

嫁のチフミに、45000円で太陽光発電のワークショップに参加することを言い出せなくて、前日の夜に伝えたら「ほんとうに使うの?」と怒られた。でもすぐに理解してくれた。嫁が言いたいのは、必要だからと買ったのに使わないモノがたくさんある。むしろ、何も買わなくても死ぬことはない。

途中から、太陽光発電のミニシステムをつくることより、どうして45000円もするのか、それが気になっていた。自分だったらもっと安価に学べる機会を設けるのに、と。

トークの当日、どうしてワークショップは、そんなに高いのか質問した。答えは、あるものを買って部品を繋いでつくるので、値段は安くならないという話しだった。それから、家族を養うためには、講師代も必要という話しだった。

ぼくは勘違いをしていた。太陽光で発電することが、原発の問題解決に繋がると夢を見ていた。小田嶋さんの考えはハッキリと違っていた。「太陽光発電は、単純に太陽からのエネルギーで発電するだけのことで、バッテリーやパネルを繋ぐ、ただそれだけの行為だ」と語った。ぼくは、太陽光発電が社会を変える道具だと思い込んでいた。

トークの後、ワークショップが始まった。メールで申し込みをしてきた今利くんは、池袋のリサイクルショップを中心に、みんなで、自立した暮らしをつくる計画を話してくれた。そのエネルギー担当で、そのリサイクルショップに出資してもらい、今回参加したそうだ。大黒氏は、高円寺でギャラリーを運営し、最近では部屋がアート作品というユニークなホテルを仲間とオープンしたばかり。そこに太陽光発電を導入したいとのことだった。ぼくも含めて、エネルギーを自分の手でつくりたいという熱い想いがあった。

ワークショップが始まると3人から質問が溢れ出し、合計2時間も小田嶋さんと話し合った。ぼくたち参加者は、3.11から5年間蓄積した情報でパンパンに膨らんでいた。ぼくは何も知ろうともしないまま、頭でっかちになって本質がまったく見えていなかった。

14時からスタートした質問攻めにひと呼吸入ったタイミングで小田嶋さんは、そろそろミニシステムをつくろうと、16時からレクチャーを始め、17時過ぎには完成した。

ぼくは太陽光発電を、とても効率の悪いモノだと思っていた。だから普及しない、と。小田嶋さんは、その逆で、太陽光発電の効率をよくするのではなく、家電製品や電気の使い方を根本的に変えなければ、パネルやバッテリーの規模が大きくなる一方で、結局、原発のように廃棄物の山になってしまう、と話してくれた。

電気を自給するのも、家を自分で直したときのように、社会の構造が透けて見えてくる。経済はモノを売るために循環していて、人間のよりよい生活を追求している訳ではなく、社会がそこへ向かうことに期待できないから、なんでも興味があれば、つくってみることだ。

ぼくは45000円を払って何を手に入れたのか。

震災以降、太陽光発電と向き合ってきた、それこそ何千メートル級の山を登るような挑戦を続けてきた小田嶋電哲の経験と思想をほんの少し吸収した。それはとても単純で「エネルギーを自分でつくってみること」。ぼくは、ずっと見ないフリをしてきたことに、ついに向き合った。そんな感じで、まだ何も解決してないし始まってもいない。

小田嶋さんは、値段について改めて話してくれた。

補助金が出るワークショップだと参加者は寝てしまったり、質問もしなかったり、熱意がまったく違うんだよ。」

砂粒のように小さなモノやコトに本質があって、それ自体は独立している。イスラムの本で読んだことがある。昨日と今日は別で繋がっていない。情報は関連付けて伝わり、問題意識として立ち現れる。でも、それは自分には関係のないことなのかもしれない。

つまり、自分の目の前で起きていることが最前線の「今」であり、その「今」に生きているように、モノやコトは、それ以上でもそれ以下でもない、ただあるがままの独立した存在だということ。ソーラーパネルは、太陽の熱をエネルギーに変換し電気を起こす道具で、原発の是非とは関係ない。人も同じなのかもしれない。自立するエネルギーでどう発光するのか。

ぼくは準備から開催に至るまでの体験に45000円を支払った。これが投資なのか消費なのかは、これからの自分の行動で決まる。何十年後か数か月後か。まずは、電気のない場所で発電してエネルギーに感謝したい。