いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

仕事と仕事の合間に、自分の仕事、未来の仕事に取り組んでいる。

「仕事」と言っても、様々なカタチがある
いまの時期の仕事は、フェスティバルの制作。中学生の頃に、父親に観せらたウッドストック(映画)の影響で、それがまんま憧れとなり、仕事になった。

一方、自分の仕事とは、誰に頼まれた訳でもなく、やりたいことをどうしたら仕事にできるのか、取り組みながら実践していくことで、ぼくの場合は、アート作品をつくること。作品をつくることは、思考と試行の実験の場で、そのなかでの体験や知見が新しい技術となって実生活に反映される。

未来の仕事とは、社会彫刻というコンセプトから始まった、よりよい未来をつくるために、社会のニーズをみつけ、それを捉え表現して伝えること。ぼくは、空き家や古い家の活用に取り組んでいる。愛知県津島市の長屋のオーナーとの出会いが、未来の仕事づくりへと導いている。

家を作品にするために
昨日は朝から、津島の長屋のオーナーと打ち合わせをした。ようやく家を活用するための幾つかの項目が具体化された。

1) ワークショップ(実体験学習)の実施
2) 家の傾きを直す
3) 実際に住んで壁を施工する

年内は、家の改修に取り組むことになりそうだ。中国のアーティスト、アイウェイウェイが、空き家の廃材を使い2件のギャラリーをぶち抜いた大規模な展示をしてた、と友達のfacebookで知った。家に触れることは、家を使ったアート作品の可能性へと繋がっていく。特に古い家は木造なので、木に関する知見が広まり勉強になり、ボートをつくるという夢にも繋がっていく。遠回りしても、寄り道しても人生は、続いていくし、諦めなければ、行きたい場所に辿り着く。

アートは生きることに他ならない
午後は、高円寺のAMPギャラリーの大黒くんと打ち合わせした。10月にコラージュをテーマにしたグループ展に誘って貰った。友達が土地を買って、そこを開拓する作業で、大黒くんと知り合った。

2014年の目標は、共に活動してくれるギャラリーをみつけることだった。インターネットで検索して、リストアップするも、どれもピンとこなかった。ハッと思い出して、高円寺でギャラリーをやっている大黒くんに会いに行き話し、旅の体験をまとめた本「生きるための芸術」を貸したところ、強く共感してくれ今に至る。必要とした仲間は、近くにいた。

アート活動をしていると言っても、どこにも所属していなし、アートシーンに繋がりがある訳でもない。ただやっている。その自分の活動をひとに伝えるとき、多岐に渡る想いが溢れて言葉に余る。大黒くんと話したおかげで、10月のグループ展は、作品の展示のみに絞ることになった。

大黒くんは「作品だけで充分伝わる。」と言ってくれた。

自分というフィールドを日々耕しているが、いざ、それを伝えることになると、どうしても情報過多になってしまう。この文章たちも、そうなんだろうが、ぼくが生きている今は余計だろうが、死んでしまえば、もうそれ以上語ることはなく、これらの言葉が結晶化して鉱物のように輝く日があるかもしれない。ぼくは、いまのために創っているのではないのかもしれない。
だからこそ、気持ちが通じる仲間のフィルターを通じて、アウトプットするのが程よいと実感した。

やりたいことは、いくらでもやれるし、未来について計画だってできるが、それが人の役に立つとか、多くの共感を得るとかは、また別の話しで、とにかくぼくは耕し種を蒔き、収穫して、幾つもの季節を過ごし、たまに出会う気持ちが通じる仲間が、ぼくの活動や作品に何かしらかの意味を感じてくれるなら、それでいい。

ぼくにとってのアートとは、生きることに他ならないのは、そういう意味でのことだ。