いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

春は新しいことをはじめる季節

これは日記。起きていることを記録している。妻の実家、長野県岡谷市にいる。姪っ子の冒険のサポートをしている。姪っ子は「なんでもチャレンジ」を目標にしている。素晴らしい。この春は両親の元を離れておじいちゃんおばあちゃんの家にステイする冒険をしている。

世の中は、どうしようもないほど崩壊しているように見える。ロシアはウクライナと戦争をしている。でも戦っているのは、ウクライナに暮らす人々とロシアに暮らす人々だ。殺すのも殺されるのも。一体誰が戦争を欲しているのか。

2020年代の戦争は情報をコントロールする。真偽のわからないまま歴史が刻まれていく。生活から根こそぎ戦争に巻き込んでいく。戦争で儲けている奴らがいて、そいつらが戦争を欲している。国家はそれを分かっている。日本もアメリカも中国もロシアも。場合によっては戦争が必要だとプロパガンダさえしている。

週末は、水戸でバンドのリハーサルに入った。去年からネット上でミーティングを繰り返してデモ曲を仕上げてきた。今までスタジオでやっていた作業の多くをネット上でやれるようになった。先の見えない混沌とした作業がスタジオワークから消えた。おかげでスタジオはデモ曲にボディとソウルを注入する作業に専念できるようになった。25年続けてきて、ついに自分たちの制作スタイルが確立した。

F.T.B.という曲は、ファックザバビロンの略。バビロンとは紀元前メソポタミアにあった都市。バベルの塔があった場所という説もある。レゲエでバビロンといえば「権力や力を持った人間による、独占的な利益に牛耳られた仕組み」を意味する。

この曲の詩を書いたのは、去年の夏頃だったから、まだ戦争は起きてなかった。今とは意味合いも変わってきている。だから歌詞を少し変えるかどうしようか。まあ、やってみて考えるのがいい。

愛国心を持つなら地球に持て。

魂を国家に管理させるな。

jimi hendrix

スタジオに入って数ヶ月ぶりに20年来の友達と話して、Youtubeの話題になった。自分はまったく観ないのだけれど、バンドのメンバーはよく見るらしく、youtubeをやった方がいいと勧められた。今までずっと言われてきた。しかしいよいよやった方がいいかな、と思い始めてきた。

気持ちが変わったポイントは、自分を撮影するのではなく、頭にカメラをつけて、目線だけで番組が作れるということ。それならやっている自分をイメージできた。

自分のしていることは、"art is doing words"だ。つまりアートは行為だと考えている。絵を描くことは、絵のモチーフと出会う行動によって生まれる。オブジェもその素材やカタチに出会う行動によって生まれる。

表現には「伝える」という行為が必要だ。表現の成立条件ではないけれど、継続する必要条件になり得る。表現を続けるには、知ってもらう必要がある。それに対して何らかのリアクションが欲しい。それが対価だ。絵やオブジェだったら、売れることや楽しんでもらうこと。今までは行為の部分を文章にして伝えてきた。SNSや本にして。それが映像に変わろうとしている。

今「語るピカソ」を読んでいる。第二次世界大戦の前後、ピカソを中心にした当時の様子が伝わってくる。絵画や小説が、どれだけ時代をリードする表現だったか。それでも戦争はどこからかやってきて世界を覆った。景色は戦争へと少しずつ色を変えていった。絵画も小説も戦争を止めることができなかった。それは今も同じなんだと思う。ガソリンが高騰し始めている。小麦やら輸入品が値上がり始めている。戦争を支持する生活者なんているはずないのに、それはやってくる。生活の底に戦争の根が張り巡らされている。

妻の実家に滞在すると、居心地がよくて怠け者になる。なんでも揃っている。これが家というものだ。一方で自分で作った生活空間は便利ではない。かなり風変わりなライフスタイルになっている。それが自分らしくあれる。ここなら戦争から生活を切り離すことができるように思う。

自分がいま手掛けいる作品は「里山を再生してそこに暮らし表現者として生きていく」というドキュメントだ。高校生のとき、夢は映画監督だった。その夢を叶えるために受験勉強をした。日大芸術学部の映画学科を目指した。けれども落ちて、映画は遠い存在になってしまった。

7歳の姪っ子が教えてくれた「なんでもチャレンジ」だ。大学に行ったら映画監督になれる訳ではない。美大に行けば芸術家になれる訳でもない。3月の終わり。4月から新学期。始めるにはちょうどいい。