いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

生きるための、すなわち死ぬための芸術論

「哲学とは何か」という問いを立てることができるのは、ひとが老年を迎え、具体的に語るときが到来する晩年をおいて、おそらくほかにあるまい。

ドゥルーズガタリ

母も父も本を書くのが夢だった。学生の頃は小説を書いていた。母はいつか、本をつくるつもりだった。40歳を過ぎて離婚して、ゼロから仕事を探して、お蕎麦屋さんのアルバイトから、90年代の終わり頃、介護の仕事をやるようになった。それから79歳のいまも介護の仕事をしている。久しぶりに会った母は、もう文章は書けない、と言った。

記憶に残って離れない映画がいくつかある。父はヴィデオのコレクターだった。と言っても買ってくるのではなく、テレビを録画してテープを丁寧にパッケージして並べていた。強烈な印象を残しているひとつに「花いちもんめ」があった。

思い出して探すと近所のTSUTAYAにも、動画配信サービスにも見当たらず、図書館で借りることができた。

1985年の映画で、痴呆老人と家族の物語だ。当時のぼくは小学生だった。それから30年近くが過ぎて、老いることの意味もすっかり変わって、すぐ近くにあるものになった。

母が介護の仕事を始めたころは、まだ老人介護制度は確立されていなかった。だから、手に負えなくなった老人は、老人介護施設ではなく病院に預けられていた。映画「花いちもんめ」で描かれているように、入院するにはもうほんとうに手に負えなくなる末期、精神病のような状態になってからのことだったそうだ。手に負えなくなった老人で病院が次第にいっぱいになってきて、いよいよ介護制度が法律化されたのが2000年の頃だった。母は勉強して資格を取得して、現在まで老人介護制度の歴史と共にその道を歩んできた。

ちなみに「花いちもんめ」よりもっと昔は、老人を各家庭で看取っていた。だから隠居という老人の暮らす家を持っていた。昔の老人については「楢山節考」という強烈な映画がある。深沢七郎の小説が原作で50年代と80年代に映像化されている。オススメは83年の今村昌平の作品。

70歳になると老人を山に捨てる、姥捨という風習もそうだが、それ以上に昔の日本人の暮らしを映像で再現するような景色と人間模様が凄いインパクトを放っている。主人公の老人は、健康な自分を恥じて、自ら歯を臼に打ち付け、歯を失う。そして次の正月には山に行くんだと、前向きに家族に宣言する。


楢山節考、花いちもんめ、自分の母や父、いま暮らしている地域のお年寄りに接して思う。年を取ることからは、逃げることも、お金で解決することもできない。唯一抵抗できるのは健康であること。唯それだけだ。

母は生涯働くと宣言している。妻のお父さんは去年病に倒れ、再起が難しいとされていたものの、見事に回復して、何をするかと思えば、もう一度働きたい、と復職した。

ぼくは大学に入学する前、進路を巡って父親とケンカをして家出して、母の実家、祖父母の家に数ヶ月お世話になった。そのとき、小笠原さんというおじさんが「何をしたっていいけど、人間怠けるのだけはダメだ」と言ってくれた。「怠けるな」ぼくはその言葉を持ち続けてきた。

たまにこうやって思い出して、自分が怠けていないか確認している。だからつまり、〇〇が終わったらとか、準備ができてから、なんて言っていたら、それはもう遅い。すべてはいま同時に進行している。準備も仕事も夢も現実も。母と父の影響は大きくて、おかげでぼくは文章を書いて本にしている。

冒頭に引用した哲学者のジル・ドゥルーズは、「哲学とは何か」という最期になる本を出版した数年後に窓から身を投げ自殺している。

ぼくのテーマは生きるための芸術だ。生きるとは死ぬことでもある。生まれたと同時に死ぬ運命にある。だから、生きることと同じように死についても考える。唐突な結論で申し訳ないけれど、健全な死は自殺だと思っている。ただし、それは唐突な衝動的なものではなく、自分の仕事が終わったとき、その仕事ができなくなったとき、それはひとつの片付け方だと思っている。まだこの考えが受け入れられる社会にはなっていないけれど。


これはこれから議論されるべき生きるための、すなわち死ぬための哲学だ。