いきるための芸術の記録

荒地と廃墟の楽園より

ウィルスで失って気がついたこと

データのすべてを消失してしまった。原因はPCのウィルスだった。コロナウィルスで騒がれている今、まさか自分がPCのウィルスにやられるとは。

ウィルスはランサムウェアというもので、データを暗号化し使えなくして、暗号化を解除する代わりに身代金を要求してくる。金額は10万円で72時間以内にコンタクトを取れば半額にしてくれる。しかしお金を払って回復するかの保証はない。

あらゆる手段を検討したけれど、諦めるほうが早かった。PCのならず接続したHDまでもが感染してバックアップも失っていた。何より出版予定の原稿が含まれいたのが絶望的だった。

去年から本の原稿を書いて、indesignでレイアウトして、書籍のページを作っていた。それから修正を、重ねて10ヶ月ほどかけて90%完成していた。それが消えてしまったのだ。もうひとつ、過去から現在までの作品を掲載した作品集も作っていた。その2冊だけはどうしても、世の中に出したかった。むしろ失われたデータのなかで、この2つだけカタチにできれば、他はもういらないとさえ思った。

可能性は、データの復旧よりも、2冊の本を完成させることにあった。去年から書いていた「廃墟と荒地の楽園」は校正のため出版社にPDFで送ってあった。それを元にもしかしたら復活できるかもしれない。PDFをindesignで開くと、それはすべて画像になっていた。復活させるには、もう一度、レイアウトし直す必要があった。

それから4日間、この仕事だけに集中して、ついに「廃墟と荒地の楽園」が完成した。バックアップを保存して、出版社に送った。

データを失った経験は、自分自身を変えるきっかけにもなった。データを貯めることを非生産的な行為だと思うよになった。失われたのは、過去の写真、過去の作品の画像、音楽データだ。なかでも自分には音楽を集める趣味があって、これに時間を費やしていた。しかし、この趣味は個人的なもので、社会性はほとんどない。それが悪いことではないけれど、音楽を表現のひとつとして捉えるなら、その行為もアウトプットするべきだ。

本のデータを失って復旧するとき、本をつくるという技術が役に立った。身についた技術は失われない。自分の書いた原稿をプリントアウトしておいたおかげで最終形が手元にあった。最終形をデータではなくいつも現物化しておけば、それらは現実のもとなる。この現実化するところに、社会性があると気がついた。

だから音楽を聴き漁るよりも、自分の場合は詩を書くことがアウトプットだと気がついた。ぼくには、20年も続いているバンドがあって仲間がいる。今も曲のサンプルが送られてきて、それに歌詞を入れてメンバーに共有している。ぼくは、音楽に対して詩を書く、それを独自の方法で歌にするという技術を開発してきた。詩を書いて仲間と共有したとき、ぼくの音楽は社会性を持つようになる。その先には楽曲が録音されたり、ライブで演奏され、さらに多くの人に聞かれる可能性がある。

何ためにそれをするのか。社会に接続するために表現をする。ここでの社会とは、不特定多数の他者だ。他者に自分の表現を届けることを目的とする。何のためにか。自分が生きた痕跡を伝えるために。なぜ、それが必要なのか。なぜなら、それが自分の生き延びる唯一の突破口だから。

創作物を世の中に流通させる。10年前は、大きな資本が必要だった。だから、音楽で言えばレコード会社、本なら出版社が必要だった。その大きなチカラで、何千、何万を売ることが良しとされきた。けれども、何千、何万を売らなければ、それが良くないかと言えば、そうではなくて、大切なのは、創作物を届けたいところに届けるということだ。つまり、大きなチカラがないから、創作物が流通できないことより、小さなチカラでも、流通させてやればいい。それが生まれてきた表現を育てることになる。

「廃墟と荒地の楽園」は、原稿を書いて、レイアウトしてページをつくり、表紙のデザインまでを自分でやった。自分のつくりたいと思う本を作った。出版は、これまで自分の本を出してくれた出版社にお願いすることにした。快諾してくれたけれど、今までのようには出版できないという話になった。つまり、取り次店から本を配本する制度では、2000冊の初版を用意する必要があり、それにはお金が掛かり過ぎる。それだけ本を刷っても売れる保証はなく、結局返本される。もちろん売れる本もある。しかしそこには競争がある。

ぼくはそこを目指したいとは思わなくなった。作った本をもっとコツコツと顔が見える人に、本に興味を持ってくれる人に長い時間を掛けて届けていきたい。ぼくの本はそんなに強くない。強くないけれど優しいし、きっと読んだ人を助けて勇気づけるようなヤツだ。だから、出版社のチカラに少し助けてもらって、小さな本屋さんに直接卸て売っていきたい。それで1000冊売れば大成功だ。

データが消失して、コンピュータの世界にいる理由がなくって、つまり自分の居場所もPCからなくなって、するべきことが現実化した。この閃きは、かなり大きな収穫だった。その軽さにむしろ驚いている。

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